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2017/01/31

悪い人はいちゃいけないのか?

754 私の「行為」を非難・否定してくる人がいる。「あなた、挨拶ができてないわよ。」 これは当たっている場合もあるから、この人を悪い人とは思えない。もちろん腹立たしくなることはあると思うが。
 次に、私の「人格」を否定してくる人がいる。「お前は全く思いやりがない男だなぁ。」これはさすがにひどいと思う。人格攻撃は原則しないのがいいと思っているからである。人格の否定を始めたら、ケンカになるのは目に見えている。だからといって、相手を悪い人とは言えないと思う。人格否定を言いたいだけの背景がありそうな気もするし。
 最後に、私の「存在」そのものを否定されたらどうだろうか。「お前なんか、この世からいなくなればいい!」 これには私は相当に怒るだろう。しかし、言葉で言われただけなら、相手の人間性を疑うことはあるが、相手に悪人というレッテルを張る気はない。まだまだ善の部分がたくさん残っているような気もする。
 これが私を殺しにかかってくる、すなわち身体的・物理的に私の「存在」を全否定してくる人だったらどうだろう。ここに至って、私は初めて、この人間を私にとっての「悪人」と呼ぼうと思う。

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2017/01/30

人とつながっていないといけないのか?

Imagesuvbw3cjv 第42回人生カフェは平成29年1月28日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「芸術の価値とは何か?」「人はなぜ美を感じるのか?」「美を感じる基準は何か?」
 「日本社会・日本人は本当に近代社会・近代人か?」
 「何故、法律を守るのか?」
 「「わいせつ」とは何か?」
 「人はなぜ楽しい事、好きな事だけして生きていかないのか?」
 「必要以上の謝罪をどう思いますか?」
 「謙虚とは?心づかいとは?」
 「疲れたなぁと思ったら、どうしますか?」
 「男脳、女脳とは?」「男性と女性では物のとらえ方はどう違うのか?」
 「お金で買えないものとは何か?」
 「人生が二度あったら…どんな人生を送りたいか?」
 「もし不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?」
 「運がいいとか、悪いとかとはどういうことなのか?」
 「強いアメリカとはどんな事か?」
 「面倒くさい人とは?」
 「エリートとは何か?」
 「なぜスマップは解散したのか?」
 「可能性とは何か?」
 「(必ず)人とつながっていないといけないか?」「フェイスブック、ブログ、ツイッター、ライン…など、人はなぜ繋がりたいのか?」「それでも仲良くしなくてはいけない時って、どんな時ですか?」

 これらの中から、今回は対話のテーマを「人とつながってないといけないか?」に決めた。

 このメインテーマに対して、参加者からサブテーマに当たるものをいくつか出してもらった。
 「独身者は社会の中でなぜある種の引け目を感じざるを得ないのか?」
 「「お前は友達がいないだろ」はなぜ最強の侮辱となるのか?」
 「おひとりさまの死とは?」
 「なぜ自分のプライバシーを明かしてまでネットでつながろうとするのか?」
 「どうして会話をしている相手ともSNSで会話するのか?Facebook,Twitter…」
 「人と人とは良いときでも、悪いときでもつながっていた方がよいような気がするのはだめでしょうか?」
 「淋しいのは嫌だが、人とつきあうのはわずらわしいいのはなぜか?」
 「つながりの強制は無いか?」
 「一個人として、人とつながっていくことをどう思うか?」
 「「つながってる」とは、どこで誰が判断するか?
 「つながる事で、どんな状態を期待するか?」

 これらをもとにして、後半はフリーに対話した。今回は机を使わずに、椅子だけで全員が輪になって対話をした。

 最後に、参加者に、今日気づいたこと、新たに生じた問い、感想などを聞いた。(今回はフリップに書かず、口頭で述べてもらった。)

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2017/01/29

Jポップで考える哲学 ④

753 第5章(最終章)は、「人生」がテーマであり、パスカル、ヤスパース(写真)、ニーチェが取り上げられている。
*日常の息苦しさには3つのポイントがあります。第一に、「僕ら」には最終的な目標が分からないということ、第二に、そうであるにも拘わらず前進しなければならないということ、……第三に、そんな「僕ら」はどこにも辿り着けないということ、です。
*「僕」はそうした不確かな人生をこそ肯定しているのです。……「僕」は、自分の人生を肯定することを通じて、そうした人生を包み込んできた世界そのものをも肯定しているのです。
*決断をして生きるということは、私が「私」であるからこそ選ばれるような生き方をするということです。
*決断は変わることを求めます。
*「私」は自分の人生を孤独に決断しているのです。……孤独は誰にとっても辛いです。だからこそ、自分の道を進むことを選んだ他者に私たちは敬意を抱くことができます。
*そして、自分も「誇り」に思える、ということです。

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2017/01/28

Jポップで考える哲学 ③

752 第4章は「死」がテーマで、キルケゴール(絵の人物)、ハイデガー、サルトルが取り上げられている。
*哲学の世界では、証明不能の問題や考え方を形而上学と呼びます。魂の不死はもっとも代表的な形而上学の問題です。
*就職活動が無意味であるのは由々しき事態ですが、問題なのは、それが自分の本来の生き方にふさわしいかどうかをそもそも考えていない、ということなのです。
*「あなた」以外の死者たちもまた、「私」にとっての「あなた」と同じように、誰かにとってかけがえのない個人であり、たった一人の大切な人であったはずです。

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2017/01/26

Jポップで考える哲学 ②

Ip161028kyd000109000_0000_c 著者の戸谷洋志さん(写真)の論の進め方は明快である。まさに明るく快い。若さを感じる。
 第2章は「恋愛」がテーマであり、ブーバー、メルロ=ポンティ、レヴィナスが取り上げられる。
*失くしてから、初めて気づく。

 第3章は「時間」がテーマであり、ベルクソン、ヴェーユ、バタイユが取り上げられる。
*私たちの日常生活は原則的に目的と手段の関係によって支配されています。……未来へと向かう現在の行為は手段という性格を帯びることになります。
*日常生活において私たちはしばしば待つことに耐えられなくなり、早く未来を招き寄せたいという欲望に囚われてしまうのです。

*手を出さずに、相手の出方をじっと窺うということです。
*「待つこと」は未来がもつ「まだ存在しない」という性質と正面から向き合う行為です。言い換えるなら、それは現在において未来を未来として体験することに他なりません。
*役に立たないけれど意味がある現在のあり方です。
*遊んでいるときの時間は無意味ではないし、だからこそ苦痛でもない、むしろ楽しいものです。
*過去については持続する記憶が思い出されるとき、未来については欲望から自由に何かをじっと待つとき、現在については夢中になって一瞬を生きるときを考えてきました。……どれも日常生活のなかでは見えてこないもので、ある特殊な状況でだけ現れるもの、ということでした。

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2017/01/25

Jポップで考える哲学 ①

751 副題は「自分を問い直すための15曲」である。(講談社文庫)
 著者の戸谷洋志さんは1988年生まれ、まだ28歳である。みずみずしい感覚で書かれており、好感が持てる。哲学的見方に関しては、私と近いものがあり、この点も共感する。
  「私たちは自分たちの言葉で哲学することによって、哲学自体を新たに再形成しようとしている」という意気込みも感じられる。
 「自分」「恋愛」「時間」「死」「人生」の5つのテーマを取り上げる。
 第1章は「自分」がテーマであり、カント、フィヒテ、ヘーゲルが取り上げられる。

*「自分」を考えようとするときでも、考える主体は「自分」です。しかし、考えられる客体も「自分」になってしまいます。そうだとすれば、このとき「自分」が主体と客体とに分裂してしまうのです。
*私たちは一人では「自分」を知ることができません。
*「私ではないもの」が存在しなければ、「私」について考えたり、「私」と語ることはできないのです。

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2017/01/24

なぜひとを殺してはいけないのだろうか

Images145 人類が歴史的・社会的に獲得してきたものがある。すべての人が持つ生きる権利である。それは憲法や法律に明記されている。
 だから、人は特別な理由(正当防衛など)がない限り、人を殺すことができない。殺したら刑罰が科せられることになっている。これが殺人を抑制する力とはなっているのだろう。
 しかし、人を殺したくなる気持ちを持つことはある。あいつがいなくなればという思いである。行動には現れなくても、心の中では殺人を犯している。
 これらは人間の自然な気持ちのようである。だからこそ、これを実行に移さないようにするためにも、「命はなぜ大切なのか」を問わなくてはならない。この問いの変更は重要である。
 命より大切なものはあるのか。それを考えていくと、命が最も大切なもののようにも思えてくる。
 自分の命を大切にできる人は、他人の命を大切にすることに進んでいけそうな気がする。
 自分の命を大切にできない人、その人たちにはどうしたらいいのだろうか。これはなかなかに難しい問題である。

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2017/01/23

品川甚作 永斗麺 いろはや

F3147eb4e29e4931a3a0bdf9adc1d0a41e0deefdd8c04a7a8d26958d04b78b16E89bebf0766141e89adc94c6cc17a950 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:水道橋「札幌らーめん 品川甚作本店」すみれ風味噌ラーメン 1月9日 スープが最後まで熱くて、おいしいのはOK!
中写真:渋谷「永斗麺 神南店」さんまラーメン 1月14日 さんまスープはおいしい。固めの細麺もいい。こういうラーメンは好きである。チーズリゾット(220円)にスープを入れて完食!こちらもおいしかった。
右写真:阿佐ヶ谷「らーめん いろはや」らーめん(大) 1月22日 とにかくスープがおいしい!鶏ガラスープは最高!最後まで熱い。スープがたっぷりとある。

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2017/01/22

エクス・マキナ

750 未来SFは好きである。人工知能に関するこの物語は〈近〉未来かもしれない。
 人工知能が人間を凌駕してしまうかもしれない。そして、知らぬ間に人間社会に潜り込む。……
 人間を傷つけることは止めなくてはならない。しかし、そんなに簡単にコントロールできないかもしれない。原爆などの科学技術の行きつくところの例からしても、それはたいへんな結果をもたらすかもしれない。
 視覚効果、音響の面でも面白かった。

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2017/01/20

置かれた場所で咲きなさい(再読)

Yjimage ノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子さん(写真)が昨年の12月30日、89歳で亡くなった。
 渡辺さんが当時9歳だった時、2.26事件でお父様を目の前で亡くされた。その後、素晴らしいお母さまに育てられた。これだけでもものすごいことであり、涙が出る。
 ご冥福をお祈りしたい。
 今回、この本を再読して、病気や老いのところの記述が特に気になった。それだけ私が年取ってきたということだろう。印象に残ったところを抜き出しておきたい。
*かくて病気という人生の穴は、それまで見ることができなかった多くのものを、見せてくれました。それは、その時まで気付かなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さでした。私は、この病によって、以前より優しくなりました。
*感謝の念と謙虚さが、もしかすると「輝き」となっているのかもしれません。
*私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから。
*一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。
*老いるということにおいて、一番大切な仕事は、ふがいなくなった自分を受け入れて、いつくしむということ。
*持ち時間も体力も、気力さえも確実に減ったとすれば、いきおい何もかもでなく、本当に大切なこと、必要なことを選んでするようになります。かくて、老いは人間をより個性的にするチャンスなのです。
*「小さいな死」とは、自分のわがままを抑えて、他人の喜びとなる生き方をすること、面倒なことを面倒くさがらず笑顔で行うこと、仕返しや口答えを我慢することなど、自己中心的な自分との絶え間ない戦いにおいて実現できるものなのです。

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2017/01/19

雪国

749 あの川端康成の、あの『雪国』である。(新潮文庫)
 今回20年ぶりくらいに再読して、私はえらく感動した。どこに感動したかを細かいところは省略して、要点を述べる。
 人間関係の上下、優劣とか、対等といった尺度ではない。波長が合う、仲がいいといった関係のことでもない。
 「美」と「悲しさ」に直截的に魅かれるのである。静かで、強い力で。それが日本的な愛や情の世界のような気がする。
 このことを20年前は分からなかった。少し間をおいて、また読んでみたくなる名作である。

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2017/01/18

コミュニケーションと環世界

Images144 神保町での哲学カフェである。
 表題についてのレクチャーがあり、その後グループに分かれて対話をした。
 対話の中で面白かったこと。
 言葉の反対語とは論理的に考えるもの。類似語は感覚・感情的に捉えるもの。自分にしっくりくる類似語・同義語を探ることは自分の気持ちを探っていくことに繋がる。

 人に質問をしないのはなぜか。元々質問したいことがないから。自分が知らないことが分かると恥ずかしいから。相手の話の腰を折っては悪いから。詰問調になると悪いから。……
 もっと素直に質問できるといい。相手に関心があることを示すことになるから。分からないことを率直に表明できるから。相手も自分も考えるきっかけになるから。

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2017/01/17

なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか

Imagessp3q38id 1月8日開催の第6回東京メタ哲学カフェについては、「philosophy 愛知」の方が概略的な報告をしてくれているので、私はキックオフトーカー&ファシリテーターとしての感想やその後考えたことなどを書きます。(以下は「である」調になっています。)

第6回東京メタ哲学カフェは、内容上、運営上、いくつか反省点もあるが、キックオフトーカー&ファシリテーターをやった本人は相当に満足している。なぜならば、自分が今関心のあるテーマを取り上げているし、ここで出てきた話は自分の哲学カフェの実践や自分の考えの深化に生かせると思うからである。(このことからしても、他の人もいつかぜひ東京メタ哲学カフェのキックオフトーカー&ファシリテーターになってみてください。)

東京メタ哲学カフェの「メタ」は、今のところ「哲学カフェ」のメタになっていると思う。「哲学」自身をメタするということはあまり考えられていない。私などは「哲学」をメタすることはとても難しいことで、当面はあきらめている。もちろん、これは当面のことではあるが……。

それで、その哲学カフェのメタだが、ひとつは哲学カフェの限界に関心がある人たちがいる。哲学カフェそのものに多少疑問を感じ、哲学カフェの意義や社会的役割などがしっくりきていない人たちである。これらは当然ながら、哲学カフェを運営していない人たちに時々見られる。
一方で、哲学カフェの限界を感じながらも、哲学カフェの実際の運営上の課題や工夫に関心が高い人たちがいる。これらは哲学カフェを現実に運営している人たち、又はこれから運営しようとしている人たちに多い。
両者は関連している。実際、哲学カフェの運営者で、哲学カフェの限界を常に意識している人も多い。そして、両者とも重要なテーマである。
しかしながら、この両者は対話のテーマとしては一応分けて、対話をしていく方が分かりやすいかなぁ、とも今回思った。

さて、今回のテーマ「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」についてである。これは「哲学」とは何ぞや、ということではなく、一般的に哲学カフェで行われている哲学っぽいこととは何か、ぐらいのニュアンスである。
このテーマ(問い)に対する答えとして、「楽しいから」というのが必要十分な答えのような気もする。それぞれの哲学カフェにとっては、「人間的な成長のため」、「人生の幸福を考えるため」、「人々が連帯するため」といったものでもいい。しかしながら、もう少し考えてみたい。

哲学カフェを「複数の人たちがテーマ(問い)について対話すること」とシンプルに定義することは、私は好きである。集まる人たちは日頃の役割や慣習、経歴などからできるだけ離れ、自由になって対話をする。哲学カフェにいる間は、それらの人たちを私は「哲学人(てつがくびと)」、あるいは「対話人(たいわびと)」と呼びたいくらいである。
哲学カフェにおいては、参加者はみんなでまずは「普遍化」を行う。この場合の「普遍化」とは、テーマ(問い)に対して、みんなが納得できる答えを見つけようとすることぐらいの意味合いである。この定義からしても、普遍化は、自分一人では不可能であり、複数の人(みんな)がいなければできないことである。また、哲学カフェにおいては、この普遍化への目標と過程がないと、やはりつまらないと私は思っている。
そして、その上で哲学カフェにおいては、「自分化」という過程がある。「自分化」とは、テーマを自分に引き寄せて、他者と対話をしていく中で、自分の問題として考えるということである。そこには「内省」ということが行われている。それは他者がいないと自分は分からない、ということにもつながる事柄である。だから、複数の他者がいる哲学カフェは意味がある。
この「普遍化」と「自分化」の往復運動が哲学カフェの中では絶えず行われている。このダイナミックスが哲学カフェの醍醐味であり、面白みである。以上が「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」という問いに対する、私の当面の答えである。


ところで、この哲学カフェの業界(?)においても、評論家的な人物が登場しつつある。それは単なるマニアではないし、学者・研究者でもない。
私は「評論家」ということに対して、必ずしも否定的ではない。評論家の登場はこの業界が一定程度発展してきた証拠である。よき評論家がこの業界のさらなる発展に寄与してくれると思う。
もちろん、評論家の限界もある。なぜなら、実践家とは区別される存在だからである。

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2017/01/16

き(聴)くってなんだろう…?

Png4 第41回人生カフェは平成29年1月14日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。
 今回のテーマは「き(聴)くってなんだろう…?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「聞く、聴く、訊く、とは?」「聞く、聴く、訊く、そのときどきでどう使い分けるか?」「ニュースは「聞く」のか、「聴く」のか?」
 「何から、どこから、きくのだろうか?」「きくことが大事なのは、どういうことだろう?」
 「話を聞く楽しさや苦しさは、どこに(何に)あるのか?」「きくことが苦痛の場面の原因はどこにあるのだろう?」
 「聞く力があるとはどういうことか?」「自分が聞きたいことを話させることと、相手が話したいことを聞くことは、どちらが大切か?」
 「「聞く」「聴く」…側はどのような姿勢(心構え)が必要か?」「心に余裕がないと、人の話を聴けない?」「人の話を聞けず、自分の話にすり替える人がいる、なぜだろう?」「聴くことは心づかいか?」
 「きくは一時の恥、きかぬは一生の恥とは?」
 「聞けなくなったら、どうなってしまうのだろう?」

 まずは、「きく」という読みの漢字3つの違いが気になった。「聞く」は心の門のあたりで耳で聞く。「聴く」は耳と目と心で聴く。そして、「訊く」は尋ねる、質問するというような意味ではないか、といった話が出た。
 話は多方面に渡って展開された。少々テーマから外れるかもしれないが、「謝る」ということについてや「ガンバレ」という言葉などについても話された。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
 「聞く…うけとめ方はそれぞれ」「「聞くふりではなく、「聞く」は相手によりそう事」
 「きいたことに対して、自分の中で「変換」して、問い直すという姿勢は、今までの自分に欠けていたかもと思いました」
 「他人からも、内側の自分からも(問いながら)聴けるように心がけたい」
 「聞く 聴く 訊く 相手によって心遣いをする」
 「「聴く」とは、相手に関心を持ち、相手に心を寄り添わせて、想像力を働かせ、愛情をもって受けとめることかなと思った」
 「人に対して聴くとは、相手のそばにいて、相手の話すことばから、相手の心を知ること」
 「きくとは? きく力はあまり必要性はなく、人の話を余裕をもって、きく事ができる事が良い事ではないかなぁ…?」
 「心に余裕があると人の話も聴けて自分が変わって周りも変わるとして、状況が悪いときに心に余裕を持つにはどうすればいいか」
 「聴けない時もある」
 「「話を聞く」って、簡単なようで、実はとっても難しく、奥深いことだと思いました」
 「聴くって何…? 深かった!」

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2017/01/13

団地

748 先が読めないストーリー展開、それが面白い。
 藤山直美、岸部一徳の夫婦の掛け合いが面白い。石橋蓮司、大楠道代の夫婦の方も面白い。そして、団地族の生態もおかしなものである。
 これらは楽しめたが、ラストは少々白けた。阪本順治監督の不得意な分野に入り込んでしまった。

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2017/01/10

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

Images143 誰かのために戦う。そして自らが犠牲になる。これは尊いことだ。
 しかし、敵にも家族がいる。本人に生きる権利はあるだろう。敵も生きているのである。

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2017/01/07

ゴースト・バスターズ

747 今度のゴースト・バスターズは女性4人ということで、とにかく楽しい映画に仕上がっている。
 おデブ系お笑いのメリッサ・マッカーシー最高!
 マシュマロマンや初代ゴースト・バスターズのビル・マーレイなどが登場し、懐かしさもある。面白かった。

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2017/01/06

一笑 すぎ本 熊本玉名

326ebe60da42497bb7620917efedde1002bfddda4fd44d3186a405c66324894171751ab3d084439080da54f64723258c 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:南阿佐ヶ谷「麺処 一笑」ラーメン、プレーン野菜、味付け玉子 12月27日 斬新的なアイデアだ。とんこつに野菜たっぷりの組み合わせ、これはいい!上品で、健康的だ。スープに臭みはない。女性、子どももOKだろう。おいしい、思わず完食!
中写真:鷺ノ宮「らぁ麺 すぎ本」醤油ワンタンらぁ麺 12月30日 すっきりした醤油味のおいしいラーメンだ。見た目もきれい。麺との絡みもいい。ワンタン4つもあっておいしかった。チャーシューも2種類でよかった。
右写真:池袋「熊本玉名ラーメン」味玉ラーメン 1月5日 とんこつ味はまあおいしかった。

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2017/01/05

風見 悠 やまぐち辣式

92eab6f4eb0b4383b0ed6ad1f83e71e2777f7948a7974d5eae28362549827378566c6be372e1425e9095a91327c5a7e3 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」の主に新人賞受賞のお店を歩いている。
左写真:銀座「銀座 風見」酒粕濃厚そば 12月22日 酒粕は面白くおいしい。見た目もきれい。具も高級感がある。銀座的だ。ショウガ、青唐辛子などの薬味を加えていって、変化も楽しめる。完食が当然のような満足感がある。
中写真:大久保「麺屋 悠」味噌そば 12月24日 スープがおいしい。濃くないので最後まで楽しめる。完食。焦がしネギなどがよかった。
右写真:東陽町「らぁ麺 やまぐち 辣式」 エビワンタン塩らぁ麺 12月25日 透き通ったスープの塩ラーメンはおいしい。さすがである。麺との相性もいい。エビワンタンもよかった。

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2017/01/03

うかんむり 改 楓

3c287dc389d544909498fcb586a1926bDd6e0fb84a98437280326e1b986394fb9b34adf250ce449fbd481d25ab117582 「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」の主に新人賞受賞のお店を歩いている。
左写真:練馬「博多水炊きらーめん うかんむり」博多水炊きらーめん 12月11日 これはきれいでおいしいラーメンだ!細麺とスープがよく絡んでいい。スープがおいしくて完食!鶏チャーシューも脂身がなくうまい。
中写真:蔵前「らーめん 改」貝塩らーめん 12月15日 貝スープはうまい!ここまで貝にこだわってくれてうれしい。最後までスープが熱くて、当然完食! 縮れ麺はいい。タケノコ、ワカメなどの具も個性的。チャーシューもおいしかった。
右写真:荻窪「味噌麺処 楓」味噌ラーメン 12月18日 おいしい味噌ラーメンではある。

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2017/01/02

哲学カフェのつくりかた ③

746 前カフェフィロ代表の松川絵里さん(写真)らが、哲学カフェについて、いろいろ考察してくれている。改めて読むと参考になることが多い。

*参加者の発言がうまくからみあって、関係づけられて流れをつくっていくということを大事にしている。(寺田俊郎)
*哲学的な対話をする場を開き続けたい。……他の市民団体の活動と同じ意義を持っている。(寺田俊郎)
*思考や議論のスキルや手続き、ファシリテーション技法にあるのではなく、人々が自分の生活や実践について、互いに率直に語りあう機会を持つことによって、そこで行っている実践の意味や、その場所で生活している意味を自分の言葉で語りなおす。(高橋綾)
*対話の場所をなにかの手段のためにはせず、ただ、この時間を楽しみましょう。(高橋綾)
*哲学対話を必要としない臨床哲学など、ありうるのだろうか。(松川絵里)

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2017/01/01

哲学カフェのつくりかた ②

745 カフェフィロの初代会長の本間直樹さん(写真)は、さすがに哲学カフェのことをよく考察している。また哲学する人、「哲学者」にこだわっている。このあたりを見習いたい。

*考えるとは、困惑と楽しさが同居している不思議な時間である。
*方法を云々する前に、ことばを交わすという経験を十分に重ねることが、当たり前だが、何よりも重要である。
*哲学の対話を、対個人、カフェ、学校、病院、美術館、公共施設と場所を跨いで実践しているひとは、日本以外でもそう多くないようである。教育のため、医療のため、福祉のため、こういう「ため」が現場を分断する。
*哲学者は、学校のため、病院のため、施設のために対話するのではなく、そこに集まるひとたちとともに対話し、いっときであれ、哲学者になることに誘い、役割や慣習からほどかれることを望む。
*哲学者は、出された問いに私だけはどこまでもつきあいますよ、というべきだろう。
*「問答」を通して、自分自身を問う。

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