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2017/02/28

5人会(平成29年2月)

Images146 今年初めての5人会である。今回のテーマは「もし生まれ変わるとしたら」である。
 私の人生は全般的には満足している。素晴らしい人たちに囲まれている。また、一定の才能にも恵まれている。
 しかし、もし生まれ変わるとしたら、一部の身体的な弱点はなしにしてほしい。歯、喉、首などが弱いのには参っている。
 もし生まれ変わって、付加できるのなら、というのはいくつかある。
 ひとつは何かしらのスポーツを楽しめる運動的能力である。また、絵、音楽、カラオケなどの文化的才能である。
 さらに、夏目漱石、手塚治虫、黒澤明くらいのレベルの芸術的才能があったらいいなぁとも思う。人生がものすごく豊かになりそうな気がする。しかし、一方で、苦悩や苦労も一緒に付いてきそうで、それは嫌だなぁとも思う。

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2017/02/27

マリアンヌ

762 結局、戦争による悲劇だ。あまりにも悲しい。
 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「フォレスト・ガンプ」「コンタクト」などの名匠ゼメキス監督はさすがに安定した演出だ。
 ブラピ、マリオン・コティヤール、ともに素晴らしい。
 戦争はお互いの殺し合いだ。この映画はちょっと一方的な見方のような気もする。

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2017/02/23

沙さや

Img_0233Img_0249 定食屋「沙さや」は、私が毎週水曜日夕食に行っている高田馬場のお店である。
 安くておいしい。魚がいい。健康にいい食材を使っている。懐かしい味でもある。
 ご主人、奥さん、息子さんとの会話も楽しい。お客さん同士の話も楽しい。

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2017/02/22

幕が上がる

761 感動した!
 私は演劇が好きだし、演劇の苦労も多少は分かるので、実感も伴った。
 青春の生きてる!という感じが伝わってくる。
 やはり楽しめている時は充実している。

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2017/02/20

尊重するって、どういうことか?

8 第44回人生カフェは、初めての試みで、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。
 平成29年2月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性7名、女性10名、合計17名もの人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①対等な人間関係とは何か?
②共依存とは何か?
③愛とは何か?
④尊重するって、どういうことか?
⑤文化と教養の違いは何か?
⑥教養は必要なのか?
⑦自殺はどうしてだめなのか?
⑧命は何よりも重いのか?
⑨運命って何だろう?
⑩恨みって何だろう?
⑪豊かさとは何か?
⑫人生の後半の生きがいって何だろう?
⑬仕事をする上でお金より大切にしている価値観とは?
⑭アメリカとは何か?

 この中から一つにテーマを絞っていく。今回は大きく分類すると、「人間関係」「文化・教養」「命」「その他人生一般」となるとの指摘があり、新たに「よい人間関係とは何か?」「死とは何か?」といった問いも提案された。その上で、大き過ぎでもなく、小さ過ぎでもなく、参加者が話しやすそうなテーマとして「尊重するって、どういうことか?」が選ばれた。

 後半はこのテーマに沿って、フリーに対話が展開した。
 自分を尊重することができて、他人も尊重できるということがあった。しかし、他人のことなど大体がよく分からないではないか。他人を尊重する基底には信頼関係というものがありそうだ。他人をよく分からなくても、尊重しようとする姿勢そのものが大切……。

 最後に、一人一言ずつ、気づいたこと、新たな問い、感想などを述べてもらった。
 動物でなく、人間だけが尊重ということができそうだ。「他者」というものが改めて気になってくる……。
 こんなことを述べた人もいた。「主に自分の考えを話す人がいる。主に自分のことを話す人がいる。」……

 初の試みであったが、2時間があっという間に過ぎた充実した時間であった。

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2017/02/18

ドクターストレンジ(再見)

760 何と妻と2度見た。2度目は、3D、IMAXだった。一番後ろの真ん中の席という最高の環境だった。
 とてもよかった!超迫力だった。表情なども鮮明にリアルに見れてよかった。思ったより目が疲れなかった。
 迫力のある画面ということもあるし、2回目ということもあるだろう、短く感じた。
 ストーリーをあまり深く考えずに、映像を楽しむ映画である。

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2017/02/15

ぬかじ 六厘舎 田なか

A06b9f692bc340598638f19be2678a95A16d4032177349db8424d3f2482a26d16e0a3be8e9d24d3189d290d4ff36d66b まだまだ引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:渋谷「麺屋 ぬかじ」味玉らーめん 1月28日 見た目もきれいで、おいしいラーメンだ。とんこつ醤油がうまい。チャーシュー、玉子などもいい。メンマは長く、裂いてありあり柔らかくおいしい。野菜やショウガなどのセンスもいい。当然完食!
中写真:大崎「六厘舎」味玉つけめん 2月1日 さすがに六厘舎だ。私の好きなつけ麺である。濃厚ドロドロつけ汁でないのがいい。おいしい味を出している。極太麺はきれいで歯ごたえもいい。スープ割りして、当然完食!
右写真:秋葉原「志奈そば 田なか セカンド」味玉塩中華そば 2月11日 見た目もきれいなおいしい塩そばだ。塩味がきつくないから最後まで飲めて完食!麺もおいしいし、チャーシューは2種類、食べがいがある。メンマや野菜もオシャレ。

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2017/02/14

美徳のよろめき

759 今(現代)の私からすると、理解不能なあほらしい人種の話である。旧貴族の有閑マダムの不倫の話である。
 まさに、よろめいたのだけれど、また元へもどった。
 主人公節子は現実を否認し、自己完結的な美と道徳(まさに美徳)の世界に住んでいる。それは三島由紀夫の独自の世界観でもある。

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2017/02/13

映画はお好き?

16251922_1912778565618430_300721640 人類にとってのメディアの変遷が気になる。
 人類は話し言葉の獲得から、書き言葉、すなわち文字を発明した。この記録媒体としての文字の発明は人類にとって大きな革命であった。ここから歴史も始まる。
 印刷技術の発明も革命である。文字文化が大きく飛躍した。
 次に、写真が発明され、現実を視覚的に切り取ることができるようになった。
 その映像が動くようになった。現実の動きを記録することができる。映画の登場である。
 映画は娯楽であり、芸術にもなった。主に動画と音楽で表現した。視覚と聴覚を抜き出してそこに訴えている。

 映画は大好きである。
 「キネマ倶楽部」といった映画を語る会が近くにあったら、行きたくなる。残念ながら、開催場所は千葉県の柏である。

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2017/02/10

恋妻家宮本

758 私はこういう幸せな映画は大好きである。
 阿部寛、天海祐希は両方とも私は好きであり、とにかくお似合いの夫婦だ。夫婦の愛っていいよね。抱擁したり、手をつないだり、ということでなくても、ただ一緒にいるだけで幸せ。
 脇のエピソードもよくできている。教育のこともうまく取り上げている。教師が生徒ととにかく一緒にいる、見捨てないということの大切さが伝わってくる。
 料理教室の場面もいいし、ファミレスのシーンも面白い。(原作は重松清の『ファミレス』だものね。)
 これらのストーリーを通して、正しさより優しさ(care)の価値が浮かび上がってくる。これは現代の重要な思想である。
 また、適度に依存しあうこと、頼り頼られている関係も生きる張り合いになる。過度に自立を強調する必要もない。そう、まさに自律した協力関係(パートナーシップ)はいいものだ。
 吉田拓郎の「今日まで、そして明日から」の曲も、前から好きだったが、感動的に使われている。

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2017/02/09

哲学カフェにおける対話と哲学性

Imagesri7y2fo8 第7回東京メタ哲学カフェは2月5日に開催され、14名の参加者がいた。進行役は芹澤幸雄さん(さろん哲学)であり、2007年の武田朋士さんの論文「哲学カフェにおける対話と哲学性」を基にして、対話をした。

 哲学カフェの運営者としては、どうしても哲学カフェの集客性や継続性といったことが気になってしまう。しかし、哲学カフェには一回限り、その場だけという刹那性という面があることを見逃してはならない。

 哲学カフェでは、その場所と他者の力を借りることになる。自分一人でよりも、「容易に」「別様に」「明確に」内省を促される。ここに哲学カフェの意義がある。

 最後に出された問いが気になる。
「どういう哲学カフェがダメか? その枠って何だろう?」
「哲学カフェの失敗って何だろう?」
「哲学カフェに哲学性って要るのか?」

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2017/02/06

「問う」とはどういうことだろう?

Medium_2201907500   第43回人生カフェは平成29年2月4日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は本間が進行役(ファシリテーター)だった。前半は机を使い、フリップに書いてもらうなどをし、後半は机を使わず、全員が椅子に輪になって座り対話をした。
 今回のテーマは「「問う」とはどういうことだろう?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「「問う」ことは、まさに「考える」こと?」
 「答えのないものに対しては、「問う」という形で、まず始めていくしかないのか?」
 「問い、好奇心、興味、どう違うの?」
 「問いを立てると、問いかけるはどのように違うのだろう…?」「「自分に問う」と「他者に問う」はどう違うか?どちらが必要か?」
 「「問う」ことは、聴くことの積極的な態度か?」
 「問いの種類はどのようなものか?どれくらいあるのだろう…?」「(問うとき)答えをどこに求めるか?」
 「疑問を持つ人生と持たない人生、どちらが幸せか?」「「問い」によって、悩みが増えるか?」「迷いが大きくならないか?選択肢が増えることが、かえって安心するかも」
 「「問い」と「答え」、どっちが大切か?」「問いと答え、どっちが大事? 答えがないことが多いように思います。そのプロセスも大切にしたいかなと」
 「問う⇒問い⇒考えること 聞いて、みて、考え わからないことを教えてもらうことかなぁ?」
 「何故問うのか?」「問わなかったら、どうなるか?」「問わずに幸せに生きられないか?」

 この後、フリーに対話した。
 問いのレベルとして、「頭」のレベル、「感情」のレベル、そして「腹のレベル」というものがありそうだという話になった。一般には「頭」のレベルで、問いを立て、論理的に考えるというように見る。しかし、「感情」のレベル、さらに「腹」に落ちるレベルの問いと答えというものも大切である。特に、「怒り」や「悲しみ」といった感情から起こる「問い」に注目が集まった。
 「なぜ問うのか」ということは基底となる問いである。 
 これは人生が謎であり、不条理であるからである。問わざるを得ないのである。そして、近代人は、問う⇒考える⇒答える⇒考える⇒問う⇒…… これを繰り返さないと、すなわち思考停止になると生きていけないのである。コマのように、常に問いと答えの回転をし続けることによって、自分を自立させているのである。

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2017/02/04

牝猫たち

757 あんまり面白くも、楽しくもない映画だった。
 かわいそうな人たち(女性も、男性も)が多かった。セックスだけでしか表現できないとしたら、それは寂しい。
 これをたくましいと言えるのか。希望はあるのか。

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2017/02/03

日本において、哲学カフェは哲学か?

20161227130747 2月1日開催の立正大学哲学会2016年度秋冬大会シンポジウムのテーマは「哲学カフェ×哲学教育 -日本において、哲学カフェは哲学か?-」であった。シンポジストは、村瀬智之さん、戸谷洋志さん、木村史人さんだった。
 哲学カフェがブームになってきた社会的・文化的背景として、戸谷さんは3点指摘した。
①コンテンツよりコミュニケーションによって消費される傾向。 (コンテンツが多すぎて、しかも分からないし。)
②権威からの教えよりも双方向的な話し合いが尊ばれる。 (もう権威には頼れないし。)
③癒し。

 私なりのまとめをすると、このような不透明な時代においては先行き不安なのである。そこで、多種多様な生身な他人と接触し、自らを問い、確かめていきたいのである。まさに「対話」ということがクローズアップされる。

 研究者の立場の人たちはやはり私とは異なる。興味・関心、そして目的も異なる。  
 哲学カフェにおいて言えば、そこで出される「問い」の質が異なる。それはそれでいいのである。いずれにせよ、哲学カフェにおいては、「自分にとって」という自分の問題、実存の問題にいつでも立ち戻される。

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2017/02/02

ドクターストレンジ

756 ミラーを使った映像も面白い。主役のベネディクト・カンバーバッチもいい。脇役陣もいい。
 10分に一度アクションの山があり、ウィットに富んだ会話もある。時々ストーリーをまとめる対話も挿入される。これらがうまく配置され、テンポよく進行する。マーベルらしい作りである。
 それほど深い話ではない。アメコミなのだから、それでいい。楽しめればいい。

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2017/02/01

沈黙ーサイレンスー

755 遠藤周作の原作に比較的忠実に描く、これはいい。その上で、ラストのロドリゴの埋葬のシーンにスコセッシ監督の思いが反映されている。日本人の遠藤周作の小説を映画化してくれた75歳になるスコセッシ監督に感謝である。
 農民たちを丁寧に描いているのには感心した。このことは確かに日本の映画には少ないかもしれない。
 信仰の問題になると、キチジローが言うように、「時代」「生まれた時」といったものを考えてしまう。信仰への迫害のない時代もあったのだから。
 あくまでも現代から見るとということだが、無理な布教はよくないことだ。国家や教会が真理や正義を振りかざして、自らの力を誇示し、拡大しているだけという面があるからである。
 このようなテーマは映画より小説の方がじっくり考えられる。だからといって、この映画の意義が下がるわけではない。
 (ひとつ変な感想)
 若い人の殉教はあまりにもかわいそうだ。若者にはまだまだたくさんの可能性があるから。私のような年寄りの殉教の方がいい。無駄に長生きしているより、意味がありそうな死である。そんなにうまくいかないのは分かっている。せいぜい年寄りは、死を賭すぐらいの覚悟で、周囲の人のために考え、行動しろ、くらいのことしか言えないかもしれない。

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