カテゴリー「哲学・思想」の532件の記事

2018/01/05

中動態の世界

843 『中動態の世界』意志と責任の考古学(國分功一郎著、医学書院)は意欲的な本である。

 我々が当たり前のように慣れ親しんでいる、「能動ー受動」(主体ー客体)の対立図式では、漏れてしまうものがある。不幸を招いている場合もある。
 そこには過去を切断した「意志」が想定されており、行為の「責任」の問題が存在する。責任がないと、社会関係がうまく築けないという面もあるが、そこには暴力的な働きかけの問題も含んでいる。

 「能動ー受動」の対立図式へのアンチとして、はるか古代にあった「中動態」なるものをこの本はクローズアップさせている。
 能動態は動作が主語から外に向けて行われるのに対して、中動態は動作が主語へ向けて行われる。中動態は、自分に対する動作や動作の結果が自分の利害に関連する場合などに使われる。
 「能動と受動の対立においては、するかされるかが問題になるのだった。それに対して、能動と中動の対立においては、主語が過程の外にあるのか内にあるかが問題になる。」

 この話は、現在、中動態なるものが身近にはないので、それほどインパクトがないかもしれない。しかし、認識はしておくものではあるだろう。
 この認識が自らが日々選択しているものの意味や背景を理解させる。これができるのが人間の自由というものかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/12/13

与謝野晶子

839838 『日本近代思想エッセンス ちくま近代評論選』(筑摩書房)を読んだ。
 明治時代は、福沢諭吉、北村透谷、樋口一葉など11人、大正時代は、武者小路実篤、平塚らいてう、斎藤茂吉など7人、昭和の戦前・戦中は、谷崎潤一郎、芥川龍之介、久米正雄など9人、昭和の戦後は、宮本百合子、福田恆存、鶴見俊輔など10人の文章が取り上げられてある。
 この中で印象に残ったのは、与謝野晶子『母性偏重を排す』、中野好夫『悪人礼賛』、大森荘蔵『真実の百面相』である。

 とりわけ感銘を受けたのは、与謝野晶子の『母性偏重を排す』である。
 あの時代に、こんなに先駆的な思想を持ち、それは現代をも照らしている。
 世の中の人間(女性も同じ)は、バラエティに富んでいる。ひとりの人間を見ても時々刻々と変化する。多数派の論理で押し切るな!少数派を蔑ろにするな!
 結婚に向かない、望まない女性はいる。子どもを産むことに向かない、望まない女性もいる。そのような人たちも幸せになっている。
 多数派の論理より、それぞれの生身の現実の生活がある。それが優先されることがらである。
 男女ともに「人類の幸福の増加」を望んでいるという面では同等である。その上に各自の個性が多様に花開く。
 これらの論をまさに与謝野晶子は展開しており、それはとても力強い。これより後戻りしてはいけないような正当な論であり、壁になってくれている。
 素晴らしい!私は感動した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/11

哲学のすすめ②

803 宗教ではない、科学ではない、哲学を素直に大事にしたい、すすめたい。哲学が好きな私もそう思う。 (写真は著者の岩崎武雄さん)

*学問の客観性とは、すべての人が承認すべき根拠をもっているということに外なりません。
*哲学は時代とともに変化しているのです。そしてこの変化は、人間が哲学に対して客観性を与えようとしたその努力の結果なのではないでしょうか。
*人間が自分の認識能力が有限的なものであるということを知ることによって、自然科学が成立したといえるのではないでしょうか。
*基本的人権は、けっして人間が事実としてもっているものではありません。それは、人間の生命の絶対性(かけがえのない人間の生命)を認めるという価値判断の基礎の上に、はじめて成り立つものです。そうすれば、人権の主張は同時に他人の人権を重んずるという義務を伴うはすです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/07/10

哲学のすすめ①

802 1966年発行だから、もう50年以上読み継がれている。東大名誉教授だった岩崎武雄さんの名著である。(講談社現代新書の66番である。)
 岩崎さんの哲学を信じ、力強く哲学をすすめるこの熱い思い、これが伝わってくる。この素朴さは尊い!?(それでは今はいったい何なんだ!)

*哲学は「驚き」にではなく、もっと深く「生きる」ということに根ざしているのです。「生きる」ための必要上、哲学はどうしてもて生じてこなければならないのです。
*「原理的な価値判断」と、「具体的な事物についての価値判断」の、この2種類の価値判断の区別は、はっきりさせておかなければなりません。
*わたくしはむしろ、「幸福」をなんと考えるかということが、その人の哲学によってきまるのだと思うのです。
*生き方の相違は、その人がなにを幸福と考えるかによって異なってくるといえるのではないでしょうか。人間が常に幸福を求めるものであるとすれば、人間の生き方の相違は、幸福をなんと考えるかによって生じてくると考える外はないからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/28

顔の現象学

785 副題「見られることの権利」、鷲田清一著(講談社学術文庫)、この本の初めのあたりの印象に残ったところを抜き書きしておく。

*眼が「かち合う」こと、まなざしが交差することは、対象を見ることとは決定的に異なる。
*相手の目が興味深いから見るのではなく、まさに相手のまなざしをそこに感じるから、私たちはそこに目を向け、相手に目を合わせる。

*顔の「遠さ」~他者がわたしを〈わたし〉として認知してくれるその媒体としての顔が自分にだけは見えないという、あの〈わたし〉の可視性のアンバランスな構造
*〈わたし〉と他者はそれぞれ自己へといたるためにたがいにその存在を交叉させねばならないのであり、他者の〈顔〉を読むことを覚えなければならない。
*〈顔〉という現象は、それが「わたしの顔」となるまえに、まずは共同性の様態なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/17

マインド 心の哲学 ③

Img_15186cfa4e4819e25802c953731566f 訳者の山本貴光さんと吉川浩満さん(写真)には翻訳してくれたことに感謝したい。この二人は現在、新しいタイプの哲学者として活躍している。

 さて、この本で「意識」のことを取り扱っている中で、面白いところを抜き書きしておく。
*意識のゲシュタルト構造には少なくとも二つの側面がある。第一に、知覚を一貫性のある全体に組織する脳の能力。第二は、背景から図を弁別する脳の能力。
*知覚が意識を作り出していると考えるべきではなく、先立って存在する意識野を知覚が変化させていると考えるべきである。
*意識は脳内ミクロな過程によって引き起こされ、脳において高レヴェルの性質もしくはシステムの性質として実現されている。……生物学的に言えば、意識は生の一側面にすぎない。しかし、こと私たちの現実的な生の経験が関わる限りで言えば、意識とは私たちが意義ある存在であるということのまさにその本質にほかならない。
*意識があるからこそ、いろいろなものごとが重要性を持つようになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/16

マインド 心の哲学 ②

781 ジョン・サール(写真)は、「心的なもの」と「物理的なもの」と言われているものを簡単にまとめて、論を進めてくれている。
*「心的なもの」~主観的、質的、志向性がある、空間的な位置と広がりをもたない、物理的な過程により説明不可能、物理的なものに対して因果的に作用しない
*「物理的なもの」~客観的、量的、志向性がない、空間的な位置と広がりをもつ、ミクロな物理学によって因果的に説明可能、因果的に作用かつシステムは因果的に閉じている

*意識は一人称的な存在論を備え、神経的な過程は三人称的な存在論を備えている。このために、前者を後者へと存在論的に還元することはできない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/15

マインド 心の哲学 ①

780 ジョン・R・サールの心の哲学の入門書である。(朝日出版社)
 サールの「生物学的自然主義」の立場については別のところで簡単に述べてあるので、ここではそれ以外のきになるところを抜き書きしておく。
 まずは、哲学が注目するところが言語から心へ移ったとされる理由のくだりである。
①言語にかかわる問題の多くは心に関する問題の特殊例だとみなせる。
②知識の発展に伴い、従来の認識論などから離れ、新しい哲学の理想的な出発点は人間の心の本性についての検討である。
③21世紀初頭の哲学の中心問題は、人間が明らかに意識を持ち、心があり、自由で、合理的で、言葉をあやつり、社会的かつ政治的な行為者であることをどのように説明するかということである。
④「認知科学」の登場である。
⑤現在の言語哲学は、いわゆる外在主義に共通の誤りに陥っている。

 次に、心の哲学の問題は一般人と専門家では信じるもののあいだに大きな違いがある。
*一般人は二元論を受け入れている。人々は自分が心や魂と身体の両方を持っていると信じている。それどころか、身体、心、魂という3つの要素を持っているという人すらいる。
*哲学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能などの専門家たちはほぼ例外なく、なんらかのかたちで唯物論を受け入れている。

 いまや心の哲学が中心のトピックであり、他の問題~言葉や意味の本性、社会の本性、知識の本性~はすべて、人間の性質という、より一般的な問題の特殊例にすぎない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/09

超図解「21世紀の哲学」がわかる本 ③

777 現代の問題を考えていく上でのいくつかのヒントを得られた。
*可謬主義~人間の知識には誤りがある。これをベースに行動を改善する。
*エポケー(判断停止)による現象学的還元では、自明と考えていた世界の存在に疑問符をつける。その上で合意を形成するわけだから、現象学的還元は相互理解を得るための手法である。…「信憑性」があればよいし、高まればなおよい。
*カール・ポパー(写真):反証可能な理論こそが科学的である。…検証可能性ではなく、反証可能性の立場をとると、反証が出ないことにより、命題の強度、いいかえると「確からしさ」が強まる。
*言語は「恣意的かつ差異的な体系」である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/08

超図解「21世紀の哲学」がわかる本 ②

776 現代の哲学・思想のあらましを紹介している。
*生命圏を有機的な統一体と考え、生命全体の平等主義から自然をとらえる。(ディープ・エコロジー)
*「本質」とは、あるモノを他のモノと区別する何かである。
*統合情報理論とは、ある身体システムに情報を統合する能力があれば意識がある、とする立場である。
*ジョン・サール(写真)の「生物学的自然主義」~心や意識を自然主義的な立場から生物学的に探究する。……意識はそのあり方(いわゆる存在論)のうえでは、人に固有のものであり一人称的なものである。これは三人称的な因果関係では説明できない。つまり、意識は因果的に還元可能ながら、存在論的には還元できない。
*仮説設定の活動を「アブダクション」と言う。アブダクションは論理化が困難で、機械化が難しい活動であり、人間の創造性が発揮される活動である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧