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2010/07/24

記号論的楽しみ

100429_160908 私の場合だったら、ラーメン、映画、本(哲学、文学、コミック)などのことである。
 次々と新しいラーメン、映画、本といった作品(素材、メニュー)を経験(消費)していく。もちろん2度、3度と繰り返し経験することもある。メニューのところを変えていくことが楽しいのである。その経験の蓄積、さらにはリスト化することなどが面白いのである。
 まあ、一般に趣味と言われているものはそのようなものだから、それでいいような気もする。
 一方で、本当に主体的・自主的に選択しているのか。本当に私は自由なのか。大衆高度消費社会の中で動かされているだけではないか、といった言い方もされる。
 コンピュータが私の飛びつきそうなラーメン、映画、本を先回りして次から次へと提示してきているだけではないか。私は目の前のニンジンを追いかけているだけではないか。そのように消費するだけの人間として生かされているだけではないか。
 このあたりはあまり目くじらを立てても仕方ないという気持ちもあるし、私の中ではペンディング状態である。
 ただ、このような記号を楽しむという行為を反復しながらも、そこに深まっていくとか、変化していくとかといった「私」というもの(それは私の心とか欲望といったもの)には注目していきたいと思っている。

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