カテゴリー「哲学・人生・カフェ」の299件の記事

2020/05/03

急に具合が悪くなる

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死を前にしての壮絶な往復書簡である。(哲学者:宮野真生子、人類学者:磯野真穂、晶文社)

死についてとともに、生きること、その「偶然性」について、たくさんの心に響く言葉を残してくれた。

本当にありがとうございました。

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2020/05/01

探求の共同体

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子ども哲学を実践している人たちにとってはバイブルのような本である。

副題は「考えるための教室」、著者はマシュー・リップマンである。(玉川大学出版部)

大部な本であるが、子どものための哲学(P4C)に関する重要な観点が書かれてある。

それは共同体(教室等)において、探求的になされる対話によって育まれる3つの思考についてのところである。

「批判的思考」「創造的思考」「ケア的思考」の3つである。

どれも重要なことではあるが、私は最近はケア的思考に特に注目している。

子どもと高齢者は共通しているところもあると思っているから。

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2017/11/25

5人会(平成29年11月)

Img_0427 5人会は、最近は3カ月に1度のペースで開催している。
 今回は、紅葉の小石川後楽園(写真)に行ったり、その近くにある友人の会計事務所を急遽訪ねたりと、面白いプログラムも加わった。
 私は前回の5人会からの3カ月間に活動したことなどをカレンダーにして発表した。人生カフェや他の哲学カフェに参加したこと、映画、ラーメン、ヨーガ、読書などの活動の記録である。改めてカレンダーにしてみると、それなりにいろいろやっていることが分かる。
 このカレンダーを作ることによって、これら活動の背景にあるものが浮かび上がってきた。それは、仕事であり、家庭であり、健康のことである。これらは活動を支えるものであり、活動のエネルギー源になっている。また、仕事、家庭、健康そのものに大いに価値があるものである。

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2017/08/21

5人会(平成29年8月)

811 今回、私は「財産と贅沢」について考えた。
 私にとっての財産は当然お金というものが挙げられるが、お金はある程度あればそれでいい。今は私にとって重要なのは身体的な健康である。これも完璧は望めない。一定程度の健康でよしとしなければならない年代であろう。
 お金と健康はある意味手段である。好きなことをやるための手段(財産、資源)である。好きなことが大切であり、生きがいにもなる。
 まずは好きな人との関係(家族、友人、職場関係など)がある。また、好きなこと、好きなもの(いわゆる趣味)も生きがいにつながる。これが贅沢である。
 もちろん、好きなことをやるためには、ある程度の我慢も必要である。

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2017/07/09

対話と人間関係

14 第59回人生カフェは平成29年7月8日(土)、13名(男性4名、女性9名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「対話と人間関係」であった。

 まずは、「対話」と「会話」の違い、また、「おしゃべり」との違い、さらに「議論」との違いなどが話し合われた。
 対話とは、哲学カフェなどでよく使われる言葉ということからして、主に理性を使って、ひとつのテーマについて、考えや価値観が異なる者同士が集まって話をするというイメージがある。これと対比すると、会話は、感情面も多く含まれ、特に明確なテーマもなく(話題は絶えず変化していく)、どちらかというと同じようなタイプの者が集まって話をするというイメージがある。
 対話とは、哲学カフェでの意味合いも超えて捉えると、お互いが言葉を通して理解し合うことであるとも言える。
 それで、そのような対話は人間関係とどのような関係にあるだろうか?一般に対話は人間関係を良くしていくというように考えられていると思われるが、果たしてそうだろうか?
 お互いを理解しようと努力していくのだから、対話というのは人間関係を悪くしていくようには思われないが、必ずしも人間関係を濃く、太く、良くしていくとは限らないのではないか。
 相手を理解していくことによって、相手とのパーソナル・スペースや相手との境界線(バウンダリー)がよく見えてくる。これによって、人間関係が促進されることもあれば、逆に、相手と距離を置いたり、場合によっては相手との関係を断つこともある。

 対話は、1対1のような関係の場合もあれば、1対多のような関係の場合(一般の哲学カフェがそうである)もある。これを同じように対話と捉える意義は何だろうか。
 どうもポイントは自分の方にありそうである。自分の心の開き具合(オープン度)、自分の他者への見方や姿勢、自分に対する捉え方の変化などが対話の質を変えていく。それは大きく捉えれば、自分対他者の関係であり、あとは他者の方の数が1,2,3、…と変化していくだけともいえる。(もちろん、他人も生身の人間であり、それぞれ個性があるのは当然ではあるが)

 最後に、参加者各自から、気づいたことや新たな問い、感想などを発表してもらって、閉会した。

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2017/07/05

あなたの人生が変わる対話術④

801 この本で泉谷さんが最も言いたかったところにあたる最終章は、「第5章 対話するという生き方」である。

*他人は自分の一部分や道具や対象ではない。(これはマルティン・ブーバー(写真)も言っていることである。)
*他者の孤独と独立性を尊重する態度から生まれるのが愛である。愛とは、「相手が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ち」と定義できる。
*愛が「孤独」を前提にしているのに対して、欲望は「依存」をベースにしている。
*人は「愛すること」しかできないのであって、相手から愛されるかどうかは、相手という独立した「他者」が自由に決めることである。
*「他者」は独立している。「他者」は何かを強要されることを嫌う。「他者」は、ひたすらに耳を傾けてもらうこと、つまり「聴いてもらうこと」によって、自発的なものを表出してくる。
*「対話」する生き方とは、すなわち、「他者」との真の「経験」を求めて、愛に生きることを選ぶ生き方にほかならない。

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2017/07/04

あなたの人生が変わる対話術③

Images148 著者の泉谷さんの人間に対する見方は図のようである。これらを踏まえて、第4章「「ムラ的」コミュニケーションから「対話」へ」も書かれている。

*言葉というものは、人によって多種多様な考え方がありうるということを前提にして存在している。つまり、言葉は「対話」のために存在している。
*「ロゴス」としての言葉とは、その人が理性を働かせて、なんらかの意見を「他者」に向かって差し出すものだと言える。そして、その言葉は重みをもっていると同時に、かならずしも「普遍的真理」を述べているわけではないという、ある種の謙虚さをあわせ持ったものである。
*「二人称関係」の世界に棲んでいる人が用いるモノローグという「鳴き声としての言葉」と、「他者」とのコミュニケーションや共同思考を必要と考え「対話」(ダイアローグ)する人の「ロゴスとしての言葉」とは、その重みも用途も異なっているまったくの別物である。

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2017/07/03

あなたの人生が変わる対話術②

800 著者の泉谷閑示さん(写真)は精神科医である。
 職業(プロ)として、お金をもらって、患者さんの治療にあたっている。必要な訓練を受け、経験も豊富である。治療環境も整備されている。その上で、人の話を聴くことに重点を置いている。
 そういうことでいえば、我々のような一般人(素人)とは異なる面も多い。しかし、泉谷さんが第2章「対話の技法」で述べていることは我々にも示唆に富む内容である。

*「理解」と「同意」を切り分ける。
*人は日々刻々と変化する存在である。
*意図が見える質問は伝わりやすい。
*アドバイスが相手を弱くする。

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2017/07/02

あなたの人生が変わる対話術①

799 精神科医である泉谷閑示さんの本で、哲学カフェ・哲学対話における対話を考えていく上で、とても参考になった。(講談社+α文庫)
 第1章は「対話とは何か」である。
*dialog(ue)はギリシア語を語源としたもので、「言葉(理性、論理)を介して(通して)」といった意味である。
*4つの前提
①相手を「他者」として見ることから「対話」は始まる。
②対話は、「他者」を知りたいと思うことから始まる。
③対話は、お互いが変化することを目標とする。
④対話において、話し手と聴き手に上下関係はない。

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2017/06/27

自分とは何か

10 第58回人生カフェは平成29年6月24日(土)、12名(男性7名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。「6 自分とは誰か」「7 死をどう考えるか」「8 体の見方」「9 心はどこにある」のところを取り上げた。これらを貫くテーマが「自分とは何か」である。
 まずは、各自が共感したところをフリップに書いてもらった。(頭の数字は本のページ数)
40:世界を作っているのは、じつは自分なんだ。
43:自分を脳とばかり思い込んでいるのは正しくないんだ。
49:けれども、もし自分は死なないとしたら、なぜ君は生まれてきたのだろう。
50:生死の不思議とは、実は、「ある」と「ない」の不思議なんだ。
51:自分で考えてごらん。当たり前のことを考えるよりも面白いことはないのだから。(2人)
55:体はそれ自体が自然なんだ。
57:死ぬ自分と死なない自分と、二つの自分があるのだろうか。
57:自分の所有物は自分でないんだから、それが自分の思うようにならないのは当然じゃないんだろうか。
61:(その意味では)心とはすべてなんだ。体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてあるんだ。
62:同じ目に見えないものの中でも、動いて変わる部分と動きも変わりもしない部分とがある。
63:悩まないで、考えてゆけるんだ。

 後半は、逆に、各自が疑問に思ったことをフリップに書いてもらった。(*印は上記の共感したところにも取り上げられたところ)
40:ただ自分だったんだ。
40:世界を作っているのは、じつは自分なんだ。 *
41:自分は自分であって、自分以外の何ものでもありません。
46:死体とは死とは同じものではない。(2人)
50:生死の不思議とは、実は、「ある」と「ない」の不思議なんだ。 *
57:自分が二つあるなら、それは他人じゃないだろうか。
66:ただ自分であるということは、他人がいるから自分であるのではなく……その自分としてあるということだ。
◎:「考える」って何だろう?

 これらを踏まえて、フリーに対話した。
 哲学とは、考えていく上での定規=ものさしを探求することではないか、といった話が出た。その考えることにこだわり、子どもたちが考え続けることを励まし、檄を飛ばしていたのが池田晶子である。
 池田晶子が導き出した結論は荒削りのものがあるが、子どもたちが考える素材にはなっている。反論もしやすい。それがまた魅力にもなっている。
 その結論には、「現象」と「本質」が混同されているところも見られる。我々読者も混乱する。これもまた魅力のひとつになる。

 この読書会は、今後、「他人とは何か」「死とは何か」「人生の意味とは何か」というテーマで深めていく。「自分とは何か」を土台にして、展開していきたい。

 最後に、参加者各自にフリップに書いてもらった。
〇当たり前のことを考えると悩める。
〇抽象的になり過ぎず、具体的事象に裏付けて皆に考えを伝えることの難しさに苦労しています。
〇方法論としてもう一度読みたい。自分と他人の境目、自分とそうじゃないものの境目があるのか、あるとしたらどこなんだろう?体でいいのか?
〇ちょっと誤解を生む表現が多い、毒にも薬にもなり得る本だと感じています。
〇学び方の方法として共感できそうではあります。しかし、その後の施策の方向性はちょっと違和感が出てきそうです。
〇絶対的な自分は死ぬのか?死なないのか?
〇死なない自分に興味あります! 現象と実体の混同に注意
〇「存在と現象」について、もっと考えてみたい。「考えすぎちゃう」
〇自分とは、存在なのか…? 現象なのか…?
〇「自分」とは何かを改めて、じっくり、考えてみたい。面白い。
〇自分とは何か?を大切にしたい。
〇自分では全く思いつかないような解釈や意見がとても興味深く楽しかったです。

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