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2018/03/15

観光客の哲学②

862 東浩紀さん(写真)の発想は刺激的だ。
 第2章「政治とその外部」
*『永遠の平和のために』の第三条項の追加でカントが提示しようとしたのは、国家と法が動因となる永遠平和への道とはべつに、個人と「利己心」「商業精神」が動因となる永遠平和へのもうひとつの道があり、この両者が組み合わされなければ永遠平和の実現は不可能だという認識である。
*シュミットにおいては、政治はまず、世界を内部(友)と外部(敵)に分け、共同体(友の空間)を確立する。
*国家を離れ、民族を離れ、他者の承認も歓迎も求めず、個人の関心だけに導かれてふわふわと行動する観光客は、まさに「動物」だと言うことができる。
*観光客は大衆である。労働者であり、消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星上を飛びまわる。友もつくらなければ、敵もつくらない。そこにはシュミットとコジェーヴとアーレントが「人間ではないもの」として思想の外部に弾き飛ばそうとした、ほぼすべての性格が集まっている。観光客はまさに、20世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、20世紀の思想の限界は乗り越えられる。

 第3章「二層構造」
*リベラリズムは普遍的な正義を信じた。他者への寛容を信じた。けれどもその立場は20世紀の後半に急速に影響力を失い、いまではリバタリアニズムとコミュニタリアニズムだけが残されている。リバタリアンには動物の快楽しかなく、コミュニタリアンには共同体の善しかない。このままではどこにも普遍も他者も現れない。それがぼくたちが直面している思想的な困難である。
*観光客の哲学とは、政治の外部から立ち上がる政治についての哲学、動物と欲望から立ち上がる公共性についての哲学、グローバリズムが可能にする新たな他者についての哲学を意味している。
*国民国家の時代はじきに終わり、帝国の時代が始まると考えるのではなく、両体制の共存について考える。
*『存在論的、郵便的』(東浩紀)では、ある時期のフランスの思想が全体として否定神学的な性格を強く帯びていること、そしてそのなかでひとりの哲学者(ジャック・デリダ)がその傾向に抵抗を試みていたことを論証しようとした。

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