2016/08/26

ジャングル・ブック

687 ジャングルの動物世界において、ありえないようなストーリーを作っている。これも人間世界の投影であり、思いっきり擬人化されているとも言える。ファンタジーとも言える。
 何よりもディズニーの技術力がすごい! CG、モーション・キャプチャーなどにより、超リアルである。これにひたすら感動する。今の時点で最高の水準であろう。

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2016/08/24

カント 永遠平和のために

686 100分de名著で、萱野稔人さん(津田塾大学教授)が解説してくれた。
 今回改めて学んだのは、カントいうところの道徳についてである。
 カントは道徳を内容の面からは捉えてはいない。(内容とは「嘘をつくな」とか、「物を盗むな」とか)
 道徳を形式の面から捉える。カントのいう道徳の形式の原理とは、「汝の主観的な原則が普遍的な法則となることを求める意志にしたがって行動せよ」ということである。普遍的とは、誰もが認めることということである。
 これはできるとかできないとかといった話ではなく、原理的に言い当てている。

 また、公平性を作り出すために、知性によってルール(法)を作り出すことを述べている。その公平性を担保するためにも公開性は必ず必要である。そして、法に対する無条件の尊敬を求めている。

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2016/08/23

普通とは何か

Imagesafqknz16 「普通」は「普遍」と異なって、時代や地域によって変わっていくところに特徴がある。
 そういった意味では、「常識」と似ている。ただし、語感としては、常識の方が社会性が濃く、普通というのは個人の興味、関心、価値観など、個人の感覚に寄った言い回しになっている。
 現在、若い人たちが、普通とかフツーとか言うことが多くなったのはなぜだろう。
 一つは他人への配慮より、おのれの感覚を重視する傾向があるということである。だから、普通と感じたら、遠慮やお世辞を使わずに、そのまま表現してしまう。自己中心的とも言えるし、自分を大切にしているとも言える。
 一方で、現実的には格差社会の中で、普通に生きていきたい、暮らしたいという気持ちの現れとも取れる。せめて、普通のレベルにいたいというのもあるだろうし、変に目立って社会から振り落とされないようにしたいという気持ちがあるかもしれない。

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2016/08/22

いい言葉は、いい人生をつくる ②

685 第32回人生カフェは8月20日(土)、5名(男性2名、女性3名)の参加によって実施された。
 今回は、『いい言葉は、いい人生をつくる』(斎藤茂太著、成美堂出版)の読書会のような形式をとった。この本を取り上げるのは5月に引き続き2回目である。

 参加者が印象に残った個所を列挙する。
 「真の友は最大の財産であり、また、最も得がたい財産である。」「本当に信頼できる友だちや味方は、どんな宝物にも負けない人生の宝なのだ。」 (これらから「友だち」の話がいろいろ展開した。)
 「子どもは大人のやることを見よう見まねで試みては失敗し、「どこがいけなかったのだろう」と失敗をバネに、何回もチャレンジを繰り返していったのだ。」「うつの患者さんには、いわゆるエリートコースをひた走ってきたまじめ人間が多い。こういう人の特徴は、反省好きなことだ。過ぎてしまったことをクヨクヨと悩み、ああすればよかった、こうすればよかったと反省ばかりしている。」 
 「悪いできごとは、最悪を避けさせるシグナルなんだよ。」
 (これらから、「失敗」や「反省」などについての話がいろいろ展開した。)
 「頭で考えるな。肌でつかめ。」「「ありがとう」を多く言うと、ストレスが少なくなる。」 (これらから、「ありがとう」や「感謝」などについての話がいろいろ展開した。)
 「ビジネスライクとは、心の軽視ではない。」

 ひとつの文章から話が様々に広がっていくのが楽しかった。例えば……
 「反省」というより、「ふりかえり」という言葉の方がいい。
 「ありがとう」と「ありがとうございます」との違いと共通点について。
 「悩む」のではなく、「考える」~「疑い」から「問い」、そして「考える」

 また、この本のよいところだけでなく、問題点なども指摘することによって、この本を客観的に捉えようともした。これも何人かの人と本を読むことによって得られる面白さである。

 最後に一人ずつフリップに書いてもらって発表した。
 「もう一ランク上のよいセリフを考えてみる。(前もっていくつか考えてみる。)」
 「(今日一日を)「反省」するのではなく、「ふり返って」みよう!! 悪いことばかりの一日じゃない。いいコトもあったよね。」
 「ありがとう ありがとうございます 感謝の気持ちに変わりなし。ふりかえりながら、考え、疑い、信じようかなぁ?」
 「今後は他人に対して、「ありがとう」を言えるようにしたい!」
 「本の中の短い言葉から、どんどん広がっていき、お互いに考えあう、楽しい時間をすごせました。」

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2016/08/19

暗室

684 昭和45年(1970年)、吉行淳之介46歳の時の作品である。
 当時としては、斬新であり、文学史上も意味のある作品かもしれないが、今から読むと、性的描写にしろ、男女の関係にしろ、陳腐で古臭い。
 今から見ると、どうでもいいような男であり、女である。
 吉行淳之介のおかげかもしれないが、それだけ時代がこの面ではいい方向に進んだのである。
 断片的に挿入される不気味なエピソードは面白い。
 また、身体的・精神的病と性的なものとの関連については少しく考えた。

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2016/08/16

シン・ゴジラ

683 単なる怪獣映画ではない。人間の方、その群像を描いている。
 日本の国というものを考えさせられる。この時期だから、ゴジラをいろいろなものに想定できる。原発、核、テロ、戦争、巨大地震、津波……。
 政府という大組織といったものについても考えさせられる。実際に硬直化した組織になっているのだろう。
 私の住んでいる東京という街についてもリアルに考えさせられた。巨大地震がきたら、ゴジラと同様な被害が発生するのだろう。
 単なる怪獣映画ではないから、ウルトラマンのようなものが登場して力でねじ伏せるというやり方はできない。ある意味ちまちました解決方法だった。
 その方法を考え出したチームからして、現代の日本のオタク集団のようである。だから、ニッポンらしいし、「ニッポン対ゴジラ」というキャッチは合っているのである。

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2016/08/13

しみる 真武咲弥 一誠

Dsc_0695842d7470d7ca44458c135f8fc01138c8__4876bfcda32a849b4b1403f77d51770fa_2

左写真:目黒「麺屋 しみる」煮干しらーめん 7月9日 煮干しにショウガも入れて、インパクトのあるスープだ。きれいに盛り付けしてある。チャーシューは固めだが、食べ甲斐がある。メンマ、ネギはいい。
中写真:渋谷「炙り味噌らーめん 麺匠 真武咲弥」炙り味噌らーめん 7月14日 ここの味噌ラーメンは好きだ。スープの濃さとコクがちょうどいい。ショウガも効いている。メンマ、モヤシ、ネギもよかった。
右写真:高田馬場西側「らーめん 一誠」背脂入りらーめん 8月3日 スープがうまい。とんこつがクリーミーなのがいい。スープが最後まで熱くておいしい。モヤシも効いている.。

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2016/08/09

帰ってきたヒトラー

682 私は笑えない。
 映画はフィクションだから何でもできるが、そこのところがずるい。
 現実の問題が重い。特に、難民問題、ネオナチ、右翼化など。
 鈍感になっていないか? 社会が劣化していないか?
 何人かで話をする、対話をすることの意義を感じる。

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2016/08/08

宗教・哲学・科学とは何か

Imagesw4xfp1ie  第31回人生カフェは8月6日(土)、11名(男性6名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「宗教・哲学・科学とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 宗教に関すること。「宗教→教えをこうということでしょうか?」「宗教は精神安定剤?」「やがて宗教はなくなるのだろうか?」「宗教はぶりょくとなるか?」「なぜ宗教であっても、組織となると本来持っていた目的が変わるのか?」
 科学に関すること。「やがて科学で全てがわかるようになるだろうか?」「科学は「世界」の仕組を発見し、「説明」する行為 でも、「世界」≠「説明」?」「科学は人を動かすようになるのであろうか(人工知能)?」「なぜ現代は科学がもてはやされるのか?」
 哲学に関すること。「哲学は、そもそも「世界」は何かを考える。でも、現在の主戦場は「人間世界」?」「哲学もどんどん変わっているのに、哲学を論じるときに、なぜひとくくりにされることが多いのか?」「哲学は科学の暴走を止められるか?」
 三者全体に関すること。「哲学・科学・宗教がバランスよく機能するのに何が必要か?」「哲学、科学~学ぶということでしょうか?」「宗教と科学は対立していると思うが、哲学はどういう立場にあるのか?」「哲学は科学と宗教を含む?」「宗教・哲学・科学は未来に統一(融合)されるか?」「宗教・哲学・科学の関係性はどう変化するか?」「なぜ宗教・哲学・科学に魅かれる人・魅かれない人に分かれるのか?」「宗教・哲学・科学 いずれも生きていく上で大切なもので、結局目指す方向は同じではないか?」

 まずは、宗教と哲学を比較してみる。
 どちらも世界や人生の意味・価値を取り上げるものであるが、宗教は答えを信じることが基本にあるのに対して、哲学は疑い問うことが基本にある。宗教は物語で説明し、哲学は概念(用語)で説明する。
 次に、科学と宗教を比較する。
 どちらも問いと答えの連鎖の中で、万人が認める確実なものを目指すが、科学は実験・観察などを通して五感で把握できる事実を土台とするのに対して、哲学は言語を使って、概念を土台として意味や価値を追究する。
 以上は教科書的な説明であるが、これらを踏まえて、哲学とは何かを対話を通してさらに探っていく。
 哲学とは、あるテーマについて、その「そもそも」を語ることであり、共に納得できる考え方を見つけていく、誰にでも開かれた言葉の空間である。そのような感覚を持ちながら、現代的なテーマと関連して対話はsらに続いた。
 現代は、①人工知能・ロボット ②生命(遺伝子操作、脳のことなど) ③環境 のことなどが将来的な課題としてよく取り上げられる。人類はどのような道を進んでいけばいいのだろうか?それぞれの課題において、倫理的な問題が横たわっている。これらに哲学の力は必要なのではないか、といった話になっていった。

 最後に、参加者にとりあえずの結論、感想、新たな問いなどをフリップに書いてもらった。
 「哲学とは何かがわからなくなりました」「言葉に表せない多くのモヤモヤを手に入れることが出来ました。最近モヤモヤは大切と思っているので、有意義な時間でした。ありがとうございました。」「哲学・宗教・科学について定義がなく議論されるということでどうなのだろうという思いでしたが、逆にさまざまな意見が聞けてエキサイティングでした。」「哲学・科学・宗教 無知な私には難しかったが、生きていく上で大切なことだと思いました。」「今日は哲学の外部にあるもの(お金、権力、欲望など)を新たに意識しました。」「科学もまだ発展途上であり、万能ではないと思うので、人間は思いあがることなく、常に哲学的視点に立ち返ることや、宗教とはまた違うが、人間の理解の限界を超える力(宇宙的な)の存在を認識すべき。」「科学はつきつめると哲学と切っても切れないと思うが、それを使う人が暴走するのは疑問や意味や価値では止められないと思うので、そうすると止めるのは政治か経済か。案外宗教かも。」「宗教・哲学・科学は、(+と-)相互補完され、それぞれの強みを十分生かされなければ、人類に未来はないと思いました。(現代は人類の分水嶺)」「哲学・科学・宗教について、それぞれは「思考」のため、問いに応じて使い分けすればいい!」「進化の過程には「哲学」が存在する」「新たな問い 科学の道具として生まれた数学は「実世界」を越えて発達してきた。「数学」って何?」

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2016/08/04

ブルックリン

681 1950年代、貧しい国アイルランドの若い女性が一人でアメリカに渡る。ニューヨークのブルックリンはアイルランド系の人たちが多い街ではあるが……。
 脚本、演出がよく、なんといっても主演女優のシアーシャ・ローナンがぴったりの役で、いい作品に仕上がっている。
 国、故郷を離れるということ、これは私にはよく分からないことではあるが……。
 アイルランドでの女店主以外は、故郷でも、ブルックリンでもいい人たちが多い。そう、母もいる故郷に長く住んでもよかったのだ。
 しかし、新しい世界で生きることを決意した。今までとは違った新しい人生を歩むことにした。うまくいくとは限らない。だけれど、守りに入らず、飛び出した。これが若さというものか。
 イタリア系の移民の男性と結婚するということも冒険だ。これも新しい世界だ。
 これからどうなったのだろうかと想像をしたくなる。

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2016/07/25

自立とは何か?

680 自立とは、教育の目標である。
 子どもが自立できるようにしていくのが教育である。それは子どもの社会化であり、個性化でもある。社会化とは子どもが社会の中で生きていく術を学ぶことであり、個性化はその社会の中で自分自身の個性を実現していくことを学ぶことである。
 そういうことからすると、自立とは大人になることとほぼ同じ意味になる。
 自立とは、完全な孤立を意味するのではなく、大人として生きていく上での適度な依存関係を含むものである。

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2016/07/24

感動とは何か?

679 第30回人生カフェは7月23日(土)、12名(男性5名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は当日参加した人で対話のテーマを決めていくというものである。最初に各自が最近感じていること、考えていることから問いを出してもらった。これによって参加者が興味・関心のあるところをお互いに知ることができる。
 具体的でユニークなテーマ:「『実家』とは何か?どこにある?心?場所?」「お墓は必要か?」
 若干抽象的なテーマ:「『死』とは何だろう?」「無常感とは?」「運とは?」「『正しい』とはどういうことか?(倫理?)」「仕事とお金とは何か?」
 人との関係に関連すること:「人づきあいとは?」「強い(上の)立場の人の影響を受けてしまうのはなぜか?」「やさしさとは?」「ひとはなぜうわさをするのか?」「感動することは必要か?」「『ジイさんらしくなる』とはどういう事か? 年齢を重ねるとどうなるか? 外見以外~考え方、趣味、志向~」「人生(哲学)カフェでの対話とは何だろう?」

 これらの中から、今回のテーマは「感動とは何か?」に決定した。
 サブテーマや体験事例を出してもらいながら、メインテーマを考えていった。
 「感動は必要か?」
 「感動を押し付けられるとは?(イヤだ!)」「『感動する』ことを強制(押しつけ?)られることはないか?」
 「『感動』できる自分が嬉しい」「思った事がかなったときの気持ちでは?」
 「『感動』は人(自分)を動かす動機になるか?」「感動を与えるもの(自然の営み、人のやさしさ)のその本質とは?」「感動のコミュニケーションとは何だろう?」
 「感動するポイントの違いは?」「感動の大・小とは何か?」「変わる感動・変わらない感動 そのちがいはナンダ??」
 「不適切なコトバ(表現) (不正確な)(期待に合致しない)」

 最後に、今日のところの自分なりのとりあえずの結論や感想、あるいは新たな問いをフリップに書いてもらった。
 「感動→広い意味で「心が動くこと」なら、この先もずっと感動できる人生を送りたいなぁ……」
 「感動する心を持ち続けたい→これからも変われる(成長できる)?……」
 「感動とは自分で思う事を表現できる気持ち 人との出会いに感謝 心が動く事かなぁ」
 「自分の感動を大切にする。ていねいに生きる。他人の感動に共感する。ただし、巻き込まれないようにする。」
 「感動は意図的なものから生まれるものではなく、予知されない状況から偶発的に生まれる感情で、対象(物)が在ってこそ成立するもの。感動は死ぬまでしていたい。」
 「『感動』があって身体が動くところがある。自分と他人に災いをもたらさないよう、もう一度考え(合って)みよう。(一人で、みんなで)」
 「わたしに適った感動がある!」
 「思考すること(哲学対話・哲学カフェ)は感動の手段かな…?」
 「(感想) 長野からわざわざこちらの会に来ていらっしゃる方がいることに本当に感動しています。」

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ザ・マジックアワー

678 三谷幸喜が監督・脚本のコメディである。三谷幸喜としては4作目に当たる2008年の作品である。
 佐藤浩市と西田敏行の二人の掛け合いがかなり笑える。

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2016/07/19

月・こうこう,風・そうそう

677 別役実の新作である。
 女優陣だけみても、和音美桜、松金よね子、竹下景子等々とかなり揃えている。
 『かぐや姫伝説』より、となっているが、そこは別役実である、換骨堕胎されている。例えば、おじいさん、おばあさんは実は人買いだったというようなこと。
 暗喩らしきものが飛び交い、解釈がいくつもできる、人物やストーリーのつながりがつかみにくい。その当たりを楽しむ演劇であった。

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2016/07/17

猟銃

676 井上靖の昭和24年の処女作である。
 ひとりの男の13年間にわたる不倫の話である。妻、愛人、愛人の娘からの3通の手紙によって、その心理が描かれる。
 42歳の男性として、それは大した創作力である。物語を作る構成力と表現力はさすがである。
 その後の井上靖の作品とはイメージが異なるが、その創造性は当初から備わっていたことが分かる。
 不倫や女性の描き方に、今から見ると古さを感じるにしてもである。

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2016/07/15

没後百年総特集 夏目漱石

675 今年は夏目漱石没後百年だから、このような本は出るべくして出た。奥泉光さんが責任編集である。
 面白いのは、石原千秋さんと小森陽一さんとの対談である。漱石研究者の中でも私がいいと思っている二人である。
 『文学論』から漱石文学を見渡しているというのも、私が今まであまり踏み込めなかった領域である。
 『文学論』は読者論であると言い切っている。その『文学論』が漱石の前期から後期へかけて、すべての作品に渡って背景にあり、影響を与えている。
 漱石文学を貫くのは、『両性的本能』というものである。すなわち、セックスのことであると言って、対談の最後の方が盛り上がるのも楽しい。

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2016/07/11

心とは何か

663 第29回人生カフェは7月9日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「心とは何か」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「動物にも心はあるか?」「(人間以外で)生き物すべてに心はあるのか?」「人間以外にも心はあるか?」
「他人には心があるのか?」「AI(人工知能)は将来心をもつようになるか?」
「人(自分)の心を理解できるのか?」「心を通い合わせることは可能か?」「あたたかい心・つめたい心とは?」
「『こころ』はいつ私に生まれたのか?」「心は年齢(とし)をとらないのか?」「心と魂は同じか?」
「心の場所は身体のどこか?」「心の動き(感情)を見ているのは誰(私?)か?」
次に、心に関しての各自の体験事例をいくつか話してもらった。(タイトルだけを掲げる。)
「以心伝心のこと」「『あなたには心がない』と言われたことがある」「『あなたは心があたたかい』『あなたは心がつめたい』とそれぞれ言われたことがある」「ベテラン相談員から言われた言葉」「カラスの集団行動」……
 フリーに対話する中で、いくつかの話が出てきた。
 心といえば、「感情」のことを思い浮かべるのは自然なことである。ただ、心の働きとしては、「知・情・意」の3つの面があることは押さえておきたい。そして、心は価値として、「真・善・美」の3つを求めている。
それでは、そもそも心は何のためにあるのか? 「自己保存」のために脳が作り出したものかもしれない。種としての「人類保存」のためと言っていいかもしれない。また、他人とのコミュニケーションをするために必要だとも言えるかもしれない。
最後に参加者からひと言をフリップに書いてもらった。
「『心は何のためにあるのか』→『人生』につながる。脳科学、医学、人工知能の発達により答えが導き出されるのか?」「心とは、感情を中心に据えながらも、自分を動かす総合的な力と捉えたい」「心=その人そのものかな?」「今の私にとって、心とは…? 感覚(違和感)と感情(気持ち)と思考(言葉)を大切にすること!」「感情、意志、知識、思いやり→心とは大事なものと思いました」「人間は厄介だ」「(感想) 言葉(思考)で人間同士がわかりあえれば(心が通じ合えれば)いいなあ…」「心は複雑怪奇。無心になりたいが、それはまたさらに難しそう」「いつもは全く存在を意識しない『心』 深く考える事も有意義か?」「心は理解できない (心って何だろう?という疑問がさらに深まりました)」「いろいろ考えさせられることがありましたが、今まで分かっていると思っていたこともよく分からなくなってきました」 

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2016/07/07

第2回東京メタ哲学カフェ

Dsc_0694  第2回東京メタ哲学カフェは平成28年7月3日(日)13:30~17:00に新宿区高田馬場で実施された。
 参加したのは、人生カフェ、ねりまの哲学対話“ねりテツ”、ヨコハマタイワ、対話の実験室@公-差-転、夜の対話カフェ、あたまの中を散歩するてつがくカフェ、対話カフェTokyo~Yokohama 、竹林茶話会、はなこ哲学カフェ、その他の11の会、合計12名(男性8名、女性4名)である。お子さん2名も一緒にいた。
 前半は、自己紹介、会の紹介などを順番に行った。これによって、はじめての人との顔合わせ、お互いの活動の情報交換ができ、自らの会の運営の参考とした。
 後半は、「哲学とは?対話とは?哲学対話とは?」というテーマである。
哲学カフェとは哲学対話を行う場と一応定義できるわけだから、最終の問いは「哲学対話とは?」ということである。だが、まずは「哲学とは?」と「対話とは?」の2つの問いに分け、参加者それぞれが自分にとってのとりあえずの答えをフリップに書いてもらった。(同じ番号は同じ人が書いたものである。)
「哲学とは?」
① 1から問い、考え、普遍性を探求すること
② 本質を追究する学問
③ 対話をとおして、(1)気づきを得ること (2)知を深めること
④ 自身の価値観のこうちゃく化を防ぐためのゆさぶりである
⑤ 反哲学
⑥ ギモンから真理をさぐりだすこと
⑦ 自分 に/を 問うこと
⑧ 問いつづけること 
⑨ なぜ?
⑩ 大発見!  救いになるコトもある……カモ 
⑪ 探求している  み~つけた!! 
「対話とは?」
① 複数の人たちが異なる考えを語り合い、相互理解を深めること
② 意見の相違を根本から追究する行為
③ 多様な意見を大切にするコミュニケーション技法
④ 私にとって対話とはOS(オぺレーティング・システム)である
⑤ 一人称単数の、その先
⑥ 他者と一緒に探求する方法の一つ
⑦ 他者の考えを共有し共感すること
⑧ 話し、聞きつづけること 
⑨ (こう思ってるんだけど)聞いて!
⑩ 「分からない」事を前提として話すこと 相手への思いやり
⑪ 自分の考えがある時間

 世代差、男女差が出ているかもしれない。何よりも個性が出ている。
 ゆるやかにまとめてみると、行為としては、哲学では「問う」ことが、対話では「聞く・話す」が中心のようである。哲学では「原理(本質)」「論理」などが重視され、対話では「理解」「共感」などが重視されているようである。そして、対話においては、自分だけでなく現実に「他者」が存在していることの意味は大きい。
 それで、いよいよ「哲学対話とは?」である。
 哲学対話とは、「哲学+対話」なのか、「対話+哲学」なのか。哲学と対話が重なる部分を単純に指しているのではなさそうである。それではいったい何なのだろう。(実際の現場では、哲学のよさそうなところと対話のよさそうなところを自分なりに適当にミックスして運営している、それでいいのではないか、という意見があるのもうなずける。)
 「哲学→対話」(哲学から対話へ。哲学が対話を求めている)と「対話→哲学」(対話から哲学へ。対話が哲学を求めている)、この2つのベクトルが参加者の出自によって微妙に異なって現れているのを感じた。(これも実際の運営上は、哲学と対話が適宜往復運動をしており、渾然一体となっている、すなわち「哲学⇔対話」といったところであろう。)
 哲学、対話、それぞれのメソッド(方法)、テクニック(技法)の話題は、それほど深められなかった。メソッド、テクニックは、哲学や対話の目指すもの(目的)とどう関わるのか? そもそも哲学対話においてメソッドやテクニックはどれほどの意味合いがあるのか?
 
 哲学カフェらしく(?)、もやもやのまま終了した。これが次回以降につながるエネルギーとなる。

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2016/07/05

おめでとう

673 「おめでとう」は、相手との関係性によっては、相手へのプレッシャーになることもある。だから、関係性が先にあって、関係性によって、おめでとうの意味合いは変わってくる。そこは注意したいところである。
 しかしながら、おめでとうが持っている相手へのメッセージ性は捨てがたい魅力である。単なる自分が感じたことというものを超えた強さを持っている。
 おめでとうは、何かをお祝いしている。ともに喜ぼうとしている。このお祝いとは何だ? その共同体での価値観、もっと言えば、宗教性も感じる。
 私としては、それなりに「おめでとう!」と素直な感情を伴って発し、それが慣用句ゆえの思考の停止を体験して(この体験はそれなりに快感だ)、その後また、新たな思考を始めようと思う。

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2016/07/04

デッドプール

671 マーベル版のアメコミお笑いヒーローの登場だ。
 ボケとツッコミがほどよく入る。観客へ向けての裏の声(心の声)が随時入る。これである種のリアリティが生まれている。
 アクションの切れがよいので面白い。また、愛の物語として一貫しているので、それはいい。
 しかし、私は暴力、人殺しは嫌いである。

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2016/07/01

新カラマーゾフの兄弟 下巻 ②

670 亀山郁夫さん(写真)による『カラマーゾフの兄弟』の父親殺しの真相解釈はさすがである。
 長男ミーチャには父親殺しへの生理的(動物的)な動機はあった。次男イワンは使嗾し、三男アリョーシャは黙過した。父フョードル殺害の実行はスメルジャコフである。この解釈は鮮やかであり、私としては納得のいくものである。
 アリョーシャ、この『新カラマーゾフの兄弟』では、黒木リョウであるが、素晴らしい人物に描かれている。私も感動した。『新カラ』でも、ラストはとても印象的でいい。

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2016/06/30

新カラマーゾフの兄弟 下巻 ①

669 やっと完読できた。読むのに苦労した。
 まずは、少し批判的なことを書く。
 「Kの手記」なるものは、やはり著者が自分のことを書きたかったのではないか。自己満足的、自己陶酔的なところがある。フェイスブックで自分のことを書いているような描写でもある。
 最後のあたりはいい面もかなり感じたのだが、それまでの途中の章がつまらなく感じることが多かった。一言で言えば、作家として面白く読者を引っ張っていく力量がないのである。ドストエフスキーに比べようもない。
 キャラクターの面白さ、それぞれの人物の心理の面白さ、ネタの面白さ、ストーリーの面白さ、どれもドストエフスキーのあの強烈な筆致には及ばない。

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2016/06/29

ルソー 『エミール』 ②

666 ルソーからカントへの影響のところを最初に記録しておく。
*カントはルソーを踏まえて、〈神の存在、自由意志の存在、魂の不滅は、理性によって合理的に証明できるものではないが、人間がよく生きようと欲する限り、それを信じないわけにはいかなくなる。そういう種類の事柄だ〉と考えた。これが「実践理性の要請」と呼ばれる論理である。
 ルソーの考えに戻る。
*自分で自分をコントロールするときにこそ自由がある。〈欲望に支配されず、義務・美徳をめがけて生きることにこそ自由と幸福がある〉とルソーは繰り返し述べている。
*自分を愛することも大切だし、個人的な楽しみも大切である。でも、自分を大切にしながら、他人を幸せにするように生きることの喜びをルソーは語る。

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2016/06/28

ルソー 『エミール』 ①

665 NHKの100分de名著で、ルソーの『エミール』を取り上げてくれた。解説が西研さんで、ポイントを押さえて、分かりやすく、とてもよかった。

*〈文明が発達した相互依存的な社会の中では、人は自分を、名誉・権力・富・名声のような社会的評価でもって測るようになり、そしてまわりの評価にひきずりまわされる。それでは自由とはいえない。そうではなくて、自分の必要や幸福をみずから判断して「自分のために」生きられる人間こそが真に自由な人間だ。〉 こうルソーは考えた。
*ルソーが『エミール』で課題としたのは、「自分のため」と「みんなのため」という、折り合いにくい二つを両立させた真に自由な人間をどうやって育てるか、ということだった。

*自分の利益を捨てて善行をなせ、と命ずるのではなく、自分の余った力を他人にふりむけよ、とルソーはいう。だから、善行をなしたときに、「よいことをしてあげてよかった。自分は悪い人間ではないのだな」と思うことも偽善ではない。そうではなく、善行は「自分はよいことをしている」と思えるときの「喜び」に支えられて成立する、というのがルソーの発想である。喜びや快楽を大事にするルソーらしい発想である。

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2016/06/27

自分の人生上の悩みを話すカフェ

664 第28回人生カフェは6月25日(土)、5名(男性3名、女性2名)の参加によって実施された。今回のテーマは「自分の人生上の悩みを話すカフェ」である。
 参加者一人一人が自分の人生上の悩みを一つだけ話して、それをもとにして哲学カフェを展開した。話す悩みは大きいものでも小さいものでもいい、心の悩みでも、そうでなくてもいいとした。

 一番目の人は、これからの転職に関する話をした。新しい仕事の内容やトレーナーとの関係が気になるなどの話が出た。
 他の参加者からは、気負わない、うまくできるかどうか考えない、「無」や「只」の気持ちなどについての話が出た。また、「仕事」や「お金」の話に発展した。
 二番目の人は、「仕事」の話を受けて、現在行っている自らの仕事や活動についての話をした。賃労働や市場とは異なる、「commons」「入会(いりあい)」「結(ゆい)」などの話が出た。
 他の参加者からは、その理想とやりがいを支持・共感する思いが表明された。一方、現実性はどうかとか、本人が本当に納得しているのか、という感想も出された。
 三番目の人は、他の会合でのことだが、20代の男性が「人間関係には期待していない」と発言したことに、「さみしいなぁ」と感じたことを話した。
 他の参加者からは、人間関係が煩わしい、人間関係で傷つきたくない、という気持ちが、人間関係には期待していないという発言に現れているのではないか、という感想が出た。それは、かわいそうなことでもある。ここから、他人とのつながりのことや、「分かり合う」とはどういうことか、といったテーマが抽出され、対話を展開した。
 四番目の人は、相談をされたときの対応についての話をした。その人は、感情に着目することや、解決したいのか・話を聞いてほしいのか、相談に来た人にどの程度介入するか、といった点に注意するといった話をした。
 他の参加者からは、まずはよく聞くこと、相手のニーズに注目すること、相手に対する思いやり、自分にも正直であること、そして何よりもお互いの信頼関係が大切だというような話が出た。

 このカフェで悩みに対する完全なる解決策、答えが出ることは期待できない。哲学カフェだから、「問う」ことを大切にする、そして悩むよりは考え続けるように努力する。
 今回の人生カフェでは、各自の悩みから哲学的なキーワードやテーマを抽出し、それらを参加者全員で考えていくスタイルができたのはよかった。

 最後の方で、「それは『歩く』ことによって解決する」という面白いフレーズも飛び出した。

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2016/06/26

ほおずき スージーハウス AFURI

Dsc_0658Dsc_0665Dsc_0667 最近は出かけたついでにラーメン店に寄ることが多くなった。
左写真:中野「担々麺 ほおずき」担々麺 6月12日 辛いスープと麺との相性がいい。ご飯との相性もいい。(ライスのおかわりもOK) スープは辛みの中に旨さが隠されている。だからとてもおいしい。
中写真:四谷「スージーハウス」魚介豚骨つけ麺(レモン) 6月18日 レモンを一つずつ入れて(4枚もある)、味の変化を楽しむ。
右写真:恵比寿「AFURI」柚子塩らーめん 6月25日 東京のAFURIの最初の方のお店だった気がする。何度か来た思い出がある。女性客が多い。

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2016/06/23

ストレイト・アウタ・コンプトン

662 ラップの世界はよく分からない。1980年代のアメリカの黒人が置かれた立場、ロサンゼルスのスラム街のことなども実際のところはよく分からない。
 しかし、男5人の物語として見ると、普遍的なテーマがあり、興味深い。メジャーに上り詰めていく5人の結束も、お金などが絡んでくると、分裂していく。そこに女が絡んでくると、男だけでは生まれない変化が現れてくる。
 その当たりの人間模様が面白い。

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2016/06/22

教授のおかしな妄想殺人

661 哲学用語が飛び交うのは面白い。私は哲学好きだからね。
 男性教授と女性の教え子との関係はハイデガーとアーレントを思い起こさせる。
 とにかくラストシーンはすごい!その通り、人生とはそういうものだ。あれこれ考えているうちに、悩んでいるうちに、動き回っているうちに、死んでしまうものだ。答えが出ないうちに、偶然によって死んでしまう。そんなもんだよね。
 哲学は事実には敵わない。そんなこと常識だ!だからといって哲学が無用ということにはならないだろう。
 事実は偶然によって動く。偶然は面白い。この映画では殺人を思いつき、人生観が大きく変わるのも偶然である。小さな懐中電灯を手に入れるのも偶然である。……それを言ったら、生まれたこと自体が偶然であり、奇跡である。哲学とはそもそも次元が異なる話である。

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2016/06/21

人はなぜ「美しい」が分かるのか?

Images8kpp3e5v 「美しいとは何か?」というテーマなら、美の本質論を追究していくことになるだろう。
 今回のテーマはそれよりも「分かる」ということに焦点が当てられている。
 「分かる」にもいろいろレベルがあると思う。本質論をガンガンとやらないと人は分かったことにならないのだろうか。かえって分からなくなることだってある。
 言葉の意味がなんとなく分かる。そして、その言葉、今回の場合でいえば、「美しい」という言葉を使うということ自体を一つの分かると言ってもいいような気がする。
 人間にとって言語は重要である。言語によって、自らの思考が進み、人とのコミュニケーションもできる。

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2016/06/20

乱談のセレンディピティ ②

660 外山滋比古さん(写真)は本書でさらにいくつかのヒントを与えてくれている。
*ものを考えるのは朝でなくてはいけない。夜に考えごとをしては、混乱するばかりである。朝の頭がいちばんよい。
*「攻撃的競争」ではなく、「調和的競争」がいい。
*舞台の上の悲劇は、客席には悲しみやいたましさを抜き去られた、味わい深いものとして伝わる。…火事やケンカは本来はよくないことであるが、それは当事者にとってのこと、「第四人称」にとってはおもしろいものでありうる。
*「第四人称」は三人称の外側にできる空間において成立するが、「第五人称」は三人称の後にできる時間によって生まれる。

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2016/06/19

乱談のセレンディピティ ①

659 『思考の整理学』の著者、外山滋比古さんが『乱読のセレンディピティ』に続いて出したのが、本書『乱談のセレンディピティ』(扶桑社)である。
 「乱談」とは、3人以上の異質な分野の人たちが自由闊達に話をすること、という意味の外山さんの造語である。「セレンディピティ」とは、偶然により発見する力のことである。
 乱談により、セレンディピティが生じることがある。「読む」や「書く」よりも、「話す」ことの意義を強調した趣旨であり、これは哲学カフェの活動に通ずる考えである。だから、私はかなり共感した。

*乱談のたのしさは、この「前セレンディピティ」ともいうべき「おもしろさ」をふんだんに与えてくれることにある。
*乱談は笑いを生む。それでおもしろくなる。
*互いにシロウトである人たちの乱談がもっともクリエイティヴであるように思われる。
*中学・高校のときの友だちで、その後、別々のことをしている人が、何人かでときどき会っておしゃべりするのは、たいへんおもしろい。

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2016/06/16

むら田 まるいち 羅偉伝

Dsc_0641Dsc_06558 用事のある場所の近くのラーメン店に行くことが多くなった。
左写真:中目黒「中華そば むら田」中華そば 5月28日 濃い目のくっきりとした醤油スープ、最後まで熱くておいしい。丁寧に作っているラーメンで、好感を持つ。具もきれいでおいしい。
中写真:四谷三丁目「まるいち」ラーメン 6月4日 素朴な懐かしい味。スープもうまいし、チャーシューが肉厚で、けっこういける。店主のおじさん・おばさん夫婦のコンビネーションがよくて気持ちがいい。
右写真:高田馬場西側「羅偉伝」みそらーめん 6月11日 「純連」の後継だから、私は好きなラーメンである。

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2016/06/15

決断力

Images137 決断力をいかに身につけるかといった類のことについては、自己啓発本に載っているようなことはいくつか並べて述べることはできる。
 しかし、少々空しい。
 それよりも、力を入れる替わりに、いかに力を抜くかということも考えたらどうかという提案を受けた。あれこれ考えるよりも、自分の感性に委ねるのもいいのではないかという提案である。
 これは面白いと思った。
 「〇〇力」という言葉が昨今流行っているだけに、これは一つのいい発想だと思った。

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2016/06/14

幸せとは何か

652 第27回人生カフェは6月11日(土)、11名(男性6名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「幸せとは何か」である。人生カフェは3年目に入り、毎年6月には「幸せ(幸福)」をテーマにすることにしている。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たるものを参加者からいくつか挙げてもらった。
 「幸せとはどんな感情か?」「どんなときに幸せを感じるのか?」
 「質と量に違いはあるか?」「「幸福」は人によって違うのか?」「幸せの最大公約数的な形は? 金持ち 権力者」
 「幸せ感の条件は?」「幸せになるための条件は何?」
 「幸せは求めれば得られるものか?」「「ふれあい」で幸せになれるか?」「「今を生きる」 これで幸せになれるか?」「幸せはいつも自分の心にあるか?」
 「ブータンは本当の幸せの国か?」「「公」は人を幸せにできるか?」
 「幸せとは遺伝するのか?」「「幸福」感も脳科学の範ちゅうと考えるのか?」
 幸せに関連する体験事例(エピソード)も何人かの人に語ってもらった。
 フリーに対話する中で、いろいろな話が出てきた。
 幸せになるには人と比較しない。目指す「過程」にこそ幸せがある。今・ここを生きる幸せ。過去・現在・未来を見渡した幸せ。幸せはその人の見方・考え方にある。幸せは「関係性」の中にある。自分の幸せ・他人の幸せ・我々の幸せ。あったかい、機嫌がいい、感謝。セロトニン、オキシトシンなどの幸せホルモン。人間の尊厳と幸せ………
 最後に参加者からひと言をフリップに書いてもらった。
 「形から入る幸せとは何だろう? 笑顔、あいさつ、掃除など」「あなたは本当に苦難の道(セロトニンを飲まない)を歩む勇気があります……。」「幸せのためにあえて不幸を選ぶ勇気」「「幸福」は心の持ちようが問われる関係性の中から感じるもの 主体性と自律性が人の尊厳であることが出発点」「幸せは人生の経験の一つ」「幸せが幸せな心をつくり、幸せな心が幸せをつくる」「幸せについて考えない」「幸せとは自分を大切にすること。感謝・感動をいっぱい意識すること」「「感謝」で一生を終えたい」「きげんがいい!」「幸せは外に求めるものではなく、自分の内側から発する(感じとる)もの。幸せと思えば幸せ、不幸と思えば不幸」「幸せとはいつも自分の心にある感謝の気持ち。過去はゆるし、現在はほめる、未来は励ます。2017年6月の「幸福とは?」を楽しみに」

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2016/06/13

5人会(平成28年6月)

637 6月10日に行われたが、今回は4人会であった。
 私のテーマは「日本会議について」である。『日本会議の研究』(菅野完著 扶桑社新書)などを参考にした。
 日本会議の会員は約3万8千人、創価学会の会員数約250万人の約50分の1であり、多い人数とは言えない。前世紀(20世紀)から地道に活動をしてきており、暴力的な会ではない。内容は神道系であり、保守的な考えである。近年は憲法改正を主な活動指針にしている。
 安倍政権の閣僚の過半数、そして自民党内に会員が多いことが最近とみに当会が注目されている理由でもある。
 今後どうなっていくか?若い人たちに受け入れられていくかは未知数なところがある。ただし、今後も注目はされていくだろうと思われる。

 ところで今回の4人会のメンバーであるが、改めて見ると、それぞれが独自の生き方をしており、また自律した生き方をしていることを再認識し、よかったと思っている。

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2016/06/09

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ

658 ラストがよくない。結局何だったのか? よく分からない。(原作も悪いと思う。)
 金持ちのイケメンが女子学生に迫る。女は単純なシンデレラガールになれない。男はサイコパス的、サド的パーソナリティであり、女は全面的に支配されそうになる。最後は女がそれを受け入れられず、男のもとを去っていく。
 その経過において、女の裸を存分に見せ、おじさんたちを喜ばせただけの映画になっている。
 最後に、原作を超えるような解釈や展開を見せれば、途中も生きた話になったような気もする。(ちょっと惜しい気もする。)
 ゴールデンラズベリー賞で、最低作品賞、脚本賞、男優賞、女優賞など多くを受賞したというのも、それだけ大きくはずしたということで、関係者は笑うしかないか。

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2016/06/07

復讐

Imagesn4naze85 実際のところ、復讐心(復讐したくなる気持ち)を持ちたくないし、復讐という行為もしたくはない。それはルサンチマンであり、自分にとって不快なものである。
 復讐という行為によって相手に本当にダメージ(痛みなど)を与えたかは、他人だから実際のところは分からない。また、復讐心の底にある悲しみや喪失感は復讐という行為によっては癒されない。
 そうすると正当な改善要求などの主張はいいが、復讐という行為は稚拙な方法ということが言えるだろう。
 それなのに人は復讐心が燃え上がり、時には復讐という行為に走ってしまうのはなぜだろうか?人間に組み込まれた本能や感情ということで説明していいのだろうか。

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2016/06/05

華菜樓 夢 光麟堂 

Dsc_0632Dsc_0633Dsc_0640 最近は行きやすいところや何かの用事で出かけた先でラーメン店を探して立ち寄ることが多い。
左写真:新宿南口「野菜の華菜樓」汁なし担担麺 5月17日 結構辛いが、まあおいしかった。香りのある野菜は面白かった。
中写真:東神奈川「らぁめん夢」味玉らーめん 5月22日 くっきりとした醤油スープ、ボリュームのあるラーメン、いいよね。煮玉子もおいしかった。煮干しエキスを少しずつ足して味の変化を楽しむことができる。
右写真:御成門「光麟堂」ラーメン 5月25日 ひとつひとつを丁寧に作っているので、好感が持てる。きれいで優しい味なのはいい。具も豊かである。鶏チャーシューもいい。

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2016/06/04

海よりもまだ深く

657 樹木希林がやはりうまい!年老いた母親の涙……こちらももらい泣きする。
 阿部寛もダメ男を演じている。売れない小説家というのは厳しく悲しい状況だ。
 この映画はとても悲しい映画である。微かな希望はあるにしても。
 ダメ男の興信所での仕事ぶりや競輪場での場面は、見ていて辛くなる。そのせいか、このあたりはもっと短めに描いてもいいと思った。

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2016/06/02

スポットライト 世紀のスクープ

656 アカデミー賞の作品賞と脚本賞を取った、堂々たる映画である。
 タブーへ挑戦したジャーナリストたちの偉業である。日本においても望みたくなるような素晴らしい活躍である。
 数十人もの神父による児童への性的虐待を、教会が組織ぐるみで隠ぺいしてきたという大スキャンダルを暴いた。
 神父、教会、そしてキリスト教というものが我々日本人には分かりにくいところはある。特に、巨大な力を地域住民に対して持っているということが実感としてあまりない。
 教会も人間の作った組織である。また、性的な問題は聖職者も含めて難しい問題である。しかし、宗教界でのスキャンダルは我々に強い偽善性を感じさせる。
 スキャンダルを暴いていく過程の中で、大きな暴力的な反対行動というのはなかったのだろうか。顕著なものはあまりなかったように見られた。
 それは、それまでうやむやにしていたものだが、多くの人がうすうすは感じていたことだったからかではないか。ジャーナリズムには、そのうすうすと感じているものを掘り起こし取材する勇気が大切だということである。

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2016/05/31

いい言葉は、いい人生をつくる

639 第26回人生カフェは5月28日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回はいつもと異なり、『いい言葉は、いい人生をつくる』(斎藤茂太著、成美堂出版)の読書会のような形式をとった。
 参加者が印象に残った個所を列挙する。
 「人生、楽しくなくては生きる意味がない。これが、私の持論である。私流の「人生の成功」とは、どれだけ楽しく生きたか、どれだけ楽しく仕事をしたかにかかっている。」
 「「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。」
 「戦争中、青山の病院と自宅が東京大空襲にあって炎上したとき、みなが表参道方面に逃げていくのを見て、(母は)「みんなと同じことをしていたら、共倒れになる」と言い張り、反対方向に逃げるよう家族を叱咤激励し、結局、全員無事に逃げおおせた。」
 「自分で自分を評価できなくて、どうして長い人生を生きていかれるだろうか。自分は自分自身の最大の味方であり、最高の評価をする人間でありたい。」
 「そうあってほしい100パーセントの世界から、少し引いた60パーセントや80パーセントで生きていこう。「足りない」という焦燥感や不満がなくなり、ゆとりや柔軟性が生まれてくる。融通無碍な生き方が自分のものになってくる。」
 「何のために俳優をやっているのだろう。人気?豪華な生活?お金?何度問い直しても、答えはこうだった。「血がたぎるような舞台をしたいからだ」……。」
 「1日10回感動すること。それが長生きの秘訣です。」
 「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。」

 茂太さんの祖父・紀一さんは大病院を建て、国会議員にもなった傑物だった。その娘が茂太さんの母親の輝子さんで、こちらも愛すべき自己チューな人物だった。輝子さんの夫(茂太さんの父親)が、短歌で有名な齊藤茂吉である。茂太さんの弟に作家の北杜夫がいた。まさに『楡家の人びと』の世界であり、この血筋の背景は、この本を読んでいる時にどうしても意識してしまう。

 茂太さんの人生観のベースに「楽観的」ということがある。人生上、苦と楽の経験はどちらもある。それらの経験を楽観的に捉えるか、悲観的に捉えるか、まさに事柄の見方によって人生が変わってくる。茂太さんは皮相的な楽しみだけではなく、いろいろな角度から人生を楽しもうとしている。

 最後に、参加者からひと言ずつフリップに書いてもらった。
 「人生60点、60% ゆとりや柔軟性 融通無碍な生き方 信頼できる友、人生の宝、大切に 感動を自然にしていこう!」
 「笑顔は人も自分も幸福にすることができる。笑顔でポジティブに生きることが幸せに生きる道なのかもしれない。」
 「いい人生をつくるには、(ある程度は)自分の心掛け次第。客観的な立場でセルフプロデュースすることも大事なのではないか。」
 「「楽しい」ことは「幸せ」である。」
 「楽観的な生き方をまずは求めよう!その先は何か?」
 「「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」」
 「「自分が何者かを知ることが人生の目的」⇒宗教・哲学・心理学からのアプローチ(共通課題)←(対立)→知ることはできないならば、つくるしかない(何者にでもなれる) つくっていくことが目的……」
 「人生についての様々な視点に立った意見が聞けて、自分でも思いがけない収穫がありました。一人で考えていてはと、とうてい気づくことのできない気づきを得ることができ、とても良かったです。楽観的と悲観的の話が、とても勉強になりました。物の見方で人生が変わること、これは大きな収穫でした。」

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2016/05/30

オアシス

654 強烈なインパクトのある韓国映画だった。
 出所したばかりの男性ジョンドウと重度脳性麻痺の女性コンジュの、まさに純愛物語である。二人の恋が成就してほしいという気持ちでいっぱいになる。
 (重度障害者があのように一人で暮らせないとは思うが……)
 これから周囲の理解はなされるのか?二人の関係に希望はあるのか? あると私は信じたい。

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2016/05/29

笑いとは

653 笑いとは「緊張の緩和」などと説明される。(カントもそう言っている。) これはそれなりに納得のいく説明であり、広範囲に当てはまると思われる。
 しかし、当てはめにくい例もある。
 子どもや若者の屈託のない笑いである。生命の躍動感が溢れる笑いである。これらは生きる力そのもの、生きる喜びがそのままに表現されているような感じもする。そこには前提としての緊張感はあまり感じられない。
 これらはまさに愛想笑いではない、素晴らしく幸せな笑いである。若さの特権である。

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2016/05/28

人生万歳!

651 ノーベル賞級の物理学者ボリスとおバカな若い娘メロディが結婚までしてしまう。メロディのお母さん、お父さんも変な人たちだ。取り巻く連中が面白い人たちばかりだ。
 ウディ・アレンらしい風刺やシャレがかなり効いた作品に仕上がっている。
 結婚はゴールでない、その後のドタバタが面白い。
 才能はあまり関係がない。めぐり合いも含めて運が作用する。愛の形も何でもありだ。
 何とかおさまるところにおさまっていく。人生万歳!

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2016/05/27

論理的に考える

650 論理的に考えることにはそれなりのエネルギーが必要である。
 緊張感がいる。遊びがない。そこには笑いがない。
 なぜそこまでして論理的に思考するのか。自分を含めて、みんなが納得する普遍的なものを示したい。みんなの共通なものを作りたいという願望がある。
 しかし、それは常によいことか。人をねじ伏せようという暴力が含まれていないか。
 人は他の人と同じにはなりたくない、個別性への欲求もある。そのせいか、論理的なものに息苦しさや反発を感じることがある。

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2016/05/26

1日の満足

649 対話のテーマが「どんな一日を過ごしたときに満足を感じますか?」に決まった。
 どこに満足を見出すかは人それぞれだとは思う。その人の一生の中でも変化していくものだと思う。しかし、人は満足感を得ようと色々手を尽くすということも事実である。
 一方で、その結果うまく満足が得られないこともしばしばである。そんなものと受け入れることで納得することもある。
 その日1日の満足を目指すとともに、過去に感謝すること、未来に希望を持つことも併せてやっていきたいことである。

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2016/05/24

「むなしさ」とは何か

647 むなしさを感じるときについて整理してもらった。
①中身がないと感じたとき(得るものがないと感じたとき)
②無力感を持ったとき(役に立っていないと感じたとき)
③意味がないと感じたとき   大きくは「人生の意味」の問題につながることである。

 単純に考えれば、むなしさとは「空」や「虚」の状態なのだから、そこを満たすことをすればいいことになる。何によって満たすかによって、その人らしさやその人の人生が決まってくるとも言える。
 (「悲しさ」と違って、むなしさはその対象が茫漠としているところがあり、とらえどころがない場合が多いという面はあるだろう。)

 何かを満たすという行為だけでは済まされない、さらに強烈なこともある。その際には、諦観(あきらめ)ということもあるのだろう。

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2016/05/23

他人とは何か

644_2 『14歳からの哲学』(池田晶子著 トランスビュー)の中の「他人とは何か」を読む会に出席した。
 まずは自分のことが気になる。「考えているのは自分だし、見ているのも自分である、自分でないものが考えたり見たりしているということはありえない、そういう意味で絶対的だということだ。この自分を「大きい方の自分」と呼ぶことにしよう。」……そして、例えば「中学三年生の君は「小さい方の自分」だ。」
 そして、「大きい自分で小さい他人同士はつながっている」と言っている。

 この大きい自分と小さい自分という言い方は面白い。そして、私としては、人だけでなく、動物や植物、無生物なども含めて「他者」と呼びたい。
 このお互いに繋がっている他者、この他者がどうして自分に対して牙を向け、自分を傷つけたり、滅ぼしたりすることがあるのだろう。このあたりがきれいごとでは済まされない他者の問題があると私は考える。

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2016/05/19

リリーのすべて

643 1920年代のあの時代、デンマークなどの西欧でも性的マイノリティに対する社会の理解はほとんどなされていない。むしろ偏見が充満していた。
 リリー(夫の方)の苦悩が深いのはその通りだと思うが、この映画では妻の方の深い愛に感動する。妻が途中途中に迷うことは当然のことだと思うし、深いところでは相手を人間同士の関係として尊重し、愛を実現している姿は素晴らしいと思う。(夫婦ともに画家という感性が良かった面はあるだろうか?)
 リリーが長く生きていたら、それはそれで新たな困難が待ち受けていただろうことは想像できる。
 現代に生きる我々は少なくとも性的マイノリティ(LGBT,クイアなど)に対する理解は深めていきたいと思った。

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2016/05/17

朗読と対談 夏目漱石作『夢十夜』より

640641 神奈川近代文学館の特別展「100年目に出会う 夏目漱石」に2度目の足を運んだ。
 そして、真野響子さんの朗読、辻原登さんとの対談を楽しんだ。さすがに参加者には年配者が多く、女性の割合が高かった。
 真野さんの素晴らしい朗読を聞いていて、『夢十夜』の中では、漱石は「けれども」という言葉を多用していることを初めて気が付いた。

 二葉亭四迷(ロシア語)、森鷗外(ドイツ語)、夏目漱石(英語)というつながりを感じた。西欧語と漢語と日本語(古典、江戸文学、落語など)を融合できる優れた文学的才能を持った人たちが日本の近代文学を作り上げていった。
 『夢十夜』には小泉八雲の影響もあるかもしれない。あの『怪談』にも通ずる、漱石の死生観が表れている。

 文章の意味というのは、文脈が分からなければ理解できないものである。声、話し言葉というものは、その文脈というものを書き言葉以上に伝えるものである。

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