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2016/11/01

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ⑤

721 第6章からは「なぜ幸福であるべきか」を問うていく。
*「幸福とは何か」についての諸説は、「なぜ~ある意味での幸福について~幸福であるべきか」を同時に論じている。
*幸福について、「快楽説」「欲求充足説」「客観的リスト説」の一つだけに誓いを立てて生きるのは、不自然で無理のある生き方と言えるだろう。たくさんの「軽い」選択においてそれらを日替わりで選ぶからこそ、人生には多様な幸福が生じ、多様な未来の可能性も開かれる。
*「幸福である」多くの事例を示すことは、「幸福」の立派な説明であり、上記の3説に関しても、そのすべてに共通する「幸福」の本質を見つける必要はないかもしれない。
*上記3要素が有意味な集合としてまとまっている理由を、3要素のうちの複数がしばしば同時に実現する点に求め、この同時実現をたんなる偶然の同時実現と区別して、「共振」と呼びたい。
*3説のどれを支持する人でも、快楽、欲求充足、客観的な人生のよさのすべてが一度に得られた場合に、どれかを放棄することはしないだろう。それらを同時に得ること(共振)はけっして珍しくないのであり、それが可能である以上、私たちはそれを頻繁に狙う。
*幸福とは立体構造における多数の「共振」の集合である。快楽だけでも欲求充足だけでも、そして客観的な人生のよさだけでも、幸福を得ることはできない。ある一つの行為選択が、立体構造における複数の問いに同時に答えること。つまり、「何」の問いから、「なぜ」の問いまでが、共振のもとで一挙に答えられること。

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