2018/04/23

ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書

875 さすがスティーブン・スピルバーグ、堅実な演出だ。それにメリル・ストリープ、トム・ハンクスが十分に応えている。
 特に、メリル・ストリープの社主としての苦悩と変化をうまく演じている。
 報道の自由と国家権力との相克を描いた実話だが、身に迫ってくる。今の日本にこそ必要な映画だ。日本の報道機関に期待したい。

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2018/04/17

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男

874 チャーチルのような人物が必要とされない時代であってほしい。そう、まさにチャーチルは非常時ゆえに活躍した政治家だ。
 ゲイリー・オールドマンはさすがのアカデミー賞主演男優賞だ。新しいチャーチル像を作ってしまった。

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2018/04/12

福岡伸一、西田哲学を読む

873 副題が「生命をめぐる思索の旅」である。(池田善昭・福岡伸一著、明石書店)
 動的平衡(福岡伸一のキーワード)と絶対矛盾的自己同一(西田幾多郎のキーワード)が似ているということ。
 本書のテーマは、ロゴス〈論理〉対ピュシス〈自然〉である。

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2018/04/10

眠れる美女

81ro0iiakl 単なるスケベ爺のエロ話ではない。
 エロスとともに死のことを取り上げている。生命と死である。
 嗅覚に訴える訴える表現が多用されている。それが生々しさを生んでいる。
 4人だけの読書会だったが、楽しかった。

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2018/03/31

リメンバー・ミー

872 ラストシーンは涙が止まらなかった。
 家族愛を謳い上げた。死後の世界の描き方も面白い。そして、真実を見つける驚きと楽しさもある。
 前に上映された「アナと雪の女王」の作品も家族愛、姉妹愛、伝統や思い出を表現していて、よくできていた。
 


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2018/03/25

哲学の最新キーワードを読む④

871 新しい公共哲学を目指すということがこの本の意図である。

11 ポスト資本主義社会は共有がもたらす~シェアリング・エコノミー
*クラウドベース資本主義である。(一般大衆、クラウドが中心)
*テクノロジーのおかげで、世界規模で新たなコモンズが生じようとしている。…個人を主体としている。
*シェアをインフラのようにとらえ、自分の都合に応じて利用するという気軽さだ。

12 自分と他者を同時に幸福にする~効果的な利他主義
*ピーター・シンガー(写真)の提唱する効果的な利他主義も、功利主義の発想に基づいている。

〔おわりに〕 未来のための新しい公共哲学
*〈多項知〉は「私」とつながっている。かといって、「私」に回収してしまえるほど存在意義の小さいなものではない。だから、「私」が〈多項知〉を駆使して社会を変えるというのが一番正確だといってよい。
*「私」が〈多項知〉という複数の項からなるネットワーク状の知をつなぎ合わせる役割、「ハブ」を担うことが重要である。

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2018/03/24

哲学の最新キーワードを読む③

870 このプラグマティズムのところは面白い。
第Ⅳ部 共同性の知
10 積極的な妥協が対立を越える~ニュー・プラグマティズム
*プラグマティズムとは、行為によって実用的な結果を得る思想である。
*ネオ・プラグマティズムの旗手であったリチャード・ローティは、強制によらない合意を「連帯」と言う。連帯こそが、伝統的な哲学が求めてきた普遍的妥当性に変わるものである。
*ニュー・プラグマティズムのジョン・マクダウェル(写真)は、プラグマティズムの立場から客観性を肯定しようとする。(ローティは「客観性恐怖症」?)
*客観性の問題は、心が何かを知る行為である「経験」なるものが、はたして絶対的といえるのかどうかの問題である。
*マクダウェルは、経験そのもののうちに、すでに「概念」が働いていると考える。(概念主義)
*自然にはすでに意味が含まれており、人間が唱える価値は客観的にも実在する。(アリストテレスの「第二の自然」)

*従来の民主主義はルソーの一般意志というフィクションに基づいて民主主義を構想していた。しかし、人民の意志はあらかじめ確定しているわけではなく、むしろ後から明確になることの方が多い。そもそもプラグマティズムとはそうした人間理解に立って唱えられたものである。…プラグマティズム型民主主義とは、不確定な状況の中でとりあえずの答えを出していくことだといえる。…行き当たりばったりの側面がある?

*主導権を握るのは、あくまで素人知であるべきである。…強硬な専門知に取り込まれることなく、強靭な素人知を育んでいかなければならない。

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2018/03/23

哲学の最新キーワードを読む②

869 小川仁志さん(写真)の本は新しいとか深いというのではないが、整理の方法と提示の仕方がうまいので、分かりやすく、参考になる。
 
第Ⅱ部 モノの知
4 すべては偶然に生じている~思弁的実在論
*偶然性の必然性~偶然の出来事は、必ず起こる。

5 独立するモノたち~OOO(トリプルオー)
*オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology)
*モノが徹底的にバラバラである。

6 非 ー 人間中心主義の行方~新しい唯物論
*マルクスはあくまで人間の労働こそが価値を生み出すとしたが、そうではなくて蒸気機関や石炭、産業組織そのものが価値を生み出す。
*社会的実体は存在し、心はそれを把握するという形。社会は人間のあずかり知らないところで勝手に構成されていく。

◎モノは確実に社会のアクターとして躍り出ようとしている。……その中で、人間の役割の問い直しが求められている。

第Ⅲ部 テクノロジーの知
7 AIの暴走を止められるか~ポスト・シンギュラリティ

8 インターネットが世界を牛耳る~フィルターバブル
*私たちインターネットユーザーは、ネットだからといって相手への配慮を手薄にしてはいけない。そして、リアルな世界と同じように、自分の言葉に責任を持たなければならない。

9 プライバシーなき時代を生きる~超監視社会

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2018/03/22

哲学の最新キーワードを読む①

868 小川仁志著、講談社現代新書である。副題が「「私」と社会をつなぐ知」ということで、新しい公共哲学を模索する本でもある。

〔はじめに〕 「私」をアップグレードするために
*絶対知から〈多項知〉へ
*新たに生起する様々な非理性と、従来の理性との関係を定義し直すことで、理性そのものをアップグレードすること~それこそが〈多項知〉の時代に求められる新たな公共哲学なのである。
*「感情」を豊かにし、「モノ」を主体にした新しい思想を理解し、「テクノロジー」のもたらす未来を正確に把握し、「共同性」の広がりを視野に入れる。

第Ⅰ部 感情の知
1 政治は感情に支配されるのか?~ポピュリズム
*ポピュリストは、反エリート主義者であることに加えて、つねに反多元主義者である。
*ポピュリズムに対抗できるのは、いわば「スローイズム」とも呼ぶべき新しい公共哲学にほかならない。

2 地球規模の宗教対立が再燃する~再魔術化

3 アートこそが時代を救う~アート・パワー
*アートそのものが政治のアクターであり、アリーナになりうる。

◎新しい公共哲学は、感情や感性の持つ力を飼いならすという視点で構築される必要がある。

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2018/03/21

しあわせの絵の具

867 涙を流した、感動作である。
 素晴らしい夫婦愛を描いている。そこに特別な出会いがあり、独特な愛を育んだ。見た目は歪(いびつ)で、武骨ではあるが、二人しか分からないような世界を作った。
 妻の好きなことはやらせてあげよう、という気持ちになった。
 サリー・ホーキンスはもちろんいいのだが、夫役のイーサン・ホークもなかなかのものである。

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2018/03/20

観光客の哲学⑥

863 少しだけ私の感想を書いておく。
 とにかくこの本での東浩紀さん(写真)の論や例は刺激的で面白かった。

 この本での観光とは主に海外の旅行をイメージしていて、ダークツアーなどがその意義を強く表している感じがある。私は一般の観光(例えば、国内の物見遊山)についてはそれほど期待できないし、力にもならないと思っている。
 私はほとんど海外旅行をしないこともあって、観光客の論はそれほど魅力を感じなかった。むしろ、私にとって身近な、後半の家族の論の方が興味を引いた。
 実際上、今の日本において、観光に行かない、家族を持たない(親にならない)人が増えている中で、この本の論はどれほど影響力を持つだろうか。
 もちろん、具体的な観光や家族を論じているのではなく、抽象的で哲学的な観光や家族を論じているのは私も承知している。ただ、著者の東さんの実際の観光と家族の体験が反映されているという香りを私は随所に感じるので、言っておきたかったところである。

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2018/03/19

観光客の哲学⑤

864 私の好きなドストエフスキーを扱ったこの章は面白かった。
 第7章「ドストエフスキーの最後の主体」
*なぜルソーには弁証法がなく、ドストエフスキーにはあったのか。フロイトが指摘したように、ドストエフスキーの文学につねに「父殺し」の主題がつきまとっていたからか。
*リベラリズムの偽善を乗り越え、ナショナリズムの快楽の罠を逃れたあと、グローバリズムのニヒリズムから身を引きはがし、ぼくたちは最終的に、子どもたちに囲まれた不能の主体に到達するのだ。
*苦しむ子どもは、イワンとスタヴローギンの最大の弱点である。
*ぼくたちは犬のジューチカが死んだあとも、もういちどジューチカ的なるものを求めて新しい関係をつくることができるし、またそうすべきである。
*ある子どもが偶然で生まれ、偶然で死ぬ。そして、また新しい子どもが偶然で生まれ、いつのまにか必然の存在へと変わっていく。子どものイリューシャの死はそのような運動で乗り越えられる。ぼくたちは、一般にその運動を家族と呼んでいる。
*だから、子どもたちに囲まれた不能の主体は、不能ではあるけれどけっして無力ではない。世界は子どもたちが変えてくれる。人間は、人間を孤独のなかに閉じ込める「この」性の重力から身を引きはがし、運命を子どもたちに委ねることで、はじめてイワン=スタブローギンのニヒリズムを脱することができる。
*コミュニタリアニズム(ナショナリズム)もリバタリアニズム(グローバリズム)もそもそも他者の原理をもたない。いま、他者への寛容を支える哲学の原理は、もはや家族的類似性ぐらいしか残っていない。あるいは「誤配」くらいしか残っていない。
*ぼくたちは、必然にたどりつく実存になるだけでなく、偶然に曝され、つぎの世代を生みだす親にもならなければ、けっして生をまっとうすることができない。……ハイデガーの過ちは、彼が、複数の子を生みだす親の立場ではなく、ひとり死ぬ子の立場から哲学を構想したことにあった。
*子として死ぬだけではなく、親としても生きろ。
*親であるとは誤配を起こすということ。そして偶然の子どもたちに囲まれるということ。

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2018/03/18

観光客の哲学④

866 第2部は「家族の哲学」(序論)ということで、家族のことをテーマとして取り上げる。
 第5章「家族」
*家族とはそもそもが偶然の存在である。だから、それは偶然により拡張できるのだ。
*家族の輪郭は、生と生殖だけでなく、集住と財産だけでもなく、私的な情愛によっても決まる。
*新生児に人格はない。でもぼくたちはそれを愛する。だから子どもにも人格が生まれる。最初に人間=人格への愛があり、それがときに例外的に種の壁を越えるわけではない。最初から憐れみ=誤配が種の壁を越えてしまっているからこそ、ぼくたちは家族をつくることができるのである。

 第6章「不気味なもの」
 (ラカン(写真)らの論を援用しながら、展開している。)
*サイバースペースという言葉には独特のメッセージが含まれている。情報技術の誕生によって、ぼくたちは新しい世界=空間に生きるようになるというメッセージである。その認識論的な表現が「仮想現実への没入」で、経済的な表現が「情報産業という新しいフロンティア」だと考えられている。
*ひとはそんなに器用に「分人」にはなれない。分身が裏アカで吐いた毒は、まさに不気味なものとして本体に貼りつき、少しずつ本アカのコミュニケーションにもゆがみを与えていく。
*「宇宙」と「未来」の失墜、それは大きな物語の喪失にほかならない。……サイバースペースという概念が、大きな物語が消えた世界において、その欠落を埋め合わせる「新しい大きな物語」の役割を果たしたことがわかってくる。
*観光客の視線とは、世界を写真あるいは映画のようにではなく、コンピュータのインターフェイスのように捉える視線なのではないだろうか?
*いまやかつてのイデオロギーがあった場所はコンピュータに占められ、そしてコンピュータの秩序はかつてのイデオロギー以上にぼくたちを支配している。
*イメージとシンボルを等価に並べるコンピュータの平面、それはまた、帝国の秩序と国民国家の秩序を往還する郵便的マルチチュードの平面でもあるはずだ。サイバースペースの比喩はその可能性を覆い隠してしまうのである。

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2018/03/17

観光客の哲学③

865 アントニオ・ネグリ(写真)らが使った「マルチチュード」という概念を活用している。
 第4章「郵便的マルチチュード」
*「郵便」は、存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界のさまざまな失敗の効果で存在しているように見えるし、またそのがぎりで存在するかのような効果を及ぼすという、現実的な観察を指す言葉である。その失敗を「誤配」と呼ぶ。
*人間社会にダイナミズムを与えているのは、他者の絶対的排除でもなければ、他者への完全な開放性でもなく、そのあいだの状態だということだ。
*富の偏りは、一部の富めるものがつくるのではなく、ネットワークの参加者ひとりひとりの選択が自然に、しかも偶然に基づいてつくりだしていく。
*「人間の条件」とその外部、政治とその外部、国民国家と帝国、規律訓練と生権力、正規分布とべき乗分布、人間がひとりひとり人間として遇されるコミュニタリアンなコミュニケーションの圏域と人間が動物の群れとしてしか計数されないリバタリアンな統計処理の圏域とが、同じひとつの社会的実体のふたつの権力論的解釈として同時に生成する。
*出会うはずのない人に出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。……ぼくたいちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。これらを「観光客の原理」と名づける。
*コミュニタリアニズムは、あらゆる信念は結局は主体が所属する共同体(国民国家)の偶然性に規定されると主張する政治思想であり、他方でリバタリアニズムは、社会の基盤(メタユートピア)はあらゆる信念に関係なく設計されるべきだと訴える政治思想である。
*もし憐れみがなければ、人類はとうのむかしに滅びていただろうとルソーは記す。憐れみこそが社会をつくり、そして社会は不平等をつくる。
*ルソーもローティもおそらくは誤配の哲学者だったのだ。誤配こそがヘーゲルが見なかったものであり、そしてぼくたちがいま回復しなければならないものなのだ。観光客の哲学とは誤配の哲学なのだ。そして連帯と憐れみの哲学なのだ。ぼくたちは、誤配がなければ、そもそも社会すらつくることができない。

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2018/03/15

観光客の哲学②

862 東浩紀さん(写真)の発想は刺激的だ。
 第2章「政治とその外部」
*『永遠の平和のために』の第三条項の追加でカントが提示しようとしたのは、国家と法が動因となる永遠平和への道とはべつに、個人と「利己心」「商業精神」が動因となる永遠平和へのもうひとつの道があり、この両者が組み合わされなければ永遠平和の実現は不可能だという認識である。
*シュミットにおいては、政治はまず、世界を内部(友)と外部(敵)に分け、共同体(友の空間)を確立する。
*国家を離れ、民族を離れ、他者の承認も歓迎も求めず、個人の関心だけに導かれてふわふわと行動する観光客は、まさに「動物」だと言うことができる。
*観光客は大衆である。労働者であり、消費者である。観光客は私的な存在であり、公共的な役割を担わない。観光客は匿名であり、訪問先の住民と議論しない。訪問先の歴史にも関わらない。政治にも関わらない。観光客はただお金を使う。そして国境を無視して惑星上を飛びまわる。友もつくらなければ、敵もつくらない。そこにはシュミットとコジェーヴとアーレントが「人間ではないもの」として思想の外部に弾き飛ばそうとした、ほぼすべての性格が集まっている。観光客はまさに、20世紀の人文思想全体の敵なのだ。だからそれについて考え抜けば、必然的に、20世紀の思想の限界は乗り越えられる。

 第3章「二層構造」
*リベラリズムは普遍的な正義を信じた。他者への寛容を信じた。けれどもその立場は20世紀の後半に急速に影響力を失い、いまではリバタリアニズムとコミュニタリアニズムだけが残されている。リバタリアンには動物の快楽しかなく、コミュニタリアンには共同体の善しかない。このままではどこにも普遍も他者も現れない。それがぼくたちが直面している思想的な困難である。
*観光客の哲学とは、政治の外部から立ち上がる政治についての哲学、動物と欲望から立ち上がる公共性についての哲学、グローバリズムが可能にする新たな他者についての哲学を意味している。
*国民国家の時代はじきに終わり、帝国の時代が始まると考えるのではなく、両体制の共存について考える。
*『存在論的、郵便的』(東浩紀)では、ある時期のフランスの思想が全体として否定神学的な性格を強く帯びていること、そしてそのなかでひとりの哲学者(ジャック・デリダ)がその傾向に抵抗を試みていたことを論証しようとした。

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2018/03/14

観光客の哲学①

861 東浩紀著で、「ゲンロン0」という位置づけである。(genron 2017年発行 )
 帯に、「『郵便的』から19年 集大成にして新展開」とある。東浩紀の著作を追ってきた者としてはありがたい本ではある。
 第1部は「観光客の哲学」である。第1章「観光」
*観光というと日本では、高度経済成長期からバブル期にかけての古い消費活動といった印象が強い。けれども実際にはそれは、21世紀のもっとも有望な成長産業のひとつなのである。
*政治は「まじめ」と「ふまじめ」の峻別なしには成立しないが、文学はその境界について思考することができる。この意味では本書は、文学的思考の政治思想への再導入の必要性を訴える本でもある。観光客とは、政治と文学のどちらにもおらず、またどちらにもいる存在の名称である。

付論「二次創作」
*現代においては、作品の内部(作品そのもの)と外部(消費環境)を切り離し、前者だけを対象として「純粋な」批評や研究を行うという態度、それそのものが成立しない。(環境分析的読解の必要性)
*21世紀のポストモダンあるいは再帰的近代の世界においては、二次創作の可能性を織り込むことなしにはだれも原作を作れず、観光客の視線を織り込むことなしにはだれもコミュニティがつくれない。
*二次創作者はコンテンツの世界での観光客である。裏返して言えば、観光客とは現実の二次創作者なのだ。

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2018/03/13

北の桜守

320 戦争、引き揚げ、シベリア抑留で亡くした息子(長男)、夫への悲しみ。次男の母への思いは強い。ここに涙する。
 中高年の客が多かった。
 サユリストだから、映画に対する評価は甘くなる。

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2018/03/12

15時17分、パリ行き

860 実話はやはり力がある。そして、その実話の本人が演じている映画というのもすごい!
 アムステルダムから15時17分発のパリ行きの列車に乗った3人、彼らがテロに出会った。
 偶然その場にいた。しかし、その場であの行動ができるのは偶然ではない。それなりの過去と蓄積があったからだ。
 まずは3人が友だちだったこと。それから軍隊経験者が2人いたこと。訓練を経て能力を身に付けていたこと。そして、何よりも勇気を持っていたこと。

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2018/03/06

シェイプ・オブ・ウォーター

859 異形な者との愛がテーマである。
 異質な者、マイノリティに対する差別が意識されないところで存在していた。あのよきアメリカの時代、1960年代にあった。
 テーマが前面に出ており、ストーリーは添え物の感はある。

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2018/03/05

灯花紅猿 かしわぎ たかはし

Img_0495Img_0508Img_0509 気ままに訪問している。
左写真:四谷三丁目「吟醸煮干灯花紅猿」煮干らぁ麺 2月13日 食後の感触(味の残り香)はよかった。
中写真:東中野「かしわぎ」醤油ラーメン 2月28日 再訪である。色も濃い、濃口の醤油スープがおいしい。現在の私にはピッタリの味、少し固めに茹でた麺ともよく合う。2枚のチャーシューはよくできている。長いメンマもシャレている。680円という安さは貴重である。
右写真:新宿・歌舞伎町「焼きあご塩らー麺 たかはし」焼きあご塩らー麺 3月4日 5回目くらいの訪問。久しぶりに食べて、やはりうまい!縮れ中太麺とスープが実によく合う。お肉類も充実。バージョンアップしている感じである。ライスを入れてのお茶漬け風は必ずやるべし!この最後の〆が実にうまい。歌舞伎町で一番だ。

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2018/03/04

麺屋33 一富士 みつヰ

Img_0478Img_0482Img_0490 冬の時期のラーメン店歩きである。
左写真:神保町「麺屋33」鶏プレミアつけ麺 1月28日 中盛は麺300gだった。
中写真:中野新橋「一富士」味玉中華そば 2月1日 確かに直球の中華そばという感じ、おいしい!懐かしさもある。全体的に少量である。それぞれの質が高いから、これがかえって食欲をそそる。
右写真:浅草・田原町「麺みつヰ」醤油 2月11日 醤油スープがおいしい。完食!2枚のチャーシューを炙ってくれているのだが、これがうまい。最近では一番である。いいものを使っている。蓮根も乗っているのはうれしい。おいしかった。

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2018/03/03

人生フルーツ

858 津端修一さん90歳、英子さん87歳、風と雑木林と建築家夫婦の物語、そのスローライフを撮ったドキュメンタリーである。
 とても贅沢でうらやましい。修一さんは90歳で亡くなるが、幸せな人生であっただろう。あのように生きて、あのように死にたいものである。こつこつと長い時間をかけて「自然」を妻と一緒に見て、味わっている。健康的で、活動的であった、まさにピンピンコロリである。
 妻が素晴らしい。それから考えると、残される妻のことは心配りしておく必要はあるか。
 津端夫妻の活動や存在の社会的意義もしっかりと捉えたドキュメンタリーである。その思想、実践に対してのリスペクトが感じられる。
 修一さん、英子さんは器用なんだな。自分でいろいろ作れ、いろいろできる。自然を相手にできる。これは私には真似できない。私は自分のやれることをやっていくしかない。
 このドキュメンタリーは根気よく撮っている。編集もうまい。

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2018/03/01

今夜、ロマンス劇場で

857_2 映画を愛する人たちの映画ではある。 
 映画の中のヒロインやヒーローを愛することはある。
 オマージュがそこにはある。
 これは映画好きなら、分かることではあるが……。

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2018/02/28

君たちはどう生きるか

Yjimageu4y007zm あえて今回は漫画版(原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 マガジンハウス)を読んだ。

 原作は昭和12年、日中戦争が始まった年である。主人公のコぺル君は中学生、やがて学徒出陣に連なる世代である。時代に大きく翻弄された人たちである。この時代の貧困、いじめ、暴力等の問題は現代にも通ずるものがある。

 天動説を信じていた人たちを自己中心的な人たちと現代人は笑えるか。現代人も主観に偏った見方をしていないか。一方で、自分の体験から出発して正直に考えていけ、胸からわき出てくるいきいきとした感情を大切にしろ、とも言われる。この客観性と主観性の問題はなかなかに難しい。

 「自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを、日々生み出しているのだ。それは、いったい、なんだろう。」
 これはこの本の中でも大きな問いだ。
 物質的なものを生産しているか否かではなく、精神的に周囲によい刺激を与えているということだろうか。その刺激はやがて素晴らしい本に結実するかもしれない。
 それとも存在しているだけで、その人は価値があるということだろうか。これはカッコよい言い回しだが、実感できている人は少数とも言えそうである。今後も考えていきたい問いである。

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2018/02/27

勉強の哲学④

856 ドゥルーズ(写真)などの哲学を背景にこの本は書かれている。
 第4章は「勉強を有限化する技術」である。実践編に当たる。
*自分の実感に引きつけないで読む、というのは、あるテクストを「テクスト内在的」に読むことである。それは、テクストの構造=設定における概念の機能を捉えることである。
*中断の後に、また再開してほしい。中断と再開を繰り返してほしい。
*勉強を続けている者同士の相互信頼に参加してほしい。勉強を進めるうちに、友が必要になってくるでしょう。友は、教師よりも必要な存在です。ノリの悪い友と、キモい友と、語りたくなる。
*それこそがまさにノリであるノリ、自己目的なノリを楽しんでいる、来たるべきバカ同士の、互いの奥底の無意味を響かせ合うような、勉強の語り合いへ。

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2018/02/26

勉強の哲学③

855 千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』に通ずる内容である。
 第3章は「決断ではなく中断」である。
*自分なりに考えて比較するというのは、信頼できる情報の比較を、ある程度のところで、享楽的に「中断」することである。
*勉強の対象、範囲を有限化する方法
 (1)環境のノリに合わせる:保守的な有限化
 (2)アイロニー:決断による有限化
 (3)ユーモア:比較の中断による有限化
*ある結論を仮固定しても、比較を続けよ。つまり具体的には、日々、調べ物を続けなければならない。別の可能性につながる多くの情報を検討し、蓄積し続ける。
*信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である。
*自分の享楽的なこだわりによって足場を定めることが必要であり、しかもそれを絶対化しないことが必要です。

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2018/02/25

勉強の哲学②

854 著者の千葉雅也さん(写真)が、お笑いの世界のキーワードである「ボケ」「ツッコミ」「ナンセンス」をうまく使って説明している。
 第2章は「アイロニー、ユーモア、ナンセンス」である。
*ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアが、環境から自由になり、外部へと向かうための本質的な思考スキルである。
*勉強においてはアイロニーに優先権がある。
*環境のコードは、つねに不確定であり、揺らいでいる。
*(0)最小限のアイロニー(ツッコミ)意識:自分が従っているコードを客観視する
 その上で、
 (1)アイロニー(ツッコミ):コードを疑って批判する
 (2)ユーモア(ボケ):コードに対してズレようとする
*アイロニーとユーモアは、「過剰」になると、ナンセンスな「極限形態」に転化する。
*アイロニーは、最も極端には、言語をー環境依存的であるしかない言語をー「無化」したいという欲望になるのです。アイロニーとは、言語のフィルターを通さずじかに、「現実それ自体」に触れたいという欲望です。
*享楽のための語りには、人それぞれに特異なこだわりがあらわれている。それは個性のあらわれにほかなりません。
*アイロニー ⇒ 言語なき現実のナンセンス
 拡張的ユーモア ⇒ 意味飽和のナンセンス
 縮減的ユーモア ⇒ 形態のナンセンス
*ラディカル・ラーニング(深い勉強)の進展
 (1)アイロニーから始め、その過剰化をせずにユーモアへ転回し、
 (2)そして、ユーモアの過剰化を防ぐために、形態の享楽を利用する。
 (3)さらに、享楽の硬直化を防ぐために、アイロニカルにその分析をする。

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2018/02/23

勉強の哲学①

853 副題「来るべきバカのために」、千葉雅也著(文藝春秋)である。それなりに読まれている。
 この本からすると、「哲学カフェ」はまさに「勉強」の場と言える。私は哲学対話における「勉強」についていろいろ考えたいという姿勢でこの本を読んだ。

 第1章は「勉強と言語ー言語偏重の人になる」である。
*言語は、私たちに環境のノリを強いるものであると同時に、逆に、ノリに対して「距離をとる」ためのものでもある。
*言語使用については、「道具的で目的的」と「玩具的で自己目的的」とがある。
*「言葉遊び的」になる。「言語偏重」になる。…自分のあり方が、言語それ自体の次元に偏っていて、言語が行為を上回っている人になるということです。それは言い換えれば、言葉遊び的な態度で言語に関わるという意識をつねにもつことなのです。…深く勉強するとは、言語偏重の人になることである。

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2018/02/21

グレイテスト・ショーマン

852 ここ最近、いい映画に出会えていて幸せ!
 この映画も楽しくて、ホロリとさせられた。歌、踊り、映像、どれも素晴らしい。
 「家族愛」が終着点でのテーマであり、これは定番ゆえに安定感がある。
 今回私が考えさせられたのは、文化格差、教育格差、経済格差、身分格差などの話である。
 生まれによって条件づけられているところがある。それが低俗と高尚の差を生むことがある。このギャップは超えることができるのか。
 自分の感覚に素直になるということがひとつポイントである。お互いの違いを尊重しながら。

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2018/02/15

ミッドナイト・バス

851 素晴らしい日本映画に出会えた。このゆったりとした時間の流れがいい。感動作である。
 どうにも思うようにはいかない男女の仲、それでも時は流れていく。ちゃんと家族の物語にもなっていた。
 主役の原田泰造がいい。あの顔とあの間がいい。あの雰囲気を作れる人はそうはいない。適役である。優しすぎる、暖かすぎる、いい人過ぎる感じが出ている。
 それから、私は小西真奈美がとても気に入った。守ってあげたくなる人物像をうまく作り出した。
 長尺で、丁寧に描いているので、それぞれの登場人物に感情移入できる。登場人物みんなが幸せになってほしいと素直に願えるいい映画です。

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2018/02/13

東京プリズン

850 赤坂真理著、河出文庫である。
 縦軸(縦糸)に、東京裁判、日本の戦後論、天皇、日本とアメリカの関係などがある。これが一本貫いている。
 それに織りなす横軸(横糸)がいくつかある。母と娘の関係、ヘラジカ(森といったもの)、アメリカとベトナムとの関係などである。
 これらを時空を超えて表現している。1980年代、2010年代と約30年を隔てた時代を行き来している。白昼夢や幻想によって異なる空間に入り込んでいく。
 これらによって、小説という織物になっている。日本の戦後について、いろいろ考えさせてくれる小説になっている。私としては面白く読んだ。

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2018/02/07

スリー・ビルボード

849 先が読めないストーリーである。説明がしにくいストーリーである。
 レイプされ、焼かれた娘の犯人を捜査する警察の怠慢さを告発する3枚の看板を、その母親が設置したことから、街に波紋が広がっていく話とはいえる。その広がり方が恐い。
 怒りが怒りを生む、怒りの連鎖である。それが次に何を生み出すかは予測がつかない。人が反発したり、離れたり、死んだり、くっついたりする。実人生もそのようなものかもしれない。そこがリアルだ。
 どのシーンも密度が濃いから、強烈な印象を残す。小説のように話の筋が繋がっていく。これは脚本が練られているからである。
 予想外のところで、反発していた者同士が近づいていく。同志のような関係が生まれる。これにはびっくりするが、納得もいく。説得力のある脚本だからだ。
 主要な3人の役者がこれまたうまい。

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2018/01/31

祈りの幕が下りる時

848 東野圭吾原作の「新参者」シリーズの最終回の映画である。
 名作「砂の器」のような親子の過酷な運命が取り上げられている。親子の愛がテーマである。
 感動作である。
 阿部寛演ずる刑事・加賀恭一郎は魅力的な人物だった。日本橋も魅力的な街である。
 これらが終わってしまうのはとても残念である。

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2018/01/25

パディントン2

847 まさに英国紳士であるクマのパディントンを通して、ロンドン愛している、イギリス愛している、という映画である。英国の文化や歴史を愛している。
 そこには伝統への愛着と誇りがあり、余裕が見られる。だから全体的に楽しさが溢れている。
 その伝統とは、家族、地域の暖かさを大切にするというものである。どのような環境においてもすぐに友だちになれるというパディントンのキャラクターと相まって、こちらもほっこりとした気持ちになる。

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2018/01/24

賀丸屋 MENSHO 健やか

Img_0472Img_0473Img_0474 今年もラーメン店めぐりは続く。
左写真:西早稲田・明治通り「賀丸屋」こってりらーめん・ネギ 1月11日 ニンニクが少し入ったこのラーメンは好きである。背脂もちょっと懐かしい。九条ネギも好きである。
中写真:護国寺「MENSHO」潮らーめん 1月21日 ユニークな器で、きれいなラーメン。具も珍しく、斬新さと意欲を感じる。おしゃれである。
右写真:三鷹「ラーメン 健やか」特製ラーメン(醤油) 1月23日 丁寧に作られたラーメンである。醤油スープは段々とその濃さ・深さが分かってくる。麺は少し固めに茹でてあり、これはいい。豚、鶏のチャーシューもうまく作ってある。

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2018/01/23

ソラノイロ 志奈田 ひのとり

Img_0461Img_0462Img_0471 今年になってから行ったラーメン店である。
左写真:京橋「ソラノイロ トンコツ&キノコ」スパイストンコツソバ 1月3日 辛いのはちょっと苦手であるが、専用のビネガーを入れたら、スープが私好みの味に変化していった。
中写真:秋葉原「九十九里煮干つけ麺 志奈田」純濃煮干つけ麺 1月4日 完成されているつけ麺である。どろどろ系だが、マイルドで、とてもおいしい。平打ち麺という選択もいい。つけ汁とよく合う。お肉、タマネギなどの具も効いている。後半、麺にレモンを絞って、味の変化を楽しめる。スープ割りも、もちろんおいしくて、本当に完食!きれいで水準の高いつけ麺であった。
右写真:東陽町「濃厚鶏白湯らーめん ひのとり 東京東陽町本店」濃厚鶏白湯らーめん 1月9日 縮れ麺によく絡むおいしいスープだった。野菜の具もいい。紅ショウガとの相性もいい。完食した。

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2018/01/22

8年越しの花嫁~奇跡の実話~

846 8年待ったこの男、尚志さん、彼がすごい!ご立派!
 最初から泣きっぱなし。途中号泣あり。家族として認めあうというシーンが最も泣いたところ。
 8年というのは長い年月だ。しかも、先が見えない期間だ。そこに尚志さんだけが見えていた充実した時間があったのだろう。
 土屋太鳳が熱演である。

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2018/01/21

パッセンジャー

845 未来のSF、宇宙ものは好きな分野である。いろいろ思考実験的に考えながら見るのも楽しいからである。
 この作品も面白かった。よくできていると思った。
 
 人は他人の人生をその人の意向を聞かずに強制的に変更していいのか、という問題は残る。

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2018/01/12

パトリオット・デイ

844 実話ということで説得力があるから、グイグイと引き込まれてしまう。
 実話だから、きれいなストーリーにはなっていない。カッコよさはないし、ビッグなヒーローもいない。
 群像劇に仕上がっている。初めの方に描かれた人物が後の方になって全て絡んでくる。この作り方はうまい。

 テロに対して、街ぐるみで対決していく。大仰のようにも見えるが、当然とも言える。
 アメリカ内におけるイスラムの問題も浮かび上がってくる。これは相当に深刻なことだろう。

 悪に対しては愛で対抗する。このシンプルだが力強いメッセージが伝わってくる。

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2018/01/05

中動態の世界

843 『中動態の世界』意志と責任の考古学(國分功一郎著、医学書院)は意欲的な本である。

 我々が当たり前のように慣れ親しんでいる、「能動ー受動」(主体ー客体)の対立図式では、漏れてしまうものがある。不幸を招いている場合もある。
 そこには過去を切断した「意志」が想定されており、行為の「責任」の問題が存在する。責任がないと、社会関係がうまく築けないという面もあるが、そこには暴力的な働きかけの問題も含んでいる。

 「能動ー受動」の対立図式へのアンチとして、はるか古代にあった「中動態」なるものをこの本はクローズアップさせている。
 能動態は動作が主語から外に向けて行われるのに対して、中動態は動作が主語へ向けて行われる。中動態は、自分に対する動作や動作の結果が自分の利害に関連する場合などに使われる。
 「能動と受動の対立においては、するかされるかが問題になるのだった。それに対して、能動と中動の対立においては、主語が過程の外にあるのか内にあるかが問題になる。」

 この話は、現在、中動態なるものが身近にはないので、それほどインパクトがないかもしれない。しかし、認識はしておくものではあるだろう。
 この認識が自らが日々選択しているものの意味や背景を理解させる。これができるのが人間の自由というものかもしれない。

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2018/01/04

スターウォーズ 最後のジェダイ

842 敵も味方も、帝国軍も反乱軍も、ジェダイも…世代交代の時期だ。
 ロートルは舞台から早く去った方がいい。

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2018/01/03

光麟堂 音 しんば

Img_0450Img_0459Img_0460 おいしいお店にめぐりあえている。
左写真:御成門「光麟堂」塩らーめん(鶏チャーシュー) 12月20日 しっかりとした落ち着いた味のラーメンである。スープと麺との相性がいい。開店から4年目らしい。今度は醤油らーめんも食べてみたくなる。
中写真:北千住「麺屋 音」煮干しそば(醤油) 12月29日 濃い目の煮干しスープはとてもおいしくて完食!細麺で固めなのもいい。見た目もきれいに整えられたラーメンで食べていて楽しくなる。具もおいしい。玉ねぎ、ユズも効いている。
右写真:門前仲町「支那そば しんば」白だし 12月31日 とにかくスープが絶品。白だし醤油をベースに肉系、魚系、多彩に出汁を取っている。細麺とよく絡むように作られている。きれいに盛り付けされている。チャーシュー、メンマもよくできている。当然、完食である。

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2017/12/24

はし本 山と樹 LABOひろ

Img_0416Img_0421Img_0446 情報誌「ラーメンTRY」を片手に、比較的新しいお店を訪ねている。
左写真:中野「麺屋 はし本」らー麺 11月17日 MIX系のスープとしては上の方だと思う。人気店になっていた。
中写真:高円寺「らぁめん 山と樹」つけめん 11月22日 こういうつけ麺が好きなんだなぁ。すっきりとした醤油つけ汁。縮れ平打ち麺がつけ汁をよく絡ませる。これがうまいんだなぁ!チャーシューは大きくて柔らかい、おいしい。スープ割りも十分に楽しめる。お店もきれいだ。
右写真:学芸大学「麺LABOひろ」鶏そば(醤油) 12月16日 さすがTRY新人大賞1位、堂々たるものである。きれいなラーメンである。おいしいラーメンというものを知っているという感じである。細麺とスープがよく合う。どちらもおいしいから、相乗効果がある。チャーシューもトリ、ブタ、ともにうまくできている。当然完食である。

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2017/12/23

ダンケルク

841 戦争になったら、戦場になったら、どうしようもない。状況に流されてしまう。私などすぐに死んでしまうだろう。
 戦争にしてはいけない。
 敵の側だって、人間である。ひとりの人間の心を持っている。家族もいる。
 国が戦争を起こしてしまう。その国を作るのが国民ではあるが。
 今や戦争は得にはならないはずである。

 男だけが登場する映画である。戦争とはそういうものである。

 クリストファー・ノーランは戦争の新しい映像を作り出した。

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2017/12/16

DESTINY 鎌倉ものがたり

840 面白いし、うまくできている。
 しかし(それだけに?)、あまり引っかかるところがない。


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2017/12/13

与謝野晶子

839838 『日本近代思想エッセンス ちくま近代評論選』(筑摩書房)を読んだ。
 明治時代は、福沢諭吉、北村透谷、樋口一葉など11人、大正時代は、武者小路実篤、平塚らいてう、斎藤茂吉など7人、昭和の戦前・戦中は、谷崎潤一郎、芥川龍之介、久米正雄など9人、昭和の戦後は、宮本百合子、福田恆存、鶴見俊輔など10人の文章が取り上げられてある。
 この中で印象に残ったのは、与謝野晶子『母性偏重を排す』、中野好夫『悪人礼賛』、大森荘蔵『真実の百面相』である。

 とりわけ感銘を受けたのは、与謝野晶子の『母性偏重を排す』である。
 あの時代に、こんなに先駆的な思想を持ち、それは現代をも照らしている。
 世の中の人間(女性も同じ)は、バラエティに富んでいる。ひとりの人間を見ても時々刻々と変化する。多数派の論理で押し切るな!少数派を蔑ろにするな!
 結婚に向かない、望まない女性はいる。子どもを産むことに向かない、望まない女性もいる。そのような人たちも幸せになっている。
 多数派の論理より、それぞれの生身の現実の生活がある。それが優先されることがらである。
 男女ともに「人類の幸福の増加」を望んでいるという面では同等である。その上に各自の個性が多様に花開く。
 これらの論をまさに与謝野晶子は展開しており、それはとても力強い。これより後戻りしてはいけないような正当な論であり、壁になってくれている。
 素晴らしい!私は感動した。

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2017/12/12

マイケル・K

836 J.M.クッツェー作、くぼたのぞみ訳、岩波文庫である。
 世界文学としての傑作である。クッツェーはノーベル文学賞受賞者である。
 主人公マイケル・Kは自らのモラルに従っている。
 自分が生きること、その生き方を自ら選んでいる。それは自由だ。
 庭師として、大地に生きている。大地に生かされ、大地に死のうとしている。

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2017/12/08

ワンダーウーマン

835 第一次世界大戦時に時代設定したのは面白い。
 しかし、ワンダーウーマンに殺される独軍の兵士は何なんだ。かわいそう!

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2017/11/26

ラブ・アクチュアリー

834 2003年のこの映画を再び見た。クリスマスシーズンにふさわしい心温まる映画だ。
 19人の男女の群像劇が素晴らしい。それぞれの人物の物語がどこかで繋がっていたりして、面白い。
 19人が多彩で絶妙な組み合わせがそこにある。
 空港での愛の表現は人を感動させる。
 役者が揃っている。その後の活躍がめざましい人たちもいる。リチャード・カーティス監督の采配は見事である。制作側の楽しさ、暖かさも伝わってくる。

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2017/11/25

5人会(平成29年11月)

Img_0427 5人会は、最近は3カ月に1度のペースで開催している。
 今回は、紅葉の小石川後楽園(写真)に行ったり、その近くにある友人の会計事務所を急遽訪ねたりと、面白いプログラムも加わった。
 私は前回の5人会からの3カ月間に活動したことなどをカレンダーにして発表した。人生カフェや他の哲学カフェに参加したこと、映画、ラーメン、ヨーガ、読書などの活動の記録である。改めてカレンダーにしてみると、それなりにいろいろやっていることが分かる。
 このカレンダーを作ることによって、これら活動の背景にあるものが浮かび上がってきた。それは、仕事であり、家庭であり、健康のことである。これらは活動を支えるものであり、活動のエネルギー源になっている。また、仕事、家庭、健康そのものに大いに価値があるものである。

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