2009/11/05

人間の運命

7andy_32300775 著者の五木寛之は1932年(昭和7年)生まれ、今年77歳喜寿である。現在の天皇や石原慎太郎と同じ年である。
 1945年敗戦の年、13歳であるが、朝鮮の平壌で母を亡くす。日本に引き揚げてこられたのは1947年である。
 このような体験から、人間は状況次第でどうにでもなる、人の心が善いから人を殺さないのではない、といったことを思うようになる。
 その他、この本の中で、印象に残った言葉。
*不運だからといって不幸とは言えない。見方、捉え方によって幸福にも不幸にもなる。
*境遇というものをうまく捉え、うまく使い、うまく解釈する。
*過去を受け入れる、受け入れないも、現在の心次第だ。
*「諦める」とは「明らかに究める」ということ。
*善人、悪人の区別はない。

 今年86歳になった母は五木寛之のファンであり、この本を読みたいと言うので、今度持っていくことにする。

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2009/11/01

カツマー対カヤマー

20091012_s_1 AERA10月12日号に「対談:勝間和代×香山リカ」が載っていた。
 このように対比される女性が登場してきて、生き方について対談するのを読むと、生き方について男女の差は少なくなってきた感がある。(男性の方が上司や制度を恨むことが多いという傾向からして、むしろ男性の方が生き方に関しては責任転嫁的であるかもしれない。)
 一見すると、勝間タイプは肯定的、楽観的、ポジティブ、香山タイプは懐疑的、悲観的、ネガティブに見える。(私の大雑把なまとめは、勝間タイプは孔子型、香山タイプは老子型である。)だからと言って、勝間タイプばかりを推奨できるというものではない。
 実際にも、集団の2-6-2理論からして、勝間タイプで頑張れる人は2割くらいであり、多数は香山タイプの「しがみつかない生き方」の方に近いだろう。
 勝間さんはスポーツのスター選手のような存在である。世の中に貢献し、頑張っているから、声援を送りたい気持ちにはなるが、なかなか同じようにできる人は少ない。
 若いうちは勝間タイプを目指す、年齢を重ねてくると香山タイプを目指すのがいいのかもしれない。(これは若者は孔子型、高齢者は老子型がいいという私の意見と重なる。)
 いずれにせよ、人間はそう簡単に割り切って生きていくことはできない。この近現代社会においては、それぞれ自分なりの生き方を見つけるしかない、という結論は見えている。

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2009/10/18

自己を見つめる

7andy_30948495 昨年亡くなられた渡邊二郎先生の放送大学のテキストである。
 名著である。哲学というより人生論的なところが我々に大いなる示唆を与えてくれる。
 自分の人生は自分で決める、この「自己決定論」が強く印象に残る。決定できる存在として、自己は世界において特別な存在であり、特別な関係である。
 それは自分が他人と比べて特別に優れているとか、特別に偉いとかいうのではない。能力とか体力とか性格とかいったレベルの話ではない、これらは単なる与条件である。この与条件の中で自己決定していくのである。
 その自己決定においては、運命の非情な必然といった受動的な面と人間の誇り高い自由といった能動的な面が交差している。
 もう一つ印象に残ったテーマは「老い」である。
 能力、体力は落ちてくる。地位、名誉、金などの増大を将来に期待できない。しかしながら、この精神の高みや豊かさの実感は何なのだ。
 子どもの頃から老いに至るまでの持続的な自己がある。超越論的な眼差しを持った、自己同一性のある自己である。この自己が人生の本質と限界を見ることを可能にする。
 ところで、この本では次のニーチェの言葉が再三引用される。「これが、生きるということだったのか。よし、それならば、もう一度。」 勇気を与えてくれる言葉である。
 70歳だった著者だから書けた文章のような気がする。文章に味があるし、深みがある。しかし、学者らしい、ねちっこさと「努力と精進」といった言い回しの古さも感じる。

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2009/10/02

他者からの承認

090524_1412 私の幸福は私だけでは達成できない。他者が必要である。他者からの承認が必要である。
 承認にはいくつかの種類がある。
①家族の承認
②職場での承認
③趣味仲間からの承認
④地域での承認
⑤世界(天・神)からの承認
などである。
 承認が多いのはうれしい。承認がゼロなのはきつい。
 しかし、上の5項目全ての承認がなくてもいい。また、たくさんの承認がなくてもいい。一定の承認があればいい。
 なぜなら、他者からの承認にこだわり過ぎるのも、自分がなくなってしまうという危険を生じることになるからである。

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2009/09/19

彼は彼になることしかできない

36a8f9ca73f556ac 小林秀雄が言った「彼は科学者にもなれただろう、軍人にもなれただろう、しかし、彼は彼にしかなることはできなかった。これは驚くべきことではないか。」という言葉を噛みしめている。
 それは、私は私になることしかできない、ということを意味する。
 私も少年時代、青年時代、成人時代と過ごしてきた。陳腐な表現ながら、人生というのはあっという間、夢のようなものである。
 そのような中では、私は私の人生を味わうこと、あるいは自分を味わうこと、それしかできない気がする。その事実は驚きであり、また楽しみでもある。

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2009/09/13

私の人生観・哲学の変化

937b05ba37d364a4 私の人生も2万日を経過した。人生に対する見方や考え方も近年変化してきている。3つくらいあるので、書いておく。
 一つは、孔子から老子への移行である。このことは最近、この「みやさみ」でもよく取り上げている。
 二つ目は、「自己」から「他者」への視線の移行である。これは哲学史的な見方をすれば、やっとレヴィナス(写真)の他者問題にたどり着いたといったところか。この他者及び他者との関係については、今後一層深めていきたいテーマである。
 三番目は、真美善(価値)の新たな追究である。
 改めて振り返ってみると、今まで私は大衆文化などを素材にして、美の追究を重視してきた感がある。これはこれで、私の特色として今後も続けていきたい。
 さらに今後は、全世界・全宇宙と対峙する(あるいは包まれる)中で、新たに真美善をトータルに追究していきたい。そのためには、哲学・科学・宗教等の幅広い(一つに凝り固まらない)見識が必要になりそうである。

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2009/09/12

しがみつかない生き方

7andy_32285890 勝間和代に対抗するような香山リカの生き方の本である。
 実際、本書の「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルールの10番目のルールは、「勝間和代を目指さない」である。
 新聞書評の一つによると、勝間流にしろ、香山流にしろ、どちらもその生き方は幻想である、と書いてある。どちらも特定の人たちにしかなしえない生き方だと言うのだ。(私はどちらかと言うと香山流の方が実行可能な気はするが。)
 この新聞書評を含めて言えることは、人の生き方は多様になったのであり、いずれにせよ一人一人が選択していかなくてはならないということである。逆に言うと、他人に自分の生き方を押し付けることもできないのである。
 香山さんの言い方で気に入ったもの。「私が今あるのは幸運と偶然の結果であって、一歩間違えれば、私も病気になったり家族に虐待されたりしていま頃孤独な失敗者だったかもしれない。」
 反対に、勝間さんもいいことを言っている。「三毒(妬む、怒る、愚痴る)追放を実行する。」
 ところで、香山さんは皇太子一家の、特に雅子さまに注目している。どうも好きそうである。(そう言えば、皇太子一家の構成も我が家と同じである。ワンちゃんが家族だから、要はロダンの一家と同じということだ。)

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2009/09/04

決定版 菜根譚

7andy_31861921 この年になってくると、「菜根譚」は心に響いてくるなぁ。
*心のなかは、誰から見てもそれとわかるように、いつも明白にさせておく。
*人に施した恩恵は忘れてしまったほうがよい。だが、人にかけた迷惑は忘れてはならない。人から受けた恩義は忘れてはならない。だが、人から受けた怨みは忘れてしまったほうがよい。
*小さな過失はとがめない。
*栄達を望みさえしなければ、利益や地位の甘い誘惑に振り回される恐れもない。人を押しのけようとしなければ、組織のなかで人から足を引っぱられる心配もない。
*過ぎ去ったことは気にしない、遠い先のことまで思い悩まない、そして、当面の事態に淡々と対処する。こんな生き方を心がければ、知らず知らず無心の境地に入っていくことができよう。
*たとえば、交際を減らせば、もめ事から免れる。口数を減らせば非難を受けることが少なくなる。分別を減らせば心の疲れが軽くなる。知恵を減らせば本性を全うできる。
*仏家がいう「縁にまかせる」、儒家がいう「地位に安んずる」

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2009/08/31

「老子」の人間学

7andy_31049315 老子にはあまり説明や解説はいらない。老子そのものに迫ることである。
*道を体得した人物は、すべてをあるがままに受け入れて、知ったかぶりをしない。万物を自然の成長にまかせて、みずから手を加えない。手を貸しても見返りを期待しない。功績を立てても鼻にかけない。
*上善は水の如し。(柔軟性と謙虚さ)
*減らしに減らしていったその果てに、無為の境地に到達する。
*自分を知る者こそ明知の人である。自分に勝つ者こそほんとうの強者である。満足することを知る者こそ富者である。

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2009/08/01

学問のすすめ

7andy_32040189 これも原著が読みずらいので、「まんがで読破」でザーッと見てしまった。
 福沢諭吉はその生き方がドラマチックである。(だから福翁自伝が面白いらしい)。
 封建と近代の2つの時代を生きた。江戸時代の末期に、アメリカとヨーロッパの両方の西洋を見た日本人はそうはいない。オランダ語も英語も死に物狂いで習得した人物だから選ばれた面もある。そして、まさに幕末の1866年に「西洋事情」を書いた。
 明治になってからも、請われても官職には就かず、民間で啓蒙・教育活動に当たった。明治初期に出版されたのが「学問のすすめ」である。
 福沢の基本の精神は「独立自尊」である。慶応義塾の建学の精神でもある。独立があってこそ、自由と平等もある。その独立のために学問をすすめている。
 ところで、福沢は自らを金のかからない男と言っているが、その福沢が1万円札になっている。

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葉隠・武士道

7andy_322324317andy_32047347 江戸時代、山本常朝の「葉隠」と明治時代、新渡戸稲造の「武士道」である。
 原作は読み切れないので、「まんがで読破」シリーズでザーッと読んでしまった。
 葉隠でのキーワードは、感謝、真心(誠)、慈悲(思いやり)、奉仕(人のため)、志、謙虚などである。それぞれの与えられた場で最善を尽くすことが重要である。
 武士道の方では、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義などが説かれる。
 これら古典において述べられる武士の魂、大和魂のようなものはいずれもがある程度似てくるような気がする。
 そして、これらは現代の日本のサラリーマンに通ずるものを持っている。特に、お上に使え、組織の中で生きる誇り高き公務員に近いものがある。だから、今でも読み継がれている。
 私は、これら書いてあるものには半分は共感し、半分は共感しない。中途半端なところである。だから、私は武士にはなりきれない。

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2009/07/26

加島祥造さんの本

100e37b274266c7c 現在の日本において、老子の紹介に加島祥造さんの果たした役割は大きい。
 加島さん自身は今年86歳で、信州伊那谷に独居している。
 加島さんの著作、「タオ」「求めない」「LIFE」を再読してみた。
 これら老子を中心とした本を読んでいると、生きていることが楽しくなる、うれしくなる、心が軽くなる。
 再読して印象に残った文を掲げておく。
*みずみずしく、柔らかで弱くて繊細なものは生命(ライフ)の仲間なのだ。
*虚の「豊かさ」をよく知っているんで、与えればすぐまた、湧き出すことを知っているんだ。
*自然はひとに求めない。
*求めないで放っておいても、体はゆったり生きている。
*求めない - すると頼らなくなる。
*この世は驚きに満ちているが、それを感じるのは優しい心なんだ。この世は神秘に満ちているが、それを感じるのは柔らかな心なんだ。
*不争(争わない)

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2009/07/23

明治の偉人たちの本

7andy_322008107andy_199896247andy_32150256 福沢諭吉の「学問のすすめ」、新渡戸稲造の「武士道」、渋沢栄一の「論語と算盤」である。
 日本の近世から近代にまたがって生きた人々であり、日本が大きく変わった時代に生きていた人々である。現代の日本に繋がる面もあるが、現代の日本の凡人には共感しにくい面もある。
 私は日本の近代の初期(明治時代)を漱石を通じて知り、感じた。漱石の小説は全て読み、小説以外もほとんどのものには目を通した。漱石の文学(物語)なら、私は付いていける。漱石の心情なら、ある程度理解できる。
 しかし、明治の偉人たちの思想・信条、生き方のようなものにはなかなか付いていけないでいる。

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2009/07/11

それでも人生にイエスと言う

7andy_18932267 「夜と霧」の著者V.E.フランクルの講演である。しかも強制収容所から解放された翌年1946年の講演である。フランクルの真髄が分かる記念すべき素晴らしい講演である。
 私が人生になにを期待するかではなくて、「人生は私になにを期待しているか」と問うべきである。ここで言う「人生」とは、私なりに解釈すれば、世界、現実、他者といった言葉に置き換えていいものである。
 我々は人生が出す問いに答えていく存在である。その問いは具体的である。生きている中での、いま、ここ、の問いである。 
 我々は快楽や力への欲求・意志だけでなく、意味への欲求・意志を持つ存在である。人は生きる意味・目的を求める実存的存在である。
 その意味(価値と言ってもいい)をフランクルは3つに分類している。
 創造価値は、仕事、家庭、趣味等での創造的行為によって実現する価値である。
 体験価値は、自然や芸術に触れる時、愛を体験する時などに実現する価値である。
 態度価値は、現実に対する態度によって実現する価値である。
 私は前の2つの価値が実現しにくいぎりぎりの状況の中でも、最後に残される態度価値を今日は主に考えたい。
 態度価値は「自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられずに逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか」によって実現する価値である。
 これはフランクルの強制収容所の体験からきていることは間違いないが、現代の我々からすると次のような例が挙げられると思う。
 過去のこと(生まれや生い立ち、育った環境など)、自分の身体のこと、自分の能力や性格のこと、職場や家庭の置かれた状況のこと、未来の死のこと、などである。一般に運命と言われるものであり、どちらかというと厳しい現実であり、マイナス的なものである。
 しかし、これらに対する態度、心構え、受けとめ方によって価値が生じるというのである。私はここにこそ、その人の人格や徳といったものが現れると思う。
 現実・事実に対して、感謝、喜び、愛などの態度を取れれば素晴らしいのだが、私はまだまだだ。

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2009/07/05

言志四録

7andy_31540724 佐藤一斎の言志四録を初めて読んでみた。佐藤一斎は江戸時代末期の儒官である。
 古臭いところもある。(自己規制が強いところはきついなぁ。)
 だから、現代に合うところ、自分に合うところを引っ張り出してくればいい。大体が自分が納得したものでなければ血肉にならないのだから。結局は自分の体験が根幹になっている、言い換えれば、自分の体験しか素材にならない、といった感じを私は最近持っている。 
 印象に残ったところをいくつか。
*心を顔だけでなく、「背中」に住まわせて、判断を誤らないようにする。
*「志」と「敬」 敬とは、自分を慎み、相手を敬うこと。
*世間一般の事柄については、人より一歩下がって譲る心が大切である。だが、志だけは師や古人に対しても遠慮することはない。
*仕事は「天を相手にしている」
*学問には「道」と「芸」がある。道は人徳形成であり、芸は食うための技術を磨くことである。

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2009/06/28

欲しがらない生き方

7andy_32261180 著者の岬龍一郎さんは高等遊民の生き方を次のように要約している。
 「その目的は個人的な快楽と美学を求めるものであり、その思想は儒教思想を根底に置くものの世俗を超越した老荘思想を主流とし、その生活信条は足ることを知った分相応の生き方、すなわち平たくいうなら自分に忠実に「好きなこと」をして暮らすということ」
 人それぞれの経験や性格によるから、上のことが全ての人に当てはまるとは言えない。しかし、私の場合はかなり同感である。
 この他、「中庸」ということ、「感動」することの大切さなどを学んだ。50代半ばになろうとしている私にとっては参考になることが多い。
 ただ、漱石も使っている「高等遊民」の高等という言葉は、自慢や優越感が潜んでいるようで、私は好まない。
 いずれにせよ、この本に登場する白居易(白楽天)や吉田兼好らの生き方には共感するところ大である。

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2009/06/11

じみへん倫理教室

7andy_32257045 高校の「倫理」は好きだった。(少数派であった。)
 倫理と言わずに、「哲学」とくらい言ってもいいと思う。因みにフランスでは高校レベルでも哲学という科目らしいが。
 高校生は人生経験が少ない。親元にいて、扶養されている。経験しないと、自立しないと分からないことも多いから、これは弱点である。しかし、この感受性の強さ、柔軟な思考などの強みもたくさんある。
 中崎タツヤ氏の傑作漫画「じみへん」を題材に高校教師の南部ヤスヒロさんが書いた哲学エッセイである。
 印象に残ったところ。
*人生という旅は、どんな乗り物を選ぶかじゃなく、いかに旅そのものを楽しめるか?
*「あなたが繰り返しやること、それがあなたそのもの」と言った古代ギリシア哲学者のアリストテレス。
*構造主義の気に入っている考え方。自分の意志、自我なんぞに信頼を寄せていない点。……うまくいかなかったときに自分以外(枠組み)のせいにすることも一つのうまい逃げ道である。
*いかなる人間もその存在は対等である。(平等ということではない。)……結局みんな仲良く生きろっつうことだわ。

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2009/06/06

タオ・老子

7andy_31785178 老子に少々ハマッている。
 加島祥造さんによる「老子道徳経」全81章の全訳創造詩である。
 道(タオ)とは何か。分かりずらい。私は世界そのもの、宇宙そのもの、自然そのもの、といった意味合いで捉えている。ただ、タオを名づけることはできない、と述べられている。
 印象に残ったところ。
*足るを知るーこれで十分と満足する人はそれで、つねに十分足りているんだよ!……どこで止まるかを知ること、それだけさ。
*余計なことはするな、ってことだよ。
*いまのことを、小さなうちにやり、あとはそのものの成長に任す。
*君は恐れから自由になったからだ。だから、かえって何ごとも厭がらなくなる。
*自分を深く愛していて、しかも傲りたかぶらないのさ。
*怨みは根深いものでね、これを去るには「忘れること」しかないんだ。
*争わないのだよ。争わないで、するのだよ。
*こわばって固いものは死の仲間だ。柔らかさが命だ。

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2009/05/27

老子・荘子の言葉100選

7andy_32007488 境野勝悟さんの選定と解釈もなかなかいい。
*自分の素性と、持って生まれた才能と、好きなことを一つ、コツコツと成し遂げていけば、必ず幸福な人生を手に入れることができる。
*自分の頭の中に記憶している知識など、大宇宙の生命の活力の素晴らしさから比較すれば、たかが知れている。
*「吾」とは生まれたままの自然的な真の自分。「我」とは我意識である。
*いくら議論をしていても、これは知らない、というところで踏みとどまって、そこで話を止めればよい。
*他人に負けないために、友人と争って勝つために、知恵や知識を開発しようとしている場合も多い。(これが問題だ。)
*役に立つとか、役に立たないとかという考えは、その時その場の人間の都合で決めたことである。自然は有用無用を問わず、中立である。

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2009/05/26

老子の毒 荘子の非常識

7andy_32231249 孔子・孟子は、まとも過ぎる。面白味には乏しい。
 年齢を重ねていくと、老子・荘子が面白くなってくる。
 「論語」によって社会性を身につけていく、これも大事である。しかし、そろそろ、社会だけでなく、世界・自然・宇宙そのものを感じたい。そしたら、老子・荘子である。

*老子・荘子は山奥にいる仙人ではない。俗世の中にいる。ごくありふれた日常の中で淡々と生きている。
*怒りを露わにしない。
*逆境にあってもジタバタすることはなく、功績があっても自慢しない。
*謝っても自分の全てが否定されるわけではない。
*一人の人間が知っていることなど、どんなに多くても、たかだかである。
*「宇宙」の宇は無限の空間、宙は無限の時間。
*荘子はカササギを見つける。カササギはカマキリを獲ろうとしており、カマキリは蝉を獲ろうとしていた。それらを見ていた荘子は栗泥棒に間違えられて、栗林の番人に怒られた。

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2009/05/15

人生語録②

B10bed35f1abb5e2 昨日に引き続いて、心に残った言葉を書き写す。
「生まれ替わって子を択ぶなら、君を択ぶ」(小泉信三) 戦場に赴く息子に書いた手紙である。この息子は戦死した。
「愛して死なれた者は、愛したことのない者より幸福だ」(アルフレッド・テニスン)
「和顔愛語」 和らいだ顔、優しい言葉
「安らぎとは、自分を明け渡すこと」(エリザベス・キューブラー・ロス) 写真を掲載した精神科医
「遠くを見よ、大きな真理がある」(アラン) 人間の目は読書の距離に合うようにはできていない。
「心に太陽を持て。あらしが吹こうと、吹雪が来ようと」(山本有三)
「生きるも死ぬも「受取るの一手」にかぎる」(塩尻公明) 自分の一切の経験をよく経験するということ、これはだれにも実行可能である。

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2009/05/14

人生語録

7andy_32151708 人生の目標を立てるということではなくて、人生そのものとは何か。人が生きるとは何か、を考える。
 このことについて、少しは自分の経験から再構成できるようになってきた。この年齢になってくれば、背伸びする必要もないし、無理する必要もない。長生きした賢者の教えの中から、自分の心に響いたものを拾ってくればいい。自分らしいものを自然と選択してくるものである。
 「心は安からしむべし、身は労せしむべし」(貝原益軒) 
 「長寿の秘訣は粗食と大らかな心」(天海) 
 「本当の幸福は、奉仕によって生まれる」(アルベルト・シュヴァイツアー)
 「成熟型の人間には、ユーモアと柔軟性がある」(スーザン・レイチャード) 成熟型の人間は、ユーモアと柔軟性、それに計画性があって、他人の過ちにも寛大だ。自らの目標を持って、前向きに生きており、全体として人生を楽観的に見ている。
 「人生の午後を迎えたら、教養を目的とせよ」(カール・グスタフ・ユング)
 「夫婦は親愛のほかに敬意が必要だ」(福沢諭吉)

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2009/05/05

比較しない

6e91bd8ab564a9d996cf6320016f9ede 多くの幸福論によく登場することとして、「他人と比較しない」ということがある。
 これは、まずは他人にあって自分にはないものに、いたずらにとらわれて落ち込まないということである。自分の欠点や不足している面にばかり目がいってしまうと不幸になる。これは自分一人だけでなく、自分の家族や自分の職場に対しても同じである。
 このことは自分にないものよりも自分にあるものに注目しなさいということである。ただし、これは自分にはあって、他人にはないことを自慢するということではない。この自慢するというのも、先ほどの自分にないものに対して落ち込むというのと裏腹の関係であり、要は過度に比較する心持ちから来ている。
 自分にあるものに注目するとは、いま、ここにあること、存在していること、比較などを超えたところに存在しているということに注目するということである。この存在しているということに驚くとともに味わうということである。自分の存在や家族の存在、職場の存在、地域の存在等々に対してである。
 これらのことに関連して最近感心したフレーズ。「人は往々にして、自らが幸せになろうと努力しているのではなくて、他人から自分が幸せに見えるように努力している。」 地位、名誉、金など、世間一般の価値尺度にばかり振り回されていないで、自分らしい生き方をしなさい、と言っているようである。

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2009/04/26

菜根譚

7andy_32010666 格言好きの私には合っている本である。前々から読んでみたいとは思っていた。
 中国、明代の学者、洪自誠によって書かれたものである。彼は役人のような組織人でもあったのではないか。私のような凡人の組織人に響く言葉がたくさん出てくる。
 儒教、道教、仏教がバランスよく使われている。中庸をいく人格主義で貫かれているから、共感するし、実際にも役にも立つ。
 心に残ったものを7つ掲げる。
「人格的に素晴らしい人というのは、普通の人と比べて特に変わったところがあるわけではない。ただ、自分を飾らず、ありのまま生きているだけである。」
「本来、人間に備わっているごく平凡な人間性と平凡な行動によって、十分に、穏やかで満ち足りた生活を送ることができる。」
「功績や財産、地位や名誉に心を奪われ、自らの信念や志を曲げるようなことをしてはならない。」
「何か事が起こって忙しいときほど、気持ちにゆとりを持って対処するように心がけなければならない。」
「人から受けた恩は忘れてはならない。しかし、受けた恨みは忘れてしまうべきだ。」
「やっかいなのが中途半端な知識を身につけている人だ。彼らは、なまじ知識を持っているがゆえに、それに縛られて素直に物事を研究したり、考えたりできない。」
「大切なのは、過去の出来事にとらわれず、未来のことをあれこれ思い悩まない、そして今目の前で起きていることを淡々と片づけていくことだ。」

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2009/04/25

握れば拳開けば掌

7andy_31807899 「みんなのたあ坊」シリーズで、「人生が変わる日本の言葉100」である。
 印象に残った言葉を3つだけ。
 「苦楽は生涯の道連れ」 まさに人生は苦しみもあれば楽しみもあるというのが最近の実感である。
 「七転び八起き」 このよく言われる平凡な言葉。人生残り3分の1くらいかもしれないが、前向きな姿勢がいい。
 「言いたいことは明日言え」 私の場合、一晩寝ると、いいアイデアが出ることが多い。

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2009/04/19

君たちはどう生きるか

7andy_31691484 吉野源三郎の昭和12年の本である。
 三木清「人生論ノート」に続いて、戦前の素晴らしい本に出合えた。凛としている。見方、考え方、志が高い、まさに古典になっている。
 天動説から地動説へ、これは自分中心の見方からの脱却である。主人公コペル君のこのあだ名はコペルニクスから取られている。
 戦前の貧困が描かれている。これが古臭いと捉えられていた時もあったみたいだが、現在の格差問題からみると、時代を超えた優れた問題提起であることが分かる。
 コペル君はヒーロー的主人公ではない。むしろ後悔する人間である。その後悔を人生の糧にできる人間である。そこが素晴らしい。
 この戦前の本を理解できる自分がうれしい。それだけ私は古い教養しか持っていないのかもしれないが、とにかくこの本から感動をもらえた。
 戦前の昭和の時代は東京にサラリーマン社会が出現・発展し、現在の東京という都市の体裁が整ってきた時代である。現在よりもひどい不況にも見舞われた時代である。現代から参照することが多い時代とも言える。

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2009/04/04

三木清 人生論ノート

7andy_32207290 三木清をやっと理解できるようになってきた。
 10代から20代くらいにかけて、この「人生論ノート」を読んだ記憶があるが、その時はよく分からなかった。「人生とは想像力(構想力)だ」という言葉は残っていたが。
 今、改めて読んで、すごいなぁと思っている。
 テーマは多岐に渡っているが、私が感銘を受けたのは、「幸福」「嫉妬」「成功」「健康」のタイトルのものである。
 基底にあるのは、成功よりも幸福を重んじること、そのためには「個性」というものを大切にすることである。(現代の個性は型的な強さが持てないという、弱点も指摘しているのはさすがである。)
 印象に残ったフレーズを掲げる。
 「人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福は存在しない。」
 「健康は個性的である。……何が自分の為になり、何が自分の害になるのかの自分自身の観察が、健康を保つ最上の物理学」
 「自己の個性を発見すること、その個性に忠実であること、そしてその個性を形成してゆくこと」

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2009/03/24

自分との関係

4bcd9c73988766716fddaee71035ac85 能力があるとかないとか、性格がいいとか悪いとか、地位が高いとか低いとか、業績があるとかないとか、目立つとか目立たないとか……。社会的な位置や役割とは関係ない。
 自分とは何か。自分との関係は特別である。固有のものである。
 自分の行動はある程度コントロールできる。(コントロールできないところをたくさん抱えているのは承知している)。自分が現実を感じている。自分が考えている。まさに、現実を経験でき、可能性を生きることができるのは自分である。
 そのような自分は愛する自分である。愛しく自分を感じる。大切に自分を育てる。この自尊感情を持つのは自分が社会的に立派だからとか、優れているからということではない。自分との関係が持てるのは自分だけだからである。
 この話は自分勝手、独りよがりになれ、という話ではない。もちろん、一定の社会的役割(仕事や家庭など)を果たすこと、そして相互承認の関係を持つことは大切なことである。しかし、この話はどのような地位や役割かとは関係ない。
 小林秀雄の言い方に倣って言えば、自分は医者や教師や会社員や、どのような仕事にも就けたかもしれない、しかし、いずれにせよ、自分はこの自分になるしかなかった、ということである。
 そのような自分を愛しく思いましょう。

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2009/02/25

私の好きな動詞

694d0ae8e15e6c60c56791f4dd61c4dd 私の好きな動詞は以下の5つである。
①味わう
 「人生を味わう」というのは私の好きなフレーズである。人生の苦も楽もであるが、特に苦(苦み)を味わう。
②楽しむ
 上の「味わう」に近いが、能動的に人生を楽しんじゃおうという姿勢である。
③愛する
 「好きになる」と同じような感覚である。好きになるというのは楽しい気持ちになる。
④感謝する
 生まれたこと、今まで生きてきたこと、今生きていること(生かされていると言ってもいい)に感謝する。多くの人のお蔭であることに感謝する。特に家族に感謝する。
⑤明るくする
 周囲を明るくするのはなかなか難しい。エネルギーもいる。だから、自分が健康でないとできない。だけど、できると楽しくなる。

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2009/01/24

社会と世界

M31_s 宮台真司の「14歳からの社会学」によれば、社会とはコミュニケーション可能なものの全体(今日では人間界)、世界とはありとあらゆるものの全体、としている。
 私としては、社会とはまずは仕事をする場、職場である。次に、地域社会から、東京レベルくらい、日本国、国際社会、と広がりをもっていく社会関係である。
 家庭というのは社会の最小単位という言い方もあるが、私にとっては特別な意味合いがあると考えている。今は詳しく述べられないが、かけがえのない特別な存在である。
 端的に言って、「他の人間」との関係が社会なのだから、そこでは相互承認ということがポイントになる。
 一方、ここで言う世界とは、国々のことや国際関係のことではない。全ての総体であり、「宇宙」といった方にまだ近い。
 ここにおいて、私という個は世界と単独で対峙する。相互承認を超えた絶対的関係である。
 私の具体的な活動としては、ここに近いのは「哲学」であり、「精神生活」と言われるものである。
 私なりの解釈で言えば、「社会=俗、世界=聖」となる。
 宮台真司は「社会に関わって生きてきたこと自体を福音だと感じながらも、世界の中に直接たたずんで死んでいくことが幸せな死に方ではないか」と言っているが、共感するところがある。
 ところで、昨日のカイヨワの話になると、もう一つ「遊」というのがある。私の活動で言えば、ラーメン、娯楽映画といったところである。

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2009/01/03

人間の覚悟

7andy_32160228 暗い時代の暗い話である。
 五木寛之さんは太平洋戦争の際、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)から引き揚げの経験を持っている。その時にお母さんを亡くすなど苦しい状況に追い込まれた。だから、基本的に国家というものを信用していない。そのことがこの本の背景にある。
 「現実を『明らかに究める』必要がある。そして、それを引き受ける覚悟が必要である。たとえそれがどれだけ憂鬱なものだとしても。」
 「人間は荒波の中を必死で泳いでいるつもりでも、大きな潮には流されつづけるのだ」
 「世の中というものはものすごく不合理で、人間は非条理なものだという感覚は常にもっておいたほうがいい。」
 このほか、老いることや人生の下り坂についての話も入っているが、五木さんは人生の後半をかなり肯定的に捉えている。

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2008/12/19

私の好きな格言

A46ed6f951b01eb8 5つの格言がある。
1 「誠実にまさる知恵なし」(シラー)
 信頼できる関係というのは素晴らしいね。
2 「美しい笑いは家の中の太陽である」(サッカレー)
 家庭っていいよね。
3 「その日その日が一年中の最善の日である」(エマソン)
 一年中と言わず、一生中で最善の日だと思う。
4 「心に残るのは、千の忠告よりひとつの行為だ」(イプセン)
 言葉と行動なら、行動の方が分かりやすい。可能性と現実なら現実の方が分かりやすい。ひとつひとつ処理していく方が人は分かりやすい。
5 「汝の道を歩め、人々をしてその言うにまかせよ」(ダンテ)
 他人と比較しない。自分のやりたいことをやる。

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2008/12/09

生きる わたしたちの思い

32107959 「生きているということ/いま生きているということ」
 印象に残ったことば。
 「交わしたいくつかの約束を、おぼえているということ」
 「突発的にあなたの名前を呟くこと」
 「泣きながらも歩いていくこと」
 「多くの人の死を見送るということ いつか見送られるその日まで」

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2008/12/02

悩む力

32064355 姜尚中さんの夏目漱石とマックス・ウエーバーを素材にしたこの本は共感が持てる。
 「相互承認」が大切なこと、「まじめ」が今求められていること、など肯くことが多い。
 用語の使い方だけの問題だけかもしれないが、私としては「悩む」よりは生の欲望に沿って「考える」という言い方の方がしっくりくる。

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2008/05/05

LIFE

31999921_2 「求めない」の作者、加島祥造氏の本である。
 老子のタオ(道)が表現されている。静かなる心である。
 この本に共感するとは、私も既に老境か?

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2007/11/04

求めない

31913598 求めないとは頭(理屈)のなすままでなく、身体のなすままということ。
 求めないとは頼らないということ。求めるのは怖いからということ。
 足るを知る。欲望過多にならないように。
 比較しない。他人と自分と。
 「求めない」の本が欲しくて、本屋を探し回って、求めてしまった。

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2007/07/01

達成感

412802525307177765_3 服部幸應先生にお会いした時に聞いたお話。
 服部先生は日野原重明先生と審議会等で一緒に仕事をする機会がよくあるそうです。
 服部先生は日野原先生に「高齢になっても元気に活動できるのはなぜですか」と尋ねたそうです。
 その答えは、「君、それはね、達成感、達成感だよ!」と言ったということです。

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2007/01/21

未来・過去・現在を楽しむ

4176999364 先を読むこと、そして準備をすること、それが楽しい。すなわち、未来を楽しむ。
 過去の思い出に浸る。過去から学ぶ。そんな自分の過去を楽しむ。
 そして、何よりも今を生きることを楽しむ。今に没頭してしまう。
 それで、生きていること全体を時間の中で楽しんでしまう。

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2006/10/28

好きなものがある

060327_191900 私には得意なものはない。しかし、私には好きなものがある。
 その好きなものがこのブログ「みやさみ」に書いてあることである。
 以前は得意なものがなくて、恥ずかしい気持ちが強かった。
 今は得意なものがあるより、好きなものがあった方がいいと思っている。好きというのは比較とか、競争とか、誉められる貶されるとか、とは次元が違うのがいい。
 自分の好きなものを細かくじっくりと味わえるのは自分しかいない。(当たり前のことなのだけど、改めて噛みしめている。)
 自分の人生を味わえるのは自分しかいない。だから、自分を大切にしたい。

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2006/07/01

「私」しか味わえない楽しみ

060430_2038 年を取ると自我が緩んでくる。
 過去に抑制していたもの、押さえつけていたものが浮かんでくる。地が出てくるということである。無意識や深層心理といったものが浮かんでくる。夢に現れたりする。
 それを味わうことができる。それで自分が見えてくることもある。年を取ってみての面白みである。
 私自身を味わうのは「私」しかできない。これは誰もがそうである。
 だから、私を生かし続けてみるのがいい。
 年は取るものである。生きることは楽しい。私が生きているこの世界は豊かである。

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2006/02/08

生きている価値

06-01-29_08-57 私が行動している限り、考えている限り、感じている限り、私は生きている価値がある。
 行動している、考えている、感じている、その内容ではない。社会的に評価されているとか、いないかではない。
 行動していること、考えていること、感じていること、そのものに価値がある。
 この「みやさみ」を書いていると、そう思う。自信も持てるようになる。
 私ばかりでなく、どのような人もそのような価値がある。
 行動が不自由になって、考えることしかできなくなっても。考えることもうまくできなくなっても、感じることができれば。
 このようなことはお年寄りや障害者と接してきた経験からも言えることである。
 また、アウシュビッツ経験を書いた「夜と霧」の作者V.フランクルからも学んだことである。

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2006/01/28

ベタな生き方とメタな生き方

05-12-10_08-54 ベタな生き方とは、仕事が認められ、糧に困らず、家族仲良く暮らせれば、幸せになれること。社会内のポジショニングいかんで自足できることである。(宮台真司の言う「内在系」である。)
 メタな生き方とは、仕事が認められ、糧に困らず、家族仲良く暮らせても、そうした自分にどんな意味があるのかに煩悶すること。社会内のポジショニングには自足できないことである。(宮台真司の言う「超越系」である。)
 ここでの誤解がいくつかある。
 まず、メタな生き方の方が偉く、優れているように見える傾向がある。しかし、メタとかベタというのは優劣の話ではない。メタな生き方とは積極的に選んだ生き方というより、そうせざるを得ない人たちの生き方である。哲学、宗教、心理学、社会学等にはまらざるを得ない人たちである。
 だからベタな生き方の人たちは劣っているわけではない。むしろ、生活力があり、幸せな人が多い。しかし、メタな人たちへのコンプレックスもあって、自分の生活力の大きさ(たくましさとずうずうしさ)を背景にして、煩悶しているメタな人たちを攻撃してしまいがちだという問題点がある。
 因みに私はメタな生き方が主流だったが、年を取るにつれてベタな傾向もかなり出てきている。
 東浩紀はベタとメタとの往復運動が大切であると言っているが、これは学問・研究姿勢のことであり、私も同意見だが、こと自分の生き方に関してはなかなか思うようにはいかないものである。

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2006/01/15

不安からの出発

05-12-08_19-50 私は「不安」から様々なことを考えているような気がしている。
 人間関係がうまくやっていけるかどうかの不安、社会的に受け入れてくれるかどうかの不安、全般的に生きていくことへの不安(これらは死への不安に繋がっている)……、これらの不安が出発点になっているようである。
 そこから私は宗教、心理学、哲学等への関心が広がっていく。
 私が不安を原点にせざるを得ないのは、気が弱い、小心などの性格的なものもある。それとともにハイデガーを出すまでもなく、現代人は不安を基底に抱えざるを得ない状況に置かれているとも言える。
 ギリシア哲学は「驚き」から出発したと言われている。それに対して私は不安や日本的な「情」から出発している。だから西洋哲学の典型のように論理的でドライな展開だけではやっていけない。どうしても情に流されやすくウエットなものになってしまう。それは中途半端で、人生論風な哲学になってしまうということである。(私の限界として、今はこれでもいいかなぁとも思っている。)
 もう一つ。不安は「欲望」の裏返しという捉え方である。よりよく生きたいという欲望が主たる側面であり、その欲望があるから不安が生じる。そして、その欲望をなくすのではなく、生きる欲望をうまく発現させ、欲望に素直に乗っていくことが大切である。これを私は森田精神療法から学んだ。
 だから自らのささやかな欲望に従い、小さな幸せを求めていく、このような幸福論にも私が関心を持つのである。

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2005/12/24

幸福論と近代

05-12-10_08-58 幸福は人生上のテーマである。
 そして、幸福への道は一人一人が自ら見つけていくしかない、というのが近代だと思う。
 神とか、王とかの絶対的価値が上から幸福感を吊り上げてくれない。
 別の見方をすれば、一人一人が自由に道を選べるということである。
 選んだものに対しては、他者からどう言われようと、どう思われようと、同価値である。1人1票の選挙権と同じように同等の価値である。
 だから、近代においては他人からどう見られようとも、また自分が苦しくても、自分なりの価値観・幸福論を身に付けなければならない。

 ただ、私の感覚では(吉本隆明的であるが)、近代においては、一人の人間の中に、個人と家族と社会(仕事)の3つの領域の価値観がそれぞれあり、バランスが取れていることが幸せ感に繋がるような気がしている。(もちろん、これもひとつの私の見方である。)

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2005/09/26

幸福について誤解2つ

05-09-26_19-24 誤解その1「他人より幸福になってやる」
 恋人に振られた人が、「あの人より幸せになってやる!」~その気持ちも分からないではないが…。また、職場や地域での身近な人たちに対して、幸せを競い合ってしまう。
 これらは幸福が他人と比較をしないこと、比較を超えたところにあることを知らないことからくるものである。また、自分ひとりだけが幸せになるということはない、他人も幸せにならなければ自分も幸せにならないということを知らないからである。頭ではわかっている人は多いと思うが、このことが血肉となって実践している人は少ない。
 誤解その2「他人より幸福になってはいけない」
 一方で、他の人より幸せになってはいけないと思っている人、自分自身を好きになれない人もいる。自分が幸せになることに後ろめたさを感じている人である。
 こういう人には、自分が幸せになるように努力することはいいことだと言ってあげたい。他人のためにもいいことである。その人が幸せでなければ、周囲も幸せにならない。他の人を幸せにするためにも自分が幸せになろう!

 上の2つは矛盾しているようでいて、そうでないと思う。人それぞれのタイプによってどちらかの誤解を生みやすいとも言えるし、同一人でも置かれた状況によってどちらかの誤解を生みやすいとも言える。

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2005/08/29

ライフプランセミナー

318122808 ライフプランセミナーというものに参加した。
 ライフプランの基本は、健康、金(経済)、こころ(生きがい)である。だから、3Kである。
 健康とお金がなければ、生きがいは持ちにくい。だから健康とお金はライフプランの基盤だからしっかりと計画を立てて実行していかなくてはならない、と説かれる。
 私は生きがいや目標がなければ生きる意欲がなくなる、生きがいが先で健康やお金はその手段や方策ぐらいに思うことが多かった人間だから、少し違和感を持った。
 しかし、私のような考えは若者の考えであり、年をとってくればセミナーが説くような考えに移行しなければ危険なようである(?)
 実際のところは、今の私の心境はそれほど粋がってはいず、健康も金も生きがいも一定程度あれば、それに感謝したいという気持ちである。健康のありがたみ、お金のありがたみ、そして生きることのありがたみも感じられるようになってきているからである。

 ところで、健康とお金はどのような人にも共通な面があり、一定水準に達するためには方策もある。(もちろん人によってその手段はかなり異なるが、いくつかのパターンは提示できる) よって、セミナーなどで、レクチャー(講義)しやすい分野である。
 それに対して、生きがいは人によってバラエティに富みすぎており、一概に教えられるものではない。本来的に自分で見つけるもの、自分で選んでいくものだからである。他人がどう言おうと、自分が楽しく、喜びに感じられなければ意味がない。自分で選択しなくてはならないのは、近・現代人の生きるうえでの宿命ともいえる。

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2005/08/21

人生を味わう楽しさ

050710_123300 私がボーっとしている時、これは私が人生を味わっている時かもしれない(?)
 私は現代日本において、不利な環境にいたこともある。苦境に立たされたこともある。長い人生の中では避けられないことかもしれないが、それらを経験してきただけによけいに自分の人生を味わいたくなるのかもしれない。
 しかし、今日言いたいのはそういう苦労話的なことではなくて、誰もが原理的に自分の人生を味わうことができるということである。自分の人生や存在を自分で味わうこと(喜び、苦み、楽しみ、悲しみなど)は自分=私だけができる、また私のみしかできない特権的なものである。
 これは原理的に他人ができないのだから、他人との比較を超えている。戦争などの極限状況に置かれていない限り、誰もが可能な自分に対する「自由」である。この特権的な自由(内面的な自由と言ってもいい)を使って、自分を味わう、自分を楽しむ、これは何とか工夫して実現していきたいものである。

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2005/08/13

人生と個性

05-07-10_12-33 私はある時、私が生まれ出たこの世の中にはこんなに素晴らしいものがあると思った。嫌なこと、暗いことが多い世の中ではあるが、一方素晴らしいことも多いと思った。
 音楽、文学、コミック、映画等々、芸術や大衆文化の中に特に感じた。そして、これらを知らないで、あるいは味わわないで死ぬのはもったいないと思った。それで、少しずつでも齧っていくことにした。そしたら、それが自分の人生になっていったような気がする。
 以上は私の一部の実例であるが、自分の好きなものが人生を形作っていくというのは一般的にも言えそうである。それは自分の欲望の表現であり、仕事の面でも、家庭の面でも、趣味の面でも言えることである。
 そして、その欲望とは一人一人異なり、偏っているものである。その偏りは当然であり、それに自然に従えば自然と個性というものが出てくる。私は個性というものをこのように考えており、外側から(他人が)作っていくものではないと考えている。

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2005/07/10

自分の欲望に耳を傾ける

05-07-10_12-32 空しく感じた時、自分自身に聞いてみる。自分の中に潜んでいる欲望に耳を傾けてみる。静かに素直な気持ちで聴いてみる。
 自分の内にある喜び、楽しみを見出す。その際に他人と比較しないことが幸せにつながると思う。
 歌うことそのものが好きな人は歌っている時が幸せである。歌がヒットする、売れる、有名人になる、などとばかり考えていると、うまくいかないと不満が溜まり、不幸せになる。歌が本当に好きな人は外面的な成功・不成功に関わらず、歌っている時に幸福感に満たされる。
 もちろん若い頃の出世欲、名誉欲、金銭欲等のぎらぎらした欲望は若さゆえの特権とも言える。年を取ってくると穏やかでバランスの取れた欲望になってくる。エネルギッシュでなくなるのはやむを得ない。
 いずれにせよ自分の中にある欲望に素直に従って、少しずつ行動していくと道が開けることがある。

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2005/06/18

人生と幸福

05-05-22_10-39 私にとっては今のところ、人生の意義は幸福になることである。
 それは自分の欲望を実現していくことである。少々使い古された言葉かもしれないが、自己実現といってよい。
 しかし、私は1人では生きていない。社会に生きている。
 社会の中で、上手に自分の欲望を実現させていく、そのための知恵も必要である。他人との競争、比較ばかりでは幸福になれない。一方で、社会の中で、他者からの一定の承認を得られなければ幸福にはなれない。それは他者への迎合ではない。他者のために自分ができることをするということである。
 なお、人生論・幸福論と哲学は異なると私は考えている。このことは、この「みやさみ」の哲学カテゴリーの中で何度か述べている。

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2005/06/08

何のために生まれてきたのか

doll_baby_big 何のために生まれてきたのか。何のために生きているのか。
 その答えとして、何かの役に立つこと、誰かのためになることを挙げることがある。実際生活では仕事をすること、家庭をもつこと、ということになる。しかし、これでは病気や障害などがあって、職業や家族を持てない人は生きている価値があまりないことになってしまう。
 何のために生まれてきたのか、という理由や根拠などは元々あるわけないという言い方もある。
 一方、信仰から神によって神の元に生まれてきたことに意義を感じる見方もある。
 それぞれ力強い捉え方だと思うが、私には日常生活の中では次の考え方の方が合っている。
 「自分自身になる」いわゆる自己実現的なことである。「自分の欲求・欲望に忠実になる」ということである。そして、それによって「幸福になる」ということである。
 欲望は悩みや不幸を生むとも言う。金、名誉、地位を求めすぎ、争いや競争に繋がってしまう欲望は、それによって幸福になると勘違いしている欲望である。
 自分も他人も楽しくなる、喜びに結びつく欲望、いわゆる共存の欲望は誰もが持っているものであり、これを上手に選択し、伸ばしていくことができるようになってくれば幸福になれるような気がする。

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2005/05/24

ことばと内面

05-05-24_19-56 目からの情報(映像)、耳からの情報(音、声)は大きい。人の姿・形、行動、話し方などから得る印象は強い。
 それに対して、言語、特に書きことばである文字からのインパクトは弱い。内容の如何にかかわらずである。
 しかし、心の中の表現、特に内面で考えたことの表現には「言語」が今のところ最適だと思う。この「ことば」(文字)の素晴らしさを私は感じており、だから日記を付けたり、このブログに書いたりするわけである。
 だが、一方で、内面のことばだけで何でも解決しようとすることの限界もある。内面の悩みをことばのみ(例えば本を読むのみ)で解消しようとしても無理である。
 それでは糸がますますこんがらかる、観念の泥沼にはまっていく。この時にはむしろ行動したり、姿・形を変えたりしていった方がいい。

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2005/05/21

自分を意識する

05-05-21_09-32 私が20世紀・昭和の時代に生まれたこと、この日本に生まれたこと、この両親から生まれたこと、これらは私の不思議さの感覚のベースである。
 
 そして、私は21世紀・平成の時代も生きている。私自身の記憶の中にある、一定の了解をしている、かような人生を送ってきたのが自分であることが不思議である。この人生を選んできた、また選ばざるを得なかったのが不思議である。しかし、その人生の歴史が私自身である。

 私は身体を持っている。身体を思うままにコントロールできないことも多いが、基本的には自分の身体をコントロールして、多くの行動を選択してきた。他人の身体は基本的にはコントロールできないし、責任も持てない。だから、私の身体は私自身なのだが、これまた不思議な存在である。というのは、私が身体を「持つ」という表現より、身体以外に私はない、身体=私という感覚も一方で持っているからである。

 特に自分に才能があるわけではないから、社会的価値があるわけではない。しかし、私が感じたこと、考えたこと、行動したことは現に存在したのであり、それが私である。それをこの「みやさみ」で表現している。自分に証しを立て、自分を味わう。うれしく思う。なぜなら、今まで本来の意味の「自己満足」をあまりしてこなかったからである。

 だからといって、ひとり孤独は嫌である。私と似たような感覚・思想等を持った人は、既に亡くなった人も含めているはずであり、それらの人たちと共感したい。また、私と異質な人たちとも交流は持てると思う。

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2005/05/03

自己存在感の希薄さ

05-05-02_20-01 私は私である、という感覚の希薄さ。
 私は社会的な存在であるという感覚の希薄さ。(他者との関係の感覚の希薄さ)
 この希薄さが孤独・孤立に繋がる。
 生命力が溢れている若い頃の方がこの希薄感があり、エネルギーが少なくなってきたような年を取ってきた今の方が自己の存在感がある。
 これが不思議である。
 しかし、これが人生の歴史・蓄積・重みというものだろうか。(単なるオリ、沈殿物、しがらみ、といったものかもしれない)

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2005/03/18

ラッセル幸福論

05-03-18_19-24 ラッセル(1872~1970)の英文は昔よく英語の教科書に出ていたので、日本では有名である。また、「数学原理」等で数学、論理学の世界で大きな業績を残した。
 しかし、弟子であるウィトゲンシュタインが述べている新しい哲学を理解できなかったとか、「西洋哲学史」などを読むと観念論の意義を全くわかっていなかったとかで、日本の哲学界ではいまいちの感がある。
 それで、この「ラッセル幸福論」(岩波文庫)であるが、これは私にはなかなかよかった。ラッセル58歳の時の文章であるが、コモンセンスの人、人生の達人ということで、私には納得のいくことが多かった。
 内向的な人、あるいは内面的に葛藤が強い人などにはよく効く薬である。さすがイギリス経験主義者である、思弁的傾向が強すぎる人(日本人には多いかも)にはラッセルは実際的に有効である。
 ラッセルは興味・関心を自分の内へ内へと向けるのではなく、外へ外へ向けていくことが大切であると説く。それに納得して行動していくことは可能である。これが幸福獲得の条件であり、特に内向的な人には理に適っている。そして、「熱意」「愛情」「家族」「仕事」「趣味」等のテーマで極めて実際的な説明をしてくれる。
 しかし、一方で、「人の心配事などは大したものはない。人間に起こることはこの広大な宇宙から見れば重要性はない。」などと言い放つ。これなどは悩んでいる最中の若い人にはあまり役に立たない抽象的過ぎることかもしれない。しかし、私のような中高年には大いに感じる言葉である。

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2005/03/07

幸福はどこにある

05-03-07_20-07 「幸福はどこにある」(精神科医ヘクトールの旅)フランソワ・ルロール著NHK出版
 幸福論はたくさんある。ネットで見てみると、トルストイやヒルティの幸福論は宗教色が強いせいか今の日本ではあまり読まれていないみたいである。私は読んで感心した面があるが。
 アランやラッセルの幸福論は今も読まれているようである。私は読んだ記憶がないので、ちょっと読んでみたくなった。
 ところで、表題の本であるが、これはよかった。精神科医らしい、優しく癒される幸福論なのである。物語仕立てだが、私は立派な幸福論と受け取った。
 20以上のレッスンなるものがあるが、私の印象に残ったレッスンを五つ挙げてみる。
 レッスン1~幸福をだいなしにするよい方法は、比較をすることである。
 レッスン8~幸福とは、好きな人といっしょにいることである。
 レッスン13~幸福とは、だれかの役に立っていると感じることである。
 レッスン17~幸福とは、愛する人の幸福を考えることである。
 レッスン20~人はものの見方で幸福にも不幸にもなる。
 実に素朴で、何のひねりもない率直な言い方が好きである。

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2005/03/01

自我と人の一生

05-02-28_22-25 自我という言葉は一般の心理学でも精神分析その他でも取り上げられ、多様に解釈されている。
 ここでは私は人間の生命としての求心力や統率力(コントロールする力)と考える。
 人間は生まれてから、いわゆる物心がつく頃に自我が芽生える。そして自我が育ち、社会生活ができるようになっていく。自分をコントロールする力がなければ社会生活は円滑には送れない。
 それが老いてきて、衰えボケてくるというのは自我の求心力がなくなってくること、拡散してくること、いわゆるタガがはずれてくるという感じである。高齢者を見ているとそのように思うことがある。
 また、自分自身も年を取るに連れて自我が緩んでいく、遠心力が働いているような感覚を持つ。これがゆるやかに死へ向かっていくということのような気がしている。
 これで死の意味を全て理解したとは思っていないが、ただ生物としての人間の一生とはこんなものだろう。求心力と遠心力、精神分析で言えばリビドーとタナトスのようなもの、二つの力が働いている。そして求心力が強く働く時期から、高齢になると穏やかに遠心力が働く時期に移行していくのである。
 そして、この遠心力は決してネガティヴなものでなく、自然で穏やかなものである。
 写真は「自我の起源~愛とエゴイズムの動物社会学~」真木悠介著(岩波書店)の表紙である。

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