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2010/01/06

親鸞 (下)

7andy_r0457243 五木寛之作「親鸞」のもう一つの側面、親鸞の信仰や哲学・思想の面を述べてみる。
 この物語では、若き親鸞の信仰に対しての真剣な精神や姿勢が痛いほど伝わってくる。また、仏教の根本を問うていく、まさに哲学的な思考が親鸞にはある。
 そのような中で、人間みな同じように悪人である、というような考え方が出てくる。この場合の悪とは人間の闇の面を指している。人間は他の動物や植物、石ころさえも犠牲にして生きていることを考えれば、誰もが悪人ということになる。
 また、絶対他力の考えである。阿弥陀仏の力によって救われる。その阿弥陀仏の呼びかけに答えるのが念仏である。だから、1度でも念仏を唱えれば救われるとか、何度も念仏を唱える意味は何か、などと念仏の回数を問うのはナンセンスである。自力のところには大きな意味合いがないのである。
 末法の時代、貴族から武士への時代、そして、庶民が力を持ってくる中世・鎌倉時代、誰もが救われるという新しい仏教は魅力的だったろう。しかし、従来の仏教に対しては革命的だったから、当初は弾圧も激しかった。国や権力者を信用していない、頼らない、この精神は五木寛之の精神でもある。

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