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2018/02/23

勉強の哲学①

853 副題「来るべきバカのために」、千葉雅也著(文藝春秋)である。それなりに読まれている。
 この本からすると、「哲学カフェ」はまさに「勉強」の場と言える。私は哲学対話における「勉強」についていろいろ考えたいという姿勢でこの本を読んだ。

 第1章は「勉強と言語ー言語偏重の人になる」である。
*言語は、私たちに環境のノリを強いるものであると同時に、逆に、ノリに対して「距離をとる」ためのものでもある。
*言語使用については、「道具的で目的的」と「玩具的で自己目的的」とがある。
*「言葉遊び的」になる。「言語偏重」になる。…自分のあり方が、言語それ自体の次元に偏っていて、言語が行為を上回っている人になるということです。それは言い換えれば、言葉遊び的な態度で言語に関わるという意識をつねにもつことなのです。…深く勉強するとは、言語偏重の人になることである。

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