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2010/03/20

見えるものと見えないもの

100315_161122 「見えるもの」と「見えないもの」、現代は見えるものの方が重視されがちである。
 見えるものとしては、代表例はマンガ、アニメ、映画、テレビ、パソコン映像などであり、小説などの文学より影響力は大きい。大きく捉えれば、人文学より目に見える実験などで実証する自然科学の方の勝利と言える。対人関係にしても、見た目・容姿などが重視される。もっと言えば、地位、名声、金などの外形のみしか重視しない見方もある。見えるものは薄っぺらい感じもあるが、確実で分かりやすいのである。
 見えないものの代表は言葉である。それは精神を表す。宗教という形になる場合もある。この見えないものの価値が高いことは誰もがある程度は感じられる。
 しかし、この見えないものは分かりにくい。人によって、どうとでも解釈できる、確実でない感じがある。重厚だが、古臭い、時には胡散臭い面もある。特権的な偉そうな感じを与えることもある。
 私の現在の一つの考え方は、年齢によって追求するものが変化するだろうということである。
 若いうちは、見えるものの追求はあっていいことである。分からないことを分かった振りをしているよりも、分かりやすいところから入っていくのはよいことだと思う。むしろ、若い時にしか追求できないことを考えると、努力してほしいことである。
 しかし、年を重ねてからは、見えないもの、精神の深みと高みに入って、その喜びを感じたい。これは多くの経験により苦しんだ者の通れる道であり、喜びでもあるように思う。
 しかしながら、もう少し考えていくと、見えるものと見えないものを単純に2区分して、価値の序列化をするのも如何なものかとも思う。確かに現代は見えるものに片寄りすぎている感はあるが、見えるもの・見えないもの、どちらも、つまらないものはつまらないし、いいものはいいのである。それに人それぞれの価値の置き方は異なっていていいのであり、各人の選択の自由もある。

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