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2016/10/29

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ②

717 著者の青山拓央さん(写真)は、「幸福とは何か」について、第1章から語り始める。
*幸福は「自由」との関連が深い。
*エウダイモニア(「幸福」としばしば訳されるギリシア語)は、「よく生きていること」「うまくやっている」と同様だとアリストテレスは言っている。(エウダイモニアは「繁栄」とも訳される。)
*さまざまな「よさ」を求める過程の究極目的がエウダイモニアである。…他の目的ではなく、それ自体のためになされることがらである。
*キーネーシスはよく「運動」と訳さるが、「過程」と訳されることもある。「作業」という訳もある。作業はつねに目標をもっており、目標が達せられたなら、その作業を続けることはできない。
*エネルゲイア(活動)は、それ自体のうちに目的をもち、完了性と完全性をもつ。
*だから、徳を発揮しうる活動(エネルゲイア)に満ちた人生は、それ自体において輝かしさをもつエウダイモンな人生である。
*人生や人類史の全体をその外側から価値づけるのではなく、その内側からのみ価値づけるなら、内側にある個々の目的は意味を取り戻すかもしれない。
*そのようにして内側の視点に留まったとしても、私たちはどこかで、未来に他の目的をもつものではない「活動」を求めるだろう。それ自体としての充実と喜びをもった、自分の徳が十全に発揮された「活動」を。
*各々の時代の人びとが各々の場面で、それ自体としての充実と喜びをもった「活動」をなしてきたならば、それらはまさにそれ自体としての、無時間的な~時間の流れとは独立の~価値を持っている。
*私たちのなかには、ほぼ間違いなく、人類最後の人間はいない。しかし、私たちはだれもが確実に、人生最後の人間になる。自分自身の人生に関して。

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