2017/02/23

沙さや

Img_0233Img_0249 定食屋「沙さや」は、私が毎週水曜日夕食に行っている高田馬場のお店である。
 安くておいしい。魚がいい。健康にいい食材を使っている。懐かしい味でもある。
 ご主人、奥さん、息子さんとの会話も楽しい。お客さん同士の話も楽しい。

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2017/02/22

幕が上がる

761 感動した!
 私は演劇が好きだし、演劇の苦労も多少は分かるので、実感も伴った。
 青春の生きてる!という感じが伝わってくる。
 やはり楽しめている時は充実している。

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2017/02/20

尊重するって、どういうことか?

8 第44回人生カフェは、初めての試みで、夜の2時間、事前申し込みなしで実施した。
 平成29年2月17日(金)午後7時からスタートしたが、男性7名、女性10名、合計17名もの人が集まってくれた。
 最初に何人かの人から「問い」を出してもらった。各人の興味・関心のありどころも分かって、面白い時間帯である。
①対等な人間関係とは何か?
②共依存とは何か?
③愛とは何か?
④尊重するって、どういうことか?
⑤文化と教養の違いは何か?
⑥教養は必要なのか?
⑦自殺はどうしてだめなのか?
⑧命は何よりも重いのか?
⑨運命って何だろう?
⑩恨みって何だろう?
⑪豊かさとは何か?
⑫人生の後半の生きがいって何だろう?
⑬仕事をする上でお金より大切にしている価値観とは?
⑭アメリカとは何か?

 この中から一つにテーマを絞っていく。今回は大きく分類すると、「人間関係」「文化・教養」「命」「その他人生一般」となるとの指摘があり、新たに「よい人間関係とは何か?」「死とは何か?」といった問いも提案された。その上で、大き過ぎでもなく、小さ過ぎでもなく、参加者が話しやすそうなテーマとして「尊重するって、どういうことか?」が選ばれた。

 後半はこのテーマに沿って、フリーに対話が展開した。
 自分を尊重することができて、他人も尊重できるということがあった。しかし、他人のことなど大体がよく分からないではないか。他人を尊重する基底には信頼関係というものがありそうだ。他人をよく分からなくても、尊重しようとする姿勢そのものが大切……。

 最後に、一人一言ずつ、気づいたこと、新たな問い、感想などを述べてもらった。
 動物でなく、人間だけが尊重ということができそうだ。「他者」というものが改めて気になってくる……。
 こんなことを述べた人もいた。「主に自分の考えを話す人がいる。主に自分のことを話す人がいる。」……

 初の試みであったが、2時間があっという間に過ぎた充実した時間であった。

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2017/02/18

ドクターストレンジ(再見)

760 何と妻と2度見た。2度目は、3D、IMAXだった。一番後ろの真ん中の席という最高の環境だった。
 とてもよかった!超迫力だった。表情なども鮮明にリアルに見れてよかった。思ったより目が疲れなかった。
 迫力のある画面ということもあるし、2回目ということもあるだろう、短く感じた。
 ストーリーをあまり深く考えずに、映像を楽しむ映画である。

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2017/02/15

ぬかじ 六厘舎 田なか

A06b9f692bc340598638f19be2678a95A16d4032177349db8424d3f2482a26d16e0a3be8e9d24d3189d290d4ff36d66b まだまだ引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:渋谷「麺屋 ぬかじ」味玉らーめん 1月28日 見た目もきれいで、おいしいラーメンだ。とんこつ醤油がうまい。チャーシュー、玉子などもいい。メンマは長く、裂いてありあり柔らかくおいしい。野菜やショウガなどのセンスもいい。当然完食!
中写真:大崎「六厘舎」味玉つけめん 2月1日 さすがに六厘舎だ。私の好きなつけ麺である。濃厚ドロドロつけ汁でないのがいい。おいしい味を出している。極太麺はきれいで歯ごたえもいい。スープ割りして、当然完食!
右写真:秋葉原「志奈そば 田なか セカンド」味玉塩中華そば 2月11日 見た目もきれいなおいしい塩そばだ。塩味がきつくないから最後まで飲めて完食!麺もおいしいし、チャーシューは2種類、食べがいがある。メンマや野菜もオシャレ。

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2017/02/14

美徳のよろめき

759 今(現代)の私からすると、理解不能なあほらしい人種の話である。旧貴族の有閑マダムの不倫の話である。
 まさに、よろめいたのだけれど、また元へもどった。
 主人公節子は現実を否認し、自己完結的な美と道徳(まさに美徳)の世界に住んでいる。それは三島由紀夫の独自の世界観でもある。

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2017/02/13

映画はお好き?

16251922_1912778565618430_300721640 人類にとってのメディアの変遷が気になる。
 人類は話し言葉の獲得から、書き言葉、すなわち文字を発明した。この記録媒体としての文字の発明は人類にとって大きな革命であった。ここから歴史も始まる。
 印刷技術の発明も革命である。文字文化が大きく飛躍した。
 次に、写真が発明され、現実を視覚的に切り取ることができるようになった。
 その映像が動くようになった。現実の動きを記録することができる。映画の登場である。
 映画は娯楽であり、芸術にもなった。主に動画と音楽で表現した。視覚と聴覚を抜き出してそこに訴えている。

 映画は大好きである。
 「キネマ倶楽部」といった映画を語る会が近くにあったら、行きたくなる。残念ながら、開催場所は千葉県の柏である。

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2017/02/10

恋妻家宮本

758 私はこういう幸せな映画は大好きである。
 阿部寛、天海祐希は両方とも私は好きであり、とにかくお似合いの夫婦だ。夫婦の愛っていいよね。抱擁したり、手をつないだり、ということでなくても、ただ一緒にいるだけで幸せ。
 脇のエピソードもよくできている。教育のこともうまく取り上げている。教師が生徒ととにかく一緒にいる、見捨てないということの大切さが伝わってくる。
 料理教室の場面もいいし、ファミレスのシーンも面白い。(原作は重松清の『ファミレス』だものね。)
 これらのストーリーを通して、正しさより優しさ(care)の価値が浮かび上がってくる。これは現代の重要な思想である。
 また、適度に依存しあうこと、頼り頼られている関係も生きる張り合いになる。過度に自立を強調する必要もない。そう、まさに自律した協力関係(パートナーシップ)はいいものだ。
 吉田拓郎の「今日まで、そして明日から」の曲も、前から好きだったが、感動的に使われている。

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2017/02/09

哲学カフェにおける対話と哲学性

Imagesri7y2fo8 第7回東京メタ哲学カフェは2月5日に開催され、14名の参加者がいた。進行役は芹澤幸雄さん(さろん哲学)であり、2007年の武田朋士さんの論文「哲学カフェにおける対話と哲学性」を基にして、対話をした。

 哲学カフェの運営者としては、どうしても哲学カフェの集客性や継続性といったことが気になってしまう。しかし、哲学カフェには一回限り、その場だけという刹那性という面があることを見逃してはならない。

 哲学カフェでは、その場所と他者の力を借りることになる。自分一人でよりも、「容易に」「別様に」「明確に」内省を促される。ここに哲学カフェの意義がある。

 最後に出された問いが気になる。
「どういう哲学カフェがダメか? その枠って何だろう?」
「哲学カフェの失敗って何だろう?」
「哲学カフェに哲学性って要るのか?」

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2017/02/06

「問う」とはどういうことだろう?

Medium_2201907500   第43回人生カフェは平成29年2月4日(土)、12名(男性6名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は本間が進行役(ファシリテーター)だった。前半は机を使い、フリップに書いてもらうなどをし、後半は机を使わず、全員が椅子に輪になって座り対話をした。
 今回のテーマは「「問う」とはどういうことだろう?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「「問う」ことは、まさに「考える」こと?」
 「答えのないものに対しては、「問う」という形で、まず始めていくしかないのか?」
 「問い、好奇心、興味、どう違うの?」
 「問いを立てると、問いかけるはどのように違うのだろう…?」「「自分に問う」と「他者に問う」はどう違うか?どちらが必要か?」
 「「問う」ことは、聴くことの積極的な態度か?」
 「問いの種類はどのようなものか?どれくらいあるのだろう…?」「(問うとき)答えをどこに求めるか?」
 「疑問を持つ人生と持たない人生、どちらが幸せか?」「「問い」によって、悩みが増えるか?」「迷いが大きくならないか?選択肢が増えることが、かえって安心するかも」
 「「問い」と「答え」、どっちが大切か?」「問いと答え、どっちが大事? 答えがないことが多いように思います。そのプロセスも大切にしたいかなと」
 「問う⇒問い⇒考えること 聞いて、みて、考え わからないことを教えてもらうことかなぁ?」
 「何故問うのか?」「問わなかったら、どうなるか?」「問わずに幸せに生きられないか?」

 この後、フリーに対話した。
 問いのレベルとして、「頭」のレベル、「感情」のレベル、そして「腹のレベル」というものがありそうだという話になった。一般には「頭」のレベルで、問いを立て、論理的に考えるというように見る。しかし、「感情」のレベル、さらに「腹」に落ちるレベルの問いと答えというものも大切である。特に、「怒り」や「悲しみ」といった感情から起こる「問い」に注目が集まった。
 「なぜ問うのか」ということは基底となる問いである。 
 これは人生が謎であり、不条理であるからである。問わざるを得ないのである。そして、近代人は、問う⇒考える⇒答える⇒考える⇒問う⇒…… これを繰り返さないと、すなわち思考停止になると生きていけないのである。コマのように、常に問いと答えの回転をし続けることによって、自分を自立させているのである。

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2017/02/04

牝猫たち

757 あんまり面白くも、楽しくもない映画だった。
 かわいそうな人たち(女性も、男性も)が多かった。セックスだけでしか表現できないとしたら、それは寂しい。
 これをたくましいと言えるのか。希望はあるのか。

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2017/02/03

日本において、哲学カフェは哲学か?

20161227130747 2月1日開催の立正大学哲学会2016年度秋冬大会シンポジウムのテーマは「哲学カフェ×哲学教育 -日本において、哲学カフェは哲学か?-」であった。シンポジストは、村瀬智之さん、戸谷洋志さん、木村史人さんだった。
 哲学カフェがブームになってきた社会的・文化的背景として、戸谷さんは3点指摘した。
①コンテンツよりコミュニケーションによって消費される傾向。 (コンテンツが多すぎて、しかも分からないし。)
②権威からの教えよりも双方向的な話し合いが尊ばれる。 (もう権威には頼れないし。)
③癒し。

 私なりのまとめをすると、このような不透明な時代においては先行き不安なのである。そこで、多種多様な生身な他人と接触し、自らを問い、確かめていきたいのである。まさに「対話」ということがクローズアップされる。

 研究者の立場の人たちはやはり私とは異なる。興味・関心、そして目的も異なる。  
 哲学カフェにおいて言えば、そこで出される「問い」の質が異なる。それはそれでいいのである。いずれにせよ、哲学カフェにおいては、「自分にとって」という自分の問題、実存の問題にいつでも立ち戻される。

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2017/02/02

ドクターストレンジ

756 ミラーを使った映像も面白い。主役のベネディクト・カンバーバッチもいい。脇役陣もいい。
 10分に一度アクションの山があり、ウィットに富んだ会話もある。時々ストーリーをまとめる対話も挿入される。これらがうまく配置され、テンポよく進行する。マーベルらしい作りである。
 それほど深い話ではない。アメコミなのだから、それでいい。楽しめればいい。

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2017/02/01

沈黙ーサイレンスー

755 遠藤周作の原作に比較的忠実に描く、これはいい。その上で、ラストのロドリゴの埋葬のシーンにスコセッシ監督の思いが反映されている。日本人の遠藤周作の小説を映画化してくれた75歳になるスコセッシ監督に感謝である。
 農民たちを丁寧に描いているのには感心した。このことは確かに日本の映画には少ないかもしれない。
 信仰の問題になると、キチジローが言うように、「時代」「生まれた時」といったものを考えてしまう。信仰への迫害のない時代もあったのだから。
 あくまでも現代から見るとということだが、無理な布教はよくないことだ。国家や教会が真理や正義を振りかざして、自らの力を誇示し、拡大しているだけという面があるからである。
 このようなテーマは映画より小説の方がじっくり考えられる。だからといって、この映画の意義が下がるわけではない。
 (ひとつ変な感想)
 若い人の殉教はあまりにもかわいそうだ。若者にはまだまだたくさんの可能性があるから。私のような年寄りの殉教の方がいい。無駄に長生きしているより、意味がありそうな死である。そんなにうまくいかないのは分かっている。せいぜい年寄りは、死を賭すぐらいの覚悟で、周囲の人のために考え、行動しろ、くらいのことしか言えないかもしれない。

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2017/01/31

悪い人はいちゃいけないのか?

754 私の「行為」を非難・否定してくる人がいる。「あなた、挨拶ができてないわよ。」 これは当たっている場合もあるから、この人を悪い人とは思えない。もちろん腹立たしくなることはあると思うが。
 次に、私の「人格」を否定してくる人がいる。「お前は全く思いやりがない男だなぁ。」これはさすがにひどいと思う。人格攻撃は原則しないのがいいと思っているからである。人格の否定を始めたら、ケンカになるのは目に見えている。だからといって、相手を悪い人とは言えないと思う。人格否定を言いたいだけの背景がありそうな気もするし。
 最後に、私の「存在」そのものを否定されたらどうだろうか。「お前なんか、この世からいなくなればいい!」 これには私は相当に怒るだろう。しかし、言葉で言われただけなら、相手の人間性を疑うことはあるが、相手に悪人というレッテルを張る気はない。まだまだ善の部分がたくさん残っているような気もする。
 これが私を殺しにかかってくる、すなわち身体的・物理的に私の「存在」を全否定してくる人だったらどうだろう。ここに至って、私は初めて、この人間を私にとっての「悪人」と呼ぼうと思う。

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2017/01/30

人とつながっていないといけないのか?

Imagesuvbw3cjv 第42回人生カフェは平成29年1月28日(土)、11名(男性5名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「芸術の価値とは何か?」「人はなぜ美を感じるのか?」「美を感じる基準は何か?」
 「日本社会・日本人は本当に近代社会・近代人か?」
 「何故、法律を守るのか?」
 「「わいせつ」とは何か?」
 「人はなぜ楽しい事、好きな事だけして生きていかないのか?」
 「必要以上の謝罪をどう思いますか?」
 「謙虚とは?心づかいとは?」
 「疲れたなぁと思ったら、どうしますか?」
 「男脳、女脳とは?」「男性と女性では物のとらえ方はどう違うのか?」
 「お金で買えないものとは何か?」
 「人生が二度あったら…どんな人生を送りたいか?」
 「もし不老不死の薬があったら、あなたは飲みますか?」
 「運がいいとか、悪いとかとはどういうことなのか?」
 「強いアメリカとはどんな事か?」
 「面倒くさい人とは?」
 「エリートとは何か?」
 「なぜスマップは解散したのか?」
 「可能性とは何か?」
 「(必ず)人とつながっていないといけないか?」「フェイスブック、ブログ、ツイッター、ライン…など、人はなぜ繋がりたいのか?」「それでも仲良くしなくてはいけない時って、どんな時ですか?」

 これらの中から、今回は対話のテーマを「人とつながってないといけないか?」に決めた。

 このメインテーマに対して、参加者からサブテーマに当たるものをいくつか出してもらった。
 「独身者は社会の中でなぜある種の引け目を感じざるを得ないのか?」
 「「お前は友達がいないだろ」はなぜ最強の侮辱となるのか?」
 「おひとりさまの死とは?」
 「なぜ自分のプライバシーを明かしてまでネットでつながろうとするのか?」
 「どうして会話をしている相手ともSNSで会話するのか?Facebook,Twitter…」
 「人と人とは良いときでも、悪いときでもつながっていた方がよいような気がするのはだめでしょうか?」
 「淋しいのは嫌だが、人とつきあうのはわずらわしいいのはなぜか?」
 「つながりの強制は無いか?」
 「一個人として、人とつながっていくことをどう思うか?」
 「「つながってる」とは、どこで誰が判断するか?
 「つながる事で、どんな状態を期待するか?」

 これらをもとにして、後半はフリーに対話した。今回は机を使わずに、椅子だけで全員が輪になって対話をした。

 最後に、参加者に、今日気づいたこと、新たに生じた問い、感想などを聞いた。(今回はフリップに書かず、口頭で述べてもらった。)

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2017/01/29

Jポップで考える哲学 ④

753 第5章(最終章)は、「人生」がテーマであり、パスカル、ヤスパース(写真)、ニーチェが取り上げられている。
*日常の息苦しさには3つのポイントがあります。第一に、「僕ら」には最終的な目標が分からないということ、第二に、そうであるにも拘わらず前進しなければならないということ、……第三に、そんな「僕ら」はどこにも辿り着けないということ、です。
*「僕」はそうした不確かな人生をこそ肯定しているのです。……「僕」は、自分の人生を肯定することを通じて、そうした人生を包み込んできた世界そのものをも肯定しているのです。
*決断をして生きるということは、私が「私」であるからこそ選ばれるような生き方をするということです。
*決断は変わることを求めます。
*「私」は自分の人生を孤独に決断しているのです。……孤独は誰にとっても辛いです。だからこそ、自分の道を進むことを選んだ他者に私たちは敬意を抱くことができます。
*そして、自分も「誇り」に思える、ということです。

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2017/01/28

Jポップで考える哲学 ③

752 第4章は「死」がテーマで、キルケゴール(絵の人物)、ハイデガー、サルトルが取り上げられている。
*哲学の世界では、証明不能の問題や考え方を形而上学と呼びます。魂の不死はもっとも代表的な形而上学の問題です。
*就職活動が無意味であるのは由々しき事態ですが、問題なのは、それが自分の本来の生き方にふさわしいかどうかをそもそも考えていない、ということなのです。
*「あなた」以外の死者たちもまた、「私」にとっての「あなた」と同じように、誰かにとってかけがえのない個人であり、たった一人の大切な人であったはずです。

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2017/01/26

Jポップで考える哲学 ②

Ip161028kyd000109000_0000_c 著者の戸谷洋志さん(写真)の論の進め方は明快である。まさに明るく快い。若さを感じる。
 第2章は「恋愛」がテーマであり、ブーバー、メルロ=ポンティ、レヴィナスが取り上げられる。
*失くしてから、初めて気づく。

 第3章は「時間」がテーマであり、ベルクソン、ヴェーユ、バタイユが取り上げられる。
*私たちの日常生活は原則的に目的と手段の関係によって支配されています。……未来へと向かう現在の行為は手段という性格を帯びることになります。
*日常生活において私たちはしばしば待つことに耐えられなくなり、早く未来を招き寄せたいという欲望に囚われてしまうのです。

*手を出さずに、相手の出方をじっと窺うということです。
*「待つこと」は未来がもつ「まだ存在しない」という性質と正面から向き合う行為です。言い換えるなら、それは現在において未来を未来として体験することに他なりません。
*役に立たないけれど意味がある現在のあり方です。
*遊んでいるときの時間は無意味ではないし、だからこそ苦痛でもない、むしろ楽しいものです。
*過去については持続する記憶が思い出されるとき、未来については欲望から自由に何かをじっと待つとき、現在については夢中になって一瞬を生きるときを考えてきました。……どれも日常生活のなかでは見えてこないもので、ある特殊な状況でだけ現れるもの、ということでした。

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2017/01/25

Jポップで考える哲学 ①

751 副題は「自分を問い直すための15曲」である。(講談社文庫)
 著者の戸谷洋志さんは1988年生まれ、まだ28歳である。みずみずしい感覚で書かれており、好感が持てる。哲学的見方に関しては、私と近いものがあり、この点も共感する。
  「私たちは自分たちの言葉で哲学することによって、哲学自体を新たに再形成しようとしている」という意気込みも感じられる。
 「自分」「恋愛」「時間」「死」「人生」の5つのテーマを取り上げる。
 第1章は「自分」がテーマであり、カント、フィヒテ、ヘーゲルが取り上げられる。

*「自分」を考えようとするときでも、考える主体は「自分」です。しかし、考えられる客体も「自分」になってしまいます。そうだとすれば、このとき「自分」が主体と客体とに分裂してしまうのです。
*私たちは一人では「自分」を知ることができません。
*「私ではないもの」が存在しなければ、「私」について考えたり、「私」と語ることはできないのです。

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2017/01/24

なぜひとを殺してはいけないのだろうか

Images145 人類が歴史的・社会的に獲得してきたものがある。すべての人が持つ生きる権利である。それは憲法や法律に明記されている。
 だから、人は特別な理由(正当防衛など)がない限り、人を殺すことができない。殺したら刑罰が科せられることになっている。これが殺人を抑制する力とはなっているのだろう。
 しかし、人を殺したくなる気持ちを持つことはある。あいつがいなくなればという思いである。行動には現れなくても、心の中では殺人を犯している。
 これらは人間の自然な気持ちのようである。だからこそ、これを実行に移さないようにするためにも、「命はなぜ大切なのか」を問わなくてはならない。この問いの変更は重要である。
 命より大切なものはあるのか。それを考えていくと、命が最も大切なもののようにも思えてくる。
 自分の命を大切にできる人は、他人の命を大切にすることに進んでいけそうな気がする。
 自分の命を大切にできない人、その人たちにはどうしたらいいのだろうか。これはなかなかに難しい問題である。

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2017/01/23

品川甚作 永斗麺 いろはや

F3147eb4e29e4931a3a0bdf9adc1d0a41e0deefdd8c04a7a8d26958d04b78b16E89bebf0766141e89adc94c6cc17a950 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:水道橋「札幌らーめん 品川甚作本店」すみれ風味噌ラーメン 1月9日 スープが最後まで熱くて、おいしいのはOK!
中写真:渋谷「永斗麺 神南店」さんまラーメン 1月14日 さんまスープはおいしい。固めの細麺もいい。こういうラーメンは好きである。チーズリゾット(220円)にスープを入れて完食!こちらもおいしかった。
右写真:阿佐ヶ谷「らーめん いろはや」らーめん(大) 1月22日 とにかくスープがおいしい!鶏ガラスープは最高!最後まで熱い。スープがたっぷりとある。

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2017/01/22

エクス・マキナ

750 未来SFは好きである。人工知能に関するこの物語は〈近〉未来かもしれない。
 人工知能が人間を凌駕してしまうかもしれない。そして、知らぬ間に人間社会に潜り込む。……
 人間を傷つけることは止めなくてはならない。しかし、そんなに簡単にコントロールできないかもしれない。原爆などの科学技術の行きつくところの例からしても、それはたいへんな結果をもたらすかもしれない。
 視覚効果、音響の面でも面白かった。

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2017/01/20

置かれた場所で咲きなさい(再読)

Yjimage ノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子さん(写真)が昨年の12月30日、89歳で亡くなった。
 渡辺さんが当時9歳だった時、2.26事件でお父様を目の前で亡くされた。その後、素晴らしいお母さまに育てられた。これだけでもものすごいことであり、涙が出る。
 ご冥福をお祈りしたい。
 今回、この本を再読して、病気や老いのところの記述が特に気になった。それだけ私が年取ってきたということだろう。印象に残ったところを抜き出しておきたい。
*かくて病気という人生の穴は、それまで見ることができなかった多くのものを、見せてくれました。それは、その時まで気付かなかった他人の優しさであり、自分の傲慢さでした。私は、この病によって、以前より優しくなりました。
*感謝の念と謙虚さが、もしかすると「輝き」となっているのかもしれません。
*私から歳を奪わないでください。なぜなら、歳は私の財産なのですから。
*一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。
*老いるということにおいて、一番大切な仕事は、ふがいなくなった自分を受け入れて、いつくしむということ。
*持ち時間も体力も、気力さえも確実に減ったとすれば、いきおい何もかもでなく、本当に大切なこと、必要なことを選んでするようになります。かくて、老いは人間をより個性的にするチャンスなのです。
*「小さいな死」とは、自分のわがままを抑えて、他人の喜びとなる生き方をすること、面倒なことを面倒くさがらず笑顔で行うこと、仕返しや口答えを我慢することなど、自己中心的な自分との絶え間ない戦いにおいて実現できるものなのです。

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2017/01/19

雪国

749 あの川端康成の、あの『雪国』である。(新潮文庫)
 今回20年ぶりくらいに再読して、私はえらく感動した。どこに感動したかを細かいところは省略して、要点を述べる。
 人間関係の上下、優劣とか、対等といった尺度ではない。波長が合う、仲がいいといった関係のことでもない。
 「美」と「悲しさ」に直截的に魅かれるのである。静かで、強い力で。それが日本的な愛や情の世界のような気がする。
 このことを20年前は分からなかった。少し間をおいて、また読んでみたくなる名作である。

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2017/01/18

コミュニケーションと環世界

Images144 神保町での哲学カフェである。
 表題についてのレクチャーがあり、その後グループに分かれて対話をした。
 対話の中で面白かったこと。
 言葉の反対語とは論理的に考えるもの。類似語は感覚・感情的に捉えるもの。自分にしっくりくる類似語・同義語を探ることは自分の気持ちを探っていくことに繋がる。

 人に質問をしないのはなぜか。元々質問したいことがないから。自分が知らないことが分かると恥ずかしいから。相手の話の腰を折っては悪いから。詰問調になると悪いから。……
 もっと素直に質問できるといい。相手に関心があることを示すことになるから。分からないことを率直に表明できるから。相手も自分も考えるきっかけになるから。

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2017/01/17

なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか

Imagessp3q38id 1月8日開催の第6回東京メタ哲学カフェについては、「philosophy 愛知」の方が概略的な報告をしてくれているので、私はキックオフトーカー&ファシリテーターとしての感想やその後考えたことなどを書きます。(以下は「である」調になっています。)

第6回東京メタ哲学カフェは、内容上、運営上、いくつか反省点もあるが、キックオフトーカー&ファシリテーターをやった本人は相当に満足している。なぜならば、自分が今関心のあるテーマを取り上げているし、ここで出てきた話は自分の哲学カフェの実践や自分の考えの深化に生かせると思うからである。(このことからしても、他の人もいつかぜひ東京メタ哲学カフェのキックオフトーカー&ファシリテーターになってみてください。)

東京メタ哲学カフェの「メタ」は、今のところ「哲学カフェ」のメタになっていると思う。「哲学」自身をメタするということはあまり考えられていない。私などは「哲学」をメタすることはとても難しいことで、当面はあきらめている。もちろん、これは当面のことではあるが……。

それで、その哲学カフェのメタだが、ひとつは哲学カフェの限界に関心がある人たちがいる。哲学カフェそのものに多少疑問を感じ、哲学カフェの意義や社会的役割などがしっくりきていない人たちである。これらは当然ながら、哲学カフェを運営していない人たちに時々見られる。
一方で、哲学カフェの限界を感じながらも、哲学カフェの実際の運営上の課題や工夫に関心が高い人たちがいる。これらは哲学カフェを現実に運営している人たち、又はこれから運営しようとしている人たちに多い。
両者は関連している。実際、哲学カフェの運営者で、哲学カフェの限界を常に意識している人も多い。そして、両者とも重要なテーマである。
しかしながら、この両者は対話のテーマとしては一応分けて、対話をしていく方が分かりやすいかなぁ、とも今回思った。

さて、今回のテーマ「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」についてである。これは「哲学」とは何ぞや、ということではなく、一般的に哲学カフェで行われている哲学っぽいこととは何か、ぐらいのニュアンスである。
このテーマ(問い)に対する答えとして、「楽しいから」というのが必要十分な答えのような気もする。それぞれの哲学カフェにとっては、「人間的な成長のため」、「人生の幸福を考えるため」、「人々が連帯するため」といったものでもいい。しかしながら、もう少し考えてみたい。

哲学カフェを「複数の人たちがテーマ(問い)について対話すること」とシンプルに定義することは、私は好きである。集まる人たちは日頃の役割や慣習、経歴などからできるだけ離れ、自由になって対話をする。哲学カフェにいる間は、それらの人たちを私は「哲学人(てつがくびと)」、あるいは「対話人(たいわびと)」と呼びたいくらいである。
哲学カフェにおいては、参加者はみんなでまずは「普遍化」を行う。この場合の「普遍化」とは、テーマ(問い)に対して、みんなが納得できる答えを見つけようとすることぐらいの意味合いである。この定義からしても、普遍化は、自分一人では不可能であり、複数の人(みんな)がいなければできないことである。また、哲学カフェにおいては、この普遍化への目標と過程がないと、やはりつまらないと私は思っている。
そして、その上で哲学カフェにおいては、「自分化」という過程がある。「自分化」とは、テーマを自分に引き寄せて、他者と対話をしていく中で、自分の問題として考えるということである。そこには「内省」ということが行われている。それは他者がいないと自分は分からない、ということにもつながる事柄である。だから、複数の他者がいる哲学カフェは意味がある。
この「普遍化」と「自分化」の往復運動が哲学カフェの中では絶えず行われている。このダイナミックスが哲学カフェの醍醐味であり、面白みである。以上が「なぜ私たちは哲学カフェで哲学するのか?」という問いに対する、私の当面の答えである。


ところで、この哲学カフェの業界(?)においても、評論家的な人物が登場しつつある。それは単なるマニアではないし、学者・研究者でもない。
私は「評論家」ということに対して、必ずしも否定的ではない。評論家の登場はこの業界が一定程度発展してきた証拠である。よき評論家がこの業界のさらなる発展に寄与してくれると思う。
もちろん、評論家の限界もある。なぜなら、実践家とは区別される存在だからである。

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2017/01/16

き(聴)くってなんだろう…?

Png4 第41回人生カフェは平成29年1月14日(土)、11名(男性4名、女性7名)の参加によって実施された。
 今回は岩崎さんが進行役(ファシリテーター)だった。机を使わず、全員が椅子に輪になって座り、コミュニティボールを使いながら対話をした。
 今回のテーマは「き(聴)くってなんだろう…?」である。
 まずは、参加者からサブテーマに当たるような自分の問いを出してもらった。
 「聞く、聴く、訊く、とは?」「聞く、聴く、訊く、そのときどきでどう使い分けるか?」「ニュースは「聞く」のか、「聴く」のか?」
 「何から、どこから、きくのだろうか?」「きくことが大事なのは、どういうことだろう?」
 「話を聞く楽しさや苦しさは、どこに(何に)あるのか?」「きくことが苦痛の場面の原因はどこにあるのだろう?」
 「聞く力があるとはどういうことか?」「自分が聞きたいことを話させることと、相手が話したいことを聞くことは、どちらが大切か?」
 「「聞く」「聴く」…側はどのような姿勢(心構え)が必要か?」「心に余裕がないと、人の話を聴けない?」「人の話を聞けず、自分の話にすり替える人がいる、なぜだろう?」「聴くことは心づかいか?」
 「きくは一時の恥、きかぬは一生の恥とは?」
 「聞けなくなったら、どうなってしまうのだろう?」

 まずは、「きく」という読みの漢字3つの違いが気になった。「聞く」は心の門のあたりで耳で聞く。「聴く」は耳と目と心で聴く。そして、「訊く」は尋ねる、質問するというような意味ではないか、といった話が出た。
 話は多方面に渡って展開された。少々テーマから外れるかもしれないが、「謝る」ということについてや「ガンバレ」という言葉などについても話された。

 最後に、参加者一人一人にフリップに書いてもらった。
 「聞く…うけとめ方はそれぞれ」「「聞くふりではなく、「聞く」は相手によりそう事」
 「きいたことに対して、自分の中で「変換」して、問い直すという姿勢は、今までの自分に欠けていたかもと思いました」
 「他人からも、内側の自分からも(問いながら)聴けるように心がけたい」
 「聞く 聴く 訊く 相手によって心遣いをする」
 「「聴く」とは、相手に関心を持ち、相手に心を寄り添わせて、想像力を働かせ、愛情をもって受けとめることかなと思った」
 「人に対して聴くとは、相手のそばにいて、相手の話すことばから、相手の心を知ること」
 「きくとは? きく力はあまり必要性はなく、人の話を余裕をもって、きく事ができる事が良い事ではないかなぁ…?」
 「心に余裕があると人の話も聴けて自分が変わって周りも変わるとして、状況が悪いときに心に余裕を持つにはどうすればいいか」
 「聴けない時もある」
 「「話を聞く」って、簡単なようで、実はとっても難しく、奥深いことだと思いました」
 「聴くって何…? 深かった!」

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2017/01/13

団地

748 先が読めないストーリー展開、それが面白い。
 藤山直美、岸部一徳の夫婦の掛け合いが面白い。石橋蓮司、大楠道代の夫婦の方も面白い。そして、団地族の生態もおかしなものである。
 これらは楽しめたが、ラストは少々白けた。阪本順治監督の不得意な分野に入り込んでしまった。

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2017/01/10

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

Images143 誰かのために戦う。そして自らが犠牲になる。これは尊いことだ。
 しかし、敵にも家族がいる。本人に生きる権利はあるだろう。敵も生きているのである。

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2017/01/07

ゴースト・バスターズ

747 今度のゴースト・バスターズは女性4人ということで、とにかく楽しい映画に仕上がっている。
 おデブ系お笑いのメリッサ・マッカーシー最高!
 マシュマロマンや初代ゴースト・バスターズのビル・マーレイなどが登場し、懐かしさもある。面白かった。

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2017/01/06

一笑 すぎ本 熊本玉名

326ebe60da42497bb7620917efedde1002bfddda4fd44d3186a405c66324894171751ab3d084439080da54f64723258c 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」に掲載されているお店を歩いている。
左写真:南阿佐ヶ谷「麺処 一笑」ラーメン、プレーン野菜、味付け玉子 12月27日 斬新的なアイデアだ。とんこつに野菜たっぷりの組み合わせ、これはいい!上品で、健康的だ。スープに臭みはない。女性、子どももOKだろう。おいしい、思わず完食!
中写真:鷺ノ宮「らぁ麺 すぎ本」醤油ワンタンらぁ麺 12月30日 すっきりした醤油味のおいしいラーメンだ。見た目もきれい。麺との絡みもいい。ワンタン4つもあっておいしかった。チャーシューも2種類でよかった。
右写真:池袋「熊本玉名ラーメン」味玉ラーメン 1月5日 とんこつ味はまあおいしかった。

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2017/01/05

風見 悠 やまぐち辣式

92eab6f4eb0b4383b0ed6ad1f83e71e2777f7948a7974d5eae28362549827378566c6be372e1425e9095a91327c5a7e3 引き続き、「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」の主に新人賞受賞のお店を歩いている。
左写真:銀座「銀座 風見」酒粕濃厚そば 12月22日 酒粕は面白くおいしい。見た目もきれい。具も高級感がある。銀座的だ。ショウガ、青唐辛子などの薬味を加えていって、変化も楽しめる。完食が当然のような満足感がある。
中写真:大久保「麺屋 悠」味噌そば 12月24日 スープがおいしい。濃くないので最後まで楽しめる。完食。焦がしネギなどがよかった。
右写真:東陽町「らぁ麺 やまぐち 辣式」 エビワンタン塩らぁ麺 12月25日 透き通ったスープの塩ラーメンはおいしい。さすがである。麺との相性もいい。エビワンタンもよかった。

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2017/01/03

うかんむり 改 楓

3c287dc389d544909498fcb586a1926bDd6e0fb84a98437280326e1b986394fb9b34adf250ce449fbd481d25ab117582 「第17回 TRYラーメン大賞 2016-2017」の主に新人賞受賞のお店を歩いている。
左写真:練馬「博多水炊きらーめん うかんむり」博多水炊きらーめん 12月11日 これはきれいでおいしいラーメンだ!細麺とスープがよく絡んでいい。スープがおいしくて完食!鶏チャーシューも脂身がなくうまい。
中写真:蔵前「らーめん 改」貝塩らーめん 12月15日 貝スープはうまい!ここまで貝にこだわってくれてうれしい。最後までスープが熱くて、当然完食! 縮れ麺はいい。タケノコ、ワカメなどの具も個性的。チャーシューもおいしかった。
右写真:荻窪「味噌麺処 楓」味噌ラーメン 12月18日 おいしい味噌ラーメンではある。

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2017/01/02

哲学カフェのつくりかた ③

746 前カフェフィロ代表の松川絵里さん(写真)らが、哲学カフェについて、いろいろ考察してくれている。改めて読むと参考になることが多い。

*参加者の発言がうまくからみあって、関係づけられて流れをつくっていくということを大事にしている。(寺田俊郎)
*哲学的な対話をする場を開き続けたい。……他の市民団体の活動と同じ意義を持っている。(寺田俊郎)
*思考や議論のスキルや手続き、ファシリテーション技法にあるのではなく、人々が自分の生活や実践について、互いに率直に語りあう機会を持つことによって、そこで行っている実践の意味や、その場所で生活している意味を自分の言葉で語りなおす。(高橋綾)
*対話の場所をなにかの手段のためにはせず、ただ、この時間を楽しみましょう。(高橋綾)
*哲学対話を必要としない臨床哲学など、ありうるのだろうか。(松川絵里)

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2017/01/01

哲学カフェのつくりかた ②

745 カフェフィロの初代会長の本間直樹さん(写真)は、さすがに哲学カフェのことをよく考察している。また哲学する人、「哲学者」にこだわっている。このあたりを見習いたい。

*考えるとは、困惑と楽しさが同居している不思議な時間である。
*方法を云々する前に、ことばを交わすという経験を十分に重ねることが、当たり前だが、何よりも重要である。
*哲学の対話を、対個人、カフェ、学校、病院、美術館、公共施設と場所を跨いで実践しているひとは、日本以外でもそう多くないようである。教育のため、医療のため、福祉のため、こういう「ため」が現場を分断する。
*哲学者は、学校のため、病院のため、施設のために対話するのではなく、そこに集まるひとたちとともに対話し、いっときであれ、哲学者になることに誘い、役割や慣習からほどかれることを望む。
*哲学者は、出された問いに私だけはどこまでもつきあいますよ、というべきだろう。
*「問答」を通して、自分自身を問う。

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2016/12/31

哲学カフェのつくりかた ①

744 カフェフィロ編のこの本は2014年6月出版である。(大阪大学出版会)
 その頃も読んだから、今回は再読である。
 教えられることが多い。最初に読んだ時には分からないことが多かったということである。
 2014年6月に私の主宰する「人生カフェ」がスタートした。それから約2年半の間、実践を重ねてきた。それらの実践によって、この本の理解が進むようになった面はある。やっと私がこの本に追いついてきたという感じである。
 それまでのカフェフィロの実践の厚み、歴史というものも感じた。これは尊敬に値する。

 印象に残ったところを抜き書きしておく。
*哲学カフェで重要なのは、知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問いである。こうした問いは、ふだん私たちが当然のものとして受け入れ、日常生活や会話を成り立たせている隠れた前提に目を向けさせてくれる。(松川絵里)
*「自分が言いたいこと」は何かという、自分自身への興味、もっと踏み込んでいえば、「自分自身が蔵している謎」への興味が、話される。(内田樹)
*「発見」や「わかった」という経験は、「喜び」という感情を伴う、あるいは「喜び」そのものとして感じられる。(ピーター・B・ラービ)
*喜びは学習の後にやってくるのではなく、学習とともにやってくる。(エピクロス)
*喜びは、問題が解けた、答えが見つかったという達成感や、他の人とわかり合えた、考えが伝わったということとは別のもの、自分に起こりつつある何らかの「変化」や「変容」の感覚と同期している。(高橋綾)

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2016/12/30

グローバリズム以後

743 エマニュエル・トッドの副題は「アメリカ帝国の失墜と日本の運命」という新書である。(朝日新書) トッドへの何回かのインタビューで構成されている。

 人類学的な革命をもたらす4つの要素を述べている。
①共同体的な信仰の喪失(経済的合理性の喪失)
②高齢化
③社会を分断する教育レベルの向上
④女性の地位の向上

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2016/12/28

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた②

Images142 原田まりるさん(写真)のこの作品は特に高水準のものではないが、よく売れているし、彼女の代表作になるだろう。
 読んでいて面白いし、これからに期待したいところもある。
 昨日に引き続き、印象に残ったところを書き出しておく。
*存在している理由が「本質」である。存在しているという姿・形が「実存」である。
*人が本質…つまり生きている理由、存在している理由を持たないということは、人は何ものでもなく、自由な存在である。
*私たちは、他人にまなざしを向けられることによってモノと化してしまう。このことを「他有化」と呼ぶ。
*哲学するきっかけ:①驚き ②疑い ③喪失
*真理は二人から始まる。
*すでに人はいろんなことを知っている。そして、その知っていることを理解しなおすのが哲学である。(覚醒)

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2016/12/27

ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた①

742 原田まりるさんの本である。(ダイヤモンド社)
 本のタイトルがそのまま本の内容を表しているが、『もしドラ』のようなテイストで楽しめる。
 ニーチェ以外に、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパースなどの実存主義の系譜の哲学者が登場する。
 舞台が京都なのも、行事やお店などの紹介もあって、観光的にも興味が湧く。
 断片的ながら、印象に残ったところを掲げておく。

*人が何かを悪だと思う時には、悪の反対に、自分を置いている。……悪を決め付けることで、自分を正当化している。
*幸せそうに見える人になる必要はない。ただ誠実に自分の人生と向き合うことが大切である。
*人生は後ろを向くことでしか理解できないが、前にしか進めない。
*苦しみと退屈は繰り返される。
*哲学=生きている意味を考える学問ではない。実存主義=生きている意味を考える思想である。哲学とは、さまざまなことに対して、本当にそうなのか?と疑いを持つことである。

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2016/12/25

幸福シート

Png_3Png_2_2第40回人生カフェは平成28年12月24日(土)、7名(男性3名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は「幸福シート」の作成が課題である。 
 幸福シートとは、下に掲げるような項目のものなのだが、要は過去、現在を振り返りながら、未来へ向けての夢を描くものである。この師走の時期だから、主に来年の夢を考えた。見栄を張ったり、気負いすぎては、よくないだろう。どちらかというと、ゆるゆると、素直に表現するのがいい。
〈幸福シートの項目〉
今、わたしにとって大切な人【現在】
1.家族
2.友人
3. 職場(学校)
4. その他

今までで感謝したい人【過去】

当面やりたいこと(1ヶ月~3ヶ月くらい)【未来】

中長期的にやりたいこと(1年~3年くらい)【未来】

どのような人生を送りたいですか【未来】


もう少し幸福について考えてみましょう!

 これからの自らの幸福の実現のために、目標(今後やりたいこと)や課題について書いてみてください。

【場面ごとに】

◎家族の面

◎友人の面

◎職場(学校)の面

◎その他

【要因ごとに】

◎健康の面

◎お金の面

◎趣味の面

◎その他

 上記の前半と後半に分けて、それぞれ参加者に、差支えのない範囲で発表してもらった。そして、お互いに簡単な質問や感想を言い合った。

 夢とは、実現へ向けての「過程」こそが楽しいのかもしれない。
 また、自分の夢と他人との関係も話題になった。他者への貢献が幸せや夢に繋がっていくのではないか?

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2016/12/24

ミス・シェパードをお手本に

741 ヴァンで暮らす女性を、15年間も自分の家の駐車場に置かせてあげて、見守っているとは! 作家ゆえか? このこと自体が驚きだ。
 ミス・シェパードは特異な生き方をした人ということになるか? これも一人の人間の生き方だ。
 
 介護という、笑えない現実も見えてくる。

 マギー・スミスはとにかくうまい。
 日本題名の「お手本」というニュアンスはあまりなく、ただただ原題の「The Lady in the Van」といった内容の映画である。

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2016/12/23

神様メール

740 「トト・ザ・ヒーロー」のベルギーの奇才、ジャコバン・ドルマル監督の作品である。
 面白かった。
 神様のパソコンから、人間の余命が各人にメールで流されてしまうという話である。この設定自体が面白い。
 それに私は「余命」という話は好きな方である。自分の生を考えるきっかけとなるからである。
 この映画に登場する神様は、どうしようもなく俗っぽい父親である。これも奇をてらった設定である。

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2016/12/22

ローティ ⑥

739 著者の冨田恭彦京都大学教授(写真)は、最終章の第7章のタイトルを「社会正義」とした。
*ローティは自らの政治的立場を「改良主義的左翼」と規定している。
*おのれを無にすることによっては、理解も認識も不可能となる。こうした考え直しは、いわゆる「解釈学的」哲学だけでなく、20世紀の「分析的」科学哲学や、「分析的」言語哲学においても、確認されることになった。
*よりいっそう正確な表象を与えるものとしてではなく、むしろ、よりいっそう有用な道具を与えるものとして「科学」を描き、人間本性のうちに常に存在してきた恒久的で深遠ななにかを表現しようとする試みとしてではなく、むしろ、人間としてのよりいっそう興味深いあり方を与えてくれるものとして、「芸術」や「政治」を描こうとする。
*「社会正義」や「人権」という考えが、その「偶然」的性格のためにこそ、それを維持発展させる不断の努力が必要である。

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2016/12/21

ローティ ⑤

735 第6章は「ロマン主義的感性」というタイトルである。
*プラグマティズムの核心をなすのは、真理の対応説と、真なる信念は実在の正確な表象〔写し〕であるという考えを受け入れるのを、拒否することである。ロマン主義の核心をなすのは、想像力は理性よりも優位に立つというテーゼ~理性はただ想像力が切り開いた道をたどることができるだけだという主張~である。
*古代にあった哲学と詩の争いと、もっと最近の科学的文化と文学的文化の争いのいずれにおいても、想像力が本当にいくところまでいって、とんでもないことになりはしないかという、哲学者と科学者の懸念が、その核心にある。……想像力は言語の源であり、思考は言語なしには不可能だからである。この主張に対する反感から、哲学者は言語の使用に媒介されない、言語の使用に先立つ実在に到達しなければならないという強迫観念にとりつかれる。
*確かなものを持たなければどうにもならないという不安がある。この不安は「デカルト的不安」と呼ばれる。
*「理性」とは、真理を得る能力ではなくて、暴力に訴えてではなく、言葉をある仕方で用いて、他の人にある社会的行為をさせる能力だと考えるべきである。人々が共通に認めている振る舞いの仕方を言葉を用いてさせることである。
*具体的なものと抽象的なものの区別は、知覚を報告するのに役立つ表現と、そうした使用に適さない表現の区別でしかない。
*知的、道徳的進歩とは、先行する目標に次第に近づくことではなく、過去を超えることである。
*人間は放っておくと何をするかどうかわからないので手枷足枷が必要だという考え方に対して、ローティ(写真)は徹底抗戦しようとする。その姿勢は、自らを信じ、際限なく自己を変革しようとするロマン主義と、表裏一体をなしている。

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2016/12/20

ローティ ④

738 第5章は、「連帯・語彙・ハイデッガー」というタイトルである。
*「連帯志向」(連帯への願望)とは、ある人々と共に生きる上で自分はなんらかの貢献ができた(できている)、その意味で、自分の人生には意味があった(意味がある)とする、自分の人生に対するこうした向き合い方を言う。これに対して、「客観性志向」(客観性への願望)とは、なんらかの人間ならざる実在(ないし真理)と直接関わっていることをもって、自分の人生に意味があるとするものであり、そのようななんらかの実在と自分の人生との関係は直接的で、そこには他の人々は介在しない、こうした姿勢を言う。
*予測と制御に役立つ語彙ー自然科学の語彙ーを超えたところに、われわれの道徳的な生き方や政治的な生き方の語彙、それに芸術の語彙が存在する。
*私たちが新たなことを信じる場合に、3つのものがある。知覚と推論とメタファーである。
*メタファーは、それによって、言葉の理解そのものが変化する。…メタファーは、言語の成長点である。
*ウィトゲンシュタイン、ハイデッガー(写真)、デューイ、彼らの後期の仕事は、建設的というよりも治療的であり、体系的というよりも自己形成的であり、読者に新たな哲学的プログラムを提供するというよりも、哲学するに至った読者自身の動機に疑問を抱かせようとするものである。

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2016/12/19

ローティ ③

736 第4章は「自然の鏡に抗して」というタイトルである。
*「認知はすべて言語的出来事である」というのは、つまり、感覚的なもの、感覚与件は、それが言語的に捉えられてはじめて私たちの知識や信念に関わるものとなるということである。
*私たち人間は、ある一定の考えにただ従って生きるしかないというのではなくて、なにか問題に行き当たったとき、質的に異なる考え方を編み出す。それはまさしく「創造的」行為である。
*真理は定まっていて、あとは私たちが自分の心の鏡をしっかりと磨き、その定まったものを正確に捉えるよう努めるだけだという人間観ーつまり、「自然の鏡」的人間観ーへの、異議申し立てにほかならない。
*ローティは、『哲学と自然の鏡』最終章で、「鏡なしの哲学」という表題のもと、「体系的哲学」と「自己形成の哲学」とを対比させ、私たち一人一人が新たな自分へと自らを形成していく、そんな生き方こそ推奨可能な生き方だと主張する。
*ローティは、人間が自らに「認識論」という手枷足枷をかけ、鏡のように、機械のように思考停止しようとするのを、やめさせようとしたのである。

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2016/12/17

ローティ ②

737 第3章のタイトルは「自己解体」である。
*言語論的転回は、①言葉の日常的・常識的使用と哲学的使用の区別、②語ることと、語ることについて語ることの区別、③示すしかないものを語る適切な手立てとしての、言語について語ること、という考えに基づいている。
*言語について語るというのは、言語の構造とか、その理解の仕方とかを語ることである。
*ローティは、「言語論的転回は言葉だけに注意を向けさせるものであって、言葉が表示する概念に注意を向けさせるものではなく、したがって「退屈な回り道」でしかない」と言っている。
*概念についての考察は、言語表現の用法を考察することによってのみ、進めることができる。
*言語の偏在性とは、思考の「本来の起点」たらんとしたさまざまな候補がことごとく失敗したことによって残された空所に、言語が入り込むことである。(そのような起点の候補には、明晰判明な観念、感覚与件、純粋知性のカテゴリー、前言語的意識構造などがあった。)
*言語分析哲学は、言語に対して自然主義的・行動主義的態度をとることができるようになった。
*ローティの言い方を用いれば、そもそも言語論的転回は、認識論的転回の現代版にほかならない。
*ウィトゲンシュタイン(写真)がわれわれに促しているのは、言語に対する「外在的」視点を得ようとするのをやめることである。

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2016/12/16

ローティ ①

Imagesrrstzwdr 『ローティ』~連帯と自己超克の思想~(冨田恭彦著 筑摩書房)を読んだ。
 ローティ(写真)は私の好きな哲学者である。
 この本はローティについて私の知らないことをたくさん解説してくれている。また、基本的な哲学用語の勉強にもなった。
 第1章は「生涯」についてであり、第2章は「言語論的転回」についてである。

*「還元主義」とは、人間が信ずべきことをある少数の特殊な真理にすべて基づくものとする考え方である。
*「実証主義」とは、人間が五感で観察できることを最後の拠り所とすべきであるという考え方である。
*「記述理論」とは、文の見かけの構造ないし形式に対して、その真の構造、つまり論理的構造ないし論理形式を明らかにする手法である。
*「経験科学」とは、観察や実験に基づいて確かめることができるような科学のことである。(総合的真理)
*「形式科学」とは、数学や論理学のように観察や実験には基づかないけれども、その重要性が認められている科学のことである。(分析的真理)
*「意味規準」とは、ある「提案」であって、なんらかの「真理」を表明しているわけではない。

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2016/12/15

ふるめん 味噌蔵 麺珍亭

Ae3ae00138d84b47884cfa0a2327af3bF638e84c6b6c4e0f85fa5730f3d5b6d6Cc99fb02cfb841728e199fef778d568c 新しいお店や老舗を訪ねてみた。
左写真:六本木一丁目「ふるめん」煮干ししょう油らーめん 12月3日 きれいなラーメンである。スープが熱くて、煮干し味もいい。
中写真:新大久保・東新宿「木桶仕込 味噌蔵」木桶仕込みそらーめん 12月4日 ど・みそ系の味噌ラーメンはおいしい。味噌がいいのだろう。麺との相性もいい。
右写真:早稲田「東京麺珍亭本舗」油そば一玉(半熟玉子、青ネギ) 12月10日 相変わらずおいしい。以前より少々あっさりした味だった?

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