カテゴリー「人生論・幸福論」の245件の記事

2018/08/14

幸福とは何か ⑦

915 著者長谷川宏さん(写真)の最後のまとめ「終章 幸福論の現在」は、さすがだと思う。

*20世紀において幸福を主題としたメーテルリンクとアランとラッセルは、幸福は身近なところにあり、身近な世界で実現可能であり、そのための努力が人間的な価値を持ち、人間世界をゆたかにすることを粘り強く主張した。
*思考と論理をひたむきに前へと進めることと、人びとが身近に感じる日々の幸福を尊重することは矛盾なく両立するものではないから、論者はその都度おのれの立つ位置の点検をせまられる。アランがあくびや眠りや微笑に生きる力の自然な発露を見、ラッセルが常識を価値あるものと認め、大地のゆたかさを強調するのも幸福論ならではのことで、そこには思考と論理の独り歩きに歯どめをかけようとする配慮が働いている。
*努力と忍耐のそのむこうに幸福が遠望されているとしても、努力と忍耐が度を越せば、望まれる幸福もゆるやかな平穏さにそぐわぬ熱を帯びてしまう。熱を帯びた幸福や幸福への願いは、幸福の本性にそぐわない。
*抵抗なくして幸福の成立も持続も望めない。……が、しかし、抵抗そのものが穏やかでなければならない。
*大きな問題を論じるときと身近な幸福を論じるときとでは、論のリズムとテンポと声量が異なってくるのは、どちらの論にとってもむしろ歓迎すべきことだ。政治・経済・文化の領域では、問題が大きくなればなるほど視野を広く取る必要が感じられはする。とはいえ、広い視野が問題解決に資するとは限らず、それとは別に、日々のしあわせといった小さな視点の設定が必要だと感じられることが少なくない。
*大状況から説き起こして日々のしあわせな暮らしに説き及ぶ論には、つねに疑問符を胸に立ち向かうしかない。大状況と無縁には生きられないのがわたしたちの生きる現実だが、と同時に、大状況が容易に個人の幸福とつながらないのもわたしたちの現実だ。身のまわりの幸福は、自分の身を置く足場から考え、作り上げていくしかない。いま幸福は、大状況の色に染まらない、自分独自の幸福としてしかない。その意味で幸福論の守備範囲を設定することは世界を見る目を磨くことに通じ、思考の形として価値のあることだといえよう。幸福論は、対象となる幸福に似て、晴れがましさや華やかさとは縁遠い、地味で、ゆったりとした穏やかなものでなければならない。

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2018/08/13

幸福とは何か ⑥

914 ラッセル(写真)の幸福論は、現代人に対して、今なお説得力のあるものになっている。
〈ラッセル〉
*「わたしの目的は、文明国の大多数の人が苦しんでいる、日々の、ありふれた不幸(神経の疲れ)にたいする一つの治療法を提示することである。」(ラッセル)
*人びとの生きる現実の世界は大多数の人にとって幸福が可能であるような世界である。
*「幸福の秘訣はこう定式化できる。あなたの興味をできるだけ広範囲なものとすること、そして、あなたの興味をそそるものごとや人物にたいするあなたの反応を、敵対的なものではなく、できるだけ友好的なものとすること。」(ラッセル)

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2018/08/12

幸福とは何か ⑤

913 私の好きなアラン(写真)の幸福論である。
〈アラン〉
*難破船上の乗客・乗員も自分の小屋を作る石工も、目の前にある出来事や対象とじかに向き合い、過剰な観念や感情を介在させることなく、次の行動へ、その次の行動へと進んでいくことが求められ、心身が求めに応じようとすることによって、そこに心身に具わる生命力がおのずと発動し流露するといった具合である。
*アランは、独自の存在としての個人が孤立していては幸福も喜びもゆたかに生育することは望めず、単位としての個人が自然に、自由に、交流する場でこそ人間的な幸福や喜びが育まれると考える個人主義者だった。
*自然との関係においては体を動かし道具を使って仕事をすることが幸福の原形であり、他人との関係においてはたがいに相手にたいして友情ないし愛情を感じられることが幸福の原形だった。

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2018/08/11

幸福とは何か ④

916 ベンサム(肖像画)の功利主義の考え方は、現代にも通ずる分かりやすさがあり、それゆえに力強さもある。
〈ベンサム〉
*経済活動の発展によって苦痛と快楽が社会的富という実質を与えられた。
*功利性の意味の核をなすのは「なにかがなにかの(あるいは、だれかの)役に立つ」ということで、ベンサムもものごとが社会に役立つかどうかという視点を堅持しつつ考察を進めようとしている。
*「なにをもって幸福がなりたつかといえば、快楽を享受することと苦痛を感じないでいられることがそれだ。」(ベンサム)
*快楽・善・幸福の三位一体

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2018/08/10

幸福とは何か ③

912 この本でカント(肖像画)への理解が少し進んだのはうれしかった。
〈カント〉
*実践ないし行動は現実とかかわり、現実を動かそうとするものだが、実践ないし行動の是非善悪を左右する道徳法則は、行動の場ではなく、行動する人間理性の内奥に所在するとカントは考える。
*理性がおのれの内部から道徳法則を紡ぎ出すところにカントは理性の自由と自律の証しを見る。
*「純粋な理性は独立にそれだけで実践的であり、われわれが道徳法則と名づける普遍的な法則を〔人間に〕あたえる。」(カント)
*人間の内面に人間を内から突き動かす力を見出す。それが意志だ。
*理論理性が先天的な分類項たるカテゴリーをもっていたように、実践理性も道徳法則をもっていて、それをこまかく定義していくと、義務と権利、許可と不許可といった概念ができあがる。(ヘーゲル)
*カントは現実の社会に背を向けるようにして人間の内面へと入りこみ、現実と因果の糸で結ばれることのない意志のうちに自由を位置づけ、道徳法則を位置づける。
*カントは、幸福の希求や、好ましい対象、心地よい境遇の欲求が、意志の核心をなす自由と道徳法則に結びつく、根源的な希求であり欲求であるとは考えない。
*幸福を望み、求めること~いいかえれば、自分の境遇に満足する状態が持続するのを確信した上で、その状態を望み、求めること~、それは人間の本性からして避けられないことだが、だからといってしかし、それを、義務でもあり目的でもあるようなものだ、ということはできない。(カント)
*カントの道徳理論のうちには幸福論の居場所はなかった。

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2018/08/09

幸福とは何か ②

911 中世は飛ばして、近代の幸福論へと入っていく。
〈ヒューム〉
*心に生じる知覚のすべてが「印象」と「観念」に区別される。印象はさらに、根本印象(感覚の印象)と二次的印象(反省の印象)とに区別される。
*幸や不幸は偶然のなりゆきのままに生じたり生じなかったりするものではなく、そこに人間の意志や意欲が働いている。その意志や意欲の働きをヒュームは偶然的なものと考える傾きが強い。

〈アダム・スミス〉(肖像画の人)
*社会的存在である人間の、感情面での土台となるのが共感であり、行動面(経済面)での土台となるのが取引と交換である。
*感情が共感という形で他人とつながると、つながっていることが感情に安定感をもたらす。
*技術の改良も、効率の向上も、生産量の増加も、活動の持続性と統一性を前提として初めて可能となった。

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2018/08/08

幸福とは何か ①

910 長谷川宏著、中公新書である。
 長谷川さんの文章は落ち着いていて、格調があるので、じっくりと読める。

*しあわせの基本形は、静けさ、平穏さ、身近さ、さりげなさにある。

*エピクロス派やストア派にあっては、国家のために生きること、あるいは共同体社会の一員であることは、もはや無条件の正義でも善でもなく、国家や共同体とは場を異にするおのれの一個の生活にも独自の価値が認められ、そこでは国家や共同体のそれとは類を異にする正義や善がなりたつと考えられるに至った。
*古代ギリシャ・ローマの脱俗は現実の政治活動や経済活動から身を退きつつ、なおこの世を生きる自己の内面へと~内面の理性へと~向かう傾向を強くもつということができる。

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2018/06/05

成功ではなく、幸福について語ろう ②

889 苦労人の岸見一郎さんの言葉には説得力がある。
*生きていてくれてありがとう。
*今はリハーサルではなく本番なのです。
*人々の期待に全く反して行動する勇気を持たねばならない。
*問題の解決ができない間は幸福になれないと思っている人は多いのですが、そんなことはありません。幸福を先延ばしにする必要はありません。
*機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと……幸福は外に現れる
*希望が他の人から与えられる。
*成功を幸福と同一視している人は、自分の価値を何ができるかという生産性の観点からしか見ないことが多いように思いますが、人の価値は生産性で測れない。

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2018/06/04

成功ではなく、幸福について語ろう ①

888 岸見一郎著、幻冬舎発行の本である。
 私は「幸福論」の本には飛びつきやすい。共感するところはいくつかあった。

*幸福とは何かということを問いかける中で、答えの道筋、あるいは、方向性が少しでも明らかになればと思っています。
*幸福は各自においてオリジナルなもので、質的なものです。他方、成功は一般的なもの、量的なものです。
*幸福であるために何かを達成しなくてもいいということです。
*幸福になるために、いわゆる挫折体験は絶対に必要です。生きていく上で感じる苦しみや挫折感は、鳥が空を飛ぶために必要な空気抵抗のようなものです。
*自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持てる。
*自分が他の人にどう思われるか、どう評価されるかということとは関係なしに、自分で自分に価値があると思えるということ。
*自分が他の人に何かできることがないかと考え、実際に身をもって他の人に何かできることをしていけば、貢献感を持つことができる。

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2018/02/28

君たちはどう生きるか

Yjimageu4y007zm あえて今回は漫画版(原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 マガジンハウス)を読んだ。

 原作は昭和12年、日中戦争が始まった年である。主人公のコぺル君は中学生、やがて学徒出陣に連なる世代である。時代に大きく翻弄された人たちである。この時代の貧困、いじめ、暴力等の問題は現代にも通ずるものがある。

 天動説を信じていた人たちを自己中心的な人たちと現代人は笑えるか。現代人も主観に偏った見方をしていないか。一方で、自分の体験から出発して正直に考えていけ、胸からわき出てくるいきいきとした感情を大切にしろ、とも言われる。この客観性と主観性の問題はなかなかに難しい。

 「自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。それは、いったい、なんだろう。」
 これはこの本の中でも大きな問いだ。
 物質的なものを生産しているか否かではなく、精神的に周囲によい刺激を与えているということだろうか。その刺激はやがて素晴らしい本に結実するかもしれない。
 それとも存在しているだけで、その人は価値があるということだろうか。これはカッコよい言い回しだが、実感できている人は少数とも言えそうである。今後も考えていきたい問いである。

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