カテゴリー「政治・経済・社会」の67件の記事

2016/12/30

グローバリズム以後

743 エマニュエル・トッドの副題は「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」という新書である。(朝日新書) トッドへの何回かのインタビューで構成されている。

 人類学的な革命をもたらす4つの要素を述べている。
①共同体的な信仰の喪失(経済的合理性の喪失)
②高齢化
③社会を分断する教育レベルの向上
④女性の地位の向上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/04/23

断片的なものの社会学 ②

Images8fo2qmi7 岸政彦さん(写真)のインタビュー調査というもの、私も他人の話を聞くことに関心を持っている者として、示唆されることが多い。
 印象に残った文章を掲げておく。
*表現する側のラベルに言及されることなく、純粋な表現者として表現できるようになること。これがラベルを貼られたものが表現するときの理想の状況だろう。
*壁によって守られ、個人として生きることが可能になっている私たちの心は、壁の外の他者に対するいわれのない恐怖によって支配されている。確実に私たちの心の奥底には、他者に対する怯えがある。そして、この不安や恐怖や怯えは、きわめて容易く、他者に対する攻撃へと変わる。
*だから、この社会にどうしても必要なのは、他者と出会うことの喜びを分かち合うことである。
*しかし、また同時に、私たちは「他者であること」に対して、そこを土足で荒らすことなく、一歩手前でふみとどまり、立ちすくむ感受性も、どうしても必要なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/04/22

断片的なものの社会学 ①

625 まとめたところの文や解釈したところの文を抜き書きするのは、この本の趣旨からすると真逆の行為かもしれないが、分かりやすく使えるセリフがあるので、あえてやってみる。
*私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そしてその世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。
*私は、他人が苦しんでいる話を聞いたとき、それがひどい話であるほど、安易に泣いたり怒ったりしたくない。だから、ひどい話を聞いて揺さぶられた感情が、出口を探して、笑いになって出てくるのかもしれない。
*私たちは孤独である。脳の中では、私たちは特に孤独だ。どんなに愛し合っている恋人でも、どんなに仲の良い友人でも、脳の中までは遊びにきてくれない。
*激しい痛みに耐えているときにもっとも明確に、自分がほかでもないこの自分であることを実感することができる。
*肉体労働をやってみて思ったのは、これは体というよりも感覚を、あるいは時間を売る仕事だな、ということだった。……脳のなかで、意識のなかでずっと重い、寒い、痛い、辛いと感じ続けることが仕事なのだ。それを誰かに押し付けることはできない。そのかわりに金をもらうのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/04/21

生き延びるための社会学

624 上記のタイトルで、岸政彦さんと上野千鶴子さんの対談があった。面白かった。
 岸政彦さんの『断片的なものの社会学』(朝日出版社)が紀伊国屋じんぶん大賞1位になったことを記念しての催しである。
 この本はエッセイなのか、社会学なのか、といった話から入っていったのは私の関心と一致していた。
 上野さんは聞き役に徹すると自ら言っている割にはそうはならず、どうしても社会学とは何ぞや、その社会学のこれまでと行く末が気になるようである。やんちゃな岸さんはその話の流れに抵抗しようとしていたのが面白かった。
 細かい内容には踏み込まないが、上野さんの権威と古さが感じられた(かつては最も新しかった人だったはずである。)一方、岸さんのおっさんなのに子どもの反抗期的な言動に新しさを感じた。そこが妙に面白かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/12/05

高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?

540 第1部は「「SEALDsってなんだ?」であり、第2部は「民主主義ってなんだ?」という構成になっている。(河出書房新社)
 私は第2部のいくつかの話に印象に残る点が多かった。
*重要なのは、何かが決まるまでの過程に全員が参加し続けられるかってことなんだよね。その過程で意見を言ったり聞いたりして、みんなが何を考えているかを知ることができる。
*権力を縛るもの、そういう意味では立憲主義は使える。
*そもそも民主主義を実践していくと、そのこと自体が教育になっていくんだよね。
*プロセスだろうから、完成することはない。
*結局、「平等」を根本に置いたんだ。…人間は本来動物でもあるわけだから差があるのに、差がないってことにした。…今でも民主主義が残っていて、それは単なる夢ではなく、言葉をもつ人間という存在がお互いの弱点を強さに変えて生きていく方法じゃないかって思う。
*そこには対話やルールが不可欠である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/10/11

紋切型社会

516 副題は「言葉で固まる現代を解きほぐす」、武田砂鉄さん執筆の本である。(朝日出版社)
 紋切型や一見当たり前に見える言い方に、疑問を呈し、それを崩していくというのは哲学のよくする方法である。(その手法を「脱構築」とか、「脱臼させる」とか言うが、これももしかして紋切型の言い方か?)
 本書の取り上げているテーマはどれも面白いし、肯けるものも多い。私が特に関心を持ったのは、以下である。
「04 禿同。良記事。 検索予測なんて超えられる」
「10 なるほど。わかりやすいです。 認め合う「ほぼ日」的言葉遣い」
「16 誤解を恐れずに言えば 東大話法と成城大話法」

 しかし、本というのは一方的に著者の主張を聞いているだけのところがあって、フラストレーションは溜まりやすい。私の反対意見も言って、やり取りをしたくなる。
 その点、哲学カフェのように、対話できる場というのは、私にはずっと面白い。本書に取り上げられていることをテーマにして、哲学カフェを開いてもいいような気がしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/05/16

資本主義の終焉と歴史の危機

451_2 確かにやがては資本主義は終焉するだろう。大局的に見た、水野和夫さんの新書である。(集英社新書)
 金利ゼロ=利潤率ゼロ=資本主義の死という図式である。10年国債利回りが超低金利となっている今日、それは現実化してきていると言う。
 それはフロンティアがなくなってきたからである。「地理的・物的空間(実物投資空間)」もなくなってきた。コンピュータによる株式の高速取引化に見られるように、「電子・金融空間」からもなくなってきた。
 さらにもっと重要な点は、中間層が自分たちを貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を支持する理由がなくなってきたことである。
 これらの論は説得力があるし、このように大きく捉えることは大切だと思う。
 しかし、私の感覚では、資本主義はまだしばらく延命するだろう。バブルの崩壊、不況は、この10年以内にまた経験するだろうが、資本主義体制そのものを大きく変えていくのは、私の生きている間(ここ20~30年の間)に果たして起こるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/24

違和感から始まる社会学 ③

Yoshii2 好井裕明さん(写真)からはいろいろ学ばさせてもらった。
 「構築主義」とは何か。
*このアプローチでは、人びとが何かに対して異議を申し立てるという活動こそが社会問題を世の中に作り上げ、「あぁ、このような問題が社会には存在していたのだ」と思わせていく。
 「よいコミュニケーション」とは何か。
*他者とどのように向き合い、他者をどのように理解したらいいのか。こうした問いへの答えは、日常、私たちが他者と出会う実践を「いま、ここ」で反芻し、その意味を批判的に考え直していく、絶えざる営みのなかにしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/23

違和感から始まる社会学 ②

301 まずは、フィールドワークをする手法などのことである。
*「民俗学」が探求すべきものは、民族的事象の採集・整理・陳列ではなく、まさに民俗がそこで意味を持ち、人びとによって生きられている日常を注視することであり、人びとの「生き方」を具体的に記述する「生活誌」である。
*エスノメソドロジーとは、私たちが何気ない日常の場面で、いかなる実践的な知ーその状況を適切に判断し、適切に対応するうえで必要な「方法」「処方」としての知ーを用いているのかを、具体的な場面に即して詳細に読み解こうとする、社会学のユニークな方法である。
*エスノメソドロジーの重要な2つの知見と主張:①「あたりまえ」の執拗さと恣意性とでもいえる特性 ②私たちはすべて「実践的社会学者」である。
 
 スマホをめぐって。
*スマホというツールができたいま、「いま、ここ」がもつ意味は確実に変容している。私たちの現実にあいてしまった多くの孔(多孔化)を通して流入し、流出していく意味の濁流の中で、「いま、ここ」が持つ特権性が喪失されている。
*私たちが言葉を介して他者と出会い、他者を理解していたときの「時間」や「あいまいさ」「余裕」とでもいえる何かが、スマホの「速度」によって奪われたり、変質したりしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014/07/22

違和感から始まる社会学 ①

299 副題は「日常性のフィールドワークへの招待」という、好井裕明さんの新書である。(光文社新書)
 私と同世代であり、おじさん的見方のところが随所に見られ、それがいい面でもあるし、そうでない面もある。
 まずは、「日常性をどう考えるか」というテーマである。
*人間とはつねに「意味を生きる存在」である。
*私があなたと対面するとき、私はあなたが発する言葉や感情、表情や動作、身体のありようを含め、すべてを感じ取る可能性に満ちている。それは、私があなたへ、同じ可能性を放出していることでもある。こうした、いわば単純な事実こそ、「いま、ここ」で私があなたと充実した意味を創造するための基本なのである。
*異質な他者と出会い、向き合い、彼らを理解するというリスクが立ち現われてくる場こそ、私たちが粗い意味をまとった類型的知を駆使し、多くの場合、他者と適当な距離を取りながら関係を維持しつつ、「あたりまえ」に生きている日常生活世界なのである。
*そのとき、やはり顧みるべき原点は、わたしが‘生きて在る‘「いま、ここ」であり、「いま、ここ」から他者と向き合う私の「術(すべ)」「「処方」「方法」「実践知」であり、「経験知」なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧