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2020/05/19

愛するということ

180

エーリッヒ・フロム著(鈴木晶訳)紀伊國屋書店発行の長年に渡るベストセラーである。

私が気に入ったところを抜粋する。(数字はページ数)

*たいていの人は愛の問題を、「愛する」という問題、愛する能力の問題としてではなく、「愛される」という問題として捉えている。(12)

*愛の問題とはすなわち「対象」の問題であって「能力」の問題ではない、という思い込みがある。(13)

*愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも「与える」ことであり、もらうことではない。(43)

*愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。(50)

*私たちは、人間の魂の秘密に、つまり「彼」そのものであるような、人間のいちばん奥にある芯に、到達したいという欲求を捨てることができない。(53)

*未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。(68)

*誰もが、「愛する」人以外は誰も愛さないことが愛のつよさの証拠だとさえ信じてしまっている。(76)

*一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。誰かに「あなたを愛している」ということができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ。(77)

*たしかに異性愛は排他的である。しかし異性愛においては、人は相手を通して人類全体、そしてこの世に生きている者すべてを愛する。(89)

*誰かを愛するというのは、決意であり、決断であり、約束である。(91)

*私たちは一人ひとり異なっているから、異性愛は、一部の人にしか見られないような、特殊な、きわめて個人的な要素を必要とする。(91)

*愛の本質は協力体制という状態のなかに見られる。(141)

*二人の人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じあうとき、すなわちそれぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。……そうした経験にもとづく愛は、たえまない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業である。(154)

*客観的に考える能力、それが理性である。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。(178)

*自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。自分自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。(183)

*重要なのは自分自身の愛にたいする信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである。(184)

*他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。(184)

*愛されるには、そして愛するには、勇気が必要だ。(188)

*愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。(190)

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