2016/12/02

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

734 予想していたよりは面白く感じられなかった。
 魔法使いと魔法界の動物たちのファンタジーである。私には少々見飽きた感じがある。
 原作本に基づいたストーリー展開なのだろう。ハリー・ポッターのファンにはマニアック的に楽しめるのではないか。スター・トレックのファンがスタ・トレの映画を楽しむように。

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2016/11/30

嫌われる勇気(再読)

Imagessfalqb3o 今回、岸見一郎さんと古賀史健さん(写真)のこの本を再読して、改めて印象に残ったところを書いておく。
 「課題の分離」は入り口であり、出発点だということである。基底にあるのは、「仲間」とか「対等」という意識である。また、目指すのは、相手との「win - win」との関係であり、さらに「シナジー効果」(相乗効果)である。
 相手を屈服させる必要はない。負けてもいい。もうリタイアしているのだし。自分の道を淡々と歩めばいい。
 「他者貢献」は大切だが、独りよがりになっていないかは気をつけなければならない。他者にも、自分にも、常に心が開かれていたい。柔軟に対応でき、変化させていきたい。

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2016/11/29

こまば哲学カフェ

Img_0144 東大・駒場祭の「こまば哲学カフェ」、3コマ参加した。
11月26日(土)は、「どうする?!子どもの英語教育~親はなぜ子どもの英語教育に不安を感じるのか?~」 はなこ哲学カフェらしい企画で、good ! 清水さんによる子どもと一緒の英語ゲームも面白かった。
11月27日(日)は「短歌×哲学対話」 短歌は参加者がその場で共通に鑑賞できる言語の作品だから、哲学対話とは相性がいいと思った。
「出張!!SPA  第2弾」(立教大学)は、「三色発言カード」を使っての哲学対話。これも初めての経験で面白かった。

どれも実験的なところがあって、とんがっているところがよかった。若い人たちは頭の回転が早いから、サクサクした感があって、それもよかった。

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2016/11/28

嫌われる勇気

728 第38回人生カフェは平成28年11月26日(土)、8名(男性2名、女性6名)の参加によって実施された。
 今回は、『嫌われる勇気』~自己啓発の源流「アドラー」の教え~(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)の読書会のような形式で実施した。
 最初に、参加者各人がこの本の中で気に入った個所(共感した個所)を挙げてもらった。キーワードを紙に書いてもらった。( )内は書いてあるところの本のページ数である。
 「原因論と目的論」(28)
 「なにが与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか」(44)
 「人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている」(107)
 「課題の分離」(147、153)
 「自由とは、他者から嫌われること」(162)「嫌われることを怖れるな」(163)
 「より大きな共同体の声を聴け」(193)
 「肯定的なあきらめ」「「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める」(228)

 上記について、しばらく対話した後に、次に、この本の中で気になった個所(疑問に思った個所)を挙げてもらった。
 「すべての悩みは「対人関係の悩み」である」(70)~自分自身だけの悩みというのもあるのではないか?
 「論理の言葉を信じる」(106)~論理だけを信じるということはできるのか?
 「誰の課題なのか?」(140)
 「信用と信頼」(231)
 「他者貢献・他者信頼」(237)~信頼と貢献ということがとても重要なことであるとは思うが、それらがストンと胸に落ちない。
 「題名と青年の突然の気づき」~本のタイトルはしっくりこない。最後に青年が突如として悟ったような感があり、そこに違和感を覚える。

 以上を踏まえて、さらにこの本についての対話は続いた。
 この本には対になるキーワードがいくつかある。
 原因論~目的論
 縦の関係(上下)~横の関係(対等)
 ほめる・叱る~喜ぶ・感謝・お礼
 他者からの承認~他者への貢献
 依存~自由
 行為のレベル~存在のレベル

 現状は上記の左の方の考え方に支配されている。それを右の方の考え方に変えていこうというのがこの本の主張である。納得のいく強い主張であるが、極端に右の方にいくと問題も起きそうである。

 対話の中で、「自然に」「素直に」誉めたり、怒ったりすることができれば、それはそれでいいのではないかという話も出た。また、「自由」になる勇気が、幸せと関係しているのではないかという話も。さらに「勇気」ということがこの本の底に流れるテーマではないかという話も出た。

 最後に、感想等をフリップに書いてもらった。
 「〈嫌われる勇気〉 素直な自由 素直な勇気 素直な嫌われかた 素直に幸せになれる勇気!!」
 「素直に、率直に、ほめる、叱る、ことについて? 「勇気」について?」
 「人はいま、この瞬間から幸せになることができる(250)←を、信じて、いまできることを真剣かつ丁寧にやって(生きて)いきたい。(272)」
 「みんなの意見を聴けて良かった。誰の課題なのか?10年前のことを思い出しました。今のままで幸せ!!」
 「この本は何度も読み込んで来たが、他の人の話を聞いて自分の思い込みで読んで来たなと気づかされる点がいくつもあった。本も思い込みで読んでいることに気づけたことも大きな収穫でした。ありがとうございました。」
 「また、この本についてか、次の『幸せになる勇気』の会を作って欲しいと思いました」
 「このような形の会に初参加だったのですが、皆さんの経験に基づく考えを聴かせていただけて、一人で本を読むのとは別の楽しさに出会うことができました。ありがとうございました。」

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2016/11/24

聖の青春

733 病(特に死に至る病)というものに、考えさせられる。強く無念さを持った人たちがいるということである。私はその点、幸せだ。
 感動作に仕上がっている。将棋のことがよく分からなくても、ついていける。(勝負の世界は厳しい!)
 ポイントを押さえ、余韻を持たせた、スローなテンポで作ってある。これは私のような年寄りにはいい。

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2016/11/22

生きる価値がない?

Imagesep1aiung 「価値」とはお金のこと? 量的に測れるものしか価値はないのか。
 主観的なものだけではすまない事態も想定される。重度な認知症、植物状態の人間などの場合である。
 その場合、客観的な判断とは何か。一つは量的に測れるものということになるのか。それと大多数の他人の判断ということになるのか。
 価値というのは「幸福」と似ているところがある。基本的には主観的なものだと思うが、上に述べたような客観的と言われるものの要素も入り込んでくる。

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2016/11/21

本をとおして対話を楽しもう

732 「対話カフェ」(本をとおして対話を楽しもう)に参加した。
 本を素材にした対話は好きである。足が地に着いたような対話ができるような気がする。話が本に戻ることができるので、話のブレや拡散が少なく、話が深まっていくような感がある。
 そして、一人で本を読んでいた時よりは、他の人の目が入ることにより、多様な見方ができるようになり、本をより深く味わった気持になる。これはとても楽しい。

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2016/11/20

この世界の片隅に

731 7年前に原作を読んだ時の感動は半端でなかった。今でも覚えている。震えて涙が出た。私の漫画ベスト3に入る。
 今回のアニメーション化に喜び、感謝する。戦争に反対し、平和を望んでいる人たちの力によって、このアニメが完成した。戦争には絶対反対だ。素晴らしい反戦映画になっている。
 すずさんは女性として普通に生きている。たくましく生きている。その日常の生活を生きる力は大きい。その日常の暮らしは守りたい。
 どうしようもない時代の制約はあった。女性の立場は低かった。そのような中での、すずさんの天然なところが輝いている。好きになる。多くの人に愛されるキャラであろう。
 すずさんが愛する女の子を亡くす。すずさんが好きな絵を描くための右手を失う。これがどんなに辛いことか…。
 原作の力が強かった。だから、このアニメは成功している。こうの史代さんの思いが込められている。監督の片渕須直さんもアッパレ!のんさんの声も合っている。いい起用だった。

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2016/11/19

桜花 えぞ菊 ソライロ

A8df64278e8c4f519a77236c4aa8bc78E22f023585464491a2eac35b995e4edb11ef5c5b879f473f91635aab06ceccac行った先々でラーメン店に訪問している。
左写真:新宿御苑「新宿御苑 らーめん 桜花」スパイシー御前らーめん 11月5日 ハラルラーメンを出している。だから店内はイスラム系の人たちで満員。細麺なのがいい。スパイシーさも丁度いい感じである。鶏肉、玉子のトッピング、スープをかけて食べるご飯もよかった。
中写真:西早稲田「えぞ菊 戸塚店」味噌ラーメン 11月10日 久しぶりに食べた。懐かしい味であり、おいしい。メンマがうまい!味噌スープも飲める。これがおいしい。
右写真:東京駅「ソライロ NIPPON」ビーガンベジソバ 11月13日 ラーメンという感じではない。ベジタブルスープのヌードルだ。スープはおいしくて完食。ユズ胡椒を入れて、ピリッとしておいしかった。

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2016/11/17

「いい質問」が人を動かす

730 弁護士・谷原誠さんの言わんとしていることには共感する。(文響社)
*人間は、他人から言われたことには従いたくないが、自分で思いついたことには喜んで従う。だから人を動かすには命令してはいけない。自分で思いつかせればいい。
*人をその気にさせるには質問をすることである。また、人を育てるには質問をすることである。
*質問をされると、①思考し、②答えてしまう。まるで強制されるように思考し、答えてしまう。

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2016/11/16

生命現象というシステム

729 このタイトルの文章の著者・福岡伸一さん(写真)には、いろいろ教えられることが多い。生物ということに関してである。
*生命は、自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物は必ず死ぬというのは実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、動的平衡は別の個体に移行し、リセットされる。

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2016/11/15

ボランティアの「報酬」

02 金子郁容さん(写真)の表題の文章が、私には強く響いた。
 ボランティアの意味、私にとっては具体的には哲学カフェ・哲学対話の活動の意味が少し明らかになったようで、とてもうれしかった。
*その人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、だれか他の人の力によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアの「報酬」である。
*「内なる権威」に基づいていること、自発的に行動すること、何かをしたいからすること、きれいだと思うこと、楽しいからすること、などが「強い」のは、それらの力の源が「閉じて」いて、外からの支配を受けないからだ。しかし、ボランティアが、相手から助けてもらったと感じたり、相手から何かを学んだと思ったり、だれかの役に立っていると感じてうれしく思ったりするとき、ボランティアはかならずや相手との相互関係の中で価値を見つけている。つまり、「開いて」いなければ「報酬」は入ってこない。このように、ボランティアの「報酬」は、それを価値ありと判断するのは自分だという意味で「閉じて」いるが、それが相手から与えられたものだという意味で「開いて」いる。

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2016/11/14

なぜ私たちは対話するのか?

Images_4 第37回人生カフェは平成28年11月12日(土)、11名(男性7名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「なぜ私たちは対話するのか?」である。
 対話とは何か、ということでいくつかの定義はあるが、今回は一応、ここでは対話とは異なる考えや価値観を持つ者同士が話をすることを指すとした。同じような考えや価値観を持っておしゃべりをする「会話」とは異なるとした。
 まずはメインテーマに対しての自分なりのサブテーマ(問い)を出してもらうことから始めた。
 「「会話」ではなく、「対話」から得られるものは何か?」「対話によって何を得たいのか?(ゴールは?)」
 「なぜ対話に拘るのか?(対話でなくてもいいじゃないか?)」「対話とコミュニケーションとの違いとは?(対話とコミュニケーションは同じかなあ?」「ネットで対話はできるか?(顔が見えることが条件か?)」「文字だけで対話できないか?(顔を隠してできるか?)」「話せなくなったら対話はできないか?」
 「対話をしないで生きていくことはあるか?(可能か?)」「対話は問題解決のベストな方法になるか?」「対話は分断を癒せるか?」「なぜ対立するのか?」
 「対話に必要なスキル・態度は何か?」「相手への想いや、継続の中で、対話は形成されていくのではないか?」
 「対話している様で、そうではないことが多いのではないか?」「対話(する)において「心の境界線」は必要か?」
 「大切なのは、結論か?過程か?」

 この後、今回は全員に「なぜ私は対話するのか?」に答えてもらった。(「私は」であって、「私たち」ではない。)
 「①情報収集 ②自分の考えを広め、深める ③人を理解する」
 「対話する相手が好きだから」「相手を理解するため」「「相手」(自分)を愛するため」
 「自分を変えるため。対話することにより、人の話を聞けるようになった」「自分自身の許容範囲を広げるため」「自分の信念に揺さぶりをかけるため」「自分が有利になりたいから」
 「会話は楽しいが物足りない。対話のなかにこそ、何か(気づき、ヒント)を見出せるような気がするから」「自分の考えの普遍性を確かめるため(対話の場でないと聞いてくれない!)」
 「キャリア相談の場面で、対話的支援が必要だから」

 この後、テーマに沿って、フリーに話をし合う。
 ひとつ人種、民族、言語、宗教などが異なる者同士の対話をイメージする。そこではお互いが争わないために、トラブルを起こさないようにするために、あるいはトラブルが起きたときにうまく解決するために……、すなわちお互いを理解し、仲よく暮らしていくために、対話は必要のようである。究極的には、対話は殺し合わないために必要である。
このように対話は異なる者同士が共存していくために必要なものとして、捉えられる。
 一方で、対話により、共同で真理を探究しようとする営みがある。一人では容易ではないが、集団で普遍性を追究する。これは贅沢な行為のようであるが、不確実、不透明な時代においては特に求められるものである。
 上の2者の底に流れているのは、お互いに共通な、確固としてものを見つけようとする意識である。共通基盤が見つかれば、それを拠り所にして、みんなが協力して先に進めるという感覚があるからである。

 以上のようなことをはじめとして、様々な話が展開したが、時間切れとなった。最後にひとりひとりにメインテーマについてフリップを書いてもらった。
 「愛するために!」「相手を理解する」「結論:対話の目的は他者と分かり合えるため」
 「私たちは独りでは生きていけないから対話をするのではないか(生きていくため)」「対話は人生を豊かにする」「対話といふは相手を通しての自己発見と見付けたり」
 「まず相手に対する信頼があって対話が進められるように思った」「日常的に対話の端緒を見出して、対話を形成していけたらいいな」
 「本日までは、ネットでも対話はできそうだ!(人工知能でもできそうだ) 生身の人間の必要性がわからなかった」
 「他者(相手)がいることの意味は大きい。「漂流」している中で、何かしらみんなと共通の島を見つけたい気持ちがある」
 「中高年の人生カフェに参加して、皆の話を聞き、話をすることが対話かなぁ?」

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2016/11/13

ヴィンセントが教えてくれたこと

727 ヴィンセントのようなダメおやじは、やはり私には受け入れられない。
 主役のおじさん役、ビル・マーレイはさすがにうまい!


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2016/11/12

しゃきしゃき 鷹流 俺の空

741bb37d5d954aa08bd600388a1d1c5f9bc53bda84824af69ad36515de7df8664d131cecb55440fcb26b98525c8decaf 何度が訪れた私の好きなラーメン店3店である。
左写真:錦糸町「本店 タンメンしゃきしゃき」タンメン 10月1日 相変わらずの味でおいしい。野菜たっぷりなのがいい。餃子と合わせて千円は安い。
中写真:高田馬場東側「屋台らーめん 鷹流」味玉白湯麺 10月2日 相変わらずおいしい。きれいなラーメンである。スープが絶品。薄いようでいて、コクと深みがある。鶏肉などの具もよい。
右写真:高田馬場戸山口「俺の空」掛け豚そば 10月29日 何度も食べているが、これは私のお気に入りである。細麺なのがいい。豚スープとよく合う。刻みタマネギの甘みがいい。ばらけた豚チャーシューも食べやすい。完食である。

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2016/11/11

活龍 神仙 福たけ

Img_0019Img_0020Img_0026 歌舞伎町・大久保公園のイベントの続きである。
左写真:「つけめん らーめん 活龍」ウニのつけめん 10月20日 濃いが、まろやかなつけ汁がいい。太麺ともよく合う。チャーシュー、メンマも柔らかくておいしい。スープ割りしてもらって完食!
中写真:「金澤濃厚中華そば 神仙」濃厚味噌「炎炙」肉盛りそば 10月22日 ラーメン系では一番の行列。味噌スープがコクと深みがあり、おいしい。味噌がいいのだろう。食後まで味が口に残る。スープは油のせいで、最後まで熱い。
右写真:「福たけ」房州干物と岩手鴨の極中華(特製とっぴんぐ) 10月25日 トッピングはどれもおいしい。豪華である。スープも熱くて、いくつもの味がミックスして、うまい。値段は高かったけれど(1160円)、満足である。

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2016/11/10

稲葉 田代こうじ くり山

Img_00139cfb01b2e14a4a50a503ff93bd8fe172Img_0016  今年も「大つけ麺博 つけ麺VSラーメン」(本当に美味しいのはどっちだ決定戦)が行われた。第2回目に当たる今年は、10月6日から31日まで、新宿歌舞伎町の大久保公園にて、4サイクル実施された。
 私は全部で6軒(つけ麺4軒、ラーメン2軒)行った。環境条件が悪い中、どのお店も頑張っていた。
 つけ麺は容器が貧弱で、見た目が悪いが、味はよかった。
左写真:「麺堂 稲葉」つけめんウルトラソウル激鶏白湯 10月6日 うまかった。濃厚な鶏白湯は太麺パスタを食べているような感覚になる。鶏肉、メンマなどがおいしかった。
中写真:「田代こうじ最強軍団」花咲ガニの濃厚つけ麺 10月10日 トップを狙う意気込みがすごい。カニはやはりおいしい。濃いがマイルドな味は最高!スープ割りも自慢するだけあってうまい。当然完食して満足。
右写真:「くり山」つけめん 10月13日 この種の豚骨魚介系のつけ汁は好きである。昆布粉を混ぜてある麺もいい。スープ割りも温かくてうまかった。

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2016/11/09

渡なべ づゅる麺池田 ムタヒロ(味噌)

B7ea69edb4d744228d558e905cef00aa_2B2796c1297394a57a3d6d51bd7cdc8d5A779bbe77c9e4035a9e0aad1c65da94a 9月に行ったラーメン店を紹介する。
左写真:高田馬場東側「渡なべ」味玉らーめん 9月16日 時々食べたくなる好きなラーメンである。メンマは大きい。おいしかった。
中写真:目黒「づゅる麺池田」つけ麺 9月18日 つけ汁はだんだんとうまさが分かってくる。濃過ぎない良さがある。レモンも効く。スープ割りもうまい。
右写真:西国分寺「味噌中華そば ムタヒロ」味噌玉中華そば 9月25日 この味噌ラーメンは好きである。飲める味噌スープでもある。麺もおいしい。チャーシューは柔らかい。

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2016/11/08

あなたが目指す哲学対話とは

726 東京メタ哲学カフェも第4回目の開催となった。今回のテーマは「あなたが目指す哲学対話とは」である。
 私が印象に残ったところだけを記す。
 ひとつは、哲学対話のテーマについてである。
 「愛」とか「死」とかのテーマについて、参加者はその答えを欲しいとか、みんなと一緒に考えたい、といった動機を持っている。それを哲学的に、あるいは対話的に、アプローチしたいという気持ちである。これは本人にテーマに近い何かしらの課題や悩みなどがあることが推測される。
 たくさんの人を集めようとするならば、一般受けするテーマを設定すればいいのだが、主催者側はそれで満足できるだろうか。いずれにせよ、哲学対話においてはテーマは重要である。

 もうひとつは、哲学対話の3つのCのことである。Critical thinking Communication Care の3つである。
 今まで、この3つの軸で考えてきたところではあるが、3番目のCareはあまりしっくりきていない。Critical thinking も少々ズレがある。
 ということで、改めて考えると、私が哲学対話に楽しさを見出すところはという観点で言えば、大きくシンプルに捉えて、①哲学的なもの と ②対話的なもの という表現でもいいような気もしてきた。とりあえずこのように簡潔に整理しておいて、さらに哲学対話・哲学カフェの楽しさを追究していきたい。(私は、当面は哲学的なものと対話的なものの両方を求めていきたい。すなわち、しばらくは二兎を追うということである。)

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2016/11/07

老い

Images141 「年を取る」ということでは、どの年代の者も年を取るということには変わりはない。
 しかし、「老い」という言葉にはそれ以上の意味合いが込められている。「衰える」「劣る」「弱る」といった意味合いであり、それは「それまでできたことができなくなる」ということでもある。部分的にしろ、全体的にしろ「機能が落ちる」といったものである。
 この用法なら、若い世代でも使っている。高校生が中学生を見て、「自分は老けた」という言い方も成り立つ。
 ただし、一般的には、人生の後半の、高齢者という年代(最近では70歳以上でないと高齢者というイメージがないが…)を指して、「老い」という言葉を使っている。イメージとしては「下山」、「下る」というのが老いである。
 この人生の下山の時代をどう見るか。これが人によって異なり、生き方の違いになる。諦めるのか、受け入れるのか、楽しむのか……。もちろんできれば積極的に捉えていきたいところではある。

 老いを考えていく中で、人生の前半と後半ということを考えた。後半は前半があってこその後半だ。前半がなければ意味がない。後半は前半で生きてこなかった自分を生きることも可能である。それも前半があるからこそ言えることだ。

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2016/11/06

Mr.ホームズ 名探偵最後の事件

725 「老い」とか、「孤独」について、考えさせられる。
 イアン・マッケランが63歳のホームズと93歳のホームズを演じ分けられるのがすごい!(実際の本人はその間の76歳であった。)

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2016/11/05

湯を沸かすほどの熱い愛

724 宮沢りえが若くして亡くなるお母さん役を熱演している。子ども思い、家族思いのお母さんである。
 その子ども・家族が複雑である。血がつながっていない。それが実の親子以上のものを築き上げていることを見事に現している。(その点、我が家などは単純だなぁ)
 私には、病や死の問題が身近に、かつ切実に感じられた。
 「それだけたくさんのものをくれたから、自分の方からも自然にしたくなる」(私の母に対する思いと同じである。)

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2016/11/04

奇蹟がくれた数式

723 天才に理解を示すことができるのは、それなりに優秀な人だからである。天才の弱点も含めて受け入れ、支援できる人である。
 インドの天才数学者ラマヌジャンと、彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した伝記ドラマである。
 映画「ベストセラー」の天才作家と、彼を支援する名編集者との関係と同様である。
 かなり高みの世界だ。うらやましいところもある。(私のような年になると、誰か若者を支援したくなる。)
 よくできた構成で、てきぱきした演出だ。ジェレミー・アイアンズがいいのは当然だし、デブ・パテルもがんばっている。

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2016/11/03

モナドの領域

722 筒井康隆著、新潮社発行である。
 「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長編」と謳っているが、あまりそのように感じられない。
 GODの登場と語りが最大の内容だと思う。本文を読んだだけだと、ピンと来なかったが、先に読んだ『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(青山拓央著、太田出版)で、GODの存在についてうまく説明してくれている。

*GODは同作における「現実」世界を、他の諸可能世界とともに一挙に創った。
*すべての諸可能世界は在るように在り、そこには時間推移がなく、変化もなく、消失もない。
*そもそも存在すること自体が~1+1=2の真理性と同様の~目的なき真理性をもつ。(そういえば『モナドの領域』の最終章は「神の数学」であった。)
*諸世界における存在はどれも、それ自体としての真善美を併せ持ち、ある存在を他の諸可能性と比して「祝福」することはまったく意味をなさない。

*GODは作者・筒井康隆氏とともに『モナドの領域』でただ「遊戯」している。

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2016/11/02

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ⑥

718 最終章(第7章)は、「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」である。青山拓央さん(写真)が最も書きたかったところかもしれない。
*本書の問題意識は、この現実の世界~とりわけ現実の「今」~を他の諸可能性と対比するとはどういうことか、というものである。
*単純かつきわめて重要なのは、現にこの世界にいるわれわれにとって現に在るのはこの世界だけでありながら、にもかかわらず、他の諸可能性への思考がわれわれの生の根底から支えているように見えることである。
*反事実的な諸可能性や未来の諸可能性がもしなかったら……。あるいは在ってもそれらを「選ぶ」主体が存在しなかったら……。これらが在るということが「錯覚」かもしれない。
*この錯覚のなかに幸福と不幸が在り、その錯覚は人間にとっての「現実」だと言える。
*客観的幸福は「主体外在性」だけでなく、「時間外在性」や「世界外在性」をもつ。そして、私を教育するものとしての他者は、集団の利益だけでなく、この今を超えた時間(もっぱら未来)と、この現実を超えた諸可能性に訴えることで、私の主観的幸福のあり方を律する。
*主観的幸福と客観的幸福をただ二分することはできず、その主観性の内には客観性があり、客観性の内には主観性がある。

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2016/11/01

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ⑤

721 第6章からは「なぜ幸福であるべきか」を問うていく。
*「幸福とは何か」についての諸説は、「なぜ~ある意味での幸福について~幸福であるべきか」を同時に論じている。
*幸福について、「快楽説」「欲求充足説」「客観的リスト説」の一つだけに誓いを立てて生きるのは、不自然で無理のある生き方と言えるだろう。たくさんの「軽い」選択においてそれらを日替わりで選ぶからこそ、人生には多様な幸福が生じ、多様な未来の可能性も開かれる。
*「幸福である」多くの事例を示すことは、「幸福」の立派な説明であり、上記の3説に関しても、そのすべてに共通する「幸福」の本質を見つける必要はないかもしれない。
*上記3要素が有意味な集合としてまとまっている理由を、3要素のうちの複数がしばしば同時に実現する点に求め、この同時実現をたんなる偶然の同時実現と区別して、「共振」と呼びたい。
*3説のどれを支持する人でも、快楽、欲求充足、客観的な人生のよさのすべてが一度に得られた場合に、どれかを放棄することはしないだろう。それらを同時に得ること(共振)はけっして珍しくないのであり、それが可能である以上、私たちはそれを頻繁に狙う。
*幸福とは立体構造における多数の「共振」の集合である。快楽だけでも欲求充足だけでも、そして客観的な人生のよさだけでも、幸福を得ることはできない。ある一つの行為選択が、立体構造における複数の問いに同時に答えること。つまり、「何」の問いから、「なぜ」の問いまでが、共振のもとで一挙に答えられること。

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2016/10/31

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ④

719 第3章からは、「いかにして幸福になるか」がテーマである。
*順応しやすい生活の要素は幸福度に直結しにくい。そうした要素としては、例えば、収入、性別、人種、学歴、居住地の気候、家の立派さ、知能指数、外見の良さなどが、調査の結果、報告されている。
*順応しづらい要因としては、騒音、通勤時間の長さ(苦痛)などの調査報告がある。
*遺伝的要因としては、例えば抑鬱傾向などが、双生児の研究を通して確かめられている。
*他者との良好なつながり(良好な結婚関係を含む)も、主観的幸福度を高めるうえで重要な要因であることが分かっている。

*人生を作品として見るとして、それを時間的な物語性をもった作品(例えば映画)と見るべき必然性はあるか。人生を画廊のようなものとして見て、人生の個々の場面を、画廊のまったく別々の画のように鑑賞することもできるのではないか。

*後悔ばかりする人は、自分が選ばなかったものが遠くにあることに気づいていない。そちらは遠くにあるために、細かい欠点が見えない。

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2016/10/30

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ③

Images140 「幸福とは何か」を第2章でさらに展開する。
*幸福論においても、「実在論」と「観念論」の立場がある。
*幸せだから幸せだと知るのではなく、幸せだと知ることによって幸せになる……。現実の背後に他の可能性を見ることで、それは可能になる。
*「善悪」は実在論的な傾向があるが、これは善悪が規範的な概念(「すべき/すべきでない」の判断に関わる概念)であることに由来している。……善悪よりも規範性の弱いその他の価値判断(幸福など)については、観念論に留まることが容易である。
*幸福論が反発を招く一つの理由は、幸福と人生が直結しており、特定の幸福論を述べることが特定の生き方を規範化するからだろう。つまり、語り手にその自覚がなくとも、特定の幸福観を称揚することが他の幸福観を否定するものとして受け止めらるからである。

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2016/10/29

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ②

717 著者の青山拓央さん(写真)は、「幸福とは何か」について、第1章から語り始める。
*幸福は「自由」との関連が深い。
*エウダイモニア(「幸福」としばしば訳されるギリシア語)は、「よく生きていること」「うまくやっている」と同様だとアリストテレスは言っている。(エウダイモニアは「繁栄」とも訳される。)
*さまざまな「よさ」を求める過程の究極目的がエウダイモニアである。…他の目的ではなく、それ自体のためになされることがらである。
*キーネーシスはよく「運動」と訳さるが、「過程」と訳されることもある。「作業」という訳もある。作業はつねに目標をもっており、目標が達せられたなら、その作業を続けることはできない。
*エネルゲイア(活動)は、それ自体のうちに目的をもち、完了性と完全性をもつ。
*だから、徳を発揮しうる活動(エネルゲイア)に満ちた人生は、それ自体において輝かしさをもつエウダイモンな人生である。
*人生や人類史の全体をその外側から価値づけるのではなく、その内側からのみ価値づけるなら、内側にある個々の目的は意味を取り戻すかもしれない。
*そのようにして内側の視点に留まったとしても、私たちはどこかで、未来に他の目的をもつものではない「活動」を求めるだろう。それ自体としての充実と喜びをもった、自分の徳が十全に発揮された「活動」を。
*各々の時代の人びとが各々の場面で、それ自体としての充実と喜びをもった「活動」をなしてきたならば、それらはまさにそれ自体としての、無時間的な~時間の流れとは独立の~価値を持っている。
*私たちのなかには、ほぼ間違いなく、人類最後の人間はいない。しかし、私たちはだれもが確実に、人生最後の人間になる。自分自身の人生に関して。

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2016/10/28

幸福はなぜ哲学の問題になるのか ①

716 私の好きなテーマ「幸福」について、41歳の哲学者、青山拓央(山口大学准教授)さんが書いてくれている。分析哲学からの考察からはいろいろ考えるヒントをもらえる。
 3つの問いで構成されている。①幸福とは何か ②いかにして幸福になるか ③なぜ幸福になるべきか
 私としては、①と③が気になる。哲学的な問いのように思うからである。(この本では、①と③がとても関連していることが言われている。)

 「はじめに」のところで、基本的な説、用語、概念などが説明されている。
*幸福の議論には3つの代表的な説がある。①快楽説 ②欲求充足説 ③客観的リスト説  ①と②は主観的な観点から幸福を理解している。
*「上昇」(世界の在り方を変える生き方)と「充足」(世界の見方を変える生き方)の2つがある。
*ある人にとって最適な上昇と充足とのバランスの取り方は、その人固有の資質や環境や運に大きく左右されるため、日々の成功と失敗の中で、習慣を洗練させていく以外に、よいバランスの取り方は見つからない。

 私の考えは、幸福は言語だけで表すことができるものではなく、実践すること、すなわち生きることそのものに現れてくるものだということである。

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2016/10/27

怒り

Imagesgwjtzn4z 映画を観てから、原作の小説を読むという経験を久しぶりにした。
 吉田修一はうまい!新たな小説への意欲も感じられる。犯人探しが主ではないが、ミステリー性も含んでいる。3つの話が場所も異なり、お互いに交じり合わないのだが、読者はそれらの共鳴を深く感じる。
 小説では、映画と比較して、3つのストーリーの中で、それぞれの家族の関係が詳細に描かれる。家族の中での生と死が取り上げられる。これがいい。(映画では煩雑になるので、省略せざるを得ないところだろう。)
 映画と異なる点としては、ラストの方の高校生「泉」の行動と置かれている状況のあたりが印象に残った。(映画では泉をあまりに描きすぎると、泉が主人公になってしまうという恐れがあったのでは?)

 それぞれのストーリーの中に、怒りが存在するのは分かる。その中で最も怒りが溜まっているのは殺人犯の山神であろう。
 この山神が本当のところ、どんな人物なのか、この小説でも詳しくは分からない。読者の想像の領域でもあるだろう。また、この小説は山神が主人公でもないということを吉田修一が示しているとも言える。

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2016/10/25

しあわせ

715 「しあわせ」については何度も哲学カフェで考えてきている。私の好きなテーマであり、また若干得意なテーマでもある。今回新たな気づきもあったので、そこらあたりを記録しておく。
 しあわせを主観的に見るか、客観的に見るか、という論点があるが、私はどちらかというと主観的に見る側である。これは主観の中に人間の自由を見るからである。客観の名のもとに、一定の幸福観を押し付けられたら、たまったものではない。自由と幸福は近い関係にあるということを今回感じた。
 幸福は何かしらの「快」を伴っていることを確信した。何かしらの快がない幸福は嘘っぽい気がする。逆の、快があるから幸福というのは成り立たない。刹那的な快は長期的な幸福をもたらさないことが多い。
 しあわせということを考えることによって、人間という動物の種の特徴を知ることができる。「いま、ここ、わたし」が出発点であり、そこで喜怒哀楽や幸不幸を感じるのだが、人間は時間的にも、空間的にも、他者に対しても、どうしても広がりを持って知性的に考えてしまう本性を持っている。
 だから人間は生きている限り、目の前の具体的なものと、広がりを持った抽象的なものとの間で往復運動を繰り返す。振れながら生きていて、その中でバランスを取ろうとしている。
 よって、「比較」ということをどうしてもしてしまうのだが、これは不幸にも繋がる。
 悩んでいる時や短期的に見る場合は、過度の比較は不幸になっていく。だから、いま、ここ、わたしに集中する方がしあわせになれる。しかし、健康な時に長期的な視野で考える場合は、適切な人生のバランスを取るために、比較することはいいことでもある。

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2016/10/24

日常生活の冒険

714 第36回人生カフェは平成28年10月22日(土)、12名(男性8名、女性4名)の参加によって実施された。
 今回は参加者で対話のテーマを決めていくということで、最初に参加者から自分の興味・関心がある「問い」を出してもらった。
 「よりよい人間関係をつくるには?コミュニケーション?」「コミュニケーションの取り方?」「対話とは何か?」
 「人の役に立つ身の回りの事って、どんなものがあるのか?」「自分のためよりひとのためにすることのほうが、より満足感を得られるのはなぜか?」「優しい人(子)になる(なってほしい)っていうことは?」
 「日常生活の冒険とは?」「おどろきと好奇心とは?」「勇気とは?」
 「老いについてどうとらえてゆくか?」「不老不死はいいことか?」
 「個人主義とは何か?」「組織は個人の責任をどこまで負うべきか?」
 「不寛容社会は止まらないか?」
 「『平和』とはどんな状態のことを言うのか?」
 「本音とは何か?」
 「整理をするために捨てるのは大切とわかっているのになぜ難しいのか?」
 「運命はどう変えるか?」
 「逃げるのは悪い事ですか?」
 「元号と年号とは?」

 この中から今回は「日常生活の冒険とは?」がメインテーマに選ばれた。(提案者も大江健三郎の著作を意識していたみたい。)

 冒険というと、一般的には日常生活からの逸脱のイメージがある。それをあえて「日常生活の冒険」というのはどういうことだろうか。
 日常生活の中でのちょっとした変化、例えばふだん歩いていた道を少し変えてみるとか、ということらしい。習慣になっている思考パターンが少し変化する。それは比較的安全な場で行われる。だから安心して楽しめる。
 それは一般的なイメージの冒険と異なって、長期的な決断の場合もある。例えば、ローンを組んで家を買うなどのことである。これは明らかに人生上の冒険であり、リスクも伴う。

 いろいろな方面に対話は展開したが、最後に参加者に一言ずつフリップに書いてもらった。
「小さくても冒険(勇気を出していく)をしていかないとボケる。」
「いつでも冒険 いつでもチャレンジ」
「日常生活における楽しい冒険をしていきたいと思った。」
「日常生活の冒険には勇気・新鮮さ・拡大とリスクも含まれる。老いと安定。冒険ができることである。」
「私にとって本当の意味の冒険とは、新しい自分の発見と人との出逢い、心の交流ではないかという気がする。(優しさに出逢うことなど) 冒険は出き得る限りしていきたい。」
「(自分の)日常生活から少し離れた冒険~人との出会い、本との出会いを通して、他人に小さくても喜びを与えられる人生を送って、老いを迎えられたらいいなあ。」
「日常生活の冒険 危険やリスクを伴わない拡大的なもの 新しい経験 (年齢?)(生活の安定?) ※カフェ 」
「身近なところのちょっとした心のかべを乗り越えてみる、勇気を持つのが大事かなー」
「日常生活の冒険とは、「ドキドキ」すること。「ドキドキ」しない冒険はないか?」
「日常生活の冒険とは? 日ごろ思う事を勇気を持って考えていこうかなぁ?」
「思考停止は冒険しないことか?」
「冒険と探検とはどんな違いがあるのか?」
「冒険してないな…」

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2016/10/23

ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ

713 よくできたいい映画だ。
 マイケル・グランデージ監督は長編映画は初めてということだが、的を得たシャープな演出で飽きさせない。
 37歳で亡くなった天才作家と名編集者の二人の物語だ。戦前の実話を基にしている。作家の脳の病気があのような膨大な量の原稿を生み出したのか?名編集者がいたからこそ、ベストセラーは生み出された。この2人の関係は父と子のような関係でもある。
 ヘミングウェイやフィッツジェラルドが遠景に描かれるような贅沢な映画である。そこが面白いし、成功している。
 とにかく大物の配役で、皆が素晴らしい演技である。コリン・ファース、ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、ローラ・リニーらがずしりとした演技をしている。

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2016/10/21

どうしたら対話できるの?

Imagesqn2j1x1y このテーマに関しては、一応以下の2つに分けて考えるのがいい。
①対話をするその人自身の問題~対話を楽しめる人とそうでない人がいる。対話が苦手な人は何が対話を阻んでいるのか。個人的事情はいろいろありそうである。
②対話をする場の問題~対話をしやすい場とそうでない場がある。対話がしにくい場となっているのはなぜか。対話がしやすい場にするにはどうしたらいいか。

 実際は上の両者がお互いに絡んでいる。そこのところも丹念に見られるといい。

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2016/10/20

夏目漱石の妻

712 先週の土曜日まで、NHKで全4回で放送された「夏目漱石の妻」は傑作だった。
 漱石夫妻を戯画的に強調して描いたきらいはあるが、夫妻のことをよく調べたうえで脚本が面白く書かれていて、これはすごいと思った。
 妻鏡子の側の家族、すなわち中根家のことがよく描かれている。そして、全体的に家族のことがテーマになっている。これは漱石を取り上げるうえで面白い切り口だ。
 それで調べてみたら、脚本はベテランの池端俊策だった。さすがである。漱石の妻の悪妻説を覆すようなイメージをしっかりと表現している。
 鏡子夫人役の尾野真知子はうまい。漱石役の長谷川博己もいい。二人ともノッテいる俳優らしく、楽しく見られた。

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2016/10/19

いま世界の哲学者が考えていること ⑦

C0054893_11562750 最後の章、第6章は「環境」を取り上げている。
*「生態系」という環境の価値が、サービスという人間的な経済利益と結びつく。
*J.ベアード・キャリコット(写真):人間の利益を維持しながら、近代の技術の環境的な代価を最小にとどめること。

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2016/10/18

いま世界の哲学者が考えていること ⑥

711 第5章は「宗教」を取り上げている。
*ウルリッヒ・ベック(写真):「21世紀初頭に見られる宗教の回帰現象は、1970年代にいたるまで200年以上にわたって続いてきた社会通念〔世俗化理論〕を破るものだった。」
*チャールズ・テイラーが現代の「世俗性」を説明するとき、信仰を否定していない。たしかに制度的宗教は衰退するが、個々人の内面と結びついた宗教は、生き方の選択肢の一つとして新たに模索される。
*ヨーロッパに限定して言えば、世俗化が進み、キリスト教の果たす役割は縮小されたように見える。ところが、それ以外の地域では、世俗化されるどころか、むしろ脱世俗化の荒々しい動きが沸き起こっている。
*ウルリッヒ・ベック:「二つの近代化」~第一の近代化「個人的で普遍的な宗教、プロテスタント」 第二の近代化「個人的でコスモポリタン的宗教、自分自身の神」

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2016/10/17

いま世界の哲学者が考えていること ⑤

710 第4章は「資本主義」のことを取り上げている。
*ハリー・フランクファートは、道徳的に重要なことは、格差ではなく「貧困」であると述べている。
*政治哲学とは別に、経済学における新たな自由主義を一般に「ネオリベラリズム(新自由主義)」と呼んでいる。
*ダニ・ロドリック(写真)はグローバリゼーションのトリレンマ(3つの道)を示した。①ハイパーグローバリゼーション、②民主主義、③国民国家、この3つを同時に満たすことはできない。①と②を満たすのが「世界連邦制」、①と③を満たすのが「ネオリベラリズム」、②と③を満たすのが「賢いグローバリゼーション」である。
*フェリックス・マーティンは「通貨の根底にある信用と精算のメカニズムこそが、マネーの本質である」と述べている。
*デジタル・テクノロジーが金融のあり方そのものに変革を引き起こしており、それは「フィンテック(金融テクノロジー)」と呼ばれている。

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2016/10/16

いま世界の哲学者が考えていること ④

709 第3章はBT(バイオテクノロジー)革命を取り上げる。
*グレゴリー・ストックは、「費用、安全性、有効性」の条件がクリアされるならば、人間に対する遺伝子組み換えも賛成すべきだと主張する。
*ニック・ボストロムは「トランスヒューマニズム(人間超越主義)」を提唱している。
*クローン人間は、年齢の違った「一卵性双生児」と言える。
*クローンの場合、どのような遺伝プログラムを受け継がせるか、最初から他人が決定する。
*今まで自明視されてきた「自然-技術」の「対立項」が、現代において非=区分化され、混乱してくる。……今まで技術が向かう先は人間以外のものだった。ところが、バイオテクノロジーによって、その技術は人間に向かい始めた。自然を変える技術だったものが、人間の自然(本性 Nature)を変えるようになり始めた。
*不老不死に対する批判の論点:①不公平性 ②人生の退屈さ ③人格の同一性の欠如 ④人口過剰 ⑤健康維持費用の増大
*ペーター・スローターダイク(写真)は、人間を遺伝子操作する現代を「ポスト人間主義的時代」と呼ぶ。……ルネサンス以降の近代において、ヒューマニズムは書物による研究(人文学)であると同時に、人間を中心にした「人間主義」でもあった。スローターダイクは、こうした近代の「人文主義=人間主義」が現代において終焉しつつある、と宣言した。
*情報通信技術の発展(IT革命)によって書物にもとづく「人文主義」が、他方で生命科学と遺伝子工学の発展(BT革命)によって「人間主義」が終わろうとしている。

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2016/10/14

いま世界の哲学者が考えていること ③

708 第2章からは各論に入り、まずは「IT革命」を取り上げる。
*フェラーリスは現代のスマートフォンを「書き、読み、記録するための機械」になっていると述べ、「ドキュメント性」という概念で表現している。ドキュメント性の特質は、①公共的なアクセス可能性 ②消滅せずに生き残ること ③コピーを生み出せること としている。
*マシーセンは「監視」だけでなく、多数者が少数者を見るという「見物」の側面も同時に備えた概念として、「一緒に、同時に」を表す「syn」を使って、シノプティコン(synopticon)と名付けている。
*個々人は断片的な情報にまで分割され、それらがたえず記録されていく。
*現在、ビッグデータを背景にして、人工知能の分野でも、人間と同じように「フレーム問題」(デネット〈写真〉の思考実験が有名)に陥らず(解決ではなく)に、働くようになりつつある。
*最近の技術的なトレンドとして、「IoT」つまり「モノのインターネット(Internet of Things)が急速に導入されつつある。

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2016/10/13

いま世界の哲学者が考えていること ②

Cruxgn7xaaatz0n 著者の岡本裕一朗さん(玉川大学教授)も実在論的転回の動きに一番関心がありそうに見受けられる。以下の2人の若手の哲学者に注目している。
カンタン・メイヤスー(仏、1967~):メイヤスーは相関主義を乗り越え、思考から独立した「存在」へと向かう。その意味で実在論を目指すのだが、かつての「素朴実在論」とは区別される。むしろ彼が「実在」と考えているのは、数学や科学によって理解できるものである。その立場をメイヤスーは「思弁的唯物論」と呼ぶ。
マルクス・ガブリエル(独、1980~)(写真):世界は、見る人のいない世界だけでもなければ、見る人の世界だけでもない。これが「新実在論」である。ガブリエルの「新実在論」は、物理的な対象だけでなく、それに関する「思想」「心」「感情」「信念」、さらには一角獣のような「空想」さえも、存在すると考える。

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2016/10/12

いま世界の哲学者が考えていること ①

707_2 またまた岡本裕一朗さん(玉川大学教授)が分かりやすく解説してくれている。(ダイヤモンド社)
◎17世紀の認識論的転回により、意識を分析するようになる。20世紀の言語論的転回により、言語を分析するようになる。分析哲学、構造主義・ポスト構造主義、解釈学・コミュニケーション理論などが生まれる。
◎言語論的転回により、①言語構築主義(言語によって世界が構築される)と、②相対主義(異なる言語ゲームは共約不可能である)が主流になる。
◎21世紀におけるポスト「言語論的転回」の3つの潮流。
①自然主義的転回(認知科学的に「心」を考える):チャーチランド、クラーク
②メディア・技術論的転回(コミュニケーションの土台になる媒体・技術から考える):スティグレール、クレーマー
③実在論的転回(思考から独立した存在を考える):メイヤスー、ガブリエル

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2016/10/11

あやしい彼女

706 大元は韓国で作られ、中国版、ベトナム版とリメイクされ、この作品は日本版ということになる。
 役者も揃っていて、面白く仕上がっている。
 
 中高年にとって、人生というものは愛おしいものである。私も、この私の人生が愛おしい。涙が出てくる。
 それは過去の人生が変えられないもの、それゆえに思い出として、また蓄積されてきたものとして、とても大事にしたいものである。

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2016/10/10

同情するのは悪いことか?

Images139 第35回人生カフェは平成28年10月8日(土)、12名(男性4名、女性8名)の参加によって実施された。
 今回のテーマは「同情するのは悪いことか?」である。
 自らが関心のあるところの、サブテーマに当たる問いを参加者からいくつか挙げてもらった。(自分が疑問に思っていることを素直に何でも出してもらう。問いの形(最後に「?」が付く文)にする。各人の問いに優劣はない。)
「同情より共感の方がよいのか?違いはある?」「「同情」と「愛情」は違うのか?それとも同じなのか?」「同情は心配と似ていないか?」「「同情」と「憐れみ」は同じか?」
「同情する側の心理はどういうものか?」「同情とは上から目線なのか?」「同情などの感情は自然に出るもので、無理に止めることはできないのでは?」
「「かわいそうに……」と思うことと発言することは違うのか?」「『同情』することにSTOPはかけられないが、その先にある言動に表わすことや、その程度によっては同情は必ずしも良いこととは言えない場合もあるのでは?」「寄付やボランティアは同情なしでできるのか?」
「同情された時に気持ちの違いがあるのはなぜか?」「同情されるのは良いときもあり、悪いときもあるのでは?」
「「情けは人のためならず」は本当か?」
「死刑囚を同情してはいけないのか?」「ベッキーに同情すべきか?」

 同情することは鼻から悪いことだと思っている人たちもいる。果たして本当にそうだろうか?そもそものところを問うていくのが哲学カフェである。
 「同情すること」と「同情されること」は一応区別できるし、上に挙げられた問いも両者の違いを意識している。今回の対話の展開の中でも、両者を区別しながら、そして両者の関係を考えることなども行った。

 最後に、各参加者からコメントをもらった。
「(私の中にある)同情されたい・同情したい この気持ちももう一度見つめたい。」
「同情はやはり深かった。よい感じを知ったのがよかった。」
「同情するのは悪いことか?同情されるのは良いとき⇒おもいやり 悪いとき⇒あわれみ 自分で感じたこと!!」
「自然にわきおこってきた感情としての「同情」は自分の中で見つめて静かに考える、心の余裕をもちたい。(感想)」
「「同情されたい」…人とつながっていたいという気持ちがあるのかもしれない。」
「中身の伴わない(心がない)押しつけの同情を人は嫌う。そして、それを不思議と人は見抜いてしまう。(人は言葉にはだまされない)」
「諄(くど)くない同情を心掛けたい。 「友人がいない」という発言は誰かに同情を求めているのか?」
「大切なことは相手の立場に立った、相手の気持ちに沿った言動だと実感しました。」
「誰でも自分で問題を解決する力を持っている。自分を信じることが相手を信じることにつながる。」
「2つの視点からとらえる。 [自分]同情は自然発生的である。良いも悪いもない。どの様に発信するのが問われる。 [相手]同情を受けた時の感情は、一定の基準に基づいて良い悪いと判断しているものではない。 齟齬が発生するのが前提と考える。」
「同情 ~ ◎自分と相手を比べて優位に立つ⇒同情することで気持ちよくなる⇒メサイア・コンプレックス、感動ポルノ(キケン) ◎相手の立場に立って気持ちに寄りそう⇒(ギモン点)相手のことは本当にはわからないのに、寄りそいすぎるのは自己満足になる場合も⇒まき込まれる(キケン)」
「1「同情」には良いものと悪いものがある。人間関係が重要である。受け取り手の気持ちが大切(世界・日常を知る) 2「同情」する気持ちを人間関係の形成につなげるにはどうすれば良い?  3「同情」するにもさまざまな感情がある。これから「今のは同情?」と考えるようにしたい。相手の反応をみる。」

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2016/10/09

リップヴァンウィンクルの花嫁

705 奇妙な感覚を覚える映画である。
 その長尺さ(3時間)に少々疲れる。実際、私はレンタルのDVDを4日間に分けて観た。
 黒木華演ずる女主人公は、おとなしくていい人なのに、次から次へとひどい目に合う。離婚、殺されそうになる……。
 現代の貧困女子、スマホが頼りだ。生活を維持できないほど崩れていく。観ているとイライラする女子だ。だけれど、まさに現代的な女子とも言えるか。
 代行業など何でも屋の綾野剛演ずる男性も奇妙だ。お金だけを目的に、人を物のように手段として扱う。といって、最後まで他人を利用しきることはできない。自分も生身の人間として生きているのだから。
 ゆるいテンポの中で、人の生き死ににかかわるすごいことを描いている。好きな映画とはいい難いが、心に長く残る。
 綾野剛のキャラクターづくりはうまいし、黒木華のイライラさせる感じもよく出ている。この2人の印象も長く残る。

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2016/10/06

哲学カフェの楽しさと危うさ

704 10月2日、第3回東京メタ哲学カフェが実施された。 
 古い内容と方法に頼っている哲学者が哲学カフェのことを危ういと言っていることにはあまり耳を傾けなくてもいい気がする。哲学カフェの新しさが分かっていないのではないか。
 私にとって、哲学カフェの危うさといったら、目下のところ気になるのはセーフティ(知的安全性)の問題だけである。
 一方で、哲学カフェは新しいからといって価値があるかどうかはまだ不明である。役に立っている(有用性がある)かどうかもまだ検証中である。
 だけども私は哲学カフェをやっていて楽しい。この楽しさは大事にしていきたい。この楽しさの源をクリアにしていきたい。哲学カフェを広めていきたい気持ちは持っている。

 哲学カフェにおいて、参加者にしろ私にしろ、分からないということは大切であり、その分からなさに踏みとどまる勇気も必要である。そして、その分からなさのところを恐る恐る話したり、聞いたりする。そこに誠実に向き合う、これって大事だと思う。
 ファシリテーターと参加者によって哲学カフェは成り立つ。ファシリテーターのテクニックだけで哲学カフェが盛り上がるわけではない。上手な参加者もほしいところである。
 大人の場であるから、ファシリテーターと参加者の役割は相互にかつ自由に入れ替わる。そこは柔軟であるし、そこが面白い。教師と子どもの固定的な役割関係とは異なる。

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2016/10/05

苦海浄土

703 NHK100分de名著で石牟礼道子さんの『苦海浄土』を若松英輔さんから解説してもらった。
 本の全文はまだ読めないでいる。
 重い話である。
 我々はそれを引き継がなくてはならない。
 今のところはテレビを見られた、若松さんの解説を聞いた、というところまでである。それでもそこまでできたことはよかったと思っている。

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2016/10/04

ハドソン川の奇跡

702 クリント・イーストウッド(86歳)の骨太の演出は好きである。
 大事なところをしっかりと描いている。繰り返し描いている。観客の心理をよく知っている。映画のことをよく知っている。黒澤明、スピルバーグと同じである。監督の意向にトム・ハンクスがよく応えている。
 クリント・イーストウッドは人間というもの、人間の感情ということもよく知っている。感情があるゆえ人間の判断には時間がかかる。それが結果として有効に働くことも、逆になることもある。いずれにせよ、それが人間というものだ。コンピュータによる判断が、初めて体験することにうまく対応できるとは限らない。
 私などは結果が良ければそれで良しとすればいいと思うが、そうは簡単にはいかない。利害関係が絡んできて複雑になる。(保険会社などの利害も入り込んでくる。)
 とにかく多くの人の協力によって、乗客・乗員全員が助かった。よかった!

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2016/10/03

怒り

701 いい作品に仕上がっている。やはり原作がいい。(吉田修一) 脚本・演出もいい。(李相日) キャストも揃えている。うまく演じている。
 殺人事件が発端だが、単なる犯人捜しの話ではない。東京、千葉、沖縄に現れた正体不明の男たちはいったい何者なのか?
 怒りの種は現代の日本のいたるところにある。非正規、性的マイノリティ、沖縄……。同情すればいいという話ではない。
 人を信じることは難しい。素性を知らないと不安になる。逆に信じ合えるということは素晴らしいことだということを感じる映画だ。
 渡辺謙が演じるお父さんの娘を思う気持ちにかなり共感してしまう。当然だよね。同じような立場だから。
 とにかくキャストが主役をはれる大物ばかりで、若干過剰気味だが、さすがにうまく演じている。

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