まんがで読破 資本論・続資本論
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新幹線に乗って、わざわざ新横浜のラーメン博物館へ行ったことがある。
どのお店も繁盛していて行列になっていたのを覚えている。
私はお目当ての「純連(すみれ)」に一目散に駆けつけた。そして、その時食べた味噌ラーメンの衝撃は忘れられない。新幹線に乗ってやってきた甲斐があったと思った。私にピッタリとフィットした。
しかし、その後、早々には新幹線には乗れない。食べたい気持ちは募るばかりなのだが。
そしたら、やがて、高田馬場に「純連(じゅんれん)」ができた。基本的に「純連(すみれ)」の姉妹店であり、同様なラーメンを出している。(逆に、ラーメン博物館に「純連(すみれ)」は現在ない。)
微妙なところでは両者は異なるし、当然最初の衝撃度からは落ちるが、私としては満足しており、時々食べに行く。(写真は本日7月12日に食べに行った時のものである。)
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「夜と霧」の著者V.E.フランクルの講演である。しかも強制収容所から解放された翌年1946年の講演である。フランクルの真髄が分かる記念すべき素晴らしい講演である。
私が人生になにを期待するかではなくて、「人生は私になにを期待しているか」と問うべきである。ここで言う「人生」とは、私なりに解釈すれば、世界、現実、他者といった言葉に置き換えていいものである。
我々は人生が出す問いに答えていく存在である。その問いは具体的である。生きている中での、いま、ここ、の問いである。
我々は快楽や力への欲求・意志だけでなく、意味への欲求・意志を持つ存在である。人は生きる意味・目的を求める実存的存在である。
その意味(価値と言ってもいい)をフランクルは3つに分類している。
創造価値は、仕事、家庭、趣味等での創造的行為によって実現する価値である。
体験価値は、自然や芸術に触れる時、愛を体験する時などに実現する価値である。
態度価値は、現実に対する態度によって実現する価値である。
私は前の2つの価値が実現しにくいぎりぎりの状況の中でも、最後に残される態度価値を今日は主に考えたい。
態度価値は「自分の可能性が制約されているということが、どうしようもない運命であり、避けられずに逃れられない事実であっても、その事実に対してどんな態度をとるか」によって実現する価値である。
これはフランクルの強制収容所の体験からきていることは間違いないが、現代の我々からすると次のような例が挙げられると思う。
過去のこと(生まれや生い立ち、育った環境など)、自分の身体のこと、自分の能力や性格のこと、職場や家庭の置かれた状況のこと、未来の死のこと、などである。一般に運命と言われるものであり、どちらかというと厳しい現実であり、マイナス的なものである。
しかし、これらに対する態度、心構え、受けとめ方によって価値が生じるというのである。私はここにこそ、その人の人格や徳といったものが現れると思う。
現実・事実に対して、感謝、喜び、愛などの態度を取れれば素晴らしいのだが、私はまだまだだ。
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以前働いていた職場から歩いて25分くらいの(結構遠い!)西武池袋線東長崎駅にある「オリオン食堂」である。
時々行っていた。店内それなりに広いのだが、アットホームな感じがある。
私が通っていた頃は無化調の正油ラーメンがとてもおいしかった。スープの素材がそのまま丼の底に沈殿していた。その穏やかな味に感動した。
この店主は元中学校数学教師ということが話題になっていた。元教え子が手伝いに来ていたりした。ラーメン作りが数学のように計算されている?調理時間は正確に測っていたようである。
先日、久しぶりに訪問したら、行列店になっていたので、うれしかった。
新しいメニューの開発にも余念がない。濃い魚介系のつけ麺もおいしかった。(写真のつけ麺である。)
麺がもっちりしていて感触がいい。具の小エビも効いている。スープ割りしたら、これまたうまいんだなぁ。懐かしさも含めて、満足した。
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映画「愛を読むひと」の原作であるこの小説は当然、名作である。
戦争の末端の加害者は追いつめられた人たちであり、戦争の犠牲者とも言える。私だって追いつめられ、極限状態になれば、同様な行為をするということである。
しかし、この小説は一方に片寄った単純な解釈をさせない書き方をしている。
むしろ、恐らく貧しさからきたであろう「文盲」のことがクローズアップされ印象に残る。それは「恥」というものを考えさせるし、世間並みの幸福より自分の魂の「自由と尊厳」を重視する意味を思い起こさせる。
この小説を読むと、逆に映画の良さも感じられるという稀有なケースである。ケイト・ウィンスレットはまさにはまり役。この本を読んでいて、彼女以外のイメージが浮かばないくらいである。筋も比較的忠実に映画化されている。
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伊坂幸太郎のものでは予想外に今までで一番面白かった。家族ものだったから私が好きだというのもある。
しかし、いつもながら、仕掛け・布石にこだわり過ぎている感はある。二重らせんのDNA、遺伝子、ひとゲノム、路上壁アート、そして放火へと続くからみは計算尽くされているが、少々凝り過ぎの面もある。
私くらいの年齢になると、もっとストレートに家族愛を打ち出してもいいような気がする。どうしても作りこんでしまうサービス精神が伊坂幸太郎的なところである。
遺伝と環境、そして遺伝より環境、それが家族の愛を育み、最強の家族を作る。感動的ではあるが、いささかステレオタイプのようでもある。悪人も作りすぎているようにも思う。
感心したのは、法律や裁判などは人間社会の単なる決まりごとと捉え、それよりも大事なものがあると思えることである。私もそのように思える年齢である。何が大事かも段々と分かってくる。
脇役で登場するストーカーの夏子さんはいい味出しているなぁ。
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佐藤一斎の言志四録を初めて読んでみた。佐藤一斎は江戸時代末期の儒官である。
古臭いところもある。(自己規制が強いところはきついなぁ。)
だから、現代に合うところ、自分に合うところを引っ張り出してくればいい。大体が自分が納得したものでなければ血肉にならないのだから。結局は自分の体験が根幹になっている、言い換えれば、自分の体験しか素材にならない、といった感じを私は最近持っている。
印象に残ったところをいくつか。
*心を顔だけでなく、「背中」に住まわせて、判断を誤らないようにする。
*「志」と「敬」 敬とは、自分を慎み、相手を敬うこと。
*世間一般の事柄については、人より一歩下がって譲る心が大切である。だが、志だけは師や古人に対しても遠慮することはない。
*仕事は「天を相手にしている」
*学問には「道」と「芸」がある。道は人徳形成であり、芸は食うための技術を磨くことである。
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苅谷剛彦さんの仕事には感心している。
従来から教育の格差や階層といった課題、大衆教育社会の成立などのテーマをいち早く取り上げ、掘り下げてきた。今回は教育財政を素材にして、「平等」の問題を考察している。分析すべき教育財政といった対象をしっかりとした視点で捉えている。
私も同世代で、同じ空気を吸って学んでいただけに共感するところ大である。もちろん、苅谷さんの方がかなり深い洞察である。
私の方は彼より戦後教育に対する思い入れは強い。書生っぽい感覚と言えるかもしれないが、この感覚の持ち主の方が情熱的な教師が多かったような気がしていたからである。
今は刈谷さんのような視点を持てる教師が素晴らしい教師と言えそうである。それほど、格差や階層(逆から見れば平等)の問題を避けて通れない。
刈谷さんはこの秋、東京大学からオックスフォード大学へ転進する。自由と平等の問題を広い視野から追究していくことだろう。
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私のラーメン好きの原点は、かつて目黒にあった「元祖 札幌や」である。(一番左の写真と同種のもの)。白味噌ラーメンで、夢に出てくるぐらい食べたくて食べたくてといった中学・高校時代があった。ここは父親に連れて行ってもらったお店で、まさに当時、衝撃であった。
高校から大学時代は、早稲田にある「えぞ菊」の味噌ラーメンである。(中央の写真)。独特のブレンドのえぞ菊味噌ラーメンに、周囲の迷惑も考えずにニンニクをたっぷり入れておいしく食べていた。
就職してからは、新宿の「日高」である。(右の写真)。この濃い目の味噌スープにしばらくハマッていた。男爵イモを丸ごと一個入れたラーメンをよく食べていた。先日久しぶりに食べに行った時に撮った写真が一番右の写真である。おいしかった。
私が味噌ラーメン好きなのは、元祖札幌やの原点の経験があったからだと思うが、これも父親が味噌関係の仕事をしていたからとも言える。
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我々の世代にはスター・トレックファンは多い。私もその一人である。
懐かしのキャラクター、カーク船長、スポック、マッコイ医師などの若き日を描いている。
この登場人物たちが魅力的なのである。カークは感情的でかつ強い意志を持っている。スポックは理性的かつ論理的思考に長けている。この2人がリーダーとサブになるから、時には2人は対立しながらも難問が解決していく。この2人の間に立って、マッコイもいい味を出している。
話の展開はスピーディで、テンポがいいから面白い。映像も迫力がある。
カークは結構弱い。頻繁にボコボコにされる。そして逃げまくる。しかし、運がいいから助けられる。その繰り返しで話が進む。カークの常に挑戦していくという強い意志は感じられる。
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浦沢直樹の作品、鉄腕アトム「地上最大のロボット」よりの「PLUTO」、いよいよ完結である。
浦沢直樹は、MASTERキートン、MONSTER、20世紀少年と読んできたが、このPLUTOが私には一番ぴったりしている。手塚治虫に大きな影響を受けた私だから、当然か?
悲しみや怒りの感情というものをクローズアップさせる。そして、戦いからは何も生まれない、愛がなければ生まれない、と訴える。
手塚のメッセージを伝える浦沢は、やはり手塚の直系のような気がする。あの偉大な手塚の直系になるのはなかなかたいへんなことである。
このPLUTOにおいては、アトムやウランなどのキャラクターが人間の子どものように描かれている。これは浦沢作品としては成功していると思う。
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著者の岬龍一郎さんは高等遊民の生き方を次のように要約している。
「その目的は個人的な快楽と美学を求めるものであり、その思想は儒教思想を根底に置くものの世俗を超越した老荘思想を主流とし、その生活信条は足ることを知った分相応の生き方、すなわち平たくいうなら自分に忠実に「好きなこと」をして暮らすということ」
人それぞれの経験や性格によるから、上のことが全ての人に当てはまるとは言えない。しかし、私の場合はかなり同感である。
この他、「中庸」ということ、「感動」することの大切さなどを学んだ。50代半ばになろうとしている私にとっては参考になることが多い。
ただ、漱石も使っている「高等遊民」の高等という言葉は、自慢や優越感が潜んでいるようで、私は好まない。
いずれにせよ、この本に登場する白居易(白楽天)や吉田兼好らの生き方には共感するところ大である。
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1987年に発表した村上春樹の大ベストセラーである。これで村上春樹ブームが巻き起こった記念すべき作品である。
読みやすい文体で、村上ワールドに引き込まれる。話は流れ、動いていく。謎が謎として続いていくので、その世界に浸ってしまう。芯や核といったものは見出しにくい。
登場人物に愛しさを感じ、小説が終わってしまうと、別れるのが辛くなる。小説の冒頭に戻って読みたくなる。これからしても、魅力ある小説と言える。
恋愛・セックスは一つのテーマである。1969年頃が舞台だから、今から40年前の話である。今と比較すると、大学生の恋とセックスは濃密だったのか。パソコン、携帯がない時代、手紙などの媒体が懐かしい。酒やセックスシーンも多いわけだが、とにかく現在より肉体的にも精神的にも濃い感じはある。もちろん男女の中はくっついたり離れたりと不安定ではあるのだが。
もう一つのテーマは病や死である。精神の病についてはかなり詳細に記されているが、それとともに病で死にゆく老人も描かれる。また、自死する人たちも多い。
セックスと死という人間にとって相反するテーマ、また強烈なテーマを提示してくるので大いに考えさせられる。
村上春樹は1949年団塊の世代の生まれであり、今年で還暦60歳である。「1Q84」のたいへんな出版現象に、私もこれから乗っていくことになりそうである。
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ハンナのことは語り継がなくてはならない。私もそのように思った。
戦争・アウシュビッツは何も生み出さない、暗黒の世界だ。他者への想像力も働かない。だから、恐ろしいのだ。その戦争・アウシュビッツに従事した人間を責められるか。ブラックホールに吸い込まれるようにそこに追い込まれた人間は逃げようがない。末端で従事した者は、「私は貝になりたい」と同じである。
坊や・マイケルはハンナを助けられなかったのか。そもそもハンナは無期懲役という刑罰から助けてもらうことを望んだのか。
「文盲」ということの意味の大きさと恥ずかしさは、そうでない我々には理解しがたい強いものがあるのだろう。文盲の恥ずかしさより、身寄りのないハンナにとっては刑務所の生活の方が保障されているだけにいいとも言える。文盲であろうともハンナの人間としての優しさと尊厳は輝いている。
ハンナは本を読んでもらうこと、その時、その過程が至福の時である。それについては刑務所という環境は悪くない。最高に幸せな時間を過ごせたのである。それができなくなれば死ぬことと同じだとハンナは思ったのだろう。
ケイト・ウィンスレット(アカデミー賞主演女優賞受賞)はもちろんのこと、原作がいいこともあるのだろう、作品としても傑作である。
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「こうかいぼう」は門前仲町の駅から10分くらい歩いたところにある。
魚介系だが、濃すぎず優しい味である。私が訪れた頃、高田馬場の「渡なべ」が評判になっていたので、「渡なべに似ている面があるが、渡なべより優しくおいしい。」と誉めたら、店主が恐縮しながら喜んでくれた。
店主夫婦のコンビネーションがよく、店の雰囲気も優しい。(夫婦仲がいいお店はラーメンの味も雰囲気もいいというのは当然であり、私はそのようなお店が大好きである。)
店主たちは以前は福祉系の仕事をしていたとのことである。だから、優しさが漂っているのか。トイレを使わせてもらったのだが、そのトイレも福祉施設のような配慮がされていたのには感心した。
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存在と人生に関する哲学(これはハイデガーの哲学のテーマに繋がる)、そしてそれが分かりやすく書かれているものは私を甘美な世界に誘う。
それは私が存在、人生、死といったものを丸ごとものすごく気にしているからである。それでいて細かい議論はイヤだ!
それに多分、誰も正解にたどり着けない究極の問いだと思っているからである。存在と人生、誰もがこの問いの前では平等である。だから甘美なのである。
この本は全体的には共感し、大いに楽しんだのだが、最後の方で少し違和感を覚えた。道徳と科学に対する見方が死後の世界(宗教)からの説明に片寄っているように読めた。もうすでにニーチェを経ているし、21世紀ですよ。現代の感覚からして、少し古い感じがした。
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「らーめん家 一歩」である。
杉並区の善福寺川緑地、五日市街道沿いにある。中野駅からバスで20~30分は乗るというアクセスの悪い所である。
もう7,8年は前のことである。私は長い時間バスに乗って訪れた。そしたら、休業中!張り紙には店主が交通事故のため、と書いてあった。私は店主に同情するとともに、せっかくここまで来たのにとがっくりした。
その後も休業はしばらく続いた。重傷だったようである。私は何度か問い合わせをし続けて、再開を確認して再度訪れたのは半年くらい後である。
はやる思いで店に入って、まず出会ったのは今や有名な奥さんである。メチャ明るいし、接待はきびきびしているし、美しくもあった。とにかくご主人が入院していた後といった暗さは感じられなかった。
私はそれだけでうきうきしたし、もちろん、とんこつラーメンもおいしかった。私はあまりに感動し、食後も善福寺緑地を一人散策し、ベンチに長く座って、この「一歩」の体験を反芻した。
どうして、このような気持ちになったかというと、その時、私は悩みを抱えていて、落ち込んでいたからである。その時に食べた一杯のとんこつラーメンとお店の明るい雰囲気は私の心を動かした。ものすごくうれしく楽しい気持ちになった。このようなラーメンとお店が存在していることに。
何か新しい「一歩」を踏み出せるような気持ちになったのである。
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