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2016/11/02

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ⑥

718 最終章(第7章)は、「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」である。青山拓央さん(写真)が最も書きたかったところかもしれない。
*本書の問題意識は、この現実の世界~とりわけ現実の「今」~を他の諸可能性と対比するとはどういうことか、というものである。
*単純かつきわめて重要なのは、現にこの世界にいるわれわれにとって現に在るのはこの世界だけでありながら、にもかかわらず、他の諸可能性への思考がわれわれの生の根底から支えているように見えることである。
*反事実的な諸可能性や未来の諸可能性がもしなかったら……。あるいは在ってもそれらを「選ぶ」主体が存在しなかったら……。これらが在るということが「錯覚」かもしれない。
*この錯覚のなかに幸福と不幸が在り、その錯覚は人間にとっての「現実」だと言える。
*客観的幸福は「主体外在性」だけでなく、「時間外在性」や「世界外在性」をもつ。そして、私を教育するものとしての他者は、集団の利益だけでなく、この今を超えた時間(もっぱら未来)と、この現実を超えた諸可能性に訴えることで、私の主観的幸福のあり方を律する。
*主観的幸福と客観的幸福をただ二分することはできず、その主観性の内には客観性があり、客観性の内には主観性がある。

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