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2005/03/24

考えあう技術

05-03-24_19-44 「考えあう技術~教育と社会を哲学する」(苅谷剛彦・西研著 ちくま新書)を読んだ。
 この著者(対談者)二人と私とは同世代であり、哲学・教育といった同じ関心を持っており、同じように学んだ面もあるので、共感することも多かった。市民社会のための市民を育てるという社会的視点から述べられているので、狭い教育論にはなっておらず、そこがよかった。
 まずは、近代が求めた「自由」から出発し、社会学と哲学の観点から、「自己」のみにとらわれず、「他者」との関係、「社会」とのつながりを重視する。
 現在は、同調圧力や画一性を強調する古い共同体は忌避され、自己や個性が尊重される時代である。しかし、個人の好み・関心のみが重視され、他者や社会との関係がしっかりと捉えられていないのは問題である。社会に無関心でばかりいると、個人が生き方を自由に選択できる社会の維持・展開も難しくなってくる。
 集団や社会に参加できる能力、集団や社会のルールを理解するとともに、ルールを変えることができる能力が大切である。
 選択や快楽を求める自由も大切だが、役割や責任を伴う参加ということを欠いてしまうと人は本当に自由と実感できない。(フリーターは本当にフリーな感じを持てない?)
 学校についてのおもしろかった記述は、職業選択の自由を持った市民を育てる普通教育を行う現在の学校のことである。この学校の理念からすると、学校で学ぶことは、将来の職業に全て直結することはありえないし、全て個人の好き・興味だけに合わせられるものではない、ということである。
 多方面に渡った対談でネタは多いが、姿勢としては「近代」の初発に戻って原理から考えるということである。若い人たちの共感はどの程度得られるだろうか。


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