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2016/12/12

私は特別な存在なのか?

Safe_image 第39回人生カフェは平成28年12月10日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「私は特別な存在なのか?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「私は誰にとって特別な存在なのか?」「「特別な存在」とは、誰が、どのように決めるのか?」
 「「特別な存在」って、どんな人?」
 「そもそも特別な存在って何?」
 「特別な存在と思われるために必要なものは?」
 「運のよい特別扱いをされることは良いことか?悪いことか?」
 「すべての人は「私」である以上、「私」にとって「私」は特別な存在なのではないか?」
 
 この後、何人かの人に、テーマに関連した体験事例を発表してもらった。「どのような時に私は特別な存在と思ったか?」という問いに答えてもらうような形で事例を述べてもらった。
 具体的事例などを参考にしながら、対話は続いた。

 「特別」というのは、普通ではないということである。だから悪いことの例も考えられる。しかしながら、今回はいいこと、ポジティブに捉えるという方向で話が進んだ。
 特別な存在とは、かけがえのない存在、代わりのきかない存在という意味合いで捉える人が多かった。
 他者が私のことを特別な存在と認めてくれているように感じることはある。家族から、友人から、職場の人たちから……、そして大きくは社会から認められている存在の人もいるだろう。
 また、神や天が私を特別な存在と認めるということもあるかもしれない。また、運命が認めるかもしれない。
 そして、何よりも私が私を特別な存在と認めるということ、さらに言えば、私と自己との関係がそもそも特別だという言い方も成り立つだろう。
 私の感覚は私のものである。私の感情は私のものである。私の行動は私のものである。私を私として認知しているのは私だけである。私がせいぜいコントロールできるのは私だけである。一方で、私だけが私自身を外から見ることができない存在である……。
 私が生まれ、私が死ぬ。誰も代わってくれない。私は、私の人生の最後の人間である。
 これらだけのことからしても、私は特別な存在だと言えるかもしれない。

 最後に一人ずつフリップに書いたものを発表してもらった。
 「生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるのも「私」のみ。その意味でも「私」は「私」にとって、特別な存在であるような気がする」
 「生まれるのも一人 死ぬのも一人 与えられた人生そのものがかけがえのないものと感じました。大切なことはみえにくいな~。程々…幸せ!」
 「生まれてきたこと、生きていることに対して「特別な存在である」ということを、子どもの頃からさまざまな形で教えられてきたことを思い出しました」
 「この世に生まれてきた事 一度やめた仕事に復職 一度別れた人と復縁 幸せと思うとともに、ありがたいと感謝 やっぱり私は特別な存在かなぁ?」
 「自分の存在そのものが特別という視点は新しい発見だった。と同時に「存在しているだけで特別」なのだろうか?という疑問も残った」
 「私がいなくなれば世界はなくなる?だから私は特別である?」
 「そもそも「特別な存在」って何?モヤモヤした感じがいくらか鮮明になった感じがして、一安心です」
 「はじめて参加させていただきましたが、とてもたのしかったです。自分だけは特別な存在?それは、自分の眼だけでは、自分のことだけは見ることができないから?ということは感覚(五感)のなかで、視覚は特別?」
 「私は遅れて到着しましたが、それ以前に出た話題が紙に書かれ、かつていねいに説明されたことで、加わりやすくなり、感謝いたします」

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