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2005/02/27

近代と暴力

unoff1 人類は20世紀にファシズムを経験した。そして、第二次世界大戦でアウシュヴィッツや原爆も経験した。戦後、スターリニズムの中で粛清も経験した。これらは見たくもないし、認めたくもない、しかし人類史上に生じた出来事である。
 これらの暴力は近代の帰結だろうか。全てを近代の責任にするのはおかしい。なぜならば、人類の歴史の中で、暴力(戦争)はずっと続いてきたのであるから。人類史全ての帰結といった方がいい。
 少なくとも近代はこの暴力を止める力はなかった。それでは、近代の精神そのものの中に暴力はあるのか。国家間の暴力に関しては促進した面もあると思う。文明化された近代が野蛮な国々を征服し、植民地化するのを正当化するのに役立ったからである。
 一つの国家の中なら、刑罰を作り、警察、司法機能があれば、ある程度の暴力は止めることができる。しかし、国家間、民族間,宗教間では難しい。国家、民族、宗教を繋ぐ哲学が必要である。
 現在の国際連合に期待できるだろうか。国連よりもはるかに力を持った世界政府を構想したくなる。しかし、これは現在の世界ではまだまだ単純な発想であり、主権国家が多数ある現況からして当面は非現実的であるし、また相当に仕組み作りを研究しないと逆に人民への巨大な抑圧組織になる危険性もある。賢明にも現在の国連は世界政府を目指してはいない。
 しかし、近代の先に、理想化された世界政府を構想する人も多い。夢想といってもいいが、私などは他の惑星から攻撃されたら、すなわち宇宙戦争が起きたら世界政府を作らざるを得ないなどというSFチックなことも考えてみる。漫画の世界ではよくある発想である。 

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