カテゴリー「書籍・雑誌」の81件の記事

2017/04/21

言ってはいけない

782 副題は「残酷すぎる真実」、橘玲著、新潮新書である。ベストセラーにはなった。
 遺伝のことを中心にした本である。遺伝でほぼ人間は決まってくるといった話である。
 この種の話は、私にとってはつまらないので、途中で投げ出してしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/11/16

生命現象というシステム

729 このタイトルの文章の著者・福岡伸一さん(写真)には、いろいろ教えられることが多い。生物ということに関してである。
*生命は、自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物は必ず死ぬというのは実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、動的平衡は別の個体に移行し、リセットされる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/11/15

ボランティアの「報酬」

02 金子郁容さん(写真)の表題の文章が、私には強く響いた。
 ボランティアの意味、私にとっては具体的には哲学カフェ・哲学対話の活動の意味が少し明らかになったようで、とてもうれしかった。
*その人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、だれか他の人の力によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアの「報酬」である。
*「内なる権威」に基づいていること、自発的に行動すること、何かをしたいからすること、きれいだと思うこと、楽しいからすること、などが「強い」のは、それらの力の源が「閉じて」いて、外からの支配を受けないからだ。しかし、ボランティアが、相手から助けてもらったと感じたり、相手から何かを学んだと思ったり、だれかの役に立っていると感じてうれしく思ったりするとき、ボランティアはかならずや相手との相互関係の中で価値を見つけている。つまり、「開いて」いなければ「報酬」は入ってこない。このように、ボランティアの「報酬」は、それを価値ありと判断するのは自分だという意味で「閉じて」いるが、それが相手から与えられたものだという意味で「開いて」いる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/03/21

数学する身体 ②

605 著者の森田真生さん、独立して研究していくということはたいへんだと思う。数学者岡潔に倣うところがあるのだろう。若いのだから、がんばれ!
 昨日に引き続き、印象に残った個所を掲げてみる。
*アンドレ・ヴェイユが岡潔に「数学は零から」と言うのに対して、岡が「零までが大切」と切り返す場面があった。
*岡潔は零からの構築よりも、零に至るまでの根本的な不思議への究明へと、いつも向かっている。
*「有心」のままではわからないが、「無心」のままでもわからない。「無心」から「有心」に還る。その刹那に「わかる」。これが岡が道元や芭蕉から継承し、数学において実践した方法である。
*岡潔が使う「情」と「情緒」~自他の間を行き交う「情」の世界は広いが、「情緒」の宿る個々の肉体は狭い。人はその狭い肉体を背負って、大きな宇宙の小さな場所を引き受ける。引き受ける場所は、どこまでも具体的である。
*チューリングは「間違う可能性」が、既存の機械と人の心を分かつ重大な能力であることに気づき、やがて機械に「学習」をさせることこそ、機械を心に近づける道であると、確信するに至る。そして、学習を可能にする機械的メカニズムと、そうした過程を背景で支えるニューロンの成長プロセスへと関心が向かった。
*チューリングが、心を作ることによって心を理解しようとしたとすれば、岡の方は心になることによって心をわかろうとした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/03/20

数学する身体 ①

604 若い(30歳)、独立の数学の研究者、森田真生さんの著書である。(新潮社)  森田さんは全国で数学に関するライブ活動も行っている。
 思考の道具として身体から生まれた数学。身体を離れ、高度な抽象化の果てにあるものは何か。必ずしも身体からの完全な遊離ではないと述べているように思われる。
 印象に残ったところを抜粋しておく。
*「認知は身体と世界に漏れ出す」(アンディ・クラーク)
*脳だけを環境世界や身体的な行為の文脈から切り離し、そこにだけ特権的な地位を与えるのが賢明とは思えない。
*ヒルベルト(数学者 1862-1943)は記号の力への深い信頼がある。彼は数学を支える方法としての証明を、そのままそっくり数学研究の対象にしてしまおうと考えた。ヒルベルトが生み出した数学はそのため「証明論」ないしは「超(メタ)数学」と呼ばれている。
*チューリングは「機械」の方から「心」に迫ろうという壮大な企図を持っていた。
*「形式系」や「コンピュータ」は、いずれも人間的直観に依存しない、高度な自律性を目指して設計されている。
*人間の脳の中で「空間」と「時間」と「数」にかかわる情報処理が、すでに分かちがたく融合している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/12

人工知能は人間を超えるか ④

461 松尾豊さん(写真)は、最先端のところを一生懸命に伝えてくれようとしている感じがある。
 現在、ディープラーニングに代表される特徴表現学習の研究は、まだアルゴリズムの開発競争の段階である。
 本の副題にあるように「ディープラーニング」の先にあるものは何だろうか。技術の発展とその社会への影響というのは予測が難しい。ただ、今後、「自動運転」や「家事・介護労働」「翻訳」の分野などでの応用は大いに期待したい。
 最後に、松尾さんがまとめをしてくれているので、長いが引用する。
 「人工知能の60年に及ぶ研究で、いくつもの難問にぶつかってきたが、それらは「特徴表現の獲得」という問題に集約できること。そして、その問題がディープラーニングという特徴表現学習の方法によって、一部解かれつつあること。特徴表現学習の研究が進めば、今までの人工知能の研究成果とあわせて、高い認識能力や予測能力、行動能力、概念獲得能力、言語能力を持つ知能が実現する可能性があること。そのことは、大きな産業インパクトを与えるであろうこと。知能と生命は別の話であり、人工知能が暴走し人類を脅かすような未来は来ないこと。それより、軍事応用や産業上の独占などのほうが脅威であること。そして、日本には、技術と人材の土台があり、勝てるチャンスがあること。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/11

人工知能は人間を超えるか ③

Imagesc54j4s31 いよいよディープラーニングの話である。この本ではディープラーニングのことを「特徴表現学習」と呼んでいる。
*ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量を作り出す。人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自らの特徴量を獲得する。
*ディープラーニングの特色。①1層ずつ階層ごとに学習していく。 ②自己符号化器(オートエンコーダー)という「情報圧縮器」を用いる。
*得られる特徴量や概念の頑健性(ロバスト性)が重要である。頑健性を高めるために、入力信号に「ノイズ」を加える。ノイズを加えても加えても出てくる「特徴」や「概念」はちょっとやそっとのことではぐらつかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/10

人工知能は人間を超えるか ②

Imagess6b2rt20 1960年代の第1次AIブームは「推論と探索の時代」であった。1980年代の第2次AIブームは「知識を入れると賢くなる」というものであった。そして、2000年代の第3次AIブームは「機械学習の静かな広がり」の中で、「静寂を破るディープラーニング」と繋がっていく。
 ディープラーニングに至るまでの中で、印象に残る記述を掲げておく。
 まずは、いくつかの人工知能をめぐる基本的な問題である。
*知識獲得のボトルネック~コンピュータが知識を獲得することの難しさのこと。例えば機械翻訳の難しさがある。単純な一つの文を訳すだけでも、一般常識がなければうまく訳せない。この一般常識の獲得がコンピュータには難しい。
*フレーム問題~あるタスクを実行するのに「関係ある知識だけを取り出してそれを使う」という、人間ならごく当たり前にやっている作業がコンピュータには難しい。
*シンボルグラウンディング問題~身体がないと、シンボルとそれが指すものを接地させる(グラウンドさせる)ことができない。外界と相互作用できる身体がないと概念は捉えきれない。

 次に機械学習についてである。
*機械学習とは、サンプルとなるデータをもとに、ルールや知識を自ら学習するものである。これらの技術は、パターン認識という古くからの研究をベースに1990年代から進展し、2000年代に入り、ビッグデータの時代を迎えてさらに進化している。
*「学習する」とは「分ける」ことである。
*「教師あり学習」とは、「入力」と「正しい出力(分け方)」がセットになった訓練データをあらかじめ用意して、ある入力が与えられたときに、正しい出力(分け方)ができるようにコンピュータに学習させる。通常は、人間が教師役として正しい分け方を与える。
*「教師なし学習」とは、入力用のデータのみを与え、データに内在する構造をつかむために用いられる。データの中にある一定のパターンやルールを抽出することが目的である。
*「ニューラルネットワーク」とは、人間の脳神経回路を真似することによって、分けようというものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/06/09

人工知能は人間を超えるか ①

460 副題は「ディープラーニングの先にあるもの」、松尾豊著、角川選書である。
 哲学でよく扱う「認識」とか、「思考」という問題にもつながってくる。だから、私も興味を持っている。
 いくつか印象に残ったところを挙げておこう。まずは、「知能」や「意識」そのもののことである。
*人工知能研究者の多くは、知能を「構成論的」に解明するために研究している。構成論的とは、「つくることによって理解する」という意味である。
*知能を「入力に応じて適切な出力をする(行動をする)」と定義することは、生物に知能があるのも、人間に知能があるのも、「行動が賢くなると、生きのびる確率が上がる」という進化的意義からすると、有力といえる。
*自分自身の状態を再帰的に認識すること、つまり自分が考えているということを自分でわかっているという「入れ子構造」が無限に続くこと、その際、それを「意識」と呼んでもいいのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015/03/30

おとなの教養 ②

434 池上彰さんは問題の前提となるところや基礎になるところを分かりやすく説明してくれるので、とても参考になる。
 日本と日本人についての話。
*中東でもアフリカでも、日本は高く評価されている。
*中国と韓国は建国神話にもとづいて、反日教育を行ってきたという経緯がある。東南アジアではそういう教育はない。反日教育をしているかどうかが、現在の日本との関係にも大きく影響している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧