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2017/04/11

なぜ人は学ぶのか?

5 第49回人生カフェは平成29年4月8日(土)、14名(男性7名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ人は学ぶのか?」であった。
 最初に、参加者からテーマに関する自らの問いを出してもらった。
 「学びって何?なぜ必要とおもうのかな?」
 「学ぶとどうなる?」「勉強に何を期待しているのか?」「「学ぶ」ことで得られるもの、失くすもの……はあるのか?」
 「学びと勉強は違う意味?」「勉強と習慣の違いは?」
 「学ぶことは苦しいか?楽しいか?」「学ぶことの辛さは楽しさを導くか?」
 「人から押しつけられると学ぶのがつまらなくなるのはなぜか?」「「自分の頭で考える」とはどういうことか?」
 「どういう時に学びたくなるのか?」「学ぶことが大事だと思ったことはあるか?どんな時か?」
 「学びたいと思うジャンルはどう変わるのか?」「目的は学び自体か?(プロセス?) 学ぶ内容が大事か?」
 「人により学ぶ量や深さに違いが出るのはなぜか?(違いがないかもしれませんが)」「博識の人ほどより学びたがるのはなぜだろう?」「学ばない人はいるのか?」
 「役に立たないことを学ぶ意味は?」「答えのない問題をどう学ぶか?」「高度産業社会の中で、人文学(文学、哲学、歴史学、宗教学)を学ぶことの意義・意味は何か?」
 「なぜ『もっと違う考え方がある』と思ってしまうのか?」「できないこと、できなかったことになぜ挑むのか?」
 「学びのない読書は無駄か?」
 「学校での勉強は嫌い、でも人生上の勉強、学びは好きかも?習うは一生!」

 以上の中で、まずは「役に立たないことを学ぶ意味は?」という問いに注目が集まった。大学の人文系の学部が社会にあまり役に立っていないのではないかということで、廃止や縮小の対象とされてきている。果たしてこれでいいのだろうか?あまりに短期的な視点に立っての役に立つか立たないかの判断になっていないか?現在の社会の知の枠組みそのものを問う人文系の学問は長期的に見れば、大いに人間や社会の役に立つものである。

 後半は、メインテーマ「なぜ人は学ぶのか?」を再び意識して、このテーマを軸に対話を展開した。今回はホワイトボードに発言された考えを書くなど、思考の流れをグラフィカルに見える工夫もしてみた。

 なぜ学ぶのかという理由に関しては、ひとつは生物として環境に適応していくため、あるいは人間として社会に適応していくためということがあります。一方で、個人として、自由を求め、個性を発揮していくために学ぶということもある。両者は時に対立し、葛藤する。これをさらなる学びによって克服していくことはできるだろうか?

 最後に一人一人にフリップに書いてもらった。
 「気づいたこと:学びのイメージ=勉強」
 「学びのイメージは勉強のイメージが強い。好奇心で学びをするというイメージはあまりない」
 「真理は汝を自由にする」
 「遊び心(心の余裕)をずっと持ち続けていたい。「自由」のために学び(学習)をしている/きた人のことを覚えていたい」
 「「生きづらさ」と「学び」も結びつくのかぁ……! という気づきのような、再確認のような」
 「生きづらさからの解放の手立ては「学び」だけ?」
 「学びとは、何かしらの変化を企図すること」
 「全知全能ではない私たちは、学び続ける宿命なのか?」
 「思考を深めるのは楽しい」
 「自分がイメージしていた「学ぶ」とはの対話とは違っていましたが、それだけに新鮮でした。若いと思っていても、ますます高齢者の学習に近い……?!笑」
 「学びながら遊び、遊びながら学ぶ。中高年の人生カフェは私にとっての習慣なり!」
 「過学習、偏学習は専門バカにする?」
 「エントロピーを増大させない→「あこがれ」  ファシリテーション・グラフィックを勉強しよう」
 「生物学的に環境に適応するとはどんなことか」
 「「よい教育とは何か」 なぜ自己否定(苦しさ、知的好奇心の枯渇)を深めてしまう「教育」になってしまうのか。またどのような教育であれば、それを出さずにすむか。Personalisedされた教育はそれを克服することはできるが、逆に失われるものは何か?」

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