2017/01/19

雪国

749 あの川端康成の、あの『雪国』である。(新潮文庫)
 今回20年ぶりくらいに再読して、私はえらく感動した。どこに感動したかを細かいところは省略して、要点を述べる。
 人間関係の上下、優劣とか、対等といった尺度ではない。波長が合う、仲がいいといった関係のことでもない。
 「美」と「悲しさ」に直截的に魅かれるのである。静かで、強い力で。それが日本的な愛や情の世界のような気がする。
 このことを20年前は分からなかった。少し間をおいて、また読んでみたくなる名作である。

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2017/01/18

コミュニケーションと環世界

Images144 神保町での哲学カフェである。
 表題についてのレクチャーがあり、その後グループに分かれて対話をした。
 対話の中で面白かったこと。
 言葉の反対語とは論理的に考えるもの。類似語は感覚・感情的に捉えるもの。自分にしっくりくる類似語・同義語を探ることは自分の気持ちを探っていくことに繋がる。

 人に質問をしないのはなぜか。元々質問したいことがないから。自分が知らないことが分かると恥ずかしいから。相手の話の腰を折っては悪いから。詰問調になると悪いから。……
 もっと素直に質問できるといい。相手に関心があることを示すことになるから。分からないことを率直に表明できるから。相手も自分も考えるきっかけになるから。

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2017/01/17

なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか

Imagessp3q38id 1月8日開催の第6回東京メタ哲学カフェについては、「philosophy 愛知」の方が概略的な報告をしてくれているので、私はキックオフトーカー&ファシリテーターとしての感想やその後考えたことなどを書きます。(以下は「である」調になっています。)

第6回東京メタ哲学カフェは、内容上、運営上、いくつか反省点もあるが、キックオフトーカー&ファシリテーターをやった本人は相当に満足している。なぜならば、自分が今関心のあるテーマを取り上げているし、ここで出てきた話は自分の哲学カフェの実践や自分の考えの深化に生かせると思うからである。(このことからしても、他の人もいつかぜひ東京メタ哲学カフェのキックオフトーカー&ファシリテーターになってみてください。)

東京メタ哲学カフェの「メタ」は、今のところ「哲学カフェ」のメタになっていると思う。「哲学」自身をメタするということはあまり考えられていない。私などは「哲学」をメタすることはとても難しいことで、当面はあきらめている。もちろん、これは当面のことではあるが……。

それで、その哲学カフェのメタだが、ひとつは哲学カフェの限界に関心がある人たちがいる。哲学カフェそのものに多少疑問を感じ、哲学カフェの意義や社会的役割などがしっくりきていない人たちである。これらは当然ながら、哲学カフェを運営していない人たちに時々見られる。
一方で、哲学カフェの限界を感じながらも、哲学カフェの実際の運営上の課題や工夫に関心が高い人たちがいる。これらは哲学カフェを現実に運営している人たち、又はこれから運営しようとしている人たちに多い。
両者は関連している。実際、哲学カフェの運営者で、哲学カフェの限界を常に意識している人も多い。そして、両者とも重要なテーマである。
しかしながら、この両者は対話のテーマとしては一応分けて、対話をしていく方が分かりやすいかなぁ、とも今回思った。

さて、今回のテーマ「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」についてである。これは「哲学」とは何ぞや、ということではなく、一般的に哲学カフェで行われている哲学っぽいこととは何か、ぐらいのニュアンスである。
このテーマ(問い)に対する答えとして、「楽しいから」というのが必要十分な答えのような気もする。それぞれの哲学カフェにとっては、「人間的な成長のため」、「人生の幸福を考えるため」、「人々が連帯するため」といったものでもいい。しかしながら、もう少し考えてみたい。

哲学カフェを「複数の人たちがテーマ(問い)について対話すること」とシンプルに定義することは、私は好きである。集まる人たちは日頃の役割や慣習、経歴などからできるだけ離れ、自由になって対話をする。哲学カフェにいる間は、それらの人たちを私は「哲学人(てつがくびと)」、あるいは「対話人(たいわびと)」と呼びたいくらいである。
哲学カフェにおいては、参加者はみんなでまずは「普遍化」を行う。この場合の「普遍化」とは、テーマ(問い)に対して、みんなが納得できる答えを見つけようとすることぐらいの意味合いである。この定義からしても、普遍化は、自分一人では不可能であり、複数の人(みんな)がいなければできないことである。また、哲学カフェにおいては、この普遍化への目標と過程がないと、やはりつまらないと私は思っている。
そして、その上で哲学カフェにおいては、「自分化」という過程がある。「自分化」とは、テーマを自分に引き寄せて、他者と対話をしていく中で、自分の問題として考えるということである。そこには「内省」ということが行われている。それは他者がいないと自分は分からない、ということにもつながる事柄である。だから、複数の他者がいる哲学カフェは意味がある。
この「普遍化」と「自分化」の往復運動が哲学カフェの中では絶えず行われている。このダイナミックスが哲学カフェの醍醐味であり、面白みである。以上が「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」という問いに対する、私の当面の答えである。


ところで、この哲学カフェの業界(?)においても、評論家的な人物が登場しつつある。それは単なるマニアではないし、学者・研究者でもない。
私は「評論家」ということに対して、必ずしも否定的ではない。評論家の登場はこの業界が一定程度発展してきた証拠である。よき評論家がこの業界のさらなる発展に寄与してくれると思う。
もちろん、評論家の限界もある。なぜなら、実践家とは区別される存在だからである。

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2017/01/16

き(聴)くってなんだろう…?

Png4 第41回人生カフェは平成29年1月14日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。
 今回のテーマは「き(聴)くってなんだろう…?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「聞く、聴く、訊く、とは?」「聞く、聴く、訊く、そのときどきでどう使い分けるか?」「ニュースは「聞く」のか、「聴く」のか?」
 「何から、どこから、きくのだろうか?」「きくことが大事なのは、どういうことだろう?」
 「話を聞く楽しさや苦しさは、どこに(何に)あるのか?」「きくことが苦痛の場面の原因はどこにあるのだろう?」
 「聞く力があるとはどういうことか?」「自分が聞きたいことを話させることと、相手が話したいことを聞くことは、どちらが大切か?」
 「「聞く」「聴く」…側はどのような姿勢(心構え)が必要か?」「心に余裕がないと、人の話を聴けない?」「人の話を聞けず、自分の話にすり替える人がいる、なぜだろう?」「聴くことは心づかいか?」
 「きくは一時の恥、きかぬは一生の恥とは?」
 「聞けなくなったら、どうなってしまうのだろう?」

 まずは、「きく」という読みの漢字3つの違いが気になった。「聞く」は心の門のあたりで耳で聞く。「聴く」は耳と目と心で聴く。そして、「訊く」は尋ねる、質問するというような意味ではないか、といった話が出た。
 話は多方面に渡って展開された。少々テーマから外れるかもしれないが、「謝る」ということについてや「ガンバレ」という言葉などについても話された。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
 「聞く…うけとめ方はそれぞれ」「「聞くふりではなく、「聞く」は相手によりそう事」
 「きいたことに対して、自分の中で「変換」して、問い直すという姿勢は、今までの自分に欠けていたかもと思いました」
 「他人からも、内側の自分からも(問いながら)聴けるように心がけたい」
 「聞く 聴く 訊く 相手によって心遣いをする」
 「「聴く」とは、相手に関心を持ち、相手に心を寄り添わせて、想像力を働かせ、愛情をもって受けとめることかなと思った」
 「人に対して聴くとは、相手のそばにいて、相手の話すことばから、相手の心を知ること」
 「きくとは? きく力はあまり必要性はなく、人の話を余裕をもって、きく事ができる事が良い事ではないかなぁ…?」
 「心に余裕があると人の話も聴けて自分が変わって周りも変わるとして、状況が悪いときに心に余裕を持つにはどうすればいいか」
 「聴けない時もある」
 「「話を聞く」って、簡単なようで、実はとっても難しく、奥深いことだと思いました」
 「聴くって何…? 深かった!」

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2017/01/13

団地

748 先が読めないストーリー展開、それが面白い。
 藤山直美、岸部一徳の夫婦の掛け合いが面白い。石橋蓮司、大楠道代の夫婦の方も面白い。そして、団地族の生態もおかしなものである。
 これらは楽しめたが、ラストは少々白けた。阪本順治監督の不得意な分野に入り込んでしまった。

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2017/01/10

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

Images143 誰かのために戦う。そして自らが犠牲になる。これは尊いことだ。
 しかし、敵にも家族がいる。本人に生きる権利はあるだろう。敵も生きているのである。

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2017/01/07

ゴースト・バスターズ

747 今度のゴースト・バスターズは女性4人ということで、とにかく楽しい映画に仕上がっている。
 おデブ系お笑いのメリッサ・マッカーシー最高!
 マシュマロマンや初代ゴースト・バスターズのビル・マーレイなどが登場し、懐かしさもある。面白かった。

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2017/01/06

一笑 すぎ本 熊本玉名

326ebe60da42497bb7620917efedde1002bfddda4fd44d3186a405c66324894171751ab3d084439080da54f64723258c 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:南阿佐ヶ谷「麺処 一笑」ラーメン、プレーン野菜、味付け玉子 12月27日 斬新的なアイデアだ。とんこつに野菜たっぷりの組み合わせ、これはいい!上品で、健康的だ。スープに臭みはない。女性、子どももOKだろう。おいしい、思わず完食!
中写真:鷺ノ宮「らぁ麺 すぎ本」醤油ワンタンらぁ麺 12月30日 すっきりした醤油味のおいしいラーメンだ。見た目もきれい。麺との絡みもいい。ワンタン4つもあっておいしかった。チャーシューも2種類でよかった。
右写真:池袋「熊本玉名ラーメン」味玉ラーメン 1月5日 とんこつ味はまあおいしかった。

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2017/01/05

風見 悠 やまぐち辣式

92eab6f4eb0b4383b0ed6ad1f83e71e2777f7948a7974d5eae28362549827378566c6be372e1425e9095a91327c5a7e3 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」の主に新人賞受賞のお店を歩いている。
左写真:銀座「銀座 風見」酒粕濃厚そば 12月22日 酒粕は面白くおいしい。見た目もきれい。具も高級感がある。銀座的だ。ショウガ、青唐辛子などの薬味を加えていって、変化も楽しめる。完食が当然のような満足感がある。
中写真:大久保「麺屋 悠」味噌そば 12月24日 スープがおいしい。濃くないので最後まで楽しめる。完食。焦がしネギなどがよかった。
右写真:東陽町「らぁ麺 やまぐち 辣式」 エビワンタン塩らぁ麺 12月25日 透き通ったスープの塩ラーメンはおいしい。さすがである。麺との相性もいい。エビワンタンもよかった。

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2017/01/03

うかんむり 改 楓

3c287dc389d544909498fcb586a1926bDd6e0fb84a98437280326e1b986394fb9b34adf250ce449fbd481d25ab117582 「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」の主に新人賞受賞のお店を歩いている。
左写真:練馬「博多水炊きらーめん うかんむり」博多水炊きらーめん 12月11日 これはきれいでおいしいラーメンだ!細麺とスープがよく絡んでいい。スープがおいしくて完食!鶏チャーシューも脂身がなくうまい。
中写真:蔵前「らーめん 改」貝塩らーめん 12月15日 貝スープはうまい!ここまで貝にこだわってくれてうれしい。最後までスープが熱くて、当然完食! 縮れ麺はいい。タケノコ、ワカメなどの具も個性的。チャーシューもおいしかった。
右写真:荻窪「味噌麺処 楓」味噌ラーメン 12月18日 おいしい味噌ラーメンではある。

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2017/01/02

哲学カフェのつくりかた ③

746 前カフェフィロ代表の松川絵里さん(写真)らが、哲学カフェについて、いろいろ考察してくれている。改めて読むと参考になることが多い。

*参加者の発言がうまくからみあって、関係づけられて流れをつくっていくということを大事にしている。(寺田俊郎)
*哲学的な対話をする場を開き続けたい。……他の市民団体の活動と同じ意義を持っている。(寺田俊郎)
*思考や議論のスキルや手続き、ファシリテーション技法にあるのではなく、人々が自分の生活や実践について、互いに率直に語りあう機会を持つことによって、そこで行っている実践の意味や、その場所で生活している意味を自分の言葉で語りなおす。(高橋綾)
*対話の場所をなにかの手段のためにはせず、ただ、この時間を楽しみましょう。(高橋綾)
*哲学対話を必要としない臨床哲学など、ありうるのだろうか。(松川絵里)

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2017/01/01

哲学カフェのつくりかた ②

745 カフェフィロの初代会長の本間直樹さん(写真)は、さすがに哲学カフェのことをよく考察している。また哲学する人、「哲学者」にこだわっている。このあたりを見習いたい。

*考えるとは、困惑と楽しさが同居している不思議な時間である。
*方法を云々する前に、ことばを交わすという経験を十分に重ねることが、当たり前だが、何よりも重要である。
*哲学の対話を、対個人、カフェ、学校、病院、美術館、公共施設と場所を跨いで実践しているひとは、日本以外でもそう多くないようである。教育のため、医療のため、福祉のため、こういう「ため」が現場を分断する。
*哲学者は、学校のため、病院のため、施設のために対話するのではなく、そこに集まるひとたちとともに対話し、いっときであれ、哲学者になることに誘い、役割や慣習からほどかれることを望む。
*哲学者は、出された問いに私だけはどこまでもつきあいますよ、というべきだろう。
*「問答」を通して、自分自身を問う。

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2016/12/31

哲学カフェのつくりかた ①

744 カフェフィロ編のこの本は2014年6月出版である。(大阪大学出版会)
 その頃も読んだから、今回は再読である。
 教えられることが多い。最初に読んだ時には分からないことが多かったということである。
 2014年6月に私の主宰する「人生カフェ」がスタートした。それから約2年半の間、実践を重ねてきた。それらの実践によって、この本の理解が進むようになった面はある。やっと私がこの本に追いついてきたという感じである。
 それまでのカフェフィロの実践の厚み、歴史というものも感じた。これは尊敬に値する。

 印象に残ったところを抜き書きしておく。
*哲学カフェで重要なのは、知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問いである。こうした問いは、ふだん私たちが当然のものとして受け入れ、日常生活や会話を成り立たせている隠れた前提に目を向けさせてくれる。(松川絵里)
*「自分が言いたいこと」は何かという、自分自身への興味、もっと踏み込んでいえば、「自分自身が蔵している謎」への興味が、話される。(内田樹)
*「発見」や「わかった」という経験は、「喜び」という感情を伴う、あるいは「喜び」そのものとして感じられる。(ピーター・B・ラービ)
*喜びは学習の後にやってくるのではなく、学習とともにやってくる。(エピクロス)
*喜びは、問題が解けた、答えが見つかったという達成感や、他の人とわかり合えた、考えが伝わったということとは別のもの、自分に起こりつつある何らかの「変化」や「変容」の感覚と同期している。(高橋綾)

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2016/12/30

グローバリズム以後

743 エマニュエル・トッドの副題は「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」という新書である。(朝日新書) トッドへの何回かのインタビューで構成されている。

 人類学的な革命をもたらす4つの要素を述べている。
①共同体的な信仰の喪失(経済的合理性の喪失)
②高齢化
③社会を分断する教育レベルの向上
④女性の地位の向上

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2016/12/28

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた②

Images142 原田まりるさん(写真)のこの作品は特に高水準のものではないが、よく売れているし、彼女の代表作になるだろう。
 読んでいて面白いし、これからに期待したいところもある。
 昨日に引き続き、印象に残ったところを書き出しておく。
*存在している理由が「本質」である。存在しているという姿・形が「実存」である。
*人が本質…つまり生きている理由、存在している理由を持たないということは、人は何ものでもなく、自由な存在である。
*私たちは、他人にまなざしを向けられることによってモノと化してしまう。このことを「他有化」と呼ぶ。
*哲学するきっかけ:①驚き ②疑い ③喪失
*真理は二人から始まる。
*すでに人はいろんなことを知っている。そして、その知っていることを理解しなおすのが哲学である。(覚醒)

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2016/12/27

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた①

742 原田まりるさんの本である。(ダイヤモンド社)
 本のタイトルがそのまま本の内容を表しているが、『もしドラ』のようなテイストで楽しめる。
 ニーチェ以外に、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパースなどの実存主義の系譜の哲学者が登場する。
 舞台が京都なのも、行事やお店などの紹介もあって、観光的にも興味が湧く。
 断片的ながら、印象に残ったところを掲げておく。

*人が何かを悪だと思う時には、悪の反対に、自分を置いている。……悪を決め付けることで、自分を正当化している。
*幸せそうに見える人になる必要はない。ただ誠実に自分の人生と向き合うことが大切である。
*人生は後ろを向くことでしか理解できないが、前にしか進めない。
*苦しみと退屈は繰り返される。
*哲学=生きている意味を考える学問ではない。実存主義=生きている意味を考える思想である。哲学とは、さまざまなことに対して、本当にそうなのか?と疑いを持つことである。

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2016/12/25

幸福シート

Png_3Png_2_2第40回人生カフェは平成28年12月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「幸福シート」の作成が課題である。 
 幸福シートとは、下に掲げるような項目のものなのだが、要は過去、現在を振り返りながら、未来へ向けての夢を描くものである。この師走の時期だから、主に来年の夢を考えた。見栄を張ったり、気負いすぎては、よくないだろう。どちらかというと、ゆるゆると、素直に表現するのがいい。
〈幸福シートの項目〉
今、わたしにとって大切な人【現在】
1.家族
2.友人
3. 職場(学校)
4. その他

今までで感謝したい人【過去】

当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】

中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】

どのような人生を送りたいですか【未来】


もう少し幸福について考えてみましょう!

 これからの自らの幸福の実現のために、目標(今後やりたいこと)や課題について書いてみてください。

【場面ごとに】

◎家族の面

◎友人の面

◎職場(学校)の面

◎その他

【要因ごとに】

◎健康の面

◎お金の面

◎趣味の面

◎その他

 上記の前半と後半に分けて、それぞれ参加者に、差支えのない範囲で発表してもらった。そして、お互いに簡単な質問や感想を言い合った。

 夢とは、実現へ向けての「過程」こそが楽しいのかもしれない。
 また、自分の夢と他人との関係も話題になった。他者への貢献が幸せや夢に繋がっていくのではないか?

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2016/12/24

ミス・シェパードをお手本に

741 ヴァンで暮らす女性を、15年間も自分の家の駐車場に置かせてあげて、見守っているとは! 作家ゆえか? このこと自体が驚きだ。
 ミス・シェパードは特異な生き方をした人ということになるか? これも一人の人間の生き方だ。
 
 介護という、笑えない現実も見えてくる。

 マギー・スミスはとにかくうまい。
 日本題名の「お手本」というニュアンスはあまりなく、ただただ原題の「The Lady in the Van」といった内容の映画である。

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2016/12/23

神様メール

740 「トト・ザ・ヒーロー」のベルギーの奇才、ジャコバン・ドルマル監督の作品である。
 面白かった。
 神様のパソコンから、人間の余命が各人にメールで流されてしまうという話である。この設定自体が面白い。
 それに私は「余命」という話は好きな方である。自分の生を考えるきっかけとなるからである。
 この映画に登場する神様は、どうしようもなく俗っぽい父親である。これも奇をてらった設定である。

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2016/12/22

ローティ ⑥

739 著者の冨田恭彦京都大学教授(写真)は、最終章の第7章のタイトルを「社会正義」とした。
*ローティは自らの政治的立場を「改良主義的左翼」と規定している。
*おのれを無にすることによっては、理解も認識も不可能となる。こうした考え直しは、いわゆる「解釈学的」哲学だけでなく、20世紀の「分析的」科学哲学や、「分析的」言語哲学においても、確認されることになった。
*よりいっそう正確な表象を与えるものとしてではなく、むしろ、よりいっそう有用な道具を与えるものとして「科学」を描き、人間本性のうちに常に存在してきた恒久的で深遠ななにかを表現しようとする試みとしてではなく、むしろ、人間としてのよりいっそう興味深いあり方を与えてくれるものとして、「芸術」や「政治」を描こうとする。
*「社会正義」や「人権」という考えが、その「偶然」的性格のためにこそ、それを維持発展させる不断の努力が必要である。

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2016/12/21

ローティ ⑤

735 第6章は「ロマン主義的感性」というタイトルである。
*プラグマティズムの核心をなすのは、真理の対応説と、真なる信念は実在の正確な表象〔写し〕であるという考えを受け入れるのを、拒否することである。ロマン主義の核心をなすのは、想像力は理性よりも優位に立つというテーゼ~理性はただ想像力が切り開いた道をたどることができるだけだという主張~である。
*古代にあった哲学と詩の争いと、もっと最近の科学的文化と文学的文化の争いのいずれにおいても、想像力が本当にいくところまでいって、とんでもないことになりはしないかという、哲学者と科学者の懸念が、その核心にある。……想像力は言語の源であり、思考は言語なしには不可能だからである。この主張に対する反感から、哲学者は言語の使用に媒介されない、言語の使用に先立つ実在に到達しなければならないという強迫観念にとりつかれる。
*確かなものを持たなければどうにもならないという不安がある。この不安は「デカルト的不安」と呼ばれる。
*「理性」とは、真理を得る能力ではなくて、暴力に訴えてではなく、言葉をある仕方で用いて、他の人にある社会的行為をさせる能力だと考えるべきである。人々が共通に認めている振る舞いの仕方を言葉を用いてさせることである。
*具体的なものと抽象的なものの区別は、知覚を報告するのに役立つ表現と、そうした使用に適さない表現の区別でしかない。
*知的、道徳的進歩とは、先行する目標に次第に近づくことではなく、過去を超えることである。
*人間は放っておくと何をするかどうかわからないので手枷足枷が必要だという考え方に対して、ローティ(写真)は徹底抗戦しようとする。その姿勢は、自らを信じ、際限なく自己を変革しようとするロマン主義と、表裏一体をなしている。

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2016/12/20

ローティ ④

738 第5章は、「連帯・語彙・ハイデッガー」というタイトルである。
*「連帯志向」(連帯への願望)とは、ある人々と共に生きる上で自分はなんらかの貢献ができた(できている)、その意味で、自分の人生には意味があった(意味がある)とする、自分の人生に対するこうした向き合い方を言う。これに対して、「客観性志向」(客観性への願望)とは、なんらかの人間ならざる実在(ないし真理)と直接関わっていることをもって、自分の人生に意味があるとするものであり、そのようななんらかの実在と自分の人生との関係は直接的で、そこには他の人々は介在しない、こうした姿勢を言う。
*予測と制御に役立つ語彙ー自然科学の語彙ーを超えたところに、われわれの道徳的な生き方や政治的な生き方の語彙、それに芸術の語彙が存在する。
*私たちが新たなことを信じる場合に、3つのものがある。知覚と推論とメタファーである。
*メタファーは、それによって、言葉の理解そのものが変化する。…メタファーは、言語の成長点である。
*ウィトゲンシュタイン、ハイデッガー(写真)、デューイ、彼らの後期の仕事は、建設的というよりも治療的であり、体系的というよりも自己形成的であり、読者に新たな哲学的プログラムを提供するというよりも、哲学するに至った読者自身の動機に疑問を抱かせようとするものである。

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2016/12/19

ローティ ③

736 第4章は「自然の鏡に抗して」というタイトルである。
*「認知はすべて言語的出来事である」というのは、つまり、感覚的なもの、感覚与件は、それが言語的に捉えられてはじめて私たちの知識や信念に関わるものとなるということである。
*私たち人間は、ある一定の考えにただ従って生きるしかないというのではなくて、なにか問題に行き当たったとき、質的に異なる考え方を編み出す。それはまさしく「創造的」行為である。
*真理は定まっていて、あとは私たちが自分の心の鏡をしっかりと磨き、その定まったものを正確に捉えるよう努めるだけだという人間観ーつまり、「自然の鏡」的人間観ーへの、異議申し立てにほかならない。
*ローティは、『哲学と自然の鏡』最終章で、「鏡なしの哲学」という表題のもと、「体系的哲学」と「自己形成の哲学」とを対比させ、私たち一人一人が新たな自分へと自らを形成していく、そんな生き方こそ推奨可能な生き方だと主張する。
*ローティは、人間が自らに「認識論」という手枷足枷をかけ、鏡のように、機械のように思考停止しようとするのを、やめさせようとしたのである。

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2016/12/17

ローティ ②

737 第3章のタイトルは「自己解体」である。
*言語論的転回は、①言葉の日常的・常識的使用と哲学的使用の区別、②語ることと、語ることについて語ることの区別、③示すしかないものを語る適切な手立てとしての、言語について語ること、という考えに基づいている。
*言語について語るというのは、言語の構造とか、その理解の仕方とかを語ることである。
*ローティは、「言語論的転回は言葉だけに注意を向けさせるものであって、言葉が表示する概念に注意を向けさせるものではなく、したがって「退屈な回り道」でしかない」と言っている。
*概念についての考察は、言語表現の用法を考察することによってのみ、進めることができる。
*言語の偏在性とは、思考の「本来の起点」たらんとしたさまざまな候補がことごとく失敗したことによって残された空所に、言語が入り込むことである。(そのような起点の候補には、明晰判明な観念、感覚与件、純粋知性のカテゴリー、前言語的意識構造などがあった。)
*言語分析哲学は、言語に対して自然主義的・行動主義的態度をとることができるようになった。
*ローティの言い方を用いれば、そもそも言語論的転回は、認識論的転回の現代版にほかならない。
*ウィトゲンシュタイン(写真)がわれわれに促しているのは、言語に対する「外在的」視点を得ようとするのをやめることである。

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2016/12/16

ローティ ①

Imagesrrstzwdr 『ローティ』~連帯と自己超克の思想~(冨田恭彦著 筑摩書房)を読んだ。
 ローティ(写真)は私の好きな哲学者である。
 この本はローティについて私の知らないことをたくさん解説してくれている。また、基本的な哲学用語の勉強にもなった。
 第1章は「生涯」についてであり、第2章は「言語論的転回」についてである。

*「還元主義」とは、人間が信ずべきことをある少数の特殊な真理にすべて基づくものとする考え方である。
*「実証主義」とは、人間が五感で観察できることを最後の拠り所とすべきであるという考え方である。
*「記述理論」とは、文の見かけの構造ないし形式に対して、その真の構造、つまり論理的構造ないし論理形式を明らかにする手法である。
*「経験科学」とは、観察や実験に基づいて確かめることができるような科学のことである。(総合的真理)
*「形式科学」とは、数学や論理学のように観察や実験には基づかないけれども、その重要性が認められている科学のことである。(分析的真理)
*「意味規準」とは、ある「提案」であって、なんらかの「真理」を表明しているわけではない。

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2016/12/15

ふるめん 味噌蔵 麺珍亭

Ae3ae00138d84b47884cfa0a2327af3bF638e84c6b6c4e0f85fa5730f3d5b6d6Cc99fb02cfb841728e199fef778d568c 新しいお店や老舗を訪ねてみた。
左写真:六本木一丁目「ふるめん」煮干ししょう油らーめん 12月3日 きれいなラーメンである。スープが熱くて、煮干し味もいい。
中写真:新大久保・東新宿「木桶仕込 味噌蔵」木桶仕込みそらーめん 12月4日 ど・みそ系の味噌ラーメンはおいしい。味噌がいいのだろう。麺との相性もいい。
右写真:早稲田「東京麺珍亭本舗」油そば一玉(半熟玉子、青ネギ) 12月10日 相変わらずおいしい。以前より少々あっさりした味だった?

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2016/12/13

ザ・ラーメン屋 JUN PEY 桂花

11281610f73345758bd9af0d5de347d665b77c731c004690a6652c0c67b9b5f26fd1cde470b144beba5fdfe9199a300e 用事があって、行く先々のラーメン店に立ち寄ってみる。当たりはずれもある。
左写真:横浜・日本大通り「ザ・ラーメン屋」牛タンラーメン 11月18日 1100円はちと高い。
中写真:上石神井「JUN PEY ra-men」とんこつ醤油らーめん 11月20日 家系ラーメンっぽい。
右写真:池袋「熊本ラーメン 桂花 池袋西1番街店」 細麺太肉 11月24日 久しぶりの桂花ラーメン。細麺というのは初めての経験。キャベツはよかった。

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2016/12/12

私は特別な存在なのか?

Safe_image 第39回人生カフェは平成28年12月10日(土)、9名(男性4名、女性5名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「私は特別な存在なのか?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「私は誰にとって特別な存在なのか?」「「特別な存在」とは、誰が、どのように決めるのか?」
 「「特別な存在」って、どんな人?」
 「そもそも特別な存在って何?」
 「特別な存在と思われるために必要なものは?」
 「運のよい特別扱いをされることは良いことか?悪いことか?」
 「すべての人は「私」である以上、「私」にとって「私」は特別な存在なのではないか?」
 
 この後、何人かの人に、テーマに関連した体験事例を発表してもらった。「どのような時に私は特別な存在と思ったか?」という問いに答えてもらうような形で事例を述べてもらった。
 具体的事例などを参考にしながら、対話は続いた。

 「特別」というのは、普通ではないということである。だから悪いことの例も考えられる。しかしながら、今回はいいこと、ポジティブに捉えるという方向で話が進んだ。
 特別な存在とは、かけがえのない存在、代わりのきかない存在という意味合いで捉える人が多かった。
 他者が私のことを特別な存在と認めてくれているように感じることはある。家族から、友人から、職場の人たちから……、そして大きくは社会から認められている存在の人もいるだろう。
 また、神や天が私を特別な存在と認めるということもあるかもしれない。また、運命が認めるかもしれない。
 そして、何よりも私が私を特別な存在と認めるということ、さらに言えば、私と自己との関係がそもそも特別だという言い方も成り立つだろう。
 私の感覚は私のものである。私の感情は私のものである。私の行動は私のものである。私を私として認知しているのは私だけである。私がせいぜいコントロールできるのは私だけである。一方で、私だけが私自身を外から見ることができない存在である……。
 私が生まれ、私が死ぬ。誰も代わってくれない。私は、私の人生の最後の人間である。
 これらだけのことからしても、私は特別な存在だと言えるかもしれない。

 最後に一人ずつフリップに書いたものを発表してもらった。
 「生まれてから死ぬまでずっと一緒にいるのも「私」のみ。その意味でも「私」は「私」にとって、特別な存在であるような気がする」
 「生まれるのも一人 死ぬのも一人 与えられた人生そのものがかけがえのないものと感じました。大切なことはみえにくいな~。程々…幸せ!」
 「生まれてきたこと、生きていることに対して「特別な存在である」ということを、子どもの頃からさまざまな形で教えられてきたことを思い出しました」
 「この世に生まれてきた事 一度やめた仕事に復職 一度別れた人と復縁 幸せと思うとともに、ありがたいと感謝 やっぱり私は特別な存在かなぁ?」
 「自分の存在そのものが特別という視点は新しい発見だった。と同時に「存在しているだけで特別」なのだろうか?という疑問も残った」
 「私がいなくなれば世界はなくなる?だから私は特別である?」
 「そもそも「特別な存在」って何?モヤモヤした感じがいくらか鮮明になった感じがして、一安心です」
 「はじめて参加させていただきましたが、とてもたのしかったです。自分だけは特別な存在?それは、自分の眼だけでは、自分のことだけは見ることができないから?ということは感覚(五感)のなかで、視覚は特別?」
 「私は遅れて到着しましたが、それ以前に出た話題が紙に書かれ、かつていねいに説明されたことで、加わりやすくなり、感謝いたします」

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2016/12/09

夏目漱石没後100年

15390674_368751513474584_6300672350 今日はまさに夏目漱石没後100年に当たる日だ。
 昨日は、夏目漱石国際シンポジウム(フェリス女学院大学)に出席して、小森陽一さんの講演を聴いた。
 漱石没後百年だ!「百年待っていてください…きっと逢いに来ますから」(夢十夜)
 雑司ヶ谷のお墓は賑わっていたそうだ。

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2016/12/08

空気に流されず、対話するにはどうする?

Metat5 対話が困難な状況としてはいくつか想定できる。
 自分語りばかりしている人がいる、知識の披露ばかりしている人がいる、言い争いになっている、誰もしゃべらない、常連参加者同士が仲が良すぎる、参加者たちの知識・経験があまりに差がある……。
 これらへの対応については、その対話の会の目的・趣旨によって異なるだろう。それゆえに、対話の会の目的・趣旨は明確に打ち出していった方がいいだろう。

 私の主宰している「人生カフェ」においては、グランドルールに則って、一般的にはその場の雰囲気に沿って運営していく。しかし、時にはその場の空気を破るような方向へ持っていくこともある。
 それは少数の意見に注目する場合である。
 これができるのは、もちろん私がその少数意見に関心を向けるからであり、また、その少数意見を取り上げることができるほどの力量が一定程度あるからでもある。
 この際には、他の多数者への配慮や時間的制約への配慮なども併せて必要である。

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2016/12/06

Mirror 鏡の中の世界は映像の世界、視覚によるだけの世界である。音やにおいや味や触感はない世界である。
 自分だけでなく、他者も同様に見ることができるものであり、その意味では客観的な像のように思われる。だから鏡に写る自分の姿を見て、真実を見せつけられた気がして、ドキッとしたりする。
 過去の映像を封じ込めたものではない。写真や動画とは異なるのである。コピーして、拡散はできない。
 まさに、いま、ここだけの映像である。

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2016/12/02

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

734 予想していたよりは面白く感じられなかった。
 魔法使いと魔法界の動物たちのファンタジーである。私には少々見飽きた感じがある。
 原作本に基づいたストーリー展開なのだろう。ハリー・ポッターのファンにはマニアック的に楽しめるのではないか。スター・トレックのファンがスタ・トレの映画を楽しむように。

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2016/11/30

嫌われる勇気(再読)

Imagessfalqb3o 今回、岸見一郎さんと古賀史健さん(写真)のこの本を再読して、改めて印象に残ったところを書いておく。
 「課題の分離」は入り口であり、出発点だということである。基底にあるのは、「仲間」とか「対等」という意識である。また、目指すのは、相手との「win - win」との関係であり、さらに「シナジー効果」(相乗効果)である。
 相手を屈服させる必要はない。負けてもいい。もうリタイアしているのだし。自分の道を淡々と歩めばいい。
 「他者貢献」は大切だが、独りよがりになっていないかは気をつけなければならない。他者にも、自分にも、常に心が開かれていたい。柔軟に対応でき、変化させていきたい。

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2016/11/29

こまば哲学カフェ

Img_0144 東大・駒場祭の「こまば哲学カフェ」、3コマ参加した。
11月26日(土)は、「どうする?!子どもの英語教育~親はなぜ子どもの英語教育に不安を感じるのか?~」 はなこ哲学カフェらしい企画で、good ! 清水さんによる子どもと一緒の英語ゲームも面白かった。
11月27日(日)は「短歌×哲学対話」 短歌は参加者がその場で共通に鑑賞できる言語の作品だから、哲学対話とは相性がいいと思った。
「出張!!SPA  第2弾」(立教大学)は、「三色発言カード」を使っての哲学対話。これも初めての経験で面白かった。

どれも実験的なところがあって、とんがっているところがよかった。若い人たちは頭の回転が早いから、サクサクした感があって、それもよかった。

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2016/11/28

嫌われる勇気

728 第38回人生カフェは平成28年11月26日(土)、8名(男性2名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は、『嫌われる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教え~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
 「原因論と目的論」(28)
 「なにが与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか」(44)
 「人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている」(107)
 「課題の分離」(147、153)
 「自由とは、他者から嫌われること」(162)「嫌われることを怖れるな」(163)
 「より大きな共同体の声を聴け」(193)
 「肯定的なあきらめ」「「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める」(228)

 上記について、しばらく対話した後に、次に、この本の中で気になった個所(疑問に思った個所)を挙げてもらった。
 「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」(70)~自分自身だけの悩みというのもあるのではないか?
 「論理の言葉を信じる」(106)~論理だけを信じるということはできるのか?
 「誰の課題なのか?」(140)
 「信用と信頼」(231)
 「他者貢献・他者信頼」(237)~信頼と貢献ということがとても重要なことであるとは思うが、それらがストンと胸に落ちない。
 「題名と青年の突然の気づき」~本のタイトルはしっくりこない。最後に青年が突如として悟ったような感があり、そこに違和感を覚える。

 以上を踏まえて、さらにこの本についての対話は続いた。
 この本には対になるキーワードがいくつかある。
 原因論~目的論
 縦の関係(上下)~横の関係(対等)
 ほめる・叱る~喜ぶ・感謝・お礼
 他者からの承認~他者への貢献
 依存~自由
 行為のレベル~存在のレベル

 現状は上記の左の方の考え方に支配されている。それを右の方の考え方に変えていこうというのがこの本の主張である。納得のいく強い主張であるが、極端に右の方にいくと問題も起きそうである。

 対話の中で、「自然に」「素直に」誉めたり、怒ったりすることができれば、それはそれでいいのではないかという話も出た。また、「自由」になる勇気が、幸せと関係しているのではないかという話も。さらに「勇気」ということがこの本の底に流れるテーマではないかという話も出た。

 最後に、感想等をフリップに書いてもらった。
 「〈嫌われる勇気〉 素直な自由 素直な勇気 素直な嫌われかた 素直に幸せになれる勇気!!」
 「素直に、率直に、ほめる、叱る、ことについて? 「勇気」について?」
 「人はいま、この瞬間から幸せになることができる(250)←を、信じて、いまできることを真剣かつ丁寧にやって(生きて)いきたい。(272)」
 「みんなの意見を聴けて良かった。誰の課題なのか?10年前のことを思い出しました。今のままで幸せ!!」
 「この本は何度も読み込んで来たが、他の人の話を聞いて自分の思い込みで読んで来たなと気づかされる点がいくつもあった。本も思い込みで読んでいることに気づけたことも大きな収穫でした。ありがとうございました。」
 「また、この本についてか、次の『幸せになる勇気』の会を作って欲しいと思いました」
 「このような形の会に初参加だったのですが、皆さんの経験に基づく考えを聴かせていただけて、一人で本を読むのとは別の楽しさに出会うことができました。ありがとうございました。」

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2016/11/24

聖の青春

733 病(特に死に至る病)というものに、考えさせられる。強く無念さを持った人たちがいるということである。私はその点、幸せだ。
 感動作に仕上がっている。将棋のことがよく分からなくても、ついていける。(勝負の世界は厳しい!)
 ポイントを押さえ、余韻を持たせた、スローなテンポで作ってある。これは私のような年寄りにはいい。

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2016/11/22

生きる価値がない?

Imagesep1aiung 「価値」とはお金のこと? 量的に測れるものしか価値はないのか。
 主観的なものだけではすまない事態も想定される。重度な認知症、植物状態の人間などの場合である。
 その場合、客観的な判断とは何か。一つは量的に測れるものということになるのか。それと大多数の他人の判断ということになるのか。
 価値というのは「幸福」と似ているところがある。基本的には主観的なものだと思うが、上に述べたような客観的と言われるものの要素も入り込んでくる。

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2016/11/21

本をとおして対話を楽しもう

732 「対話カフェ」(本をとおして対話を楽しもう)に参加した。
 本を素材にした対話は好きである。足が地に着いたような対話ができるような気がする。話が本に戻ることができるので、話のブレや拡散が少なく、話が深まっていくような感がある。
 そして、一人で本を読んでいた時よりは、他の人の目が入ることにより、多様な見方ができるようになり、本をより深く味わった気持になる。これはとても楽しい。

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2016/11/20

この世界の片隅に

731 7年前に原作を読んだ時の感動は半端でなかった。今でも覚えている。震えて涙が出た。私の漫画ベスト3に入る。
 今回のアニメーション化に喜び、感謝する。戦争に反対し、平和を望んでいる人たちの力によって、このアニメが完成した。戦争には絶対反対だ。素晴らしい反戦映画になっている。
 すずさんは女性として普通に生きている。たくましく生きている。その日常の生活を生きる力は大きい。その日常の暮らしは守りたい。
 どうしようもない時代の制約はあった。女性の立場は低かった。そのような中での、すずさんの天然なところが輝いている。好きになる。多くの人に愛されるキャラであろう。
 すずさんが愛する女の子を亡くす。すずさんが好きな絵を描くための右手を失う。これがどんなに辛いことか…。
 原作の力が強かった。だから、このアニメは成功している。こうの史代さんの思いが込められている。監督の片渕須直さんもアッパレ!のんさんの声も合っている。いい起用だった。

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2016/11/19

桜花 えぞ菊 ソライロ

A8df64278e8c4f519a77236c4aa8bc78E22f023585464491a2eac35b995e4edb11ef5c5b879f473f91635aab06ceccac行った先々でラーメン店に訪問している。
左写真:新宿御苑「新宿御苑 らーめん 桜花」スパイシー御前らーめん 11月5日 ハラルラーメンを出している。だから店内はイスラム系の人たちで満員。細麺なのがいい。スパイシーさも丁度いい感じである。鶏肉、玉子のトッピング、スープをかけて食べるご飯もよかった。
中写真:西早稲田「えぞ菊 戸塚店」味噌ラーメン 11月10日 久しぶりに食べた。懐かしい味であり、おいしい。メンマがうまい!味噌スープも飲める。これがおいしい。
右写真:東京駅「ソライロ NIPPON」ビーガンベジソバ 11月13日 ラーメンという感じではない。ベジタブルスープのヌードルだ。スープはおいしくて完食。ユズ胡椒を入れて、ピリッとしておいしかった。

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2016/11/17

「いい質問」が人を動かす

730 弁護士・谷原誠さんの言わんとしていることには共感する。(文響社)
*人間は、他人から言われたことには従いたくないが、自分で思いついたことには喜んで従う。だから人を動かすには命令してはいけない。自分で思いつかせればいい。
*人をその気にさせるには質問をすることである。また、人を育てるには質問をすることである。
*質問をされると、①思考し、②答えてしまう。まるで強制されるように思考し、答えてしまう。

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2016/11/16

生命現象というシステム

729 このタイトルの文章の著者・福岡伸一さん(写真)には、いろいろ教えられることが多い。生物ということに関してである。
*生命は、自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物は必ず死ぬというのは実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、動的平衡は別の個体に移行し、リセットされる。

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2016/11/15

ボランティアの「報酬」

02 金子郁容さん(写真)の表題の文章が、私には強く響いた。
 ボランティアの意味、私にとっては具体的には哲学カフェ・哲学対話の活動の意味が少し明らかになったようで、とてもうれしかった。
*その人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、だれか他の人の力によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアの「報酬」である。
*「内なる権威」に基づいていること、自発的に行動すること、何かをしたいからすること、きれいだと思うこと、楽しいからすること、などが「強い」のは、それらの力の源が「閉じて」いて、外からの支配を受けないからだ。しかし、ボランティアが、相手から助けてもらったと感じたり、相手から何かを学んだと思ったり、だれかの役に立っていると感じてうれしく思ったりするとき、ボランティアはかならずや相手との相互関係の中で価値を見つけている。つまり、「開いて」いなければ「報酬」は入ってこない。このように、ボランティアの「報酬」は、それを価値ありと判断するのは自分だという意味で「閉じて」いるが、それが相手から与えられたものだという意味で「開いて」いる。

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2016/11/14

なぜ私たちは対話するのか?

Images_4 第37回人生カフェは平成28年11月12日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ私たちは対話するのか?」である。
 対話とは何か、ということでいくつかの定義はあるが、今回は一応、ここでは対話とは異なる考えや価値観を持つ者同士が話をすることを指すとした。同じような考えや価値観を持っておしゃべりをする「会話」とは異なるとした。
 まずはメインテーマに対しての自分なりのサブテーマ(問い)を出してもらうことから始めた。
 「「会話」ではなく、「対話」から得られるものは何か?」「対話によって何を得たいのか?(ゴールは?)」
 「なぜ対話に拘るのか?(対話でなくてもいいじゃないか?)」「対話とコミュニケーションとの違いとは?(対話とコミュニケーションは同じかなあ?」「ネットで対話はできるか?(顔が見えることが条件か?)」「文字だけで対話できないか?(顔を隠してできるか?)」「話せなくなったら対話はできないか?」
 「対話をしないで生きていくことはあるか?(可能か?)」「対話は問題解決のベストな方法になるか?」「対話は分断を癒せるか?」「なぜ対立するのか?」
 「対話に必要なスキル・態度は何か?」「相手への想いや、継続の中で、対話は形成されていくのではないか?」
 「対話している様で、そうではないことが多いのではないか?」「対話(する)において「心の境界線」は必要か?」
 「大切なのは、結論か?過程か?」

 この後、今回は全員に「なぜ私は対話するのか?」に答えてもらった。(「私は」であって、「私たち」ではない。)
 「①情報収集 ②自分の考えを広め、深める ③人を理解する」
 「対話する相手が好きだから」「相手を理解するため」「「相手」(自分)を愛するため」
 「自分を変えるため。対話することにより、人の話を聞けるようになった」「自分自身の許容範囲を広げるため」「自分の信念に揺さぶりをかけるため」「自分が有利になりたいから」
 「会話は楽しいが物足りない。対話のなかにこそ、何か(気づき、ヒント)を見出せるような気がするから」「自分の考えの普遍性を確かめるため(対話の場でないと聞いてくれない!)」
 「キャリア相談の場面で、対話的支援が必要だから」

 この後、テーマに沿って、フリーに話をし合う。
 ひとつ人種、民族、言語、宗教などが異なる者同士の対話をイメージする。そこではお互いが争わないために、トラブルを起こさないようにするために、あるいはトラブルが起きたときにうまく解決するために……、すなわちお互いを理解し、仲よく暮らしていくために、対話は必要のようである。究極的には、対話は殺し合わないために必要である。
このように対話は異なる者同士が共存していくために必要なものとして、捉えられる。
 一方で、対話により、共同で真理を探究しようとする営みがある。一人では容易ではないが、集団で普遍性を追究する。これは贅沢な行為のようであるが、不確実、不透明な時代においては特に求められるものである。
 上の2者の底に流れているのは、お互いに共通な、確固としてものを見つけようとする意識である。共通基盤が見つかれば、それを拠り所にして、みんなが協力して先に進めるという感覚があるからである。

 以上のようなことをはじめとして、様々な話が展開したが、時間切れとなった。最後にひとりひとりにメインテーマについてフリップを書いてもらった。
 「愛するために!」「相手を理解する」「結論:対話の目的は他者と分かり合えるため」
 「私たちは独りでは生きていけないから対話をするのではないか(生きていくため)」「対話は人生を豊かにする」「対話といふは相手を通しての自己発見と見付けたり」
 「まず相手に対する信頼があって対話が進められるように思った」「日常的に対話の端緒を見出して、対話を形成していけたらいいな」
 「本日までは、ネットでも対話はできそうだ!(人工知能でもできそうだ) 生身の人間の必要性がわからなかった」
 「他者(相手)がいることの意味は大きい。「漂流」している中で、何かしらみんなと共通の島を見つけたい気持ちがある」
 「中高年の人生カフェに参加して、皆の話を聞き、話をすることが対話かなぁ?」

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2016/11/13

ヴィンセントが教えてくれたこと

727 ヴィンセントのようなダメおやじは、やはり私には受け入れられない。
 主役のおじさん役、ビル・マーレイはさすがにうまい!


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2016/11/12

しゃきしゃき 鷹流 俺の空

741bb37d5d954aa08bd600388a1d1c5f9bc53bda84824af69ad36515de7df8664d131cecb55440fcb26b98525c8decaf 何度が訪れた私の好きなラーメン店3店である。
左写真:錦糸町「本店 タンメンしゃきしゃき」タンメン 10月1日 相変わらずの味でおいしい。野菜たっぷりなのがいい。餃子と合わせて千円は安い。
中写真:高田馬場東側「屋台らーめん 鷹流」味玉白湯麺 10月2日 相変わらずおいしい。きれいなラーメンである。スープが絶品。薄いようでいて、コクと深みがある。鶏肉などの具もよい。
右写真:高田馬場戸山口「俺の空」掛け豚そば 10月29日 何度も食べているが、これは私のお気に入りである。細麺なのがいい。豚スープとよく合う。刻みタマネギの甘みがいい。ばらけた豚チャーシューも食べやすい。完食である。

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2016/11/11

活龍 神仙 福たけ

Img_0019Img_0020Img_0026 歌舞伎町・大久保公園のイベントの続きである。
左写真:「つけめん らーめん 活龍」ウニのつけめん 10月20日 濃いが、まろやかなつけ汁がいい。太麺ともよく合う。チャーシュー、メンマも柔らかくておいしい。スープ割りしてもらって完食!
中写真:「金澤濃厚中華そば 神仙」濃厚味噌「炎炙」肉盛りそば 10月22日 ラーメン系では一番の行列。味噌スープがコクと深みがあり、おいしい。味噌がいいのだろう。食後まで味が口に残る。スープは油のせいで、最後まで熱い。
右写真:「福たけ」房州干物と岩手鴨の極中華(特製とっぴんぐ) 10月25日 トッピングはどれもおいしい。豪華である。スープも熱くて、いくつもの味がミックスして、うまい。値段は高かったけれど(1160円)、満足である。

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2016/11/10

稲葉 田代こうじ くり山

Img_00139cfb01b2e14a4a50a503ff93bd8fe172Img_0016  今年も「大つけ麺博 つけ麺VSラーメン」(本当に美味しいのはどっちだ決定戦)が行われた。第2回目に当たる今年は、10月6日から31日まで、新宿歌舞伎町の大久保公園にて、4サイクル実施された。
 私は全部で6軒(つけ麺4軒、ラーメン2軒)行った。環境条件が悪い中、どのお店も頑張っていた。
 つけ麺は容器が貧弱で、見た目が悪いが、味はよかった。
左写真:「麺堂 稲葉」つけめんウルトラソウル激鶏白湯 10月6日 うまかった。濃厚な鶏白湯は太麺パスタを食べているような感覚になる。鶏肉、メンマなどがおいしかった。
中写真:「田代こうじ最強軍団」花咲ガニの濃厚つけ麺 10月10日 トップを狙う意気込みがすごい。カニはやはりおいしい。濃いがマイルドな味は最高!スープ割りも自慢するだけあってうまい。当然完食して満足。
右写真:「くり山」つけめん 10月13日 この種の豚骨魚介系のつけ汁は好きである。昆布粉を混ぜてある麺もいい。スープ割りも温かくてうまかった。

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2016/11/09

渡なべ づゅる麺池田 ムタヒロ(味噌)

B7ea69edb4d744228d558e905cef00aa_2B2796c1297394a57a3d6d51bd7cdc8d5A779bbe77c9e4035a9e0aad1c65da94a 9月に行ったラーメン店を紹介する。
左写真:高田馬場東側「渡なべ」味玉らーめん 9月16日 時々食べたくなる好きなラーメンである。メンマは大きい。おいしかった。
中写真:目黒「づゅる麺池田」つけ麺 9月18日 つけ汁はだんだんとうまさが分かってくる。濃過ぎない良さがある。レモンも効く。スープ割りもうまい。
右写真:西国分寺「味噌中華そば ムタヒロ」味噌玉中華そば 9月25日 この味噌ラーメンは好きである。飲める味噌スープでもある。麺もおいしい。チャーシューは柔らかい。

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2016/11/08

あなたが目指す哲学対話とは

726 東京メタ哲学カフェも第4回目の開催となった。今回のテーマは「あなたが目指す哲学対話とは」である。
 私が印象に残ったところだけを記す。
 ひとつは、哲学対話のテーマについてである。
 「愛」とか「死」とかのテーマについて、参加者はその答えを欲しいとか、みんなと一緒に考えたい、といった動機を持っている。それを哲学的に、あるいは対話的に、アプローチしたいという気持ちである。これは本人にテーマに近い何かしらの課題や悩みなどがあることが推測される。
 たくさんの人を集めようとするならば、一般受けするテーマを設定すればいいのだが、主催者側はそれで満足できるだろうか。いずれにせよ、哲学対話においてはテーマは重要である。

 もうひとつは、哲学対話の3つのCのことである。Critical thinking Communication Care の3つである。
 今まで、この3つの軸で考えてきたところではあるが、3番目のCareはあまりしっくりきていない。Critical thinking も少々ズレがある。
 ということで、改めて考えると、私が哲学対話に楽しさを見出すところはという観点で言えば、大きくシンプルに捉えて、①哲学的なもの と ②対話的なもの という表現でもいいような気もしてきた。とりあえずこのように簡潔に整理しておいて、さらに哲学対話・哲学カフェの楽しさを追究していきたい。(私は、当面は哲学的なものと対話的なものの両方を求めていきたい。すなわち、しばらくは二兎を追うということである。)

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