2017/05/29

人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ

9 第55回人生カフェは平成29年5月27日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ」というものである。
 まずは一人の人にに自らの人生上の悩みの一つを10分くらいで語ってもらう。その後、その人に話が分かりにくかったところなどを参加者から質問をし、答えてもらう。それから、その話から、一つだけ対話のテーマを抽出する。そして、一つのテーマに1時間くらい対話をする。悩みの内容は、重いものでも軽いものでも、心の問題でもそうでなくても、いいとしている。
 今回は2人の人に自らの悩みを話してもらった。(内容の詳細は個人情報の関係で記載できないので、対話を行ったメインテーマなどを掲げる。)

①本能とは何か?
 「悩むな、考えろ」という池田晶子さんの言葉が響いている。
 悩むとは、感情、さらに言えば、本能に近いものではないか。それに対して、考えるは、「理性」的なものである。だからこそ、今、本能や自然というものを考えてみたくなったのである。

②愛の力とは何か?
 若い人からの話であった。
 「社会制度と愛」、これは広く一般の人間を愛することと、個別特定の人を愛することとの対比とも言える。
 そういった中で、愛の力とは何か?
 愛は原子力のようなものである。ものすごい力を有するが、危険でもある。どう扱うか?そもそも扱うことなどできるのか?
 恋愛をめぐっては、世代間格差が感じられる。若者の間でも、「恋愛格差」はある。もちろん、いつの時代でも、個人差は当然ある。
 現代の若者は、ラインやツイッターなどが基本装備されている環境である。メディア、ツールが異なれば、愛の形も変わる。

 最後に、参加者にフリップに書いてもらった。
「鎧(よろい)とは何か?大人とは何か?」
「今(現代)の人たちのコミュニケーションはたいへんだなぁと思いました」
「愛とは何だろう?」
「愛は爆発と管理の繰り返しだ!!」
「愚直であることをもっと見直そう。 Fall in love (恋に落ちる)」
「私たちは『愛しづらい時代』 を生きているだろうか?」
「恋愛は理屈じゃない! 実践あるのみ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/28

永い言い訳

794 泣くことができない。辛いことだ。
 感情のもつれがある人が、その屈折した感情がモロに出てしまう。……かわいそうだが、私は相手にできないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/25

メッセージ

793 見ごたえのある映画だった。 
 ユニバーサル・ワードは、時制を超越している。……3千年後の人類のためにメッセージが届く。……武器?……未来が見える?
 原作はあるのだが、映画としても面白い。映像、音響もいい。
 主役のエイミー・アダムスもいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/24

5人会(平成29年5月)

5at5tuesday46752x501 今回の5人会のテーマは「今、最も関心のあること」だった。
 私の最も関心のあることとして、「哲学カフェ~人生カフェ~東京メタ哲学カフェ」を取り上げた。この中で、印象に残ったことを少し書いておく。

 これらの活動の中で、様々な人間関係が生じる。会の運営としてもいろいろなことが生じる。これらは困難なことも多いが、学ぶことがあるし、楽しいこともある。人生上の経験である。

 哲学カフェ等の新しい可能性として、広い意味での学習・教育との結びつきが考えられる。
 そこでは「変わる」ということが目指されている。これは学習・教育の価値である。
 子どもの分野では、すでにかなり意識されているが、大人でも同様に考えていいはずである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/23

哲学対話と哲学研究

792 第76回日本哲学会大会・哲学教育ワークショップ「哲学対話と哲学研究」に参加した。
 印象に残ったところを断片的に書いておく。

 哲学対話とは、必ずしも一般の対話が重視するようには「共感」を重視しない。「物事を自分から切り離して考えることができるようにする」「日常生活から切り離して考えることができるようにする」 (共感から出発することを大切にしながらも…)
 「井戸端会議」ではない。井戸を掘っていく対話である。深く掘っていく。この場合の「深い」とはいったい何だろう?

 考える型や概念マップなるものを哲学者や哲学研究者は持っている。柔術の型のようなものである。
 それらを哲学研究者は教えてくれない。又は教えられない。自分が身に付けてしまっているから?
 だから哲学対話のファシリテーターにしろ、一参加者にしろ、場数を踏むのがいい。たくさん体験してみるのがいいということである。

 哲学史を知っていること、哲学書を知っていること、哲学者を知っていること、そして哲学を研究していることなどは確かにいいことがある。
 哲学対話のテーマ(問い)に対する選定眼、哲学対話の進め方に対する選定眼、そして、人の話を真摯に聞く姿勢や能力が養われる。
 自分の持っている知識と実際の対話を照合していくという楽しみもある。
 そして、哲学対話の中に、過去の哲学史の中では見出せないような新しい問いや新しいタイプの哲学者(考える人)を発見できる力も持てるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/22

沈黙 SILENCE

791 篠田正浩監督の1971年の作品である。
 当時も見たけれど、再度見ると、なかなかの力作である。遠藤周作の原作に力があるからだろう。
 ラストは違和感がある。岩下志麻と三田佳子の2大女優を目立たせたい気持ちが出ている?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/05/18

追憶

790 少々古い感触の映画だった。懐かしさもある。
 自分と縁遠い話には共感しにくくなった。
 即物的、即時的な人間になった?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/16

ボラード病

789 吉村萬壱さんの東日本大震災を背景にした作品である。(文春文庫)
 ディストピア小説ということになるのだが、私はこの種の小説は気が滅入るので好きではない。だからどうしても読み飛ばしてしまい、読みが浅くなる。
 「同調圧力」の強い社会が作られている。これは裏や上の方にものすごい悪い奴らがいて、彼らが操作している、そんな単純な構造はもはや想定できない。社会がそうなっているとしかいいようがないところがある。
 そのような社会にどう対したらいいのか?
 「逃げるは恥だが役に立つ」…私はそう提唱したくなった。「逃げる」は時には一つのいい選択だ。
 出たり入ったりは自由がいい。発言する、しないは自由がいい。これは哲学カフェの一般的なルールでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/15

気持ちを大事にするとはどういうことだろう…?

Wedding_ill_009 第53回人生カフェは平成29年5月13日(土)、12名(男性5名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「気持ちを大事にするとはどういうことだろう…?」であった。

 気持ちといっても、「自分の気持ち」と「他人の気持ち」がある。当然自分の気持ちの方が優先されそうではあるが、自分の気持ちが分からなくなることもある。自分の気持ちにきちんと気づくことは、それなりに大切なことだ。
 そして、他人の気持ちを気遣う。自分の気持ちと他人の気持ちをどう調整していくのか。
 「プラスの気持ち」(喜び、楽しみなど)と「マイナスの気持ち」(怒り、妬み、恨みなど)がある。他人のプラスの気持ちに対しては共感しやすい。しかし、マイナスの気持ちに対しては共感はしにくいし、調整も難しい。
 「アサーション」という方法が示された。アサーションとは、自分と相手を大切にする表現方法だと言われている。その方法の一つとして、「I(アイ)メッセージ」ということも提示された。すなわち、相手を非難するのではなく、I(私)の気持ちの方を素直に相手に伝えるという方法である。

 気持ちの捉え方で、男女差というような話にもなった。個人差は当然あるが、女性は「共感」を求め、男性は「解決」を求めるという傾向である。このように男女の違いはあるかもしれないが、気持ちを大事にしようとしている点では同じとも言える。
 気持ちを「感情」とほぼ同じに考えるのが一般的ではあると思うが、気持ちを理性(論理性)も含めた「心」や「魂」に近い、広義の捉え方も十分にあり得る。
 いずれにせよ、気持ちを大事にするということは、単純に自他の感情に溺れていくこととは異なる。自他の気持ちの違いを感じ取り、そのズレを調整したり、あるいは気持ちを育てたり、新たに生み出していくといった、寄り添い、擦り合わせていく努力は大切なようである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/10

美女と野獣

788 今作もさすがディズニーだということ。
 この「美女と野獣」の実写版もいい。面白い。
 主役のエマ・ワトソンはかわいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/09

Mu 「無はなくてもいいのではないか?」 この問いに仰天した。
 この世は、なくてもよかったのに、「ある」 ということが充満している、そのことの不思議さに圧倒されているのだから、この問いはありうるか!!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/05

ゴースト・イン・ザ・シェル

787 脳だけが人間、あとの体は機械、いわばサイボーグだ。この設定自体が、未来のこととして興味深い。
 哲学的に心と体を考える上でも面白い。ゴースト(魂)とは、いったい何だろう?
 体はますます義体化(機械化)していく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/05/01

バカなことをする

786 バカなことをしても、ある程度は許されるのは若者の特権か?
 今の私にはバカなことをしたい欲求もないし、バカなことをする必要もない。穏やかな普通の生活がいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/29

人が変わるとは何か?

11_2 第52回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は4回目である。
 平成29年4月28日(金)午後7時からスタートしたが、男性8名、女性1名、合計9名の人が集まってくれた。
 最初に各人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①嫌な仕事環境でも楽しく働けるか?
②あなたは何を優先しますか?(健康、お金、家族、仕事、人間関係)
③怒りとは何か?
④許すとは何か・
⑤人はなぜ物語を作るのか?
⑥人は変わるのか?

 テーマを一つに絞っていくに当たって、⑥の「人は変わるのか?」をめぐっての話が多く出た。「何をもって人は変わるといえるのか?」といったテーマなども出される中、最終的には今回は「人が変わるとは何か?」というテーマに決定した。

 「変わる」といっても、自分が変わることと他人が変わることとでは意味合いはかなり異なる。
 また、自分が変わったと主観的に捉えていても、外から見た客観的には変わっていないようなこともある。
 意図的に自らを変えようとして、大いに学ぼうとすることもあるが、環境の影響で非意図的に変わってしまうこともある。
 どの部分が変わるのか?「考え」のところか、「行動」のところか、「人格」のところか。レベルが違うような気がする。
 人が変わることの根源を探っていくと、人の意志や動機といったところが見えてくる。深いところのその人の欲求・欲望といえるものかもしれない。
 それらが連続して、習慣のようになっていたものが、ある時断裂的に変化する。その時はさすがに自分が変化した感覚を持つ。心の中に吹いていた風の風向きが変わってしまった感じである……。

 テーマを決めるのに1時間、そのテーマについて対話を展開したのが1時間、凝縮した2時間であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/28

顔の現象学

785 副題「見られることの権利」、鷲田清一著(講談社学術文庫)、この本の初めのあたりの印象に残ったところを抜き書きしておく。

*眼が「かち合う」こと、まなざしが交差することは、対象を見ることとは決定的に異なる。
*相手の目が興味深いから見るのではなく、まさに相手のまなざしをそこに感じるから、私たちはそこに目を向け、相手に目を合わせる。

*顔の「遠さ」~他者がわたしを〈わたし〉として認知してくれるその媒体としての顔が自分にだけは見えないという、あの〈わたし〉の可視性のアンバランスな構造
*〈わたし〉と他者はそれぞれ自己へといたるためにたがいにその存在を交叉させねばならないのであり、他者の〈顔〉を読むことを覚えなければならない。
*〈顔〉という現象は、それが「わたしの顔」となるまえに、まずは共同性の様態なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/27

ムーンライト

784 愛を乞うている人を見事に描いた。
 今更だが、子どもにとって家庭の環境は大きいことがいえる。子どもは逃げられない。危険や不安がいっぱいな家庭環境は恐ろしい。
 アカデミー賞作品賞らしい、しっかりとした演出の作品だ。
 ある意味、平凡な一般人だが、そこには内面のドラマがある。愛と憎がある。それを丁寧に描いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/25

「考える」「言葉」

10  第51回人生カフェは平成29年4月22日(土)、10名(男性6名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー発行)を読むという読書会の形式をとった。
 まずは、1~3の「考える」というテーマのところから、各自印象に残ったところをフリップに書いてもらった。
「「自分が思う」ということはいったいどういうことなんだろう」(5P)
「悩むな、考えろ」(9P)
「わかって悩んでいるのか?」(9P)
「意見自体正しいだろうか、間違っているだろうか?」(12P)
「「考える」ことによって正しい定規を手に入れる」(16P)
「自分ひとりだけの正しい定規ではなくて誰にとっても正しい定規、たったひとつの正しい定規だ」(16P)
「君は本当のことだけを知りたくないか」(18P)
「本当のことを本当のことだけを知りたいとは思わないか」(18P)
「「不思議」の感じこそが本当のことを知るための最初の最初の鍵穴だ。不思議の扉は宇宙の果てまで開いてゆくことができるんだ」(23P)
「「誰にとっても正しいこと」というのは、「みんなが正しいと思っていること」ではない」(23P)
 以上を踏まえて、対話をした。「考える」と「感じる」、「思う」との違いは何か。特に「考える」と「悩む」をめぐっての対話が活発に行われた。

 次に、4~5の「言葉」というテーマのところから、各自印象に残ったところをフリップに書いてもらった。
「物が先か、言葉が先か」(26P)
「過去、現在、未来から別の星や宇宙のことまで言葉というものに不思議な力」(28P)
「人の数だけ人がいるのに、言葉の意味はすべての人に共通してたたひとつなのはなぜなんだろう」(35P)
「言葉というものは、自分の中にあると同時に、また自分の外にある」(36P)
「言葉こそが現実を作っている」(2人)(36P)
「言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなんだ」(36P)
「目に見える物だけが現実だと思い込んで一生を終えるなんて、あんまり空しい人生だと思わないか」(36P)
 以上を踏まえて「言葉」について対話した。言葉がないと考えることができないのではないか、世界を認識できないのではないか、といったことをめぐって展開した。

 最後に、今日の対話について、各人にフリップに書いてもらった。
「感じる→思う→考える 言葉を大事にする事、自分を大事にするという事かなあ?」
「悩みとは何だと改めて考える。だって、不安だし、イライラするし、苦しかったりするものだから」
「「考える」ことをするには言葉が不可欠。言葉は言霊と言われるように、言葉を単なる言葉ではなく、発する者の心をこめたら、言葉が生かされ、受け取る側に伝わるのかな?」
「言葉を大切にするとは、言葉―世界―私というものが生じているという事実=世界の分節の機能としての言葉が機能している。という事実に対しての「落としまえ」は言葉によって言葉の限界に向かうことでしかなしえないだろうと思います。その意味でのみ、言葉は大切にしなければならないと思うし、哲学は必要かな。身体知の問題はこのことと矛盾するのかな?」
「言い切れないこととわかっているのに、池田さんはなぜ言い切るのだろうか。言葉として正確ではないのでは」
「こうして考える事こそ、池田晶子さんの望み(?)なのかな」
「頭の中がより整理できた。とても面白かった!言葉を正確に使うことで解決できる問題もたくさんある」
「各人の着眼の共通する所とばらつく所、多々あっておもしろかった。考え抜くこと、ある意味自縄自縛になるまで突き進めることを大事にしたい」
「こういう機会がなければ絶対読まないであろう本と、めぐりあった気がしています」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/22

モアナと伝説の海

783 ディズニーのアニメはさすがに素晴らしいし、何といっても面白い。
 それに私の場合、一人娘の冒険譚、成長話は大好きである。
 海や島や、大自然が鮮やかに描かれている。もちろん、現在の現実の世界では、このような海や島や島の生活はないのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/21

言ってはいけない

782 副題は「残酷すぎる真実」、橘玲著、新潮新書である。ベストセラーにはなった。
 遺伝のことを中心にした本である。遺伝でほぼ人間は決まってくるといった話である。
 この種の話は、私にとってはつまらないので、途中で投げ出してしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/18

いい人ってどんな人だろう?

Imagesuvbw3cjv ちょうど第50回目に当たる人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は3回目である。
 平成29年4月14日(金)午後7時からスタートしたが、男性4名、女性4名、合計8名の人が集まってくれた。
 最初に各人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①めんどうくさいって何だろう?
②友だちとは何か?
③国って何だろう?
④天職って何だろう?
⑤いい人ってどんな人だろう?
⑥人間関係とはどうあるべきか?
⑦キムタクは悪者か?
⑧かわいいって、なーに?

 この中から今回は「いい人ってどんな人だろう?」がメインテーマとして選ばれた。

 「いい人」とは多義的な言葉である。ポジティブに使われる場合もあれば、若干揶揄的にネガティブに使われる場合もある。単にお人よしで、他人にいいように使われている人を指す場合もありそうである。
 この曖昧さから、適当に使われる言葉であり、多用もされている。
 もちろん素直にポジティブに使われ、自分に対して言ってくれると、うれしくなったりする。だから、できるなら明るくいい方に使いたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/17

マインド 心の哲学 ③

Img_15186cfa4e4819e25802c953731566f 訳者の山本貴光さんと吉川浩満さん(写真)には翻訳してくれたことに感謝したい。この二人は現在、新しいタイプの哲学者として活躍している。

 さて、この本で「意識」のことを取り扱っている中で、面白いところを抜き書きしておく。
*意識のゲシュタルト構造には少なくとも二つの側面がある。第一に、知覚を一貫性のある全体に組織する脳の能力。第二は、背景から図を弁別する脳の能力。
*知覚が意識を作り出していると考えるべきではなく、先立って存在する意識野を知覚が変化させていると考えるべきである。
*意識は脳内ミクロな過程によって引き起こされ、脳において高レヴェルの性質もしくはシステムの性質として実現されている。……生物学的に言えば、意識は生の一側面にすぎない。しかし、こと私たちの現実的な生の経験が関わる限りで言えば、意識とは私たちが意義ある存在であるということのまさにその本質にほかならない。
*意識があるからこそ、いろいろなものごとが重要性を持つようになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/16

マインド 心の哲学 ②

781 ジョン・サール(写真)は、「心的なもの」と「物理的なもの」と言われているものを簡単にまとめて、論を進めてくれている。
*「心的なもの」~主観的、質的、志向性がある、空間的な位置と広がりをもたない、物理的な過程により説明不可能、物理的なものに対して因果的に作用しない
*「物理的なもの」~客観的、量的、志向性がない、空間的な位置と広がりをもつ、ミクロな物理学によって因果的に説明可能、因果的に作用かつシステムは因果的に閉じている

*意識は一人称的な存在論を備え、神経的な過程は三人称的な存在論を備えている。このために、前者を後者へと存在論的に還元することはできない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/15

マインド 心の哲学 ①

780 ジョン・R・サールの心の哲学の入門書である。(朝日出版社)
 サールの「生物学的自然主義」の立場については別のところで簡単に述べてあるので、ここではそれ以外のきになるところを抜き書きしておく。
 まずは、哲学が注目するところが言語から心へ移ったとされる理由のくだりである。
①言語にかかわる問題の多くは心に関する問題の特殊例だとみなせる。
②知識の発展に伴い、従来の認識論などから離れ、新しい哲学の理想的な出発点は人間の心の本性についての検討である。
③21世紀初頭の哲学の中心問題は、人間が明らかに意識を持ち、心があり、自由で、合理的で、言葉をあやつり、社会的かつ政治的な行為者であることをどのように説明するかということである。
④「認知科学」の登場である。
⑤現在の言語哲学は、いわゆる外在主義に共通の誤りに陥っている。

 次に、心の哲学の問題は一般人と専門家では信じるもののあいだに大きな違いがある。
*一般人は二元論を受け入れている。人々は自分が心や魂と身体の両方を持っていると信じている。それどころか、身体、心、魂という3つの要素を持っているという人すらいる。
*哲学、心理学、認知科学、神経生物学、人工知能などの専門家たちはほぼ例外なく、なんらかのかたちで唯物論を受け入れている。

 いまや心の哲学が中心のトピックであり、他の問題~言葉や意味の本性、社会の本性、知識の本性~はすべて、人間の性質という、より一般的な問題の特殊例にすぎない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/13

想像ラジオ

779 いとうせいこうのベストセラー小説である。(河出文庫)
 東日本大震災後の比較的早い時期に、震災に関わる死者と生者の物語を紡いだ意義は大きい。
 死者の声を想像することによってラジオから聴くという設定もいい。生者の側の話も織り交ぜての章立てもよくできている。
 まさに喪失による悲しみを描いた小説である。
 仏教的世界観が色濃く反映されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/11

なぜ人は学ぶのか?

5 第49回人生カフェは平成29年4月8日(土)、14名(男性7名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ人は学ぶのか?」であった。
 最初に、参加者からテーマに関する自らの問いを出してもらった。
 「学びって何?なぜ必要とおもうのかな?」
 「学ぶとどうなる?」「勉強に何を期待しているのか?」「「学ぶ」ことで得られるもの、失くすもの……はあるのか?」
 「学びと勉強は違う意味?」「勉強と習慣の違いは?」
 「学ぶことは苦しいか?楽しいか?」「学ぶことの辛さは楽しさを導くか?」
 「人から押しつけられると学ぶのがつまらなくなるのはなぜか?」「「自分の頭で考える」とはどういうことか?」
 「どういう時に学びたくなるのか?」「学ぶことが大事だと思ったことはあるか?どんな時か?」
 「学びたいと思うジャンルはどう変わるのか?」「目的は学び自体か?(プロセス?) 学ぶ内容が大事か?」
 「人により学ぶ量や深さに違いが出るのはなぜか?(違いがないかもしれませんが)」「博識の人ほどより学びたがるのはなぜだろう?」「学ばない人はいるのか?」
 「役に立たないことを学ぶ意味は?」「答えのない問題をどう学ぶか?」「高度産業社会の中で、人文学(文学、哲学、歴史学、宗教学)を学ぶことの意義・意味は何か?」
 「なぜ『もっと違う考え方がある』と思ってしまうのか?」「できないこと、できなかったことになぜ挑むのか?」
 「学びのない読書は無駄か?」
 「学校での勉強は嫌い、でも人生上の勉強、学びは好きかも?習うは一生!」

 以上の中で、まずは「役に立たないことを学ぶ意味は?」という問いに注目が集まった。大学の人文系の学部が社会にあまり役に立っていないのではないかということで、廃止や縮小の対象とされてきている。果たしてこれでいいのだろうか?あまりに短期的な視点に立っての役に立つか立たないかの判断になっていないか?現在の社会の知の枠組みそのものを問う人文系の学問は長期的に見れば、大いに人間や社会の役に立つものである。

 後半は、メインテーマ「なぜ人は学ぶのか?」を再び意識して、このテーマを軸に対話を展開した。今回はホワイトボードに発言された考えを書くなど、思考の流れをグラフィカルに見える工夫もしてみた。

 なぜ学ぶのかという理由に関しては、ひとつは生物として環境に適応していくため、あるいは人間として社会に適応していくためということがあります。一方で、個人として、自由を求め、個性を発揮していくために学ぶということもある。両者は時に対立し、葛藤する。これをさらなる学びによって克服していくことはできるだろうか?

 最後に一人一人にフリップに書いてもらった。
 「気づいたこと:学びのイメージ=勉強」
 「学びのイメージは勉強のイメージが強い。好奇心で学びをするというイメージはあまりない」
 「真理は汝を自由にする」
 「遊び心(心の余裕)をずっと持ち続けていたい。「自由」のために学び(学習)をしている/きた人のことを覚えていたい」
 「「生きづらさ」と「学び」も結びつくのかぁ……! という気づきのような、再確認のような」
 「生きづらさからの解放の手立ては「学び」だけ?」
 「学びとは、何かしらの変化を企図すること」
 「全知全能ではない私たちは、学び続ける宿命なのか?」
 「思考を深めるのは楽しい」
 「自分がイメージしていた「学ぶ」とはの対話とは違っていましたが、それだけに新鮮でした。若いと思っていても、ますます高齢者の学習に近い……?!笑」
 「学びながら遊び、遊びながら学ぶ。中高年の人生カフェは私にとっての習慣なり!」
 「過学習、偏学習は専門バカにする?」
 「エントロピーを増大させない→「あこがれ」  ファシリテーション・グラフィックを勉強しよう」
 「生物学的に環境に適応するとはどんなことか」
 「「よい教育とは何か」 なぜ自己否定(苦しさ、知的好奇心の枯渇)を深めてしまう「教育」になってしまうのか。またどのような教育であれば、それを出さずにすむか。Personalisedされた教育はそれを克服することはできるが、逆に失われるものは何か?」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/10

わたしは、ダニエル・ブレイク

778 自分だってダニエル・ブレイクのような立場になることはありえる。
 仲間が必要である。
 ヘルプを言い続けることが必要である。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017/04/09

超図解「21世紀の哲学」がわかる本 ③

777 現代の問題を考えていく上でのいくつかのヒントを得られた。
*可謬主義~人間の知識には誤りがある。これをベースに行動を改善する。
*エポケー(判断停止)による現象学的還元では、自明と考えていた世界の存在に疑問符をつける。その上で合意を形成するわけだから、現象学的還元は相互理解を得るための手法である。…「信憑性」があればよいし、高まればなおよい。
*カール・ポパー(写真):反証可能な理論こそが科学的である。…検証可能性ではなく、反証可能性の立場をとると、反証が出ないことにより、命題の強度、いいかえると「確からしさ」が強まる。
*言語は「恣意的かつ差異的な体系」である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/08

超図解「21世紀の哲学」がわかる本 ②

776 現代の哲学・思想のあらましを紹介している。
*生命圏を有機的な統一体と考え、生命全体の平等主義から自然をとらえる。(ディープ・エコロジー)
*「本質」とは、あるモノを他のモノと区別する何かである。
*統合情報理論とは、ある身体システムに情報を統合する能力があれば意識がある、とする立場である。
*ジョン・サール(写真)の「生物学的自然主義」~心や意識を自然主義的な立場から生物学的に探究する。……意識はそのあり方(いわゆる存在論)のうえでは、人に固有のものであり一人称的なものである。これは三人称的な因果関係では説明できない。つまり、意識は因果的に還元可能ながら、存在論的には還元できない。
*仮説設定の活動を「アブダクション」と言う。アブダクションは論理化が困難で、機械化が難しい活動であり、人間の創造性が発揮される活動である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/07

超図解「21世紀の哲学」がわかる本 ①

775 先端的な哲学のさわりを知るにはそれなりにいい本である。(中野明著 学研プラス)
 印象に残ったところをいくつか挙げておく。
*哲学とは「知への尽きぬ情熱」である。「真理を探究したい」との情熱が哲学の本質である。
*存在論→(認識論的転回)→認識論→(言語論的転回)→分析哲学→(解釈学的転回)→解釈学
*選好功利主義では、人々の幸福はその選好(自分の好み)の満足や充足にあると考える。
*ディヴィッド・チャーマーズ(写真):テクノロジーの進展により脳の働きは解明されつつあるが、物理的な実体と意識の間には、いまだに途方もないギャップが存在する。(「ハード・プロブレム」) 一方、学習や知識・記憶といった現象は「イージー・プロブレム」である。
*AIを人間の知能を増幅する装置、すなわちIA(Intelligence Amplifier)として活用する。
*人類の歴史とは、非生物的なもの、すなわち「道具」を作り出し、自らの能力を拡張する歴史だった。
*メルロ=ポンティは身体を自分と世界、自分と他者をつなぐ媒体だと考えた。媒体としての身体のサイボーグ化は、世界や他者とのつながりを拡大することを意味する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/06

ねむ瑠 滝野川大勝軒 たかはし

2e2304c180ed427f86589c8508dacd762c247611c9d24d9081870257f28c778705ebdfd955f74c9da8ae876abbd8795e 年度末、年度初めもラーメンだ!
左写真:本郷三丁目「ねむ瑠」濃厚烏賊煮干中華そば 3月27日 烏賊のスープは濃厚にできていて、おいしかった。完食!玉ねぎ、カイワレはとてもよかった。お肉はチャーシューではなく、これもよかった。
中写真:池袋「滝野川大勝軒」ラーメン 4月1日 スープは魚介系で、濃く、おいしかった。麺がおいしいのには感激。中太の丸麺が喉越しよく、つるつるとお腹に入っていく。つけ麺でなく、ラーメンがおいしい大勝軒だ!
右写真:新宿・歌舞伎町「焼きあご塩らー麺 たかはし」焼きあご塩らー麺 4月6日 何度来ても高レベル!焼きあごスープはコクがあるのに嫌味がなく最高!完成度の高いラーメンだ。白めしを入れて、お茶漬け風に食べるのもいい。完食して満足!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/05

第9回東京メタ哲学カフェ

10373981_1590768911247703_768612244 この回の話題として、ひとつ「常連」の参加者のことがあった。
 常連特有の臭みといったことである。どちらかというと常連のマイナス面を捉えた言い方だが、もちろん常連にはいい面がたくさんある。哲学カフェにおいて、常連はファシリテーターと共同的・協力的な関係にある。
 私は常連が「スタッフ」化して、いくつかの役割を担うことを積極的に評価するものである。
 
 もう一つの話題として「自己顕示欲」ということがあった。自己顕示欲が強くて、哲学カフェの進行上、困った存在になる参加者の話が多く出た。
 しかし、自己顕示欲は多かれ少なかれ誰もが持っている。ファシリテーターもしかりである。それゆえ、自己顕示欲の存在は素直に認めざるを得ない。
 その上で、参加者は対等であり、お互いに協力して対話を進行しているという精神と、それを具現化したルールを尊重していかなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/04

八代目けいすけ 蔭山樓 庄の

89d7daf4a47f4b768ffd875f73639be513585fa011fa4bfd943845548eaea1d52c4772afd4514597b8176495c2c93ef7 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:銀座「ふぐだし潮 八代目けいすけ」ふぐだし潮塩らーめん 3月20日 スープがすっきりしていて、おいしくて完食。きれいに仕上がっているラーメンである。
中写真:恵比寿「蔭山樓 恵比寿店」こだわり麺の名物 鶏白湯塩そば 3月25日 さすが定番のおいしさである。当然完食!
右写真:市ヶ谷「麺や 庄の」つけめん 3月26日 さすがのつけ麺である。少しピリ辛のところがあるつけ汁はうまい。チャーシュー、メンマの作りもいい。スープ割り後もおいしい。人気店ならではの活気もある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/03

Holu-lu BASSO GOTTSU

825012d6e12e416b830ea2aad29993fdF76f073920c248369521d991de264a7bAd4e2c92b50e4263a1d834863884e2d2 たまたまだけど、ローマ字綴りのお店が3件続いた。「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:池袋「Hulu-lu」醤油SOBA 3月8日 再訪。きれいでおいしい醤油拉麺である。スープよし、細麺よし、スープと麺との絡みもよし。カイワレはとても気に入っている。当然完食!
中写真:早稲田・江戸川橋「BASSO」味玉中華そば 3月11日 醤油味では状の部類。スープは最後まで熱くて、おいしい。地元の人気店になっている。
右写真:練馬「RAMEN GOTTSU」味玉らーめん 3月18日 「渡なべ」系列だが、渡なべよりマイルドで、これはいい。スープがおいしい。見た目もきれいなラーメンである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/04/02

コミック版 人生が変わる哲学の教室

774 小川仁志さん原作のコミック形式のものである。哲学カフェのことを紹介してくれているところが最も印象に残った。
 その他に印象に残ったところを抜き書きしておく。
*幸福な人生は、不思議なまでに、よい人生と同じである。(ラッセル『幸福論』)
*私たちが社会に生きる成員である以上、社会とうまくいっていない限り幸福にはなれない。
*気楽な感覚で哲学のアイテムを増やしていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/31

吾輩ハ猫デアル

773 俳句誌「ホトトギス」に掲載された夏目漱石のデビュー作である。
 この時からすでに漱石の才覚が炸裂している。
 『こころ』から始まった、漱石の朝日への再連載も終わってしまった。あまりにも残念だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/30

あきらめる

Imagesaehv3iah 対話をしていくなかで、私は、あきらめるということは、「欲望を下げて、受け入れる」と一応定義したくなった。
 欲望を下げるにはいくつかの方法がある。
 理性的に何かしら合理的な理由を見つけて下げる場合もあるだろう。時間が経過して、感情的に下がっていくこともあるだろう。あるいは、「えいやっ!」という強い意志の力でねじ伏せる場合もあるだろう。
 いずれにせよ、欲望を下げるということと、受け入れることという事実は残る。だから、あきらめるには消極的でマイナスのイメージが付きまとってしまう。

 「欲望」の問題に突き当たる。現代は欲望を少なくして、潔く生きるというのとは違うように思っている。欲望を知性的に優先順位を付けて調整するとともに、感性でもって深く味わい、意志の力でよい方向に推進していくような生き方が求められている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/29

人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ

Png6 第48回人生カフェは平成29年3月25日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ」というものである。
 まずは一人の人にに自らの人生上の悩みの一つを10分くらいで語ってもらう。それから、その話から、一つだけ対話のテーマを抽出する。一つのテーマに1時間くらい対話をする。悩みの内容は、重いものでも軽いものでも、心の問題でもそうでなくても、いいとしている。
 今回は3人の人に自らの悩みを話してもらった。(内容の詳細は個人情報の関係で記載できないので、対話を行ったメインテーマやサブテーマを掲げる。)
①中高年が働くとは?
 やる気(モティベーション)、職場の人間関係、職場での伝え方……
②人間の意識とは?
 霊とか、魂とか……
③仕事による自己疎外(自己否定)とは?

 悩みを語ってくれた人には、自分を出してくれたことに感謝したい。また、聞く側も聞く姿勢を持っていたので、話す方もそれなりに話しやすかったと思う。
 このような話やその後の対話といった展開は、普段の日常のなかではなかなかできないことである。家族や友だち同士なら、ある程度できると思われるが、お互いによくは知らなく、意見や考えがそれなりに異なる人たちの間でするというのはなかなかない。
 この場は意見や考えは異なるかもしれないが、ただ人の話をよく聞く、という姿勢は持ち続けている。この安全、安心の場を作っていることの意義は大きい。この共通認識があるから、人は自らの悩みもある程度話をすることができる。

 短い時間ではあったが、上記のテーマについて対話ができたことはとてもよかった。それは悩みを話した人も、聞き役だった人もそうであったと思う。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
「考えるということはどういうことか。知、情、意の集合体が意識であるとすれば、意識のありようが大切」
「社会とどう関わるか(ボランティアや社員として)、見えない領域とどう関わるか(心霊や探求)、という共通の悩みがあるように思えました。対立をどう克服するか、もしくは克服しない方がよいのか、対立したままにすべきなのか、と思いました」
「働くこと、意識、魂、霊……。疎外から学べ!疎外を感じ続けろ!」
「心は死んでいるが、実存は失っていない!」
「決心した時から、新しいスタートができる(切れる)」
「対話をするにはボキャブラリーが多い方が伝わるなぁ……と思いました」
「こういうところでお話をすると、自分のしゃべり方、考え方のクセが自分でよく分かります。それが自己分析や今後の大きなヒントになります」
「«仮面の告白»に耳を傾けてもらえるのは有難いものである」
「かたりあい、ききあい、つたえあい が自由にできた場!」
「悩むより思い、思うより考える。素直に人の話が聞けるのがよいかなぁ?」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/27

まんがでわかる伝え方が9割

772 「強いコトバ」をつくる5つの技術は使えそうである。
①サプライズ法~サプライズワードを入れる。「そうだ 京都、行こう」の「そうだ」
②ギャップ法~正反対のコトバを前半に入れる。「嫌いになりたいのに、あなたが好き」
③赤裸々法~自分のカラダの反応をコトバにする。「くちびるが震えてる。あなたが好き」
④リピート法~くり返す。「今日は暑い、暑い」
⑤クライマックスワードから始める。~「これだけは覚えてほしいのですが、」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/26

対話する社会へ ②

770 著者の暉峻淑子さん(写真)は1928年生まれ(現在88歳)の経済学者である。この年齢で、このような本を出版するなど、精力的に活動していることに感心する。

*コミュニケーションこそ、人間が発達していく場であり、個性と社会性をつなぐ環であり、創造性の培養地である。
*定型化、汎用化とは質的に違う対話的伝達の方法が、小規模な組織や、人間関係を仕事の基本にしている世界(医療や福祉、教育など)では、いまもなお不可欠なものとして尊重されている。
*対話は正誤とか勝ち負けという固定的な評価から解放されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/25

対話する社会へ ①

771 私の関心事である「対話」について考える上ではいい本であった。暉峻淑子著、岩波新書である。帯には、「戦争・暴力の反対語は平和ではなく対話です」という言葉がある。
*対話に特徴的なのは、個人の感情や主観を排除せず、むしろその人の個性とか人格を背景に、自己を開放した話し方が行われている点である。
*ロゴツキー:先ず対話があって、そこから自己の言葉[内言]や思想がつくられる。
*バフチン:対話についての思想の中心的位置を占めるのは「応答性」である。…対話を「身体性」を持つものだと考える。
*意味というものは、応答、応答に対する応答、そして更なる応答が続くという、本来予測不可能なプロセスのうちに生み出され変わっていく。それは中断されることはあっても、決して終結することのないプロセスである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/24

幸福の哲学 ③

Imagesek97wpvm アドラー(写真)と古代ギリシア哲学を基盤にした幸福論は、それなりに学ぶところがあった。
 最終章の第6章「人生をどう生きるか」から一文。
*年齢を重ねることに意識を向けず、余命にとらわれず、今しなければならないこと、できることだけを考えて生きれば、人生のあり方を大きく変えることができる。

 幸せは、「今」の時点だけをとらえても、「充足」と「向上」の2つの要素が存在していると思う。過去から今までに対して、満足と感謝の気持ちを持つとともに、今から未来へ向けて、何かしらの点でよくなるといった感覚である。この両者が両立していることは何ら矛盾していない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/23

幸福の哲学 ②

768 岸見一郎さん(写真)のこの本の肝は、第5章の「幸福への道」であろう。
*フロムの言葉:愛の本質は、「何かのために働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働とは分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。
*誰も嫌われたくはないが、もしもまわりに自分を嫌う人がいるとすれば、嫌われることは自分が自由に生きていることの証であり、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えなければならない。
*誰もが優れようとするという意味での優越性の追求も、他者と競争しないのであれば、問題なく健全なものとなる。
*それまでの人生で長く何かをやり続けてきた人であれば、ある領域では自分が優れていると思っていたのに、新しいことに着手すれば、たちまち何もできない自分と向き合わなければならなくなる。
*何かを習得することに限らず、自分が不完全であることを受け入れることができる人は、自分の価値を理想からの減点法ではなく、現実からの加点法で見ることができる。
*他者が生きていることが喜びと感じられるのであれば、自分についても生きていることがそのままで他の人にとって喜びであり、貢献していると思っていい。
*信頼するとは、目下起こっていることや、これから起きることについて未知なことがある時、その知られていないことを主観で補うことである。
*信頼することには二つの面がある。①他者の言動にはよい意図があると信じること。②相手が自らの課題を自分の力で解決できると信じること。
*他者が自分をありのまま受け入れてくれる仲間だと思えば、そんな仲間に役に立とうと思え、貢献感を持つことができる。そして、貢献感が持て、自分に価値があると思えたら、対人関係に入っていく勇気を持て、対人関係の中に入ることができれば、幸福を感じることができる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/22

幸福の哲学 ①

767 『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎さんの本である。副題は「アドラー×古代ギリシアの智恵」、帯には「「本当の幸福」とは何か」と書いてある。(講談社現代新書)
 『嫌われる勇気』のようなインパクトはないにしても、静かに考察してくれているので、学ぶところは多い。印象に残ったところを抜き書きしておく。
*たとえ幸福を定義することができ、その定義の意味を理解することができたとしても、そのことでただちに幸福になれるわけではない。地図で目指す場所を把握することができたとしても、実際には足はまだ一歩も前に進んではいないのだ。
*三木清は、成功は「過程」に関わるが、それに対して、幸福には、本来、進歩というものはなく、幸福は「存在」に関わるといっている。何も達成していなくても、何も所有していなくても、成功していなくても、人は幸福になることができるのだ。
*幸福は偶然にも左右されない。外的なことや偶然的なことに依存するのは幸運である。
*特別でなくても幸福であればいいではないか。
*私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる。
*理解できない他者、コントロールできない他者がいることを知ることが、自己中心性から脱却するためには必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/21

ラビング 愛という名前のふたり

769 いい映画だなぁ。夫役(ジョエル・エドガートン)、妻役(ルース・ネッガ)、両方ともよかった。ゆったりとした描き方もいい。
 白人男性リチャード・ラビングと黒人女性ミルドレッドは、1950年代のアメリカのある州では結婚は許されていなかった。(今から考えると、とてもおかしなことである。)
 その法律、社会の壁をこの夫婦が変えていく。変えることができるのだ。これは素晴らしいことである。
 妻の方の強い意志、これは称賛に値する。それとともに、夫の方の愛も私には印象に残った。素朴に、妻を守る、子どもを守る、家を守る……家族の幸せを強く願っている。
 変革には批判、中傷は付き物である。それを乗り越え、裁判を続けられていたのは夫婦の愛・絆である。それはとても静かであり、力強い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/20

体の見方(14歳からの哲学)

Images147 著者の池田晶子さん(写真)が亡くなって10年が経つ。
 『14歳からの哲学』の中の「体の見方」のところを読む。
 体はこの世において、自然(神)から自分(私)に与えられた車のようなもの? 私の所有物ではない? 運転手は私なのか、私の心なのか?
 私の中に小人がいて、私を動かしている? 小人とは私の心のことか? 小人を動かしているのは何だ? それとも私を包む、さらに大きな自分がいるのか? 大きな自然(神)が私を動かしている? すると全てが決められてしまっているのか?

 不死なるものはあるのか? それは心なのか? 魂とか霊とか言われるものか? 精神と言われるものか? 「それ」としか言いようのないものか?
 大体が不死なるものを想定する必要はあるのか? 未来や永遠を想定したがっているだけではないか? 今を生きる、幸福になる、幸福であればいいのではないか? 幸福になるために未来を想定する? ……人間らしいところだ。

 形而上学の話だ。この話をしたがる。しかし、解けない。人間の限界だ。「語りえぬものは沈黙しなければならない」……しかし、話はしたがるし、話は続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/19

働く意味って何だろう?

8_2 第47回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は2回目である。
 平成29年3月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性5名、女性4名、合計9名の人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①なぜテレビドラマは刑事もの、弁護士もの、病院ものが多いのか?
②なぜテレビドラマは勧善懲悪を好むのか?
③なぜテレビドラマはサクセスストーリーを好むのか?
④自己顕示欲は悪いことか?
⑤日本は宗教的寛容があるのに、同調圧力が強いのはなぜか?
⑥働く意味って何だろう?
⑦人生の生きがいとは?
⑧いいコミュニケーションって何だろう?
⑨言いっぱなし、聞きっぱなしのコミュニケーションって何だろう?
⑩なぜ人はウソをつくのか?

 今回は以上の中から、「働く意味って何だろう?」を後半の対話のテーマに選んだ。
 働くことの基底には、働くことから得る収入ということがある。経済的な自立をするためのお金のことである。このことを改めて認識しておくことから対話は展開していった。
 働くことによって、収入以外に本人にとってよいこととしては、例えば、能力が高まる、人間的な成長を得られる、新しい経験をできる、やりがいや生きがいを持てるなどがある。また、社会の一員として、社会への貢献をしているという面もある。
 一方で、やりがいを持てないといったことも起きる。仕事が忙しすぎたり、ルーティンワークばかりの仕事だったり、自分の能力よりはるかに低い仕事しか与えられなかったりとか、現実には生きがいに繋がらない仕事をせざるを得ない状況に追い込まれている場合も多い。厳しい現実がある。
 仕事にやりがいを持つことは理想である。しかし、仕事にやりがいを持てないからといって、その人の全人格が否定されるわけではない。仕事以外に生きがいを持っても、それはそれでOKである。周囲もそれを認める必要もある。

 最後に、一人一人、気づいたことや新たな問いや感想などを述べてもらった。
 その中で、「人や会社は変わらない。自分が変わることが出発点」という発言もあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/16

幸せになる勇気(再読)

9 再読して、印象に残ったところがいくつかあるので、抜き書きしておく。
*これはあなたに向けられた行動なのですから、まずはあなたが受け止めなければなりません。
*まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と、仲間になる。
*われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。
*すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。……いま、ここを真剣に生きる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/15

64 前編 後編

766 佐藤浩市、渾身の演技! 彼の代表作になるだろう。ノッテいる感じである。前編において、日本アカデミー賞最優秀男優賞を受賞した。脇役陣もいい。
 組織のしがらみ、警察組織のいやらしさを存分に描いている。家族の葛藤も描いている。一方で、人間の暖かさも描いているのだから、全体として人間を描いていることになる。
 小説を以前に読んでいたが、忘れていることも多かった。それだけに映画の前編の迫力は身に染みた。
 後編は原作から離れていくほどに、少々白けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/14

春琴抄

765 名作であることを大いに認める。谷崎潤一郎はすごい!
 現代からの私の少々特異な評価を書く。
 現代では、自立していること、そして自立したもの同士が関係を持つことをよしとする傾向がある。しかし、お互いに依存し合っていて、二人が揃ってこそ自立しているという関係があってもいいではないか。それをこの小説は示している。
 また、現代は見た目を重視し過ぎている。視覚が9割以上の社会である。これへのアンチにこの小説はなっている。目には見えないもの、あるいは「音」というものにこれだけの美しさを見出している。

 とにかく、愛の追求の形にしろ、美の追求の形にしろ、『春琴抄』の世界は現代の我々に、忘れているものを鋭く蘇らせる力を持っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/03/13

伝えるとは何か

Png5 第46回人生カフェは平成29年3月11日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「伝えるとは何か」であった。
 伝えるということは、「伝承」や「教える」といった意味合いなども含むものであるが、今回は主に日常的な人間関係の中で生じる会話とか対話とかいったレベルの話がなされた。
 伝えるというのは相手がいることである。相手が聞き、受け入れなければ、伝わったことにならない。
 相手が望まないことを一方的に伝えようとしていないか?伝えようとしていることが相手に対して暴力的になっていないか?このような疑問から対話はスタートした。
 伝えるということも、聞くや質問するといったこととともに、コミュニケーションを形成している。そのコミュニケーションがよくなされている場合には、そこに「共感」というものがありそうである。この共感というキーワードをめぐっても対話は展開した。
 伝えるということは、単に話し方のスキル(技術)を上げればうまくできるというものではない。伝えあうためには、お互いに聞きたいこと、話したいことの内容や気持ちをすり合わせていく努力も必要である。

 このようなことを自分の体験を交えて対話していくと、あっという間に3時間半が過ぎた。フリップに書くというような作業も行わずに、シンプルにただじっくりと対話をしたという感じであった。各人が新たに生じてきた問いを抱えつつ、会を終えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«ソラノイロ 一幻 一瑞亭