半沢直樹
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2003年の WOW WOW 作品である。川上弘美原作、久世光彦演出である。
大町月子(37歳)と松本春綱(70歳)、元は高校の教え子と先生との関係の2人の、まさに恋物語である。
さすが久世演出、テレビドラマとして、よくできている。主役2人、月子(小泉今日子)、春綱(柄本明)もいいし、脇役も効いている。ユーモアも散りばめてあり、楽しめる。
しかし、この年の差の恋は苦しく切ないものだ。結構、際どい内容もあると思うが、情感を込めて描かれている。
メイキングを見ると、小泉今日子は久世光彦に「演技が下手だなぁ」などダメ出しをかなりくらっている。そのせいかどうか、この作品での小泉今日子はかなり魅力的だ。その後の、現在の「あまちゃん」に至るまでの10年間のドラマでの活躍はこのあたりが出発点かも知れない。
久世光彦は、この3年後に亡くなっている。
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是枝裕和監督・脚本のテレビドラマは家族の物語である。
面白かった!家族って、そこに人がいて、話をしているだけで、暖かいんだよね。愉快でもある。
映画「歩いても歩いても」は傑作だと思っていたが、このドラマもその延長のようでいて、とてもいい。
YOU(姉)と阿部寛(弟)の関係は、上記の映画と同じであり、とにかくこの2人の掛け合いは思わず笑ってしまう。姉弟の関係って大体こんなものだと思うからである。
とにかく、うまい役者が揃っており、それぞれ存在感がある。上の2人以外にも、山口智子、宮崎あおい、阿部サダヲ、吉行和子、夏八木勲、西田敏行等々、私の好きな俳優たちである。
山口智子演ずる奥さんが料理上手で、優しくて、あまりにも理想的なのには少々びっくりした。
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マイケル・サンデル 究極の選択 「大震災特別講義~私たちはどう生きるべきか~」(4月16日(土)9:00~10:15pm NHK)を見た。
「危機への日本人の反応をどう思うか」といったところから講義は始まっていった。
今回の大震災においては、その後に略奪や便乗値上げといったものはほとんど見受けられなった。これらを日本人の美徳だと言われると少々恥ずかしい気持ちもする。日本人として自然に身に付いてきたものであるし、そこには他人を気にし過ぎるといったマイナスの面も含まれているからである。
しかし、東日本大震災においては、この日本人の特質が少なくともよい方向に働いたと思われる。また、サンデル教授の見方や言い方には日本人への優しさと励ましが含まれていると思われる。これは嬉しいし、力強く感じられる。
究極の選択への問いとして、2番目に取り上げられたのは、原発事故への対応など危険な仕事に誰が従事すべきかといったものである。それは志願なのか、義務なのか、同意なのか、使命感なのか、そしてこの場合、報酬(お金)はどのように考えればいいのだろうか。この問題には私は明快な解答を持ちえていない。
第3の問いは、これからの原子力発電のあり方である。原子力をコントロールできる技術力のことがよく分からないので、これも私には答えを出しにくい問題である。
第4の問いは、大震災などを契機として、世界的な連帯への道はあるのかといったものである。カントが描いた理想は理想としてあるべきだと私は思う。
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「食」と「医」が中心の素材になっている。どちらも人の健康と生命に関わることである。
物語前半で中心になっている料理のシーンは見ていても楽しい。韓国料理の食材や調理法に関心のある人にはたいへん興味が湧くところだろう。この物語のおかげで主要な韓国料理の基礎知識が増えた。
物語後半は医術が中心になっていくのだが、韓国の伝統的な医術についても分かった。
この時代は人の命が軽く取り扱われているような印象を受ける。(簡単に殺されたり、見捨てられたりするから。) そのような中だからこそ、誰に対しても健康と生命を大事にするチャングムの姿勢が光るのである。
また、復讐心と医療の精神が相容れないことは分かっていながらも、どちらも捨てきれないチャングムの正直な気持ちが大きな葛藤を生むシーンは、見ている方も一緒に大いに悩む。
「チャングムの誓い」で印象に残るのは、3人の女性の死である。チャングムの母、チョン最高尚宮、ハン最高尚宮の3人である。3人とも正しく高い志を持っており、チャングムを育ててくれたにもかかわらず、不幸な死を遂げていく。あまりにも悲しい話である。
最後に一つ。屋外のロケシーンでは俳優さんたちのセリフを言う時の吐く息が白いことが多い。寒い中での撮影、ご苦労様でした。これらキャスト、スタッフたちの努力により、感動的な作品が出来上がった。
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チャングムの敵役、チェ・一族の連中は本当にひどい奴らだ。
チャングムに対する仕打ちは過酷であり、まさに悪の権化であり、憎たらしい存在である。
だから、チェ・一族が罪を暴かれ、懲らしめらるのを見るのは(水戸黄門を見ているようでいて)、痛快である。
しかしながら、言えることは、悪は自壊するということである。自らが撒いた種により、それらに縛られ、滅んでいく。それも血族という、そこに生まれついたがゆえの運命の結果でもある。だから、かわいそうな人たちである。
私が注目するのは、クミョンである。チェ・一族に生まれたがために、悪に手を染めなければならなくなる。
クミョンの子どもの頃に抱いた、優しくかつ高い志は長じてから貫いていくことはできなくなる。それだけにクミョンの心の葛藤は大きい。チャングムより悲劇の人物とも言える。だから、クミョンという人間には、心の陰影が強く感じられ、悩みが多い我々に近い人物として共感もするのである。
クミョンが宮廷から追放され、その後どのようになったかは、とても気になることである。
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宮廷というのは官僚組織である。だから組織と人を考える時の素材になる。
まずは、トップ層の王、皇后、皇太后らのことである。彼らは孤独な存在である。下の者から見ると、無能というより、とにかく当てにならない人たちである。下の者に対する評価がこうも曖昧でブレるのか。(チャングムを本当に理解するのに相当な時間を要した。)
中間の管理層も当てにならない。同僚だって同じだとも言える。要は組織の中では、頼り過ぎは禁物なようだ。(チャングムの自立心を見習わなければならない。)
組織内では争いは当然起こる。権力争い、派閥争いは日常茶飯事である。このような争いに乗じるひどい輩はいるものだ。仕事上の小さいミスをとことん責めてくる。(チャングムはこのような争いに巻き込まれて何度も苦しんだ。)
しかし、組織の中には敵ばかりではない。心が通い合う人たちが必ずいる。多くの人たちがいるゆえに、仲間意識が持てる人たちにも出会えるものだ。(チャングムにも助け助けられる仲間がいた。)
さて、この物語の最後の最後で、チャングムはこの大組織である宮廷さえも超越してしまう。組織にこだわらなくなり、組織から離れるのである。
組織を乗り越える力になったのは、夫婦愛、家族愛、隣人愛、地域愛、さらには人類愛といったものである。
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「宮廷もの」という韓国における時代劇であり、現代とは異なるこの時代をある程度理解しておくのがいい。
約500年続いた王朝の時代である。
朝鮮の王は、常に巨大な中国と海を隔てた日本を意識していなくてはならなかった。内政面も心痛むことが多かった。特に、王権や王族をめぐる権力争いが絶えず、このチャングムの物語の背景には権力争いがあり、その争いの物語という見方もできる。
ただ、王や仕える人たちは変わっていっても、女官や厨房の組織、大きくは官僚組織はあまり変わらなかったと思われる。500年も国を支えていたのだから。
この時代が現代と大きく異なるのは、固い身分制度である。これを突き破ることは至難のことである。また、チェ一族に見られるように、血縁にも強く縛られていたことである。
男女平等などというものはなく、それゆえに男女の対等の恋愛関係というのも難しかった。
このような時代背景の中でのチャングムの主体的・能動的な行動。それに対比されるのはヨンセンのような受動的で運命に流されるままの生き方である。(その受動性のゆえに王の寵愛を受けることになるのだが。)
チャングムがこの時代ではかなり異質であることは容易に分かる。この物語でのチャングムは現代人を投影した創作された人物であり、ストーリーも現代的要素がかなり入っていると言える。
日本の江戸時代の時代劇などを見ていても分かることだが、その時代の枠組みの中に現代的要素や感覚を一部取り入れることによって、見ていて面白い物語になるものである。
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