カテゴリー「平和・戦争」の13件の記事

2014/03/10

永続敗戦論 ④

228 第3章、第2節は「何が勝利してきたのか」というタイトルであり、主として「国体」について論じている。
 戦前の「国体」について。
*犠牲を強いるシステムである。
*一切の革新を拒否する。
 河原宏の戦争終結に対する見方。
*戦争終結の決断の本質を「革命より敗戦がまし」という選択としてとらえている。
*日本人が国民的に体験しそこなったのは、各人が自らの命をかけても護るべきものを見いだし、そのために戦うと自主的に決めること、同様に個人が自己の命をかけても戦わないと自主的に決意することの意味を体験することだった。(中略)近衛らが「革命よりも敗戦がまし」という形で、なんとしても避けようとした「革命」とは、究極のところ各人が自主的決意と判断によって行動するに至る状況のことだったのではないか。
 それでは、何が勝利してきたのか。
*国体とは自主的決意による革新・革命の絶対的否定を意味するものである以上、国体護持を実現したかたちでの敗戦は、敗北という外見に反して、その実、革命に対する華々しい勝利にほかならなかった。

 昨今の暗澹たる状況に対して、著者はガンジーの言葉をあとがきに引く。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく。世界によって自分が変えられないようにするためである。」

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2014/03/09

永続敗戦論 ③

226 第3章は「戦後の「国体」としての永続敗戦」、その第1節は「アメリカの影」である。
*米国が自国の国益を第一義的に追求し、ときに帝国主義的でさえあるような振る舞いをすることは、全く自明の事柄である。
*歴代の自民党政権は、米国から難題を振り向けられたとき、要求をかわすために平和憲法と社会党の強力さを対米交渉の際の頼みの綱としていた。
*今、批判の刃(日本は非民主主義的であるという批判)が米国から親米保守勢力に対して向けられている。
*靖国参拝は東京裁判に対する、すなわち米国を筆頭とする全連合国に対する不満の表明というメッセージたらざるを得ない。
*日本の親米保守勢力の低劣さ、無反省ぶりに米国は驚きあきれて怒りの悲鳴を上げているわけだが、その低劣なる勢力こそ、ほかならぬ米国が育て上げ甘やかしてきた当のものにほかならない。

 今や、いざという時に、アメリカが日本を助けてくれるとは限らない、という感が強くなっている。だからといって、この対米従属の状況を乗り越えていく具体的な処方箋は見えてこない。
 そして、もう一つの大国、中国との関係がたいへん気になるし、難しいものになっていくだろう。
 北東アジアの平和を考えていく上で、六か国(米国、中国、ロシア、韓国、北朝鮮、日本)の調和のとれた関係が必要である。まさに、近隣関係の問題である。

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2014/03/08

永続敗戦論 ②

225 第二章は「「戦後の終わり」を告げるもの」-対外関係の諸問題」である。(写真は著者の白井聡さん)
 領土問題や北朝鮮問題を取り上げる。
 領土問題を考えていく上で押さえておきたいことがいくつかある。
*「尖閣諸島」について、日本政府はその領土的主張の根拠をサンフランシスコ講和条約に求めているわけだが、中華人民共和国はサンフランシスコ講和会議に代表派遣を拒否されている。
*「北方領土」について、サンフランシスコ講和条約において、日本が千島列島を放棄することに同意した。
*「竹島」について、竹島の編入が日本による韓国の保護国化を背景として行われたとまで言い切れるかどうかは微妙である。
 領土は国同士の戦争などによる力関係で決まってきた経緯がある。だから遺恨なども残る。しかし、近代国家以前の大昔に戻って議論していてもあまり意味がない。大昔には国家の体をなしていないからである。近代国家以降は、条約、共同宣言など、国際的な公式な関係が重要になってくる。
 領土問題でナショナリズムをあおるのはいかがなものか。じっくりと時間をかけるものであり、これで戦争はバカげている。
 北朝鮮問題について、押さえておきたいこと。
*日本政府のプライオリティが平壌宣言以後に、「日朝国交正常化から拉致問題へ」と明確に変更された。

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2014/03/07

永続敗戦論 ①

224 副題が「戦後日本の核心」という、白井聡さんの著作であり、昨年の3月に出版された。(太田出版、2013年3月27日発行)
 1年経って、概ね白井さんの分析した方向で政治や社会が動いていることに驚きとともに、心配が大きくなっている。急速にひどくなっているという怖さである。
 第1章は「「戦後」の終わり」というタイトルである。
 「永続敗戦」という用語の意味するところは何か。
①敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化されている。
②敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない。
 敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く……それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。(ここには、ドイツとの比較において、敗戦に対する徹底した認識と反省がないことに対する指摘がある。)
 そして、今日、このレジームがもはや維持不可能なものとなっている。2大大国の存在があるからである。
①中国は、日本人のかかる「信念」が中国にとって看過できない害をなすのであれば、それを許容しないだろう。
②米国は、冷戦構造の崩壊以後、日本を無条件的な同盟者とみなす理由を持たないだろう。

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2012/07/29

ロンドン・オリンピック

Images71 ロンドン・オリンピックの開会式を見て、感動した。
 200ヶ国以上が参加している、過去最大の大会である。
 オリンピックはいろいろ問題もあるが、現在のところ、世界の一体感や世界の平和を感じる、目に見える最大のイベントと言っていいだろう。(世界の多様性も分かって面白い。)
 20世紀は人類史上、最も悲惨な戦争の世紀だった。21世紀は世界平和の世紀であってほしい。
 オリンピックがその平和を象徴する大会であってほしい。

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2009/10/12

読むだけですっきりわかる日本史

7andy_32068588 幕末から近・現代だけを読んだ。
 と言うのは、私は近・現代史が好きだからである。と言うか、それ以前の時代は結局は私には理解しにくい、共感しにくいから、よく分からないのである。
 近・現代は世界史的に見て、国が乱立している時代である。であるから、国同士の戦争の時代でもある。
 日本でも明治から外国との戦争が続いた。昭和の前半もそうであり、父や母の若い時代の出来事である。
 日本は太平洋戦争後、平和な時代が続いている。私が生きている時代である。
 平和ということは素晴らしいことだ。私にとって、いい時代と言える。

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2009/09/27

それでも日本人は「戦争」を選んだ

7andy_32285928 1894年の日清戦争から、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変・日中戦争、太平洋戦争の終結1945年まで、約50年間を取り上げる。この50年間の他の国との5つの大きな戦争の歴史である。
 太平洋戦争終結から既に64年である。この戦争の約50年と戦後の約60年はかなり異なる。戦争の50年間については知らないことばかりであり、圧倒されることばかりでもある。
 戦争の時代は、生と死が身近に感じられ、実存感覚でピリピリしていただろう。その頃に生きた人々は今、私たちが生きている感覚とは全然違うだろう。正直、遠い感覚とも言えるのであり、それだけに感覚を研ぎ澄まして,耳を傾けなければ共感することはできない。
 この日本の戦争は選んだというより、やむを得ず追い込まれていってしまったのではないか、という見方も私にはある。しかし、当時の日本の最高頭脳にしても判断と選択の過ちはあったのである。軍の暴走があり、それを止められない政府首脳たちがいたのである。そして、あまりにも多くの犠牲者を出した。
 その過ちはどこから来るのか。私は、根底は不安から来るのかもしれないが、人間の欲から来ると見た。支配欲、コントロールしたい欲、運命をも変えたい、すなわち神になりたい欲である。
 この欲に権力者が駆られた時は恐い。覇権争いが激化し、平和は脆くも崩れる。このあたりを教訓にしないと、最高頭脳でさえ誤り、犠牲者を出すという悲劇が再び生じる。
 著者の加藤陽子教授はできるだけ第一次資料(原典)から解き明かす。歴史学者としては当然かもしれないが、一次資料の重みを基に、できるだけ感傷的にならず、公平・冷静に中高生に説明していく。
 誤った道を選ばないようにという気持ちが加藤教授の小さな身体に漲っている。若い人へ語り継いでいってほしいと私も切に思う。
 改めて思うのは、この50年の日本の戦争は日本の近隣、アジア・太平洋が戦場であった。ヨーロッパやアメリカ大陸ではないということである。脱亜入欧の思想を持った日本の実際の行動の場は、当時は当然のことながらアジア・太平洋だったということである。
 戦後、今でもこのことの意味合いは大きいと思う。特に朝鮮・中国との長い歴史とこれからの関係を考えた時、重要だと思う。

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2006/03/30

平和のつどい

Hato2 人気歌手の出演もあって、平和のつどいの会場には1500人くらいが集まって盛り上がった。 
 その中で出場した小中学生の平和についての作文発表は感動した。優等生的な女の子が多かったが、とにかく素直で純粋な気持ちは素晴らしい。
 つどいからの帰り道、歌舞伎町の繁華街を通り抜け、大人の醜さを何となく感じると特にそう思った。
 ところで、「平和」は私がこれから関わる生涯学習とどう繋がるか考えてみた。
 生きることの楽しみ、喜び、すなわち生きがいを生涯学習で感じることができる人は平和を強く望むような気がする。そのあたりに繋がりがあるように思ったのだが。

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2005/08/06

戦争・平和と集合論

39767792 以前、小室直樹が国家を「集合」に、国民一人一人の個人をその集合の「要素」と捉え、戦争・平和について論じていてわかりやすかった。
 要素である個人のレベルで戦争を望む人はまずいない。殺す、殺される関係は想像するだけで恐ろしい。家族や友人が傷つき、悲しむことを望む人はいない。だから、個人の生活レベルでは異常な犯罪者を除いてほとんどの人間が平和主義者である。
 しかし、国家レベルでは、国の利益を理由にして安易に戦争を起こす。この共同幻想の国のレベルでは個人とは異なった価値観で戦争が起きるのである。
 ここで小室が言いたいのは、数学的に見ても要素である個人と、集合である国家とは別次元(別の概念)であり、この別だという意識をしっかりと持っている必要があるということである。
 この数学的な見方は単純なようでいて、大事な事を教えてくれていると思う。個人的な感情・感覚論だけでは国家間の争いはなくならないのであって、別次元でも冷静に平和を希求しなくてはならないということである。

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2005/07/29

あの戦争は何だったのか

31563151 夏は戦争と平和を考える季節であり、「あの戦争は何だったのか」(保阪正康著 新潮新書)を読んだ。
 あの悲惨な太平洋戦争を起こした原因はいろいろあるが、この本は主として日本の軍隊、軍部に焦点を当てている。
 特に軍部の無能さ、いい加減さが目に付く。「戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。対症療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入りこんでいく。」
 海軍と陸軍の意地の張り合いのような感情的対立が判断をますます曇らせていく。
 当時の権力者のあほらしさが見えてきて、権力やリーダーについて考えさせられる。著者の言うように、現代の日本のリーダー論にもつながるものがある。
 いずれにせよ、このようなバカバカしい権力者たちによって、500万人もの犠牲者が生じたというのは何ともやりきれない。
 戦争を軍部を糾弾する切り口から記述する方法は以前からあると思うが、新書というまとまった形で読んだのは初めてである。戦争は軍部を支持した国民の側にむしろ責任があるという見方もあるのは承知している。しかし、権力者の責任は重大であり、その愚かさには大いなる怒りを覚える。

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