« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016/12/31

哲学カフェのつくりかた ①

744 カフェフィロ編のこの本は2014年6月出版である。(大阪大学出版会)
 その頃も読んだから、今回は再読である。
 教えられることが多い。最初に読んだ時には分からないことが多かったということである。
 2014年6月に私の主宰する「人生カフェ」がスタートした。それから約2年半の間、実践を重ねてきた。それらの実践によって、この本の理解が進むようになった面はある。やっと私がこの本に追いついてきたという感じである。
 それまでのカフェフィロの実践の厚み、歴史というものも感じた。これは尊敬に値する。

 印象に残ったところを抜き書きしておく。
*哲学カフェで重要なのは、知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問いである。こうした問いは、ふだん私たちが当然のものとして受け入れ、日常生活や会話を成り立たせている隠れた前提に目を向けさせてくれる。(松川絵里)
*「自分が言いたいこと」は何かという、自分自身への興味、もっと踏み込んでいえば、「自分自身が蔵している謎」への興味が、話される。(内田樹)
*「発見」や「わかった」という経験は、「喜び」という感情を伴う、あるいは「喜び」そのものとして感じられる。(ピーター・B・ラービ)
*喜びは学習の後にやってくるのではなく、学習とともにやってくる。(エピクロス)
*喜びは、問題が解けた、答えが見つかったという達成感や、他の人とわかり合えた、考えが伝わったということとは別のもの、自分に起こりつつある何らかの「変化」や「変容」の感覚と同期している。(高橋綾)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/30

グローバリズム以後

743 エマニュエル・トッドの副題は「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」という新書である。(朝日新書) トッドへの何回かのインタビューで構成されている。

 人類学的な革命をもたらす4つの要素を述べている。
①共同体的な信仰の喪失(経済的合理性の喪失)
②高齢化
③社会を分断する教育レベルの向上
④女性の地位の向上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/28

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた②

Images142 原田まりるさん(写真)のこの作品は特に高水準のものではないが、よく売れているし、彼女の代表作になるだろう。
 読んでいて面白いし、これからに期待したいところもある。
 昨日に引き続き、印象に残ったところを書き出しておく。
*存在している理由が「本質」である。存在しているという姿・形が「実存」である。
*人が本質…つまり生きている理由、存在している理由を持たないということは、人は何ものでもなく、自由な存在である。
*私たちは、他人にまなざしを向けられることによってモノと化してしまう。このことを「他有化」と呼ぶ。
*哲学するきっかけ:①驚き ②疑い ③喪失
*真理は二人から始まる。
*すでに人はいろんなことを知っている。そして、その知っていることを理解しなおすのが哲学である。(覚醒)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/27

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた①

742 原田まりるさんの本である。(ダイヤモンド社)
 本のタイトルがそのまま本の内容を表しているが、『もしドラ』のようなテイストで楽しめる。
 ニーチェ以外に、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパースなどの実存主義の系譜の哲学者が登場する。
 舞台が京都なのも、行事やお店などの紹介もあって、観光的にも興味が湧く。
 断片的ながら、印象に残ったところを掲げておく。

*人が何かを悪だと思う時には、悪の反対に、自分を置いている。……悪を決め付けることで、自分を正当化している。
*幸せそうに見える人になる必要はない。ただ誠実に自分の人生と向き合うことが大切である。
*人生は後ろを向くことでしか理解できないが、前にしか進めない。
*苦しみと退屈は繰り返される。
*哲学=生きている意味を考える学問ではない。実存主義=生きている意味を考える思想である。哲学とは、さまざまなことに対して、本当にそうなのか?と疑いを持つことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/25

幸福シート

Png_3Png_2_2第40回人生カフェは平成28年12月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「幸福シート」の作成が課題である。 
 幸福シートとは、下に掲げるような項目のものなのだが、要は過去、現在を振り返りながら、未来へ向けての夢を描くものである。この師走の時期だから、主に来年の夢を考えた。見栄を張ったり、気負いすぎては、よくないだろう。どちらかというと、ゆるゆると、素直に表現するのがいい。
〈幸福シートの項目〉
今、わたしにとって大切な人【現在】
1.家族
2.友人
3. 職場(学校)
4. その他

今までで感謝したい人【過去】

当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】

中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】

どのような人生を送りたいですか【未来】


もう少し幸福について考えてみましょう!

 これからの自らの幸福の実現のために、目標(今後やりたいこと)や課題について書いてみてください。

【場面ごとに】

◎家族の面

◎友人の面

◎職場(学校)の面

◎その他

【要因ごとに】

◎健康の面

◎お金の面

◎趣味の面

◎その他

 上記の前半と後半に分けて、それぞれ参加者に、差支えのない範囲で発表してもらった。そして、お互いに簡単な質問や感想を言い合った。

 夢とは、実現へ向けての「過程」こそが楽しいのかもしれない。
 また、自分の夢と他人との関係も話題になった。他者への貢献が幸せや夢に繋がっていくのではないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/24

ミス・シェパードをお手本に

741 ヴァンで暮らす女性を、15年間も自分の家の駐車場に置かせてあげて、見守っているとは! 作家ゆえか? このこと自体が驚きだ。
 ミス・シェパードは特異な生き方をした人ということになるか? これも一人の人間の生き方だ。
 
 介護という、笑えない現実も見えてくる。

 マギー・スミスはとにかくうまい。
 日本題名の「お手本」というニュアンスはあまりなく、ただただ原題の「The Lady in the Van」といった内容の映画である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/23

神様メール

740 「トト・ザ・ヒーロー」のベルギーの奇才、ジャコバン・ドルマル監督の作品である。
 面白かった。
 神様のパソコンから、人間の余命が各人にメールで流されてしまうという話である。この設定自体が面白い。
 それに私は「余命」という話は好きな方である。自分の生を考えるきっかけとなるからである。
 この映画に登場する神様は、どうしようもなく俗っぽい父親である。これも奇をてらった設定である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/22

ローティ ⑥

739 著者の冨田恭彦京都大学教授(写真)は、最終章の第7章のタイトルを「社会正義」とした。
*ローティは自らの政治的立場を「改良主義的左翼」と規定している。
*おのれを無にすることによっては、理解も認識も不可能となる。こうした考え直しは、いわゆる「解釈学的」哲学だけでなく、20世紀の「分析的」科学哲学や、「分析的」言語哲学においても、確認されることになった。
*よりいっそう正確な表象を与えるものとしてではなく、むしろ、よりいっそう有用な道具を与えるものとして「科学」を描き、人間本性のうちに常に存在してきた恒久的で深遠ななにかを表現しようとする試みとしてではなく、むしろ、人間としてのよりいっそう興味深いあり方を与えてくれるものとして、「芸術」や「政治」を描こうとする。
*「社会正義」や「人権」という考えが、その「偶然」的性格のためにこそ、それを維持発展させる不断の努力が必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/21

ローティ ⑤

735 第6章は「ロマン主義的感性」というタイトルである。
*プラグマティズムの核心をなすのは、真理の対応説と、真なる信念は実在の正確な表象〔写し〕であるという考えを受け入れるのを、拒否することである。ロマン主義の核心をなすのは、想像力は理性よりも優位に立つというテーゼ~理性はただ想像力が切り開いた道をたどることができるだけだという主張~である。
*古代にあった哲学と詩の争いと、もっと最近の科学的文化と文学的文化の争いのいずれにおいても、想像力が本当にいくところまでいって、とんでもないことになりはしないかという、哲学者と科学者の懸念が、その核心にある。……想像力は言語の源であり、思考は言語なしには不可能だからである。この主張に対する反感から、哲学者は言語の使用に媒介されない、言語の使用に先立つ実在に到達しなければならないという強迫観念にとりつかれる。
*確かなものを持たなければどうにもならないという不安がある。この不安は「デカルト的不安」と呼ばれる。
*「理性」とは、真理を得る能力ではなくて、暴力に訴えてではなく、言葉をある仕方で用いて、他の人にある社会的行為をさせる能力だと考えるべきである。人々が共通に認めている振る舞いの仕方を言葉を用いてさせることである。
*具体的なものと抽象的なものの区別は、知覚を報告するのに役立つ表現と、そうした使用に適さない表現の区別でしかない。
*知的、道徳的進歩とは、先行する目標に次第に近づくことではなく、過去を超えることである。
*人間は放っておくと何をするかどうかわからないので手枷足枷が必要だという考え方に対して、ローティ(写真)は徹底抗戦しようとする。その姿勢は、自らを信じ、際限なく自己を変革しようとするロマン主義と、表裏一体をなしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/20

ローティ ④

738 第5章は、「連帯・語彙・ハイデッガー」というタイトルである。
*「連帯志向」(連帯への願望)とは、ある人々と共に生きる上で自分はなんらかの貢献ができた(できている)、その意味で、自分の人生には意味があった(意味がある)とする、自分の人生に対するこうした向き合い方を言う。これに対して、「客観性志向」(客観性への願望)とは、なんらかの人間ならざる実在(ないし真理)と直接関わっていることをもって、自分の人生に意味があるとするものであり、そのようななんらかの実在と自分の人生との関係は直接的で、そこには他の人々は介在しない、こうした姿勢を言う。
*予測と制御に役立つ語彙ー自然科学の語彙ーを超えたところに、われわれの道徳的な生き方や政治的な生き方の語彙、それに芸術の語彙が存在する。
*私たちが新たなことを信じる場合に、3つのものがある。知覚と推論とメタファーである。
*メタファーは、それによって、言葉の理解そのものが変化する。…メタファーは、言語の成長点である。
*ウィトゲンシュタイン、ハイデッガー(写真)、デューイ、彼らの後期の仕事は、建設的というよりも治療的であり、体系的というよりも自己形成的であり、読者に新たな哲学的プログラムを提供するというよりも、哲学するに至った読者自身の動機に疑問を抱かせようとするものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/19

ローティ ③

736 第4章は「自然の鏡に抗して」というタイトルである。
*「認知はすべて言語的出来事である」というのは、つまり、感覚的なもの、感覚与件は、それが言語的に捉えられてはじめて私たちの知識や信念に関わるものとなるということである。
*私たち人間は、ある一定の考えにただ従って生きるしかないというのではなくて、なにか問題に行き当たったとき、質的に異なる考え方を編み出す。それはまさしく「創造的」行為である。
*真理は定まっていて、あとは私たちが自分の心の鏡をしっかりと磨き、その定まったものを正確に捉えるよう努めるだけだという人間観ーつまり、「自然の鏡」的人間観ーへの、異議申し立てにほかならない。
*ローティは、『哲学と自然の鏡』最終章で、「鏡なしの哲学」という表題のもと、「体系的哲学」と「自己形成の哲学」とを対比させ、私たち一人一人が新たな自分へと自らを形成していく、そんな生き方こそ推奨可能な生き方だと主張する。
*ローティは、人間が自らに「認識論」という手枷足枷をかけ、鏡のように、機械のように思考停止しようとするのを、やめさせようとしたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/17

ローティ ②

737 第3章のタイトルは「自己解体」である。
*言語論的転回は、①言葉の日常的・常識的使用と哲学的使用の区別、②語ることと、語ることについて語ることの区別、③示すしかないものを語る適切な手立てとしての、言語について語ること、という考えに基づいている。
*言語について語るというのは、言語の構造とか、その理解の仕方とかを語ることである。
*ローティは、「言語論的転回は言葉だけに注意を向けさせるものであって、言葉が表示する概念に注意を向けさせるものではなく、したがって「退屈な回り道」でしかない」と言っている。
*概念についての考察は、言語表現の用法を考察することによってのみ、進めることができる。
*言語の偏在性とは、思考の「本来の起点」たらんとしたさまざまな候補がことごとく失敗したことによって残された空所に、言語が入り込むことである。(そのような起点の候補には、明晰判明な観念、感覚与件、純粋知性のカテゴリー、前言語的意識構造などがあった。)
*言語分析哲学は、言語に対して自然主義的・行動主義的態度をとることができるようになった。
*ローティの言い方を用いれば、そもそも言語論的転回は、認識論的転回の現代版にほかならない。
*ウィトゲンシュタイン(写真)がわれわれに促しているのは、言語に対する「外在的」視点を得ようとするのをやめることである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/16

ローティ ①

Imagesrrstzwdr 『ローティ』~連帯と自己超克の思想~(冨田恭彦著 筑摩書房)を読んだ。
 ローティ(写真)は私の好きな哲学者である。
 この本はローティについて私の知らないことをたくさん解説してくれている。また、基本的な哲学用語の勉強にもなった。
 第1章は「生涯」についてであり、第2章は「言語論的転回」についてである。

*「還元主義」とは、人間が信ずべきことをある少数の特殊な真理にすべて基づくものとする考え方である。
*「実証主義」とは、人間が五感で観察できることを最後の拠り所とすべきであるという考え方である。
*「記述理論」とは、文の見かけの構造ないし形式に対して、その真の構造、つまり論理的構造ないし論理形式を明らかにする手法である。
*「経験科学」とは、観察や実験に基づいて確かめることができるような科学のことである。(総合的真理)
*「形式科学」とは、数学や論理学のように観察や実験には基づかないけれども、その重要性が認められている科学のことである。(分析的真理)
*「意味規準」とは、ある「提案」であって、なんらかの「真理」を表明しているわけではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/15

ふるめん 味噌蔵 麺珍亭

Ae3ae00138d84b47884cfa0a2327af3bF638e84c6b6c4e0f85fa5730f3d5b6d6Cc99fb02cfb841728e199fef778d568c 新しいお店や老舗を訪ねてみた。
左写真:六本木一丁目「ふるめん」煮干ししょう油らーめん 12月3日 きれいなラーメンである。スープが熱くて、煮干し味もいい。
中写真:新大久保・東新宿「木桶仕込 味噌蔵」木桶仕込みそらーめん 12月4日 ど・みそ系の味噌ラーメンはおいしい。味噌がいいのだろう。麺との相性もいい。
右写真:早稲田「東京麺珍亭本舗」油そば一玉(半熟玉子、青ネギ) 12月10日 相変わらずおいしい。以前より少々あっさりした味だった?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/13

ザ・ラーメン屋 JUN PEY 桂花

11281610f73345758bd9af0d5de347d665b77c731c004690a6652c0c67b9b5f26fd1cde470b144beba5fdfe9199a300e 用事があって、行く先々のラーメン店に立ち寄ってみる。当たりはずれもある。
左写真:横浜・日本大通り「ザ・ラーメン屋」牛タンラーメン 11月18日 1100円はちと高い。
中写真:上石神井「JUN PEY ra-men」とんこつ醤油らーめん 11月20日 家系ラーメンっぽい。
右写真:池袋「熊本ラーメン 桂花 池袋西1番街店」 細麺太肉 11月24日 久しぶりの桂花ラーメン。細麺というのは初めての経験。キャベツはよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/12

私は特別な存在なのか?

Safe_image 第39回人生カフェは平成28年12月10日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「私は特別な存在なのか?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「私は誰にとって特別な存在なのか?」「「特別な存在」とは、誰が、どのように決めるのか?」
 「「特別な存在」って、どんな人?」
 「そもそも特別な存在って何?」
 「特別な存在と思われるために必要なものは?」
 「運のよい特別扱いをされることは良いことか?悪いことか?」
 「すべての人は「私」である以上、「私」にとって「私」は特別な存在なのではないか?」
 
 この後、何人かの人に、テーマに関連した体験事例を発表してもらった。「どのような時に私は特別な存在と思ったか?」という問いに答えてもらうような形で事例を述べてもらった。
 具体的事例などを参考にしながら、対話は続いた。

 「特別」というのは、普通ではないということである。だから悪いことの例も考えられる。しかしながら、今回はいいこと、ポジティブに捉えるという方向で話が進んだ。
 特別な存在とは、かけがえのない存在、代わりのきかない存在という意味合いで捉える人が多かった。
 他者が私のことを特別な存在と認めてくれているように感じることはある。家族から、友人から、職場の人たちから……、そして大きくは社会から認められている存在の人もいるだろう。
 また、神や天が私を特別な存在と認めるということもあるかもしれない。また、運命が認めるかもしれない。
 そして、何よりも私が私を特別な存在と認めるということ、さらに言えば、私と自己との関係がそもそも特別だという言い方も成り立つだろう。
 私の感覚は私のものである。私の感情は私のものである。私の行動は私のものである。私を私として認知しているのは私だけである。私がせいぜいコントロールできるのは私だけである。一方で、私だけが私自身を外から見ることができない存在である……。
 私が生まれ、私が死ぬ。誰も代わってくれない。私は、私の人生の最後の人間である。
 これらだけのことからしても、私は特別な存在だと言えるかもしれない。

 最後に一人ずつフリップに書いたものを発表してもらった。
 「生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるのも「私」のみ。その意味でも「私」は「私」にとって、特別な存在であるような気がする」
 「生まれるのも一人 死ぬのも一人 与えられた人生そのものがかけがえのないものと感じました。大切なことはみえにくいな~。程々…幸せ!」
 「生まれてきたこと、生きていることに対して「特別な存在である」ということを、子どもの頃からさまざまな形で教えられてきたことを思い出しました」
 「この世に生まれてきた事 一度やめた仕事に復職 一度別れた人と復縁 幸せと思うとともに、ありがたいと感謝 やっぱり私は特別な存在かなぁ?」
 「自分の存在そのものが特別という視点は新しい発見だった。と同時に「存在しているだけで特別」なのだろうか?という疑問も残った」
 「私がいなくなれば世界はなくなる?だから私は特別である?」
 「そもそも「特別な存在」って何?モヤモヤした感じがいくらか鮮明になった感じがして、一安心です」
 「はじめて参加させていただきましたが、とてもたのしかったです。自分だけは特別な存在?それは、自分の眼だけでは、自分のことだけは見ることができないから?ということは感覚(五感)のなかで、視覚は特別?」
 「私は遅れて到着しましたが、それ以前に出た話題が紙に書かれ、かつていねいに説明されたことで、加わりやすくなり、感謝いたします」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/09

夏目漱石没後100年

15390674_368751513474584_6300672350 今日はまさに夏目漱石没後100年に当たる日だ。
 昨日は、夏目漱石国際シンポジウム(フェリス女学院大学)に出席して、小森陽一さんの講演を聴いた。
 漱石没後百年だ!「百年待っていてください…きっと逢いに来ますから」(夢十夜)
 雑司ヶ谷のお墓は賑わっていたそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/08

空気に流されず、対話するにはどうする?

Metat5 対話が困難な状況としてはいくつか想定できる。
 自分語りばかりしている人がいる、知識の披露ばかりしている人がいる、言い争いになっている、誰もしゃべらない、常連参加者同士が仲が良すぎる、参加者たちの知識・経験があまりに差がある……。
 これらへの対応については、その対話の会の目的・趣旨によって異なるだろう。それゆえに、対話の会の目的・趣旨は明確に打ち出していった方がいいだろう。

 私の主宰している「人生カフェ」においては、グランドルールに則って、一般的にはその場の雰囲気に沿って運営していく。しかし、時にはその場の空気を破るような方向へ持っていくこともある。
 それは少数の意見に注目する場合である。
 これができるのは、もちろん私がその少数意見に関心を向けるからであり、また、その少数意見を取り上げることができるほどの力量が一定程度あるからでもある。
 この際には、他の多数者への配慮や時間的制約への配慮なども併せて必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/06

Mirror 鏡の中の世界は映像の世界、視覚によるだけの世界である。音やにおいや味や触感はない世界である。
 自分だけでなく、他者も同様に見ることができるものであり、その意味では客観的な像のように思われる。だから鏡に写る自分の姿を見て、真実を見せつけられた気がして、ドキッとしたりする。
 過去の映像を封じ込めたものではない。写真や動画とは異なるのである。コピーして、拡散はできない。
 まさに、いま、ここだけの映像である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016/12/02

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

734 予想していたよりは面白く感じられなかった。
 魔法使いと魔法界の動物たちのファンタジーである。私には少々見飽きた感じがある。
 原作本に基づいたストーリー展開なのだろう。ハリー・ポッターのファンにはマニアック的に楽しめるのではないか。スター・トレックのファンがスタ・トレの映画を楽しむように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »