カテゴリー「教育」の18件の記事

2015/10/20

ホームカミングデイ

Imagess5y6wix2 ホームカミングデイということで、出身大学の教育学部に初めて行ってみた。
 現役教師や教師経験者たちの教育技術のスキルの高さに感心した。
 また、私の後輩たちも教育学部で学んだことをとても喜んで捉えていることにうれしく感じた。まあ当然だよね、このような会に出席する人は自分の出身を肯定的に見ている人たちだものね。

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2013/02/03

学び続ける力

17 池上彰さんの生涯学習を勧めるような本である。(講談社現代新書)
 いくつか印象に残ったところを列挙しておく。
*人に伝えるためには5W1Hをしっかりと押さえる。
*相手の話を面白がって聞くことが、まずは大事である。
*説明が論理的であり、かつ頭の中に絵が浮かぶ説明が、わかりやすい説明である。
*教養を持つということは、「よりよく生きる」ということである。だから、「どう生きるべきか」ということにつながってくる。
*コミットメントしたり、エンゲージメントしたり、さまざまな実践能力も兼ね備えていないと、教養があるとは言えない。
*自分の存在が社会の中でどんな意味を持つのか、客観視できる力を身に付ける。

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2012/06/28

大人の学習と子どもの学習 ③

025 今まで述べてきたことをまとめる形で、大人と子どもがそれぞれが持っている力(能力)を示しておこう。
 大人はそれまで培ってきた知識・経験を基にして、総合力、多角的見方などに優れている。一方で、特定の分野において、凝り固まった偏見を持っている場合もある。
 子どもの方は、記憶力、吸収力などに優れており、学ぶことに対して柔軟性・可塑性が高い。

 さて、「大人の学習と子どもの学習」ということをなぜ私がこのようにつらつらと述べてきたか、ということである。
 「生涯学習」ということを大事にしてきた私自身は、こらからは高齢者の学習に向かっていく。そういう中で、私自身は到底子どものような学習形態は取れないということが一つである。その自覚を持って、今後も私自身、学習を続けていきたいと思う。
 もう一つは、改めて、子ども時代の学習の大切さと素晴らしさを感じることである。人間の子どもってすごい!そして、教育って、とても重要だと思う。

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2012/06/27

大人の学習と子どもの学習 ②

014 4 学習者の経験
 大人の学習の場合は、学習者の経験は貴重な学習資源となる。逆に、経験が学習の足かせになることもある。経験が片寄った先入観を持たせたり、学習への躊躇をもたらしたりすることがあるからである。
 子どもの学習の場合は、学習者の経験にはあまり重きを置かない。むしろ教育者の経験の方が重要である。
 5 学習者の自己決定
 大人の学習は、学習の内容・方法(何を、どのように学ぶか)等について学習者の自己決定性が大きい。
 子どもの学習は、学習の内容・方法等について、学習者は教育者に依存的である。
 6 学習者と教育者との関係
 大人の学習は、教え、教わるの関係が流動的かつ多様である。すなわち、学習内容・方法等によって、学習者と教育者は適宜入れ替わる。
 子どもの学習は、学習者と教育者の関係はほぼ固定化されている。

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2012/06/26

大人の学習と子どもの学習 ①

013 学ぶことは考えることに繋がる。考えることは自由に繋がる。これは楽しいことである。
 「生涯学習」とは子どもから大人まで一生涯に渡って学ぶことである。しかし、子どもの学習と大人の学習とでは異なる面がある。それをいくつかの観点からここで整理しておこうと思う。
 1 役割と学習
 大人の学習は社会的役割から生ずる課題に対する学習の場合が多い。社会的役割とは、家庭における役割、職場における役割、地域における役割などである。
 子どもの学習は役割意識というより生物的発達を踏まえた課題に対する学習の場合が多い。生物的発達とは生物としての人間が子どもから若者を経て、大人になっていく過程のことである。
 2 学習の方向づけ
 大人の学習は上に掲げたような課題を解決していく学習が中心である。
 子どもの学習は教材・教科の学習が中心である。具体的な生活上、社会上の課題があるわけではないことが多い。
 3 学習の見通し(学習の応用)
 大人の学習は課題解決に実際に応用できる学習が中心である。
 子どもの学習は応用よりも、まずは基礎・基本の習得の学習が中心である。

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2010/03/19

中学校卒業式

Imagescafh1yf1 中学校卒業式に来賓として参加した。
 男子生徒もたくさん泣いていた。号泣している男子もいた。このあたりは男女の区別がなくなってきた。
 女子生徒でスカートを短くし、茶髪の子も数人いた。広い意味での貧しさや弱さの現われのような気がした。本人に対しても、家庭に対しても攻められない気持ちになった。そのような状況に追い込まれた面もあると思う。できるだけサポートしていくことが求められている。
 一人一人の卒業生の顔をじっくりと見た。幼い感じ、若々しい感じ、晴れがましい感じ、緊張した感じなどが一般的だが、中には投げやりな感じの子もいた。
 公立の中学校は受験というのが常にプレッシャーになっているのも改めて感じた。たいへんなことだ。
 歌われた歌は、「蛍の光」や「仰げば尊し」ではなかった。アンジェラ・アキの「手紙~拝啓十五の君へ~」と「旅立ちの日に」だった。このあたりの変化も感じた。
 午後に別立てで、不登校の2人のためだけに卒業証書を手渡す式が行われ列席する機会を得た。長い人生だ、少しくらい止まってもいい、ゆっくりと人生を歩んでいってほしい。人生を味わってほしいと思った。

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2009/07/03

教育と平等

7andy_32268414 苅谷剛彦さんの仕事には感心している。
 従来から教育の格差や階層といった課題、大衆教育社会の成立などのテーマをいち早く取り上げ、掘り下げてきた。今回は教育財政を素材にして、「平等」の問題を考察している。分析すべき教育財政といった対象をしっかりとした視点で捉えている。
 私も同世代で、同じ空気を吸って学んでいただけに共感するところ大である。もちろん、苅谷さんの方がかなり深い洞察である。
 私の方は彼より戦後教育に対する思い入れは強い。書生っぽい感覚と言えるかもしれないが、この感覚の持ち主の方が情熱的な教師が多かったような気がしていたからである。
 今は刈谷さんのような視点を持てる教師が素晴らしい教師と言えそうである。それほど、格差や階層(逆から見れば平等)の問題を避けて通れない。
 刈谷さんはこの秋、東京大学からオックスフォード大学へ転進する。自由と平等の問題を広い視野から追究していくことだろう。

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2009/04/10

教育関係書を読んで

395a988d301a85a2_2 「日本を滅ぼす教育論議」岡本薫、「杉並区立「和田中」の学校改革」苅谷剛彦ほか、「公立学校の底力」志水宏吉、「教育立国フィンランド流 教師の育て方」増田ユリヤ、「学力と階層」苅谷剛彦、「街場の教育論」内田樹、と読んできた。
 これらを読んできて感じたことを書く。
 まずは、今の教育政策は「追加教育症候群」に陥っている。よいと思うことを次々と改革リストに並べていく「ポジティブリスト」の発想であるが、追加資源もなくて掛け声だけでは現場は疲弊するだけである。
 次に、今の教育の現場での大きな問題は私は次の2つだと思う。
 一つは教員の大量退職・大量採用を迎えた今日、教員のパフォーマンスの向上を期待されながらも、実現できない状況だということである。教員が厳格な勤務考課を実施され、能力主義的な格付けをされているからである。
 二つ目は、学習意欲や態度を含む学力の階層間格差である。子どもたちが家庭の格差を背景に二極分化している。
 今、公立学校の現場で恐ろしい状況になりつつあるのではないかと心配である。
 格付けされた先生と二つに分断された子どもたちが相対しているのである。格付けを低くされた先生と学力の階層が低い子どもとが一つの教室にいる場合にどうなるのだろう。単純に同情しあうのならまだましである。先生からその子どもに何か陰湿な言動が誘発されないだろうか、心配である。

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2009/03/29

街場の教育論

7andy_32169727 内田樹さんの「街場」シリーズの教育版である。
 内田さんの教育論の前提がいい。
1 教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることができない。
2 それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容なものになりがちである。
3 教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。
4 教育改革の主体は教師たちが担うしかない。人間は批判され、査定され、制約されることでそのパフォーマンスを向上させるものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障されることでオーバーアチーブを果たすものである。
 ポイントは現場の教師である。だから、政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に任せて、放っておいてほしい、と言う。
 教師的体質も持っている私としては共感する。
 大切なことを述べているし、考えるヒントをもらえるので、いい本である。しかし、時々、思い付き的な根拠のはっきりしない論も見受けられる。

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2009/03/26

小学校の卒業式

000e19cc43ccceb0 小学校の卒業式に参加した。
 卒業証書を受け取る前に、子ども一人一人が将来の夢を一同に向かって言う場面がある。
 野球・サッカーなどのスポーツ選手や歌手・俳優などの芸能人になりたいという子が多かった。しかも、その分野の一流になるという。
 一流になるということはたいへんな狭き門であることは大人なら知っている。
 それでも卒業式では子どもは言っていいと大人は思っている。許されることだし、歓迎されることでもある。
 この種の夢は途中で挫折したとしても何とかなるし、むしろ人生を深く味わう経験にもなる。また、夢がないより、あった方がいいと思っているからである。みんなの前で発表しなくても心の中に持っていることはいいことである。

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