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2016/11/30

嫌われる勇気(再読)

Imagessfalqb3o 今回、岸見一郎さんと古賀史健さん(写真)のこの本を再読して、改めて印象に残ったところを書いておく。
 「課題の分離」は入り口であり、出発点だということである。基底にあるのは、「仲間」とか「対等」という意識である。また、目指すのは、相手との「win - win」との関係であり、さらに「シナジー効果」(相乗効果)である。
 相手を屈服させる必要はない。負けてもいい。もうリタイアしているのだし。自分の道を淡々と歩めばいい。
 「他者貢献」は大切だが、独りよがりになっていないかは気をつけなければならない。他者にも、自分にも、常に心が開かれていたい。柔軟に対応でき、変化させていきたい。

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2016/11/29

こまば哲学カフェ

Img_0144 東大・駒場祭の「こまば哲学カフェ」、3コマ参加した。
11月26日(土)は、「どうする?!子どもの英語教育~親はなぜ子どもの英語教育に不安を感じるのか?~」 はなこ哲学カフェらしい企画で、good ! 清水さんによる子どもと一緒の英語ゲームも面白かった。
11月27日(日)は「短歌×哲学対話」 短歌は参加者がその場で共通に鑑賞できる言語の作品だから、哲学対話とは相性がいいと思った。
「出張!!SPA  第2弾」(立教大学)は、「三色発言カード」を使っての哲学対話。これも初めての経験で面白かった。

どれも実験的なところがあって、とんがっているところがよかった。若い人たちは頭の回転が早いから、サクサクした感があって、それもよかった。

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2016/11/28

嫌われる勇気

728 第38回人生カフェは平成28年11月26日(土)、8名(男性2名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は、『嫌われる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教え~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
 「原因論と目的論」(28)
 「なにが与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか」(44)
 「人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている」(107)
 「課題の分離」(147、153)
 「自由とは、他者から嫌われること」(162)「嫌われることを怖れるな」(163)
 「より大きな共同体の声を聴け」(193)
 「肯定的なあきらめ」「「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める」(228)

 上記について、しばらく対話した後に、次に、この本の中で気になった個所(疑問に思った個所)を挙げてもらった。
 「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」(70)~自分自身だけの悩みというのもあるのではないか?
 「論理の言葉を信じる」(106)~論理だけを信じるということはできるのか?
 「誰の課題なのか?」(140)
 「信用と信頼」(231)
 「他者貢献・他者信頼」(237)~信頼と貢献ということがとても重要なことであるとは思うが、それらがストンと胸に落ちない。
 「題名と青年の突然の気づき」~本のタイトルはしっくりこない。最後に青年が突如として悟ったような感があり、そこに違和感を覚える。

 以上を踏まえて、さらにこの本についての対話は続いた。
 この本には対になるキーワードがいくつかある。
 原因論~目的論
 縦の関係(上下)~横の関係(対等)
 ほめる・叱る~喜ぶ・感謝・お礼
 他者からの承認~他者への貢献
 依存~自由
 行為のレベル~存在のレベル

 現状は上記の左の方の考え方に支配されている。それを右の方の考え方に変えていこうというのがこの本の主張である。納得のいく強い主張であるが、極端に右の方にいくと問題も起きそうである。

 対話の中で、「自然に」「素直に」誉めたり、怒ったりすることができれば、それはそれでいいのではないかという話も出た。また、「自由」になる勇気が、幸せと関係しているのではないかという話も。さらに「勇気」ということがこの本の底に流れるテーマではないかという話も出た。

 最後に、感想等をフリップに書いてもらった。
 「〈嫌われる勇気〉 素直な自由 素直な勇気 素直な嫌われかた 素直に幸せになれる勇気!!」
 「素直に、率直に、ほめる、叱る、ことについて? 「勇気」について?」
 「人はいま、この瞬間から幸せになることができる(250)←を、信じて、いまできることを真剣かつ丁寧にやって(生きて)いきたい。(272)」
 「みんなの意見を聴けて良かった。誰の課題なのか?10年前のことを思い出しました。今のままで幸せ!!」
 「この本は何度も読み込んで来たが、他の人の話を聞いて自分の思い込みで読んで来たなと気づかされる点がいくつもあった。本も思い込みで読んでいることに気づけたことも大きな収穫でした。ありがとうございました。」
 「また、この本についてか、次の『幸せになる勇気』の会を作って欲しいと思いました」
 「このような形の会に初参加だったのですが、皆さんの経験に基づく考えを聴かせていただけて、一人で本を読むのとは別の楽しさに出会うことができました。ありがとうございました。」

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2016/11/24

聖の青春

733 病(特に死に至る病)というものに、考えさせられる。強く無念さを持った人たちがいるということである。私はその点、幸せだ。
 感動作に仕上がっている。将棋のことがよく分からなくても、ついていける。(勝負の世界は厳しい!)
 ポイントを押さえ、余韻を持たせた、スローなテンポで作ってある。これは私のような年寄りにはいい。

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2016/11/22

生きる価値がない?

Imagesep1aiung 「価値」とはお金のこと? 量的に測れるものしか価値はないのか。
 主観的なものだけではすまない事態も想定される。重度な認知症、植物状態の人間などの場合である。
 その場合、客観的な判断とは何か。一つは量的に測れるものということになるのか。それと大多数の他人の判断ということになるのか。
 価値というのは「幸福」と似ているところがある。基本的には主観的なものだと思うが、上に述べたような客観的と言われるものの要素も入り込んでくる。

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2016/11/21

本をとおして対話を楽しもう

732 「対話カフェ」(本をとおして対話を楽しもう)に参加した。
 本を素材にした対話は好きである。足が地に着いたような対話ができるような気がする。話が本に戻ることができるので、話のブレや拡散が少なく、話が深まっていくような感がある。
 そして、一人で本を読んでいた時よりは、他の人の目が入ることにより、多様な見方ができるようになり、本をより深く味わった気持になる。これはとても楽しい。

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2016/11/20

この世界の片隅に

731 7年前に原作を読んだ時の感動は半端でなかった。今でも覚えている。震えて涙が出た。私の漫画ベスト3に入る。
 今回のアニメーション化に喜び、感謝する。戦争に反対し、平和を望んでいる人たちの力によって、このアニメが完成した。戦争には絶対反対だ。素晴らしい反戦映画になっている。
 すずさんは女性として普通に生きている。たくましく生きている。その日常の生活を生きる力は大きい。その日常の暮らしは守りたい。
 どうしようもない時代の制約はあった。女性の立場は低かった。そのような中での、すずさんの天然なところが輝いている。好きになる。多くの人に愛されるキャラであろう。
 すずさんが愛する女の子を亡くす。すずさんが好きな絵を描くための右手を失う。これがどんなに辛いことか…。
 原作の力が強かった。だから、このアニメは成功している。こうの史代さんの思いが込められている。監督の片渕須直さんもアッパレ!のんさんの声も合っている。いい起用だった。

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2016/11/19

桜花 えぞ菊 ソライロ

A8df64278e8c4f519a77236c4aa8bc78E22f023585464491a2eac35b995e4edb11ef5c5b879f473f91635aab06ceccac行った先々でラーメン店に訪問している。
左写真:新宿御苑「新宿御苑 らーめん 桜花」スパイシー御前らーめん 11月5日 ハラルラーメンを出している。だから店内はイスラム系の人たちで満員。細麺なのがいい。スパイシーさも丁度いい感じである。鶏肉、玉子のトッピング、スープをかけて食べるご飯もよかった。
中写真:西早稲田「えぞ菊 戸塚店」味噌ラーメン 11月10日 久しぶりに食べた。懐かしい味であり、おいしい。メンマがうまい!味噌スープも飲める。これがおいしい。
右写真:東京駅「ソライロ NIPPON」ビーガンベジソバ 11月13日 ラーメンという感じではない。ベジタブルスープのヌードルだ。スープはおいしくて完食。ユズ胡椒を入れて、ピリッとしておいしかった。

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2016/11/17

「いい質問」が人を動かす

730 弁護士・谷原誠さんの言わんとしていることには共感する。(文響社)
*人間は、他人から言われたことには従いたくないが、自分で思いついたことには喜んで従う。だから人を動かすには命令してはいけない。自分で思いつかせればいい。
*人をその気にさせるには質問をすることである。また、人を育てるには質問をすることである。
*質問をされると、①思考し、②答えてしまう。まるで強制されるように思考し、答えてしまう。

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2016/11/16

生命現象というシステム

729 このタイトルの文章の著者・福岡伸一さん(写真)には、いろいろ教えられることが多い。生物ということに関してである。
*生命は、自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物は必ず死ぬというのは実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、動的平衡は別の個体に移行し、リセットされる。

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2016/11/15

ボランティアの「報酬」

02 金子郁容さん(写真)の表題の文章が、私には強く響いた。
 ボランティアの意味、私にとっては具体的には哲学カフェ・哲学対話の活動の意味が少し明らかになったようで、とてもうれしかった。
*その人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、だれか他の人の力によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアの「報酬」である。
*「内なる権威」に基づいていること、自発的に行動すること、何かをしたいからすること、きれいだと思うこと、楽しいからすること、などが「強い」のは、それらの力の源が「閉じて」いて、外からの支配を受けないからだ。しかし、ボランティアが、相手から助けてもらったと感じたり、相手から何かを学んだと思ったり、だれかの役に立っていると感じてうれしく思ったりするとき、ボランティアはかならずや相手との相互関係の中で価値を見つけている。つまり、「開いて」いなければ「報酬」は入ってこない。このように、ボランティアの「報酬」は、それを価値ありと判断するのは自分だという意味で「閉じて」いるが、それが相手から与えられたものだという意味で「開いて」いる。

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2016/11/14

なぜ私たちは対話するのか?

Images_4 第37回人生カフェは平成28年11月12日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ私たちは対話するのか?」である。
 対話とは何か、ということでいくつかの定義はあるが、今回は一応、ここでは対話とは異なる考えや価値観を持つ者同士が話をすることを指すとした。同じような考えや価値観を持っておしゃべりをする「会話」とは異なるとした。
 まずはメインテーマに対しての自分なりのサブテーマ(問い)を出してもらうことから始めた。
 「「会話」ではなく、「対話」から得られるものは何か?」「対話によって何を得たいのか?(ゴールは?)」
 「なぜ対話に拘るのか?(対話でなくてもいいじゃないか?)」「対話とコミュニケーションとの違いとは?(対話とコミュニケーションは同じかなあ?」「ネットで対話はできるか?(顔が見えることが条件か?)」「文字だけで対話できないか?(顔を隠してできるか?)」「話せなくなったら対話はできないか?」
 「対話をしないで生きていくことはあるか?(可能か?)」「対話は問題解決のベストな方法になるか?」「対話は分断を癒せるか?」「なぜ対立するのか?」
 「対話に必要なスキル・態度は何か?」「相手への想いや、継続の中で、対話は形成されていくのではないか?」
 「対話している様で、そうではないことが多いのではないか?」「対話(する)において「心の境界線」は必要か?」
 「大切なのは、結論か?過程か?」

 この後、今回は全員に「なぜ私は対話するのか?」に答えてもらった。(「私は」であって、「私たち」ではない。)
 「①情報収集 ②自分の考えを広め、深める ③人を理解する」
 「対話する相手が好きだから」「相手を理解するため」「「相手」(自分)を愛するため」
 「自分を変えるため。対話することにより、人の話を聞けるようになった」「自分自身の許容範囲を広げるため」「自分の信念に揺さぶりをかけるため」「自分が有利になりたいから」
 「会話は楽しいが物足りない。対話のなかにこそ、何か(気づき、ヒント)を見出せるような気がするから」「自分の考えの普遍性を確かめるため(対話の場でないと聞いてくれない!)」
 「キャリア相談の場面で、対話的支援が必要だから」

 この後、テーマに沿って、フリーに話をし合う。
 ひとつ人種、民族、言語、宗教などが異なる者同士の対話をイメージする。そこではお互いが争わないために、トラブルを起こさないようにするために、あるいはトラブルが起きたときにうまく解決するために……、すなわちお互いを理解し、仲よく暮らしていくために、対話は必要のようである。究極的には、対話は殺し合わないために必要である。
このように対話は異なる者同士が共存していくために必要なものとして、捉えられる。
 一方で、対話により、共同で真理を探究しようとする営みがある。一人では容易ではないが、集団で普遍性を追究する。これは贅沢な行為のようであるが、不確実、不透明な時代においては特に求められるものである。
 上の2者の底に流れているのは、お互いに共通な、確固としてものを見つけようとする意識である。共通基盤が見つかれば、それを拠り所にして、みんなが協力して先に進めるという感覚があるからである。

 以上のようなことをはじめとして、様々な話が展開したが、時間切れとなった。最後にひとりひとりにメインテーマについてフリップを書いてもらった。
 「愛するために!」「相手を理解する」「結論:対話の目的は他者と分かり合えるため」
 「私たちは独りでは生きていけないから対話をするのではないか(生きていくため)」「対話は人生を豊かにする」「対話といふは相手を通しての自己発見と見付けたり」
 「まず相手に対する信頼があって対話が進められるように思った」「日常的に対話の端緒を見出して、対話を形成していけたらいいな」
 「本日までは、ネットでも対話はできそうだ!(人工知能でもできそうだ) 生身の人間の必要性がわからなかった」
 「他者(相手)がいることの意味は大きい。「漂流」している中で、何かしらみんなと共通の島を見つけたい気持ちがある」
 「中高年の人生カフェに参加して、皆の話を聞き、話をすることが対話かなぁ?」

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2016/11/13

ヴィンセントが教えてくれたこと

727 ヴィンセントのようなダメおやじは、やはり私には受け入れられない。
 主役のおじさん役、ビル・マーレイはさすがにうまい!


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2016/11/12

しゃきしゃき 鷹流 俺の空

741bb37d5d954aa08bd600388a1d1c5f9bc53bda84824af69ad36515de7df8664d131cecb55440fcb26b98525c8decaf 何度が訪れた私の好きなラーメン店3店である。
左写真:錦糸町「本店 タンメンしゃきしゃき」タンメン 10月1日 相変わらずの味でおいしい。野菜たっぷりなのがいい。餃子と合わせて千円は安い。
中写真:高田馬場東側「屋台らーめん 鷹流」味玉白湯麺 10月2日 相変わらずおいしい。きれいなラーメンである。スープが絶品。薄いようでいて、コクと深みがある。鶏肉などの具もよい。
右写真:高田馬場戸山口「俺の空」掛け豚そば 10月29日 何度も食べているが、これは私のお気に入りである。細麺なのがいい。豚スープとよく合う。刻みタマネギの甘みがいい。ばらけた豚チャーシューも食べやすい。完食である。

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2016/11/11

活龍 神仙 福たけ

Img_0019Img_0020Img_0026 歌舞伎町・大久保公園のイベントの続きである。
左写真:「つけめん らーめん 活龍」ウニのつけめん 10月20日 濃いが、まろやかなつけ汁がいい。太麺ともよく合う。チャーシュー、メンマも柔らかくておいしい。スープ割りしてもらって完食!
中写真:「金澤濃厚中華そば 神仙」濃厚味噌「炎炙」肉盛りそば 10月22日 ラーメン系では一番の行列。味噌スープがコクと深みがあり、おいしい。味噌がいいのだろう。食後まで味が口に残る。スープは油のせいで、最後まで熱い。
右写真:「福たけ」房州干物と岩手鴨の極中華(特製とっぴんぐ) 10月25日 トッピングはどれもおいしい。豪華である。スープも熱くて、いくつもの味がミックスして、うまい。値段は高かったけれど(1160円)、満足である。

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2016/11/10

稲葉 田代こうじ くり山

Img_00139cfb01b2e14a4a50a503ff93bd8fe172Img_0016  今年も「大つけ麺博 つけ麺VSラーメン」(本当に美味しいのはどっちだ決定戦)が行われた。第2回目に当たる今年は、10月6日から31日まで、新宿歌舞伎町の大久保公園にて、4サイクル実施された。
 私は全部で6軒(つけ麺4軒、ラーメン2軒)行った。環境条件が悪い中、どのお店も頑張っていた。
 つけ麺は容器が貧弱で、見た目が悪いが、味はよかった。
左写真:「麺堂 稲葉」つけめんウルトラソウル激鶏白湯 10月6日 うまかった。濃厚な鶏白湯は太麺パスタを食べているような感覚になる。鶏肉、メンマなどがおいしかった。
中写真:「田代こうじ最強軍団」花咲ガニの濃厚つけ麺 10月10日 トップを狙う意気込みがすごい。カニはやはりおいしい。濃いがマイルドな味は最高!スープ割りも自慢するだけあってうまい。当然完食して満足。
右写真:「くり山」つけめん 10月13日 この種の豚骨魚介系のつけ汁は好きである。昆布粉を混ぜてある麺もいい。スープ割りも温かくてうまかった。

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2016/11/09

渡なべ づゅる麺池田 ムタヒロ(味噌)

B7ea69edb4d744228d558e905cef00aa_2B2796c1297394a57a3d6d51bd7cdc8d5A779bbe77c9e4035a9e0aad1c65da94a 9月に行ったラーメン店を紹介する。
左写真:高田馬場東側「渡なべ」味玉らーめん 9月16日 時々食べたくなる好きなラーメンである。メンマは大きい。おいしかった。
中写真:目黒「づゅる麺池田」つけ麺 9月18日 つけ汁はだんだんとうまさが分かってくる。濃過ぎない良さがある。レモンも効く。スープ割りもうまい。
右写真:西国分寺「味噌中華そば ムタヒロ」味噌玉中華そば 9月25日 この味噌ラーメンは好きである。飲める味噌スープでもある。麺もおいしい。チャーシューは柔らかい。

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2016/11/08

あなたが目指す哲学対話とは

726 東京メタ哲学カフェも第4回目の開催となった。今回のテーマは「あなたが目指す哲学対話とは」である。
 私が印象に残ったところだけを記す。
 ひとつは、哲学対話のテーマについてである。
 「愛」とか「死」とかのテーマについて、参加者はその答えを欲しいとか、みんなと一緒に考えたい、といった動機を持っている。それを哲学的に、あるいは対話的に、アプローチしたいという気持ちである。これは本人にテーマに近い何かしらの課題や悩みなどがあることが推測される。
 たくさんの人を集めようとするならば、一般受けするテーマを設定すればいいのだが、主催者側はそれで満足できるだろうか。いずれにせよ、哲学対話においてはテーマは重要である。

 もうひとつは、哲学対話の3つのCのことである。Critical thinking Communication Care の3つである。
 今まで、この3つの軸で考えてきたところではあるが、3番目のCareはあまりしっくりきていない。Critical thinking も少々ズレがある。
 ということで、改めて考えると、私が哲学対話に楽しさを見出すところはという観点で言えば、大きくシンプルに捉えて、①哲学的なもの と ②対話的なもの という表現でもいいような気もしてきた。とりあえずこのように簡潔に整理しておいて、さらに哲学対話・哲学カフェの楽しさを追究していきたい。(私は、当面は哲学的なものと対話的なものの両方を求めていきたい。すなわち、しばらくは二兎を追うということである。)

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2016/11/07

老い

Images141 「年を取る」ということでは、どの年代の者も年を取るということには変わりはない。
 しかし、「老い」という言葉にはそれ以上の意味合いが込められている。「衰える」「劣る」「弱る」といった意味合いであり、それは「それまでできたことができなくなる」ということでもある。部分的にしろ、全体的にしろ「機能が落ちる」といったものである。
 この用法なら、若い世代でも使っている。高校生が中学生を見て、「自分は老けた」という言い方も成り立つ。
 ただし、一般的には、人生の後半の、高齢者という年代(最近では70歳以上でないと高齢者というイメージがないが…)を指して、「老い」という言葉を使っている。イメージとしては「下山」、「下る」というのが老いである。
 この人生の下山の時代をどう見るか。これが人によって異なり、生き方の違いになる。諦めるのか、受け入れるのか、楽しむのか……。もちろんできれば積極的に捉えていきたいところではある。

 老いを考えていく中で、人生の前半と後半ということを考えた。後半は前半があってこその後半だ。前半がなければ意味がない。後半は前半で生きてこなかった自分を生きることも可能である。それも前半があるからこそ言えることだ。

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2016/11/06

Mr.ホームズ 名探偵最後の事件

725 「老い」とか、「孤独」について、考えさせられる。
 イアン・マッケランが63歳のホームズと93歳のホームズを演じ分けられるのがすごい!(実際の本人はその間の76歳であった。)

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2016/11/05

湯を沸かすほどの熱い愛

724 宮沢りえが若くして亡くなるお母さん役を熱演している。子ども思い、家族思いのお母さんである。
 その子ども・家族が複雑である。血がつながっていない。それが実の親子以上のものを築き上げていることを見事に現している。(その点、我が家などは単純だなぁ)
 私には、病や死の問題が身近に、かつ切実に感じられた。
 「それだけたくさんのものをくれたから、自分の方からも自然にしたくなる」(私の母に対する思いと同じである。)

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2016/11/04

奇蹟がくれた数式

723 天才に理解を示すことができるのは、それなりに優秀な人だからである。天才の弱点も含めて受け入れ、支援できる人である。
 インドの天才数学者ラマヌジャンと、彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した伝記ドラマである。
 映画「ベストセラー」の天才作家と、彼を支援する名編集者との関係と同様である。
 かなり高みの世界だ。うらやましいところもある。(私のような年になると、誰か若者を支援したくなる。)
 よくできた構成で、てきぱきした演出だ。ジェレミー・アイアンズがいいのは当然だし、デブ・パテルもがんばっている。

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2016/11/03

モナドの領域

722 筒井康隆著、新潮社発行である。
 「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長編」と謳っているが、あまりそのように感じられない。
 GODの登場と語りが最大の内容だと思う。本文を読んだだけだと、ピンと来なかったが、先に読んだ『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(青山拓央著、太田出版)で、GODの存在についてうまく説明してくれている。

*GODは同作における「現実」世界を、他の諸可能世界とともに一挙に創った。
*すべての諸可能世界は在るように在り、そこには時間推移がなく、変化もなく、消失もない。
*そもそも存在すること自体が~1+1=2の真理性と同様の~目的なき真理性をもつ。(そういえば『モナドの領域』の最終章は「神の数学」であった。)
*諸世界における存在はどれも、それ自体としての真善美を併せ持ち、ある存在を他の諸可能性と比して「祝福」することはまったく意味をなさない。

*GODは作者・筒井康隆氏とともに『モナドの領域』でただ「遊戯」している。

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2016/11/02

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ⑥

718 最終章(第7章)は、「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」である。青山拓央さん(写真)が最も書きたかったところかもしれない。
*本書の問題意識は、この現実の世界~とりわけ現実の「今」~を他の諸可能性と対比するとはどういうことか、というものである。
*単純かつきわめて重要なのは、現にこの世界にいるわれわれにとって現に在るのはこの世界だけでありながら、にもかかわらず、他の諸可能性への思考がわれわれの生の根底から支えているように見えることである。
*反事実的な諸可能性や未来の諸可能性がもしなかったら……。あるいは在ってもそれらを「選ぶ」主体が存在しなかったら……。これらが在るということが「錯覚」かもしれない。
*この錯覚のなかに幸福と不幸が在り、その錯覚は人間にとっての「現実」だと言える。
*客観的幸福は「主体外在性」だけでなく、「時間外在性」や「世界外在性」をもつ。そして、私を教育するものとしての他者は、集団の利益だけでなく、この今を超えた時間(もっぱら未来)と、この現実を超えた諸可能性に訴えることで、私の主観的幸福のあり方を律する。
*主観的幸福と客観的幸福をただ二分することはできず、その主観性の内には客観性があり、客観性の内には主観性がある。

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2016/11/01

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ⑤

721 第6章からは「なぜ幸福であるべきか」を問うていく。
*「幸福とは何か」についての諸説は、「なぜ~ある意味での幸福について~幸福であるべきか」を同時に論じている。
*幸福について、「快楽説」「欲求充足説」「客観的リスト説」の一つだけに誓いを立てて生きるのは、不自然で無理のある生き方と言えるだろう。たくさんの「軽い」選択においてそれらを日替わりで選ぶからこそ、人生には多様な幸福が生じ、多様な未来の可能性も開かれる。
*「幸福である」多くの事例を示すことは、「幸福」の立派な説明であり、上記の3説に関しても、そのすべてに共通する「幸福」の本質を見つける必要はないかもしれない。
*上記3要素が有意味な集合としてまとまっている理由を、3要素のうちの複数がしばしば同時に実現する点に求め、この同時実現をたんなる偶然の同時実現と区別して、「共振」と呼びたい。
*3説のどれを支持する人でも、快楽、欲求充足、客観的な人生のよさのすべてが一度に得られた場合に、どれかを放棄することはしないだろう。それらを同時に得ること(共振)はけっして珍しくないのであり、それが可能である以上、私たちはそれを頻繁に狙う。
*幸福とは立体構造における多数の「共振」の集合である。快楽だけでも欲求充足だけでも、そして客観的な人生のよさだけでも、幸福を得ることはできない。ある一つの行為選択が、立体構造における複数の問いに同時に答えること。つまり、「何」の問いから、「なぜ」の問いまでが、共振のもとで一挙に答えられること。

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