2017/03/29

人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ

Png6 第46回人生カフェは平成29年3月25日(土)、9名(男性5名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「人生上の悩みをテーマとする哲学カフェ」というものである。
 まずは一人の人にに自らの人生上の悩みの一つを10分くらいで語ってもらう。それから、その話から、一つだけ対話のテーマを抽出する。一つのテーマに1時間くらい対話をする。悩みの内容は、重いものでも軽いものでも、心の問題でもそうでなくても、いいとしている。
 今回は3人の人に自らの悩みを話してもらった。(内容の詳細は個人情報の関係で記載できないので、対話を行ったメインテーマやサブテーマを掲げる。)
①中高年が働くとは?
 やる気(モティベーション)、職場の人間関係、職場での伝え方……
②人間の意識とは?
 霊とか、魂とか……
③仕事による自己疎外(自己否定)とは?

 悩みを語ってくれた人には、自分を出してくれたことに感謝したい。また、聞く側も聞く姿勢を持っていたので、話す方もそれなりに話しやすかったと思う。
 このような話やその後の対話といった展開は、普段の日常のなかではなかなかできないことである。家族や友だち同士なら、ある程度できると思われるが、お互いによくは知らなく、意見や考えがそれなりに異なる人たちの間でするというのはなかなかない。
 この場は意見や考えは異なるかもしれないが、ただ人の話をよく聞く、という姿勢は持ち続けている。この安全、安心の場を作っていることの意義は大きい。この共通認識があるから、人は自らの悩みもある程度話をすることができる。

 短い時間ではあったが、上記のテーマについて対話ができたことはとてもよかった。それは悩みを話した人も、聞き役だった人もそうであったと思う。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
「考えるということはどういうことか。知、情、意の集合体が意識であるとすれば、意識のありようが大切」
「社会とどう関わるか(ボランティアや社員として)、見えない領域とどう関わるか(心霊や探求)、という共通の悩みがあるように思えました。対立をどう克服するか、もしくは克服しない方がよいのか、対立したままにすべきなのか、と思いました」
「働くこと、意識、魂、霊……。疎外から学べ!疎外を感じ続けろ!」
「心は死んでいるが、実存は失っていない!」
「決心した時から、新しいスタートができる(切れる)」
「対話をするにはボキャブラリーが多い方が伝わるなぁ……と思いました」
「こういうところでお話をすると、自分のしゃべり方、考え方のクセが自分でよく分かります。それが自己分析や今後の大きなヒントになります」
「«仮面の告白»に耳を傾けてもらえるのは有難いものである」
「かたりあい、ききあい、つたえあい が自由にできた場!」
「悩むより思い、思うより考える。素直に人の話が聞けるのがよいかなぁ?」

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2017/03/27

まんがでわかる伝え方が9割

772 「強いコトバ」をつくる5つの技術は使えそうである。
①サプライズ法~サプライズワードを入れる。「そうだ 京都、行こう」の「そうだ」
②ギャップ法~正反対のコトバを前半に入れる。「嫌いになりたいのに、あなたが好き」
③赤裸々法~自分のカラダの反応をコトバにする。「くちびるが震えてる。あなたが好き」
④リピート法~くり返す。「今日は暑い、暑い」
⑤クライマックスワードから始める。~「これだけは覚えてほしいのですが、」

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2017/03/26

対話する社会へ ②

770 著者の暉峻淑子さん(写真)は1928年生まれ(現在88歳)の経済学者である。この年齢で、このような本を出版するなど、精力的に活動していることに感心する。

*コミュニケーションこそ、人間が発達していく場であり、個性と社会性をつなぐ環であり、創造性の培養地である。
*定型化、汎用化とは質的に違う対話的伝達の方法が、小規模な組織や、人間関係を仕事の基本にしている世界(医療や福祉、教育など)では、いまもなお不可欠なものとして尊重されている。
*対話は正誤とか勝ち負けという固定的な評価から解放されている。

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2017/03/25

対話する社会へ ①

771 私の関心事である「対話」について考える上ではいい本であった。暉峻淑子著、岩波新書である。帯には、「戦争・暴力の反対語は平和ではなく対話です」という言葉がある。
*対話に特徴的なのは、個人の感情や主観を排除せず、むしろその人の個性とか人格を背景に、自己を開放した話し方が行われている点である。
*ロゴツキー:先ず対話があって、そこから自己の言葉[内言]や思想がつくられる。
*バフチン:対話についての思想の中心的位置を占めるのは「応答性」である。…対話を「身体性」を持つものだと考える。
*意味というものは、応答、応答に対する応答、そして更なる応答が続くという、本来予測不可能なプロセスのうちに生み出され変わっていく。それは中断されることはあっても、決して終結することのないプロセスである。

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2017/03/24

幸福の哲学 ③

Imagesek97wpvm アドラー(写真)と古代ギリシア哲学を基盤にした幸福論は、それなりに学ぶところがあった。
 最終章の第6章「人生をどう生きるか」から一文。
*年齢を重ねることに意識を向けず、余命にとらわれず、今しなければならないこと、できることだけを考えて生きれば、人生のあり方を大きく変えることができる。

 幸せは、「今」の時点だけをとらえても、「充足」と「向上」の2つの要素が存在していると思う。過去から今までに対して、満足と感謝の気持ちを持つとともに、今から未来へ向けて、何かしらの点でよくなるといった感覚である。この両者が両立していることは何ら矛盾していない。

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2017/03/23

幸福の哲学 ②

768 岸見一郎さん(写真)のこの本の肝は、第5章の「幸福への道」であろう。
*フロムの言葉:愛の本質は、「何かのために働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働とは分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。
*誰も嫌われたくはないが、もしもまわりに自分を嫌う人がいるとすれば、嫌われることは自分が自由に生きていることの証であり、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えなければならない。
*誰もが優れようとするという意味での優越性の追求も、他者と競争しないのであれば、問題なく健全なものとなる。
*それまでの人生で長く何かをやり続けてきた人であれば、ある領域では自分が優れていると思っていたのに、新しいことに着手すれば、たちまち何もできない自分と向き合わなければならなくなる。
*何かを習得することに限らず、自分が不完全であることを受け入れることができる人は、自分の価値を理想からの減点法ではなく、現実からの加点法で見ることができる。
*他者が生きていることが喜びと感じられるのであれば、自分についても生きていることがそのままで他の人にとって喜びであり、貢献していると思っていい。
*信頼するとは、目下起こっていることや、これから起きることについて未知なことがある時、その知られていないことを主観で補うことである。
*信頼することには二つの面がある。①他者の言動にはよい意図があると信じること。②相手が自らの課題を自分の力で解決できると信じること。
*他者が自分をありのまま受け入れてくれる仲間だと思えば、そんな仲間に役に立とうと思え、貢献感を持つことができる。そして、貢献感が持て、自分に価値があると思えたら、対人関係に入っていく勇気を持て、対人関係の中に入ることができれば、幸福を感じることができる。

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2017/03/22

幸福の哲学 ①

767 『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎さんの本である。副題は「アドラー×古代ギリシアの智恵」、帯には「「本当の幸福」とは何か」と書いてある。(講談社現代新書)
 『嫌われる勇気』のようなインパクトはないにしても、静かに考察してくれているので、学ぶところは多い。印象に残ったところを抜き書きしておく。
*たとえ幸福を定義することができ、その定義の意味を理解することができたとしても、そのことでただちに幸福になれるわけではない。地図で目指す場所を把握することができたとしても、実際には足はまだ一歩も前に進んではいないのだ。
*三木清は、成功は「過程」に関わるが、それに対して、幸福には、本来、進歩というものはなく、幸福は「存在」に関わるといっている。何も達成していなくても、何も所有していなくても、成功していなくても、人は幸福になることができるのだ。
*幸福は偶然にも左右されない。外的なことや偶然的なことに依存するのは幸運である。
*特別でなくても幸福であればいいではないか。
*私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる。
*理解できない他者、コントロールできない他者がいることを知ることが、自己中心性から脱却するためには必要である。

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2017/03/21

ラビング 愛という名前のふたり

769 いい映画だなぁ。夫役(ジョエル・エドガートン)、妻役(ルース・ネッガ)、両方ともよかった。ゆったりとした描き方もいい。
 白人男性リチャード・ラビングと黒人女性ミルドレッドは、1950年代のアメリカのある州では結婚は許されていなかった。(今から考えると、とてもおかしなことである。)
 その法律、社会の壁をこの夫婦が変えていく。変えることができるのだ。これは素晴らしいことである。
 妻の方の強い意志、これは称賛に値する。それとともに、夫の方の愛も私には印象に残った。素朴に、妻を守る、子どもを守る、家を守る……家族の幸せを強く願っている。
 変革には批判、中傷は付き物である。それを乗り越え、裁判を続けられていたのは夫婦の愛・絆である。それはとても静かであり、力強い。

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2017/03/20

体の見方(14歳からの哲学)

Images147 著者の池田晶子さん(写真)が亡くなって10年が経つ。
 『14歳からの哲学』の中の「体の見方」のところを読む。
 体はこの世において、自然(神)から自分(私)に与えられた車のようなもの? 私の所有物ではない? 運転手は私なのか、私の心なのか?
 私の中に小人がいて、私を動かしている? 小人とは私の心のことか? 小人を動かしているのは何だ? それとも私を包む、さらに大きな自分がいるのか? 大きな自然(神)が私を動かしている? すると全てが決められてしまっているのか?

 不死なるものはあるのか? それは心なのか? 魂とか霊とか言われるものか? 精神と言われるものか? 「それ」としか言いようのないものか?
 大体が不死なるものを想定する必要はあるのか? 未来や永遠を想定したがっているだけではないか? 今を生きる、幸福になる、幸福であればいいのではないか? 幸福になるために未来を想定する? ……人間らしいところだ。

 形而上学の話だ。この話をしたがる。しかし、解けない。人間の限界だ。「語りえぬものは沈黙しなければならない」……しかし、話はしたがるし、話は続く。

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2017/03/19

働く意味って何だろう?

8_2 第47回人生カフェは、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。この形での実施は2回目である。
 平成29年3月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性5名、女性4名、合計9名の人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①なぜテレビドラマは刑事もの、弁護士もの、病院ものが多いのか?
②なぜテレビドラマは勧善懲悪を好むのか?
③なぜテレビドラマはサクセスストーリーを好むのか?
④自己顕示欲は悪いことか?
⑤日本は宗教的寛容があるのに、同調圧力が強いのはなぜか?
⑥働く意味って何だろう?
⑦人生の生きがいとは?
⑧いいコミュニケーションって何だろう?
⑨言いっぱなし、聞きっぱなしのコミュニケーションって何だろう?
⑩なぜ人はウソをつくのか?

 今回は以上の中から、「働く意味って何だろう?」を後半の対話のテーマに選んだ。
 働くことの基底には、働くことから得る収入ということがある。経済的な自立をするためのお金のことである。このことを改めて認識しておくことから対話は展開していった。
 働くことによって、収入以外に本人にとってよいこととしては、例えば、能力が高まる、人間的な成長を得られる、新しい経験をできる、やりがいや生きがいを持てるなどがある。また、社会の一員として、社会への貢献をしているという面もある。
 一方で、やりがいを持てないといったことも起きる。仕事が忙しすぎたり、ルーティンワークばかりの仕事だったり、自分の能力よりはるかに低い仕事しか与えられなかったりとか、現実には生きがいに繋がらない仕事をせざるを得ない状況に追い込まれている場合も多い。厳しい現実がある。
 仕事にやりがいを持つことは理想である。しかし、仕事にやりがいを持てないからといって、その人の全人格が否定されるわけではない。仕事以外に生きがいを持っても、それはそれでOKである。周囲もそれを認める必要もある。

 最後に、一人一人、気づいたことや新たな問いや感想などを述べてもらった。
 その中で、「人や会社は変わらない。自分が変わることが出発点」という発言もあった。

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2017/03/16

幸せになる勇気(再読)

9 再読して、印象に残ったところがいくつかあるので、抜き書きしておく。
*これはあなたに向けられた行動なのですから、まずはあなたが受け止めなければなりません。
*まずは目の前の人に、信頼を寄せる。目の前の人と、仲間になる。
*われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。
*すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾ける。……いま、ここを真剣に生きる。

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2017/03/15

64 前編 後編

766 佐藤浩市、渾身の演技! 彼の代表作になるだろう。ノッテいる感じである。前編において、日本アカデミー賞最優秀男優賞を受賞した。脇役陣もいい。
 組織のしがらみ、警察組織のいやらしさを存分に描いている。家族の葛藤も描いている。一方で、人間の暖かさも描いているのだから、全体として人間を描いていることになる。
 小説を以前に読んでいたが、忘れていることも多かった。それだけに映画の前編の迫力は身に染みた。
 後編は原作から離れていくほどに、少々白けた。

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2017/03/14

春琴抄

765 名作であることを大いに認める。谷崎潤一郎はすごい!
 現代からの私の少々特異な評価を書く。
 現代では、自立していること、そして自立したもの同士が関係を持つことをよしとする傾向がある。しかし、お互いに依存し合っていて、二人が揃ってこそ自立しているという関係があってもいいではないか。それをこの小説は示している。
 また、現代は見た目を重視し過ぎている。視覚が9割以上の社会である。これへのアンチにこの小説はなっている。目には見えないもの、あるいは「音」というものにこれだけの美しさを見出している。

 とにかく、愛の追求の形にしろ、美の追求の形にしろ、『春琴抄』の世界は現代の我々に、忘れているものを鋭く蘇らせる力を持っている。

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2017/03/13

伝えるとは何か

Png5 第46回人生カフェは平成29年3月11日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎博明さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。今回は途中2回の休憩を挟みながら、最初から最後まで、このスタイルで実施した。
 テーマは「伝えるとは何か」であった。
 伝えるということは、「伝承」や「教える」といった意味合いなども含むものであるが、今回は主に日常的な人間関係の中で生じる会話とか対話とかいったレベルの話がなされた。
 伝えるというのは相手がいることである。相手が聞き、受け入れなければ、伝わったことにならない。
 相手が望まないことを一方的に伝えようとしていないか?伝えようとしていることが相手に対して暴力的になっていないか?このような疑問から対話はスタートした。
 伝えるということも、聞くや質問するといったこととともに、コミュニケーションを形成している。そのコミュニケーションがよくなされている場合には、そこに「共感」というものがありそうである。この共感というキーワードをめぐっても対話は展開した。
 伝えるということは、単に話し方のスキル(技術)を上げればうまくできるというものではない。伝えあうためには、お互いに聞きたいこと、話したいことの内容や気持ちをすり合わせていく努力も必要である。

 このようなことを自分の体験を交えて対話していくと、あっという間に3時間半が過ぎた。フリップに書くというような作業も行わずに、シンプルにただじっくりと対話をしたという感じであった。各人が新たに生じてきた問いを抱えつつ、会を終えた。

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2017/03/09

ソラノイロ 一幻 一瑞亭

C5ab78a0b6e6403f92c19f65e38c9920Img_0252Img_0253 人に勧められたりと、思いつくまま食べ歩いた感じである。
左写真:麹町「ソラノイロ」特製ベジソバ 2月15日 ベジタブルソバとして、さきがけであり、これはおいしい。野菜たっぷりで、健康にも良さそう。柚子胡椒を少しずつ入れて味に締りを与えていくこともできる。
中写真:新宿・小滝橋通り「えびそば 一幻 新宿店」そのまま 塩 細麺 3月2日 スープが実においしい。エビアレルギーでなければ、スープを全部飲み干したいところだった。
右写真:新宿御苑「博多 一瑞亭」味玉ラーメン 3月4日 とんこつスープはおいしかった。

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2017/03/08

哲学性とか、哲学対話ってなに?

Images030ayno5 3月5日(日)に第8回東京メタ哲学カフェが開催された。8名の参加を得て、上記のタイトルのようなテーマで対話が行われた。

 問い(テーマ)が出発点である。その問いの答えを見つけようとする。そのために理性を使って論理的に探究する。答えは本質的なもの(本当のもの、そもそもなもの、究極的なもの)と言われているようなものを目指す。このあたりが哲学的である。

 この際に、感情はどういう関係にあるか?上記のことに、知りたいという感情が駆動力になっているということは言えそうである。

 このような哲学的なことを対話で行うのが哲学対話である。哲学的だから理性(論理)が主導するのだが、対話だからお互いの感情も交錯する。理性も感性も応答し合う。そこが哲学対話の面白いところである。

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2017/03/06

欲望

Desire 「欲求」とは、欠けたものを埋める、動物的、本能的なことを指すイメージである。
 それに対して「欲望」は、欠けたものを埋めるだけでなく、さらなる向上も含むものであり、言語や他人が強く影響する人間的なもののイメージである。
 欲望に対して、「理性」とは何か。理性は、数ある欲望の調整や調節といった役割を持っている。それは欲望を減らすとか、無くすとかといったものではない。
 「感情」は感情で、自らの欲望にそれなりに反応しているように思われる。

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2017/03/03

ラ・ラ・ランド

764 恋する女性はかわいい、美しい!
 ラストはちょっとかわいそう。男の方が…。いや女の方もである。
 これを運命と言えるのか? 


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2017/03/02

人工知能を愛せるか?

763 西千葉哲学カフェに初参加である。戸谷さんの進行のもとに15名くらい集まっていた。
 今回のテーマ(問い)に対しては、人工知能を愛する人もいれば、そうでない人もいる、というくらいが概ねの答えのような雰囲気であった。人形を愛する人もいれば、そうでない人もいるのと同様な感じである。大体が人は他人を愛する場合もあれば、そうでない場合もあることは自然なことである。

 愛するということから若干離れてしまうのだが、人工知能をめぐっての話が多く出た。
 私が思うに、人間が思考できる範囲での人工知能ならほとんど問題はないだろう。しかし、人間の思考を超えてしまう、いわゆる形而上学的なことについてはどうだろう。
 人間は、死、魂、神、無限などの形而上学的なことが否が応でも問題になってしまうが、その問題はこの世の原理上解けない。それに対して、人工知能は形而上学的な問題を解けるか解けないかは別にして、問題にしない可能性がある。
 形而上学的な問題を問題としないで、それ以外のところでは人間よりはるかに勝る知能を持つ、そのような人工知能が生まれるということがたいへんなことである。

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2017/03/01

幸せになる勇気

9 第45回人生カフェは平成29年2月25日(土)、11名(男性2名、女性9名)の参加によって実施された。
 今回は、『幸せになる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
「人間知」(37)
「尊敬とはありのままにその人を見ること」(40)
「どのような意味を与えるか」(61)
「悪いあの人、かわいそうなわたし」(69)
「共同体感覚は「身につける」ものではなく、己の内から「掘り起こす」もの」(148)
「「わたし」の価値を自らが決定すること。これを「自立」と呼びます」(152)
「わかり合えない存在だからこそ信じるしかない」(211)
「何もないところから築き上げるからこそ、愛のタスクは困難」(227)
「運命の人を求めるのではなく、運命といえるだけの関係を築き上げる」(267)
「幸せになりたかったのです」(269)
「最良の別れ」(277)
「いま、ここを真剣に生きる」(278)
……(他にもいくつかありました。)

 以上について、いくつか対話を展開した後、次に、この本について気になったこと(疑問に思ったこと)を挙げてもらった。
「どうしてほめてはいけないのか?」
「叱責はダメ」
「普通であることの勇気」
「「勇気」ということば」
「利己心を追求した先に「他者貢献」があるのです」
「最良の別れ」
……その他、「青年の立場」になって疑問を発し続けることや、この本を読んでいない人に接する場合の困難さなどが出ました。

 以上を踏まえて、フリーに対話をしたのだが、そのうちいくつかを紹介する。
 「ほめる」ことが禁止されているのが引っかかる。アドラーが言わんとしているのは、上下関係の上から目線で、競争意識をあおるようなほめ方はよくないということらしい。対等の仲間意識を大切にするという姿勢である。だから、例えば仲間同士で、励まし合うような「ほめる」はよさそうな気がする。
 幸せになることと「楽になること」との関係について。単に、楽に、楽にということでは幸せとは言えないかもしれない。それなりの苦労(苦味)が幸せを豊かにする。でも、楽にではなく、楽しいということなら、これはそれほど悪くないかもしれない。
 やはり多くが語られたのは、この本が説くところのアドラーの考え方の実行性である。この理論に一定程度共感していても、実際に行動することは難しいことが多い。この本でも、シンプルに継続して実行することはたいへんであると述べている。

 最後に、一人ずつ、フリップに書いて発表してもらった。
「愛⇒自分を好きになれば人も好きになれる。今日参加してくれた方々に感謝し、尊敬します。いま、ここ、幸せかなあ?」
「人は誰でもいまこの瞬間から幸せになることができる」
「本を読んで、いろいろなことが分かったような気がしたが、やはり分からなくなった。(愛するとは、どういうことか?)」
「わかったような、わからないような、モヤモヤ…感。実践は困難…」
「アドラー心理学ほど…(8P) とあるように難しく自分自身には理想かな?と思った。また、最良の別れ、死については、もっと話したいと思った」
「理論⇔実践 往復運動・らせん運動 それが自己啓発」
「アドラーに感銘を受けた理由が、私が「自己啓発」好きだからだと、今日分かった!」
「アドラーは私に勇気を与えてくれた」
「『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』大好き」
「しっかり本を読んできた人どうしのこの会を通じて、それぞれのとらえ方は本当に違うなーと再認識しました」
「不思議な集まりだった。 (頭の中の対話)→人との交流へ。 楽しかったです」

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2017/02/28

5人会(平成29年2月)

Images146 今年初めての5人会である。今回のテーマは「もし生まれ変わるとしたら」である。
 私の人生は全般的には満足している。素晴らしい人たちに囲まれている。また、一定の才能にも恵まれている。
 しかし、もし生まれ変わるとしたら、一部の身体的な弱点はなしにしてほしい。歯、喉、首などが弱いのには参っている。
 もし生まれ変わって、付加できるのなら、というのはいくつかある。
 ひとつは何かしらのスポーツを楽しめる運動的能力である。また、絵、音楽、カラオケなどの文化的才能である。
 さらに、夏目漱石、手塚治虫、黒澤明くらいのレベルの芸術的才能があったらいいなぁとも思う。人生がものすごく豊かになりそうな気がする。しかし、一方で、苦悩や苦労も一緒に付いてきそうで、それは嫌だなぁとも思う。

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2017/02/27

マリアンヌ

762 結局、戦争による悲劇だ。あまりにも悲しい。
 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「フォレスト・ガンプ」「コンタクト」などの名匠ゼメキス監督はさすがに安定した演出だ。
 ブラピ、マリオン・コティヤール、ともに素晴らしい。
 戦争はお互いの殺し合いだ。この映画はちょっと一方的な見方のような気もする。

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2017/02/23

沙さや

Img_0233Img_0249 定食屋「沙さや」は、私が毎週水曜日夕食に行っている高田馬場のお店である。
 安くておいしい。魚がいい。健康にいい食材を使っている。懐かしい味でもある。
 ご主人、奥さん、息子さんとの会話も楽しい。お客さん同士の話も楽しい。

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2017/02/22

幕が上がる

761 感動した!
 私は演劇が好きだし、演劇の苦労も多少は分かるので、実感も伴った。
 青春の生きてる!という感じが伝わってくる。
 やはり楽しめている時は充実している。

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2017/02/20

尊重するって、どういうことか?

8 第44回人生カフェは、初めての試みで、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。
 平成29年2月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性7名、女性10名、合計17名もの人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①対等な人間関係とは何か?
②共依存とは何か?
③愛とは何か?
④尊重するって、どういうことか?
⑤文化と教養の違いは何か?
⑥教養は必要なのか?
⑦自殺はどうしてだめなのか?
⑧命は何よりも重いのか?
⑨運命って何だろう?
⑩恨みって何だろう?
⑪豊かさとは何か?
⑫人生の後半の生きがいって何だろう?
⑬仕事をする上でお金より大切にしている価値観とは?
⑭アメリカとは何か?

 この中から一つにテーマを絞っていく。今回は大きく分類すると、「人間関係」「文化・教養」「命」「その他人生一般」となるとの指摘があり、新たに「よい人間関係とは何か?」「死とは何か?」といった問いも提案された。その上で、大き過ぎでもなく、小さ過ぎでもなく、参加者が話しやすそうなテーマとして「尊重するって、どういうことか?」が選ばれた。

 後半はこのテーマに沿って、フリーに対話が展開した。
 自分を尊重することができて、他人も尊重できるということがあった。しかし、他人のことなど大体がよく分からないではないか。他人を尊重する基底には信頼関係というものがありそうだ。他人をよく分からなくても、尊重しようとする姿勢そのものが大切……。

 最後に、一人一言ずつ、気づいたこと、新たな問い、感想などを述べてもらった。
 動物でなく、人間だけが尊重ということができそうだ。「他者」というものが改めて気になってくる……。
 こんなことを述べた人もいた。「主に自分の考えを話す人がいる。主に自分のことを話す人がいる。」……

 初の試みであったが、2時間があっという間に過ぎた充実した時間であった。

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2017/02/18

ドクターストレンジ(再見)

760 何と妻と2度見た。2度目は、3D、IMAXだった。一番後ろの真ん中の席という最高の環境だった。
 とてもよかった!超迫力だった。表情なども鮮明にリアルに見れてよかった。思ったより目が疲れなかった。
 迫力のある画面ということもあるし、2回目ということもあるだろう、短く感じた。
 ストーリーをあまり深く考えずに、映像を楽しむ映画である。

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2017/02/15

ぬかじ 六厘舎 田なか

A06b9f692bc340598638f19be2678a95A16d4032177349db8424d3f2482a26d16e0a3be8e9d24d3189d290d4ff36d66b まだまだ引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:渋谷「麺屋 ぬかじ」味玉らーめん 1月28日 見た目もきれいで、おいしいラーメンだ。とんこつ醤油がうまい。チャーシュー、玉子などもいい。メンマは長く、裂いてありあり柔らかくおいしい。野菜やショウガなどのセンスもいい。当然完食!
中写真:大崎「六厘舎」味玉つけめん 2月1日 さすがに六厘舎だ。私の好きなつけ麺である。濃厚ドロドロつけ汁でないのがいい。おいしい味を出している。極太麺はきれいで歯ごたえもいい。スープ割りして、当然完食!
右写真:秋葉原「志奈そば 田なか セカンド」味玉塩中華そば 2月11日 見た目もきれいなおいしい塩そばだ。塩味がきつくないから最後まで飲めて完食!麺もおいしいし、チャーシューは2種類、食べがいがある。メンマや野菜もオシャレ。

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2017/02/14

美徳のよろめき

759 今(現代)の私からすると、理解不能なあほらしい人種の話である。旧貴族の有閑マダムの不倫の話である。
 まさに、よろめいたのだけれど、また元へもどった。
 主人公節子は現実を否認し、自己完結的な美と道徳(まさに美徳)の世界に住んでいる。それは三島由紀夫の独自の世界観でもある。

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2017/02/13

映画はお好き?

16251922_1912778565618430_300721640 人類にとってのメディアの変遷が気になる。
 人類は話し言葉の獲得から、書き言葉、すなわち文字を発明した。この記録媒体としての文字の発明は人類にとって大きな革命であった。ここから歴史も始まる。
 印刷技術の発明も革命である。文字文化が大きく飛躍した。
 次に、写真が発明され、現実を視覚的に切り取ることができるようになった。
 その映像が動くようになった。現実の動きを記録することができる。映画の登場である。
 映画は娯楽であり、芸術にもなった。主に動画と音楽で表現した。視覚と聴覚を抜き出してそこに訴えている。

 映画は大好きである。
 「キネマ倶楽部」といった映画を語る会が近くにあったら、行きたくなる。残念ながら、開催場所は千葉県の柏である。

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2017/02/10

恋妻家宮本

758 私はこういう幸せな映画は大好きである。
 阿部寛、天海祐希は両方とも私は好きであり、とにかくお似合いの夫婦だ。夫婦の愛っていいよね。抱擁したり、手をつないだり、ということでなくても、ただ一緒にいるだけで幸せ。
 脇のエピソードもよくできている。教育のこともうまく取り上げている。教師が生徒ととにかく一緒にいる、見捨てないということの大切さが伝わってくる。
 料理教室の場面もいいし、ファミレスのシーンも面白い。(原作は重松清の『ファミレス』だものね。)
 これらのストーリーを通して、正しさより優しさ(care)の価値が浮かび上がってくる。これは現代の重要な思想である。
 また、適度に依存しあうこと、頼り頼られている関係も生きる張り合いになる。過度に自立を強調する必要もない。そう、まさに自律した協力関係(パートナーシップ)はいいものだ。
 吉田拓郎の「今日まで、そして明日から」の曲も、前から好きだったが、感動的に使われている。

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2017/02/09

哲学カフェにおける対話と哲学性

Imagesri7y2fo8 第7回東京メタ哲学カフェは2月5日に開催され、14名の参加者がいた。進行役は芹澤幸雄さん(さろん哲学)であり、2007年の武田朋士さんの論文「哲学カフェにおける対話と哲学性」を基にして、対話をした。

 哲学カフェの運営者としては、どうしても哲学カフェの集客性や継続性といったことが気になってしまう。しかし、哲学カフェには一回限り、その場だけという刹那性という面があることを見逃してはならない。

 哲学カフェでは、その場所と他者の力を借りることになる。自分一人でよりも、「容易に」「別様に」「明確に」内省を促される。ここに哲学カフェの意義がある。

 最後に出された問いが気になる。
「どういう哲学カフェがダメか? その枠って何だろう?」
「哲学カフェの失敗って何だろう?」
「哲学カフェに哲学性って要るのか?」

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2017/02/06

「問う」とはどういうことだろう?

Medium_2201907500   第43回人生カフェは平成29年2月4日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は本間が進行役(ファシリテーター)だった。前半は机を使い、フリップに書いてもらうなどをし、後半は机を使わず、全員が椅子に輪になって座り対話をした。
 今回のテーマは「「問う」とはどういうことだろう?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「「問う」ことは、まさに「考える」こと?」
 「答えのないものに対しては、「問う」という形で、まず始めていくしかないのか?」
 「問い、好奇心、興味、どう違うの?」
 「問いを立てると、問いかけるはどのように違うのだろう…?」「「自分に問う」と「他者に問う」はどう違うか?どちらが必要か?」
 「「問う」ことは、聴くことの積極的な態度か?」
 「問いの種類はどのようなものか?どれくらいあるのだろう…?」「(問うとき)答えをどこに求めるか?」
 「疑問を持つ人生と持たない人生、どちらが幸せか?」「「問い」によって、悩みが増えるか?」「迷いが大きくならないか?選択肢が増えることが、かえって安心するかも」
 「「問い」と「答え」、どっちが大切か?」「問いと答え、どっちが大事? 答えがないことが多いように思います。そのプロセスも大切にしたいかなと」
 「問う⇒問い⇒考えること 聞いて、みて、考え わからないことを教えてもらうことかなぁ?」
 「何故問うのか?」「問わなかったら、どうなるか?」「問わずに幸せに生きられないか?」

 この後、フリーに対話した。
 問いのレベルとして、「頭」のレベル、「感情」のレベル、そして「腹のレベル」というものがありそうだという話になった。一般には「頭」のレベルで、問いを立て、論理的に考えるというように見る。しかし、「感情」のレベル、さらに「腹」に落ちるレベルの問いと答えというものも大切である。特に、「怒り」や「悲しみ」といった感情から起こる「問い」に注目が集まった。
 「なぜ問うのか」ということは基底となる問いである。 
 これは人生が謎であり、不条理であるからである。問わざるを得ないのである。そして、近代人は、問う⇒考える⇒答える⇒考える⇒問う⇒…… これを繰り返さないと、すなわち思考停止になると生きていけないのである。コマのように、常に問いと答えの回転をし続けることによって、自分を自立させているのである。

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2017/02/04

牝猫たち

757 あんまり面白くも、楽しくもない映画だった。
 かわいそうな人たち(女性も、男性も)が多かった。セックスだけでしか表現できないとしたら、それは寂しい。
 これをたくましいと言えるのか。希望はあるのか。

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2017/02/03

日本において、哲学カフェは哲学か?

20161227130747 2月1日開催の立正大学哲学会2016年度秋冬大会シンポジウムのテーマは「哲学カフェ×哲学教育 -日本において、哲学カフェは哲学か?-」であった。シンポジストは、村瀬智之さん、戸谷洋志さん、木村史人さんだった。
 哲学カフェがブームになってきた社会的・文化的背景として、戸谷さんは3点指摘した。
①コンテンツよりコミュニケーションによって消費される傾向。 (コンテンツが多すぎて、しかも分からないし。)
②権威からの教えよりも双方向的な話し合いが尊ばれる。 (もう権威には頼れないし。)
③癒し。

 私なりのまとめをすると、このような不透明な時代においては先行き不安なのである。そこで、多種多様な生身な他人と接触し、自らを問い、確かめていきたいのである。まさに「対話」ということがクローズアップされる。

 研究者の立場の人たちはやはり私とは異なる。興味・関心、そして目的も異なる。  
 哲学カフェにおいて言えば、そこで出される「問い」の質が異なる。それはそれでいいのである。いずれにせよ、哲学カフェにおいては、「自分にとって」という自分の問題、実存の問題にいつでも立ち戻される。

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2017/02/02

ドクターストレンジ

756 ミラーを使った映像も面白い。主役のベネディクト・カンバーバッチもいい。脇役陣もいい。
 10分に一度アクションの山があり、ウィットに富んだ会話もある。時々ストーリーをまとめる対話も挿入される。これらがうまく配置され、テンポよく進行する。マーベルらしい作りである。
 それほど深い話ではない。アメコミなのだから、それでいい。楽しめればいい。

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2017/02/01

沈黙ーサイレンスー

755 遠藤周作の原作に比較的忠実に描く、これはいい。その上で、ラストのロドリゴの埋葬のシーンにスコセッシ監督の思いが反映されている。日本人の遠藤周作の小説を映画化してくれた75歳になるスコセッシ監督に感謝である。
 農民たちを丁寧に描いているのには感心した。このことは確かに日本の映画には少ないかもしれない。
 信仰の問題になると、キチジローが言うように、「時代」「生まれた時」といったものを考えてしまう。信仰への迫害のない時代もあったのだから。
 あくまでも現代から見るとということだが、無理な布教はよくないことだ。国家や教会が真理や正義を振りかざして、自らの力を誇示し、拡大しているだけという面があるからである。
 このようなテーマは映画より小説の方がじっくり考えられる。だからといって、この映画の意義が下がるわけではない。
 (ひとつ変な感想)
 若い人の殉教はあまりにもかわいそうだ。若者にはまだまだたくさんの可能性があるから。私のような年寄りの殉教の方がいい。無駄に長生きしているより、意味がありそうな死である。そんなにうまくいかないのは分かっている。せいぜい年寄りは、死を賭すぐらいの覚悟で、周囲の人のために考え、行動しろ、くらいのことしか言えないかもしれない。

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2017/01/31

悪い人はいちゃいけないのか?

754 私の「行為」を非難・否定してくる人がいる。「あなた、挨拶ができてないわよ。」 これは当たっている場合もあるから、この人を悪い人とは思えない。もちろん腹立たしくなることはあると思うが。
 次に、私の「人格」を否定してくる人がいる。「お前は全く思いやりがない男だなぁ。」これはさすがにひどいと思う。人格攻撃は原則しないのがいいと思っているからである。人格の否定を始めたら、ケンカになるのは目に見えている。だからといって、相手を悪い人とは言えないと思う。人格否定を言いたいだけの背景がありそうな気もするし。
 最後に、私の「存在」そのものを否定されたらどうだろうか。「お前なんか、この世からいなくなればいい!」 これには私は相当に怒るだろう。しかし、言葉で言われただけなら、相手の人間性を疑うことはあるが、相手に悪人というレッテルを張る気はない。まだまだ善の部分がたくさん残っているような気もする。
 これが私を殺しにかかってくる、すなわち身体的・物理的に私の「存在」を全否定してくる人だったらどうだろう。ここに至って、私は初めて、この人間を私にとっての「悪人」と呼ぼうと思う。

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2017/01/30

人とつながっていないといけないのか?

Imagesuvbw3cjv 第42回人生カフェは平成29年1月28日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「芸術の価値とは何か?」「人はなぜ美を感じるのか?」「美を感じる基準は何か?」
 「日本社会・日本人は本当に近代社会・近代人か?」
 「何故、法律を守るのか?」
 「「わいせつ」とは何か?」
 「人はなぜ楽しい事、好きな事だけして生きていかないのか?」
 「必要以上の謝罪をどう思いますか?」
 「謙虚とは?心づかいとは?」
 「疲れたなぁと思ったら、どうしますか?」
 「男脳、女脳とは?」「男性と女性では物のとらえ方はどう違うのか?」
 「お金で買えないものとは何か?」
 「人生が二度あったら…どんな人生を送りたいか?」
 「もし不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?」
 「運がいいとか、悪いとかとはどういうことなのか?」
 「強いアメリカとはどんな事か?」
 「面倒くさい人とは?」
 「エリートとは何か?」
 「なぜスマップは解散したのか?」
 「可能性とは何か?」
 「(必ず)人とつながっていないといけないか?」「フェイスブック、ブログ、ツイッター、ライン…など、人はなぜ繋がりたいのか?」「それでも仲良くしなくてはいけない時って、どんな時ですか?」

 これらの中から、今回は対話のテーマを「人とつながってないといけないか?」に決めた。

 このメインテーマに対して、参加者からサブテーマに当たるものをいくつか出してもらった。
 「独身者は社会の中でなぜある種の引け目を感じざるを得ないのか?」
 「「お前は友達がいないだろ」はなぜ最強の侮辱となるのか?」
 「おひとりさまの死とは?」
 「なぜ自分のプライバシーを明かしてまでネットでつながろうとするのか?」
 「どうして会話をしている相手ともSNSで会話するのか?Facebook,Twitter…」
 「人と人とは良いときでも、悪いときでもつながっていた方がよいような気がするのはだめでしょうか?」
 「淋しいのは嫌だが、人とつきあうのはわずらわしいいのはなぜか?」
 「つながりの強制は無いか?」
 「一個人として、人とつながっていくことをどう思うか?」
 「「つながってる」とは、どこで誰が判断するか?
 「つながる事で、どんな状態を期待するか?」

 これらをもとにして、後半はフリーに対話した。今回は机を使わずに、椅子だけで全員が輪になって対話をした。

 最後に、参加者に、今日気づいたこと、新たに生じた問い、感想などを聞いた。(今回はフリップに書かず、口頭で述べてもらった。)

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2017/01/29

Jポップで考える哲学 ④

753 第5章(最終章)は、「人生」がテーマであり、パスカル、ヤスパース(写真)、ニーチェが取り上げられている。
*日常の息苦しさには3つのポイントがあります。第一に、「僕ら」には最終的な目標が分からないということ、第二に、そうであるにも拘わらず前進しなければならないということ、……第三に、そんな「僕ら」はどこにも辿り着けないということ、です。
*「僕」はそうした不確かな人生をこそ肯定しているのです。……「僕」は、自分の人生を肯定することを通じて、そうした人生を包み込んできた世界そのものをも肯定しているのです。
*決断をして生きるということは、私が「私」であるからこそ選ばれるような生き方をするということです。
*決断は変わることを求めます。
*「私」は自分の人生を孤独に決断しているのです。……孤独は誰にとっても辛いです。だからこそ、自分の道を進むことを選んだ他者に私たちは敬意を抱くことができます。
*そして、自分も「誇り」に思える、ということです。

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2017/01/28

Jポップで考える哲学 ③

752 第4章は「死」がテーマで、キルケゴール(絵の人物)、ハイデガー、サルトルが取り上げられている。
*哲学の世界では、証明不能の問題や考え方を形而上学と呼びます。魂の不死はもっとも代表的な形而上学の問題です。
*就職活動が無意味であるのは由々しき事態ですが、問題なのは、それが自分の本来の生き方にふさわしいかどうかをそもそも考えていない、ということなのです。
*「あなた」以外の死者たちもまた、「私」にとっての「あなた」と同じように、誰かにとってかけがえのない個人であり、たった一人の大切な人であったはずです。

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2017/01/26

Jポップで考える哲学 ②

Ip161028kyd000109000_0000_c 著者の戸谷洋志さん(写真)の論の進め方は明快である。まさに明るく快い。若さを感じる。
 第2章は「恋愛」がテーマであり、ブーバー、メルロ=ポンティ、レヴィナスが取り上げられる。
*失くしてから、初めて気づく。

 第3章は「時間」がテーマであり、ベルクソン、ヴェーユ、バタイユが取り上げられる。
*私たちの日常生活は原則的に目的と手段の関係によって支配されています。……未来へと向かう現在の行為は手段という性格を帯びることになります。
*日常生活において私たちはしばしば待つことに耐えられなくなり、早く未来を招き寄せたいという欲望に囚われてしまうのです。

*手を出さずに、相手の出方をじっと窺うということです。
*「待つこと」は未来がもつ「まだ存在しない」という性質と正面から向き合う行為です。言い換えるなら、それは現在において未来を未来として体験することに他なりません。
*役に立たないけれど意味がある現在のあり方です。
*遊んでいるときの時間は無意味ではないし、だからこそ苦痛でもない、むしろ楽しいものです。
*過去については持続する記憶が思い出されるとき、未来については欲望から自由に何かをじっと待つとき、現在については夢中になって一瞬を生きるときを考えてきました。……どれも日常生活のなかでは見えてこないもので、ある特殊な状況でだけ現れるもの、ということでした。

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2017/01/25

Jポップで考える哲学 ①

751 副題は「自分を問い直すための15曲」である。(講談社文庫)
 著者の戸谷洋志さんは1988年生まれ、まだ28歳である。みずみずしい感覚で書かれており、好感が持てる。哲学的見方に関しては、私と近いものがあり、この点も共感する。
  「私たちは自分たちの言葉で哲学することによって、哲学自体を新たに再形成しようとしている」という意気込みも感じられる。
 「自分」「恋愛」「時間」「死」「人生」の5つのテーマを取り上げる。
 第1章は「自分」がテーマであり、カント、フィヒテ、ヘーゲルが取り上げられる。

*「自分」を考えようとするときでも、考える主体は「自分」です。しかし、考えられる客体も「自分」になってしまいます。そうだとすれば、このとき「自分」が主体と客体とに分裂してしまうのです。
*私たちは一人では「自分」を知ることができません。
*「私ではないもの」が存在しなければ、「私」について考えたり、「私」と語ることはできないのです。

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2017/01/24

なぜひとを殺してはいけないのだろうか

Images145 人類が歴史的・社会的に獲得してきたものがある。すべての人が持つ生きる権利である。それは憲法や法律に明記されている。
 だから、人は特別な理由(正当防衛など)がない限り、人を殺すことができない。殺したら刑罰が科せられることになっている。これが殺人を抑制する力とはなっているのだろう。
 しかし、人を殺したくなる気持ちを持つことはある。あいつがいなくなればという思いである。行動には現れなくても、心の中では殺人を犯している。
 これらは人間の自然な気持ちのようである。だからこそ、これを実行に移さないようにするためにも、「命はなぜ大切なのか」を問わなくてはならない。この問いの変更は重要である。
 命より大切なものはあるのか。それを考えていくと、命が最も大切なもののようにも思えてくる。
 自分の命を大切にできる人は、他人の命を大切にすることに進んでいけそうな気がする。
 自分の命を大切にできない人、その人たちにはどうしたらいいのだろうか。これはなかなかに難しい問題である。

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2017/01/23

品川甚作 永斗麺 いろはや

F3147eb4e29e4931a3a0bdf9adc1d0a41e0deefdd8c04a7a8d26958d04b78b16E89bebf0766141e89adc94c6cc17a950 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:水道橋「札幌らーめん 品川甚作本店」すみれ風味噌ラーメン 1月9日 スープが最後まで熱くて、おいしいのはOK!
中写真:渋谷「永斗麺 神南店」さんまラーメン 1月14日 さんまスープはおいしい。固めの細麺もいい。こういうラーメンは好きである。チーズリゾット(220円)にスープを入れて完食!こちらもおいしかった。
右写真:阿佐ヶ谷「らーめん いろはや」らーめん(大) 1月22日 とにかくスープがおいしい!鶏ガラスープは最高!最後まで熱い。スープがたっぷりとある。

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2017/01/22

エクス・マキナ

750 未来SFは好きである。人工知能に関するこの物語は〈近〉未来かもしれない。
 人工知能が人間を凌駕してしまうかもしれない。そして、知らぬ間に人間社会に潜り込む。……
 人間を傷つけることは止めなくてはならない。しかし、そんなに簡単にコントロールできないかもしれない。原爆などの科学技術の行きつくところの例からしても、それはたいへんな結果をもたらすかもしれない。
 視覚効果、音響の面でも面白かった。

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2017/01/20

置かれた場所で咲きなさい(再読)

Yjimage ノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子さん(写真)が昨年の12月30日、89歳で亡くなった。
 渡辺さんが当時9歳だった時、2.26事件でお父様を目の前で亡くされた。その後、素晴らしいお母さまに育てられた。これだけでもものすごいことであり、涙が出る。
 ご冥福をお祈りしたい。
 今回、この本を再読して、病気や老いのところの記述が特に気になった。それだけ私が年取ってきたということだろう。印象に残ったところを抜き出しておきたい。
*かくて病気という人生の穴は、それまで見ることができなかった多くのものを、見せてくれました。それは、その時まで気付かなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さでした。私は、この病によって、以前より優しくなりました。
*感謝の念と謙虚さが、もしかすると「輝き」となっているのかもしれません。
*私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから。
*一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。
*老いるということにおいて、一番大切な仕事は、ふがいなくなった自分を受け入れて、いつくしむということ。
*持ち時間も体力も、気力さえも確実に減ったとすれば、いきおい何もかもでなく、本当に大切なこと、必要なことを選んでするようになります。かくて、老いは人間をより個性的にするチャンスなのです。
*「小さいな死」とは、自分のわがままを抑えて、他人の喜びとなる生き方をすること、面倒なことを面倒くさがらず笑顔で行うこと、仕返しや口答えを我慢することなど、自己中心的な自分との絶え間ない戦いにおいて実現できるものなのです。

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2017/01/19

雪国

749 あの川端康成の、あの『雪国』である。(新潮文庫)
 今回20年ぶりくらいに再読して、私はえらく感動した。どこに感動したかを細かいところは省略して、要点を述べる。
 人間関係の上下、優劣とか、対等といった尺度ではない。波長が合う、仲がいいといった関係のことでもない。
 「美」と「悲しさ」に直截的に魅かれるのである。静かで、強い力で。それが日本的な愛や情の世界のような気がする。
 このことを20年前は分からなかった。少し間をおいて、また読んでみたくなる名作である。

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2017/01/18

コミュニケーションと環世界

Images144 神保町での哲学カフェである。
 表題についてのレクチャーがあり、その後グループに分かれて対話をした。
 対話の中で面白かったこと。
 言葉の反対語とは論理的に考えるもの。類似語は感覚・感情的に捉えるもの。自分にしっくりくる類似語・同義語を探ることは自分の気持ちを探っていくことに繋がる。

 人に質問をしないのはなぜか。元々質問したいことがないから。自分が知らないことが分かると恥ずかしいから。相手の話の腰を折っては悪いから。詰問調になると悪いから。……
 もっと素直に質問できるといい。相手に関心があることを示すことになるから。分からないことを率直に表明できるから。相手も自分も考えるきっかけになるから。

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2017/01/17

なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか

Imagessp3q38id 1月8日開催の第6回東京メタ哲学カフェについては、「philosophy 愛知」の方が概略的な報告をしてくれているので、私はキックオフトーカー&ファシリテーターとしての感想やその後考えたことなどを書きます。(以下は「である」調になっています。)

第6回東京メタ哲学カフェは、内容上、運営上、いくつか反省点もあるが、キックオフトーカー&ファシリテーターをやった本人は相当に満足している。なぜならば、自分が今関心のあるテーマを取り上げているし、ここで出てきた話は自分の哲学カフェの実践や自分の考えの深化に生かせると思うからである。(このことからしても、他の人もいつかぜひ東京メタ哲学カフェのキックオフトーカー&ファシリテーターになってみてください。)

東京メタ哲学カフェの「メタ」は、今のところ「哲学カフェ」のメタになっていると思う。「哲学」自身をメタするということはあまり考えられていない。私などは「哲学」をメタすることはとても難しいことで、当面はあきらめている。もちろん、これは当面のことではあるが……。

それで、その哲学カフェのメタだが、ひとつは哲学カフェの限界に関心がある人たちがいる。哲学カフェそのものに多少疑問を感じ、哲学カフェの意義や社会的役割などがしっくりきていない人たちである。これらは当然ながら、哲学カフェを運営していない人たちに時々見られる。
一方で、哲学カフェの限界を感じながらも、哲学カフェの実際の運営上の課題や工夫に関心が高い人たちがいる。これらは哲学カフェを現実に運営している人たち、又はこれから運営しようとしている人たちに多い。
両者は関連している。実際、哲学カフェの運営者で、哲学カフェの限界を常に意識している人も多い。そして、両者とも重要なテーマである。
しかしながら、この両者は対話のテーマとしては一応分けて、対話をしていく方が分かりやすいかなぁ、とも今回思った。

さて、今回のテーマ「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」についてである。これは「哲学」とは何ぞや、ということではなく、一般的に哲学カフェで行われている哲学っぽいこととは何か、ぐらいのニュアンスである。
このテーマ(問い)に対する答えとして、「楽しいから」というのが必要十分な答えのような気もする。それぞれの哲学カフェにとっては、「人間的な成長のため」、「人生の幸福を考えるため」、「人々が連帯するため」といったものでもいい。しかしながら、もう少し考えてみたい。

哲学カフェを「複数の人たちがテーマ(問い)について対話すること」とシンプルに定義することは、私は好きである。集まる人たちは日頃の役割や慣習、経歴などからできるだけ離れ、自由になって対話をする。哲学カフェにいる間は、それらの人たちを私は「哲学人(てつがくびと)」、あるいは「対話人(たいわびと)」と呼びたいくらいである。
哲学カフェにおいては、参加者はみんなでまずは「普遍化」を行う。この場合の「普遍化」とは、テーマ(問い)に対して、みんなが納得できる答えを見つけようとすることぐらいの意味合いである。この定義からしても、普遍化は、自分一人では不可能であり、複数の人(みんな)がいなければできないことである。また、哲学カフェにおいては、この普遍化への目標と過程がないと、やはりつまらないと私は思っている。
そして、その上で哲学カフェにおいては、「自分化」という過程がある。「自分化」とは、テーマを自分に引き寄せて、他者と対話をしていく中で、自分の問題として考えるということである。そこには「内省」ということが行われている。それは他者がいないと自分は分からない、ということにもつながる事柄である。だから、複数の他者がいる哲学カフェは意味がある。
この「普遍化」と「自分化」の往復運動が哲学カフェの中では絶えず行われている。このダイナミックスが哲学カフェの醍醐味であり、面白みである。以上が「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」という問いに対する、私の当面の答えである。


ところで、この哲学カフェの業界(?)においても、評論家的な人物が登場しつつある。それは単なるマニアではないし、学者・研究者でもない。
私は「評論家」ということに対して、必ずしも否定的ではない。評論家の登場はこの業界が一定程度発展してきた証拠である。よき評論家がこの業界のさらなる発展に寄与してくれると思う。
もちろん、評論家の限界もある。なぜなら、実践家とは区別される存在だからである。

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2017/01/16

き(聴)くってなんだろう…?

Png4 第41回人生カフェは平成29年1月14日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。
 今回のテーマは「き(聴)くってなんだろう…?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「聞く、聴く、訊く、とは?」「聞く、聴く、訊く、そのときどきでどう使い分けるか?」「ニュースは「聞く」のか、「聴く」のか?」
 「何から、どこから、きくのだろうか?」「きくことが大事なのは、どういうことだろう?」
 「話を聞く楽しさや苦しさは、どこに(何に)あるのか?」「きくことが苦痛の場面の原因はどこにあるのだろう?」
 「聞く力があるとはどういうことか?」「自分が聞きたいことを話させることと、相手が話したいことを聞くことは、どちらが大切か?」
 「「聞く」「聴く」…側はどのような姿勢(心構え)が必要か?」「心に余裕がないと、人の話を聴けない?」「人の話を聞けず、自分の話にすり替える人がいる、なぜだろう?」「聴くことは心づかいか?」
 「きくは一時の恥、きかぬは一生の恥とは?」
 「聞けなくなったら、どうなってしまうのだろう?」

 まずは、「きく」という読みの漢字3つの違いが気になった。「聞く」は心の門のあたりで耳で聞く。「聴く」は耳と目と心で聴く。そして、「訊く」は尋ねる、質問するというような意味ではないか、といった話が出た。
 話は多方面に渡って展開された。少々テーマから外れるかもしれないが、「謝る」ということについてや「ガンバレ」という言葉などについても話された。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
 「聞く…うけとめ方はそれぞれ」「「聞くふりではなく、「聞く」は相手によりそう事」
 「きいたことに対して、自分の中で「変換」して、問い直すという姿勢は、今までの自分に欠けていたかもと思いました」
 「他人からも、内側の自分からも(問いながら)聴けるように心がけたい」
 「聞く 聴く 訊く 相手によって心遣いをする」
 「「聴く」とは、相手に関心を持ち、相手に心を寄り添わせて、想像力を働かせ、愛情をもって受けとめることかなと思った」
 「人に対して聴くとは、相手のそばにいて、相手の話すことばから、相手の心を知ること」
 「きくとは? きく力はあまり必要性はなく、人の話を余裕をもって、きく事ができる事が良い事ではないかなぁ…?」
 「心に余裕があると人の話も聴けて自分が変わって周りも変わるとして、状況が悪いときに心に余裕を持つにはどうすればいいか」
 「聴けない時もある」
 「「話を聞く」って、簡単なようで、実はとっても難しく、奥深いことだと思いました」
 「聴くって何…? 深かった!」

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