« おかげさまで生きる ② | トップページ | マランの幸福論 雑記 76 »

2014/10/23

「待つ」ということ

352 「待つ」ということは、やはり興味・関心や期待の度合いに関連していると思う。
 その度合いが大きければ、待つ時間が長くてもいいし、待っている間の心の高まりや深まりも大きい。
 心は多層的だから、待つ対象が表面に浮かび上がってきたり、潜在的になったりする。それも興味・関心・期待の色合いによってさまざまな形をとる。そうやって人は色々なものを同時に待ち続けている。
 私は待つことの意義は人間関係が熟すことだと思っている。愛情の重要な現れ方だと思う。私としては愛する人との間では、じっくりと待つことを実践していきたい。
 私は若い頃は人を待たせることがとてもイヤだった。それは私も待たされるのイヤだったからだと思う。せっかちで、寛容の気持ちが薄かったせいかもしれない。現在は、人に待ってもらうような年代になってきた。だから、全体的にそのあたりは緩い感覚になっている。

|

« おかげさまで生きる ② | トップページ | マランの幸福論 雑記 76 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「待つ」ということ:

« おかげさまで生きる ② | トップページ | マランの幸福論 雑記 76 »