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2019/06/28

幸福と人生の意味の哲学 ②

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(アイロニーというとローティを思い浮かべてしまう)

*実に、人間が為しうる生き方の提案はどれも不可避的な個別性や特殊性をまとっているため、加えてひとは世界と人生に関する絶対的な見通しを有していないため、私たちは人生の複数のタイプを比較して《かくかくの人生はしかじかの人生よりも有意味だ》と正当に言いうる地点に立つことができない。

*重要な意味の「幸福」は、世界の内部で成立したりしなかったりする諸条件で規定されうるものではない。

*《私たちがそうした仕方で見る/見ない》は個別的な出来事であり、これを超えた次元につねにすでに《すべてはあるがままにある》という境域は開けている。

*《すべてはあるがままにある》という永遠的境地に立つことはきわめて大切である。

(以下は、信仰の問題も絡んできて、率直に言って付いていきにくい。私としてはこれらの問題は「幸福」というより「存在」の問題である。存在についての驚き、感謝、そして美などの問題である。)

*自分を「超えた」何かを信じて生きることが、すなわち超越へのある種の「信仰」をもって生きることが重要だ。

*真の信仰は疑いすらもその一部としている。

*《一切があるがままにある》という境地において人生はまさにあるがままの意味をもつのだ、ということ。簡潔に言えば、人生はあるがままの姿で美しい、ということ。美において幸福と意味が交錯する。

 

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