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2011/12/29

マランの幸福論①

Images32 近代(19世紀後半から20世紀前半)のヨーロッパにおける3大幸福論をご存知だろうか。
 一般的には、スイスのヒルティ(写真の人)(1833~1909)、フランスのアラン(1868~1951)、イギリスのラッセル(1872~1970)の幸福論を指しているようである。
 しかし、これらは時代的にも、国柄においても異なるため、私は、現代の日本の平均的なところの幸福論を述べたいと思う。ただし、「マランの幸福論」というタイトルからも分かるように、フランスのアランの幸福論にたくさんの示唆を得ていることも事実である。
 私は取りあえず、「幸福=幸せ」を、「自分の人生に対する満足感」と簡単に定義しておきたい。
 私は、(幸福について真剣に考えた人にとっては)幸福は、古代から一貫して「内面的」なものと捉えられていたと考えている。容貌、服装といった、外から見えるものでは掴みきれない。また、金、地位、名誉といったものでも測りきれない。
 幸せな気持ちや感情が伴っていなければ、やはり納得がいかない。私自身は、それはエピクロスが言うような、「アタラクシア」(心の平安)といったようなものと思っている。
 それを今回の第1回目では時間軸で見てみたい。
 自分の人生の過去に対しては、感謝の気持ちを持っている。現在の自分の生活を味わい、楽しむことができる。そして、未来の自分の人生に対しては、小さいながらも希望を持っている。このような感じを持っているというのが私の幸福のイメージである。
 私はとにかく内面重視だ。主観的・実存的観点からの考察が主だ。だから、国民幸福度調査のような統計的観点とはかなり距離がある。

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